幕間 「家令の記録」 セバスチャン視点
セバスチャン視点です
家令という仕事は、驚かないことが基本だ。
公爵家に仕える以上、想定外のことは日常的に起きる。それをいちいち顔に出していては仕事にならない。セバスチャンはその訓練を三十年かけて積んできた。
だから、自分があの日に驚いたことが、今でも少し引っかかっている。
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アリシア・フォン・ランベルトが公爵邸に到着した初日のことだ。
馬車から降りてきた令嬢は、荷物を置く前に邸の外壁を見ていた。次に、東の方角を見た。それから敷地内の土の色を確認して、セバスチャンに言った。
「北東の農地、水はけが悪くないですか」
三十年で積んだ訓練が、一瞬崩れた。
着いた当日に。荷を下ろす前に。
農地の問題を見抜いていた。
(……この方は、何者なのだろう)
それがアリシア・フォン・ランベルトに対するセバスチャンの、最初の評価だった。
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それからの三ヶ月で、同じような場面が何度あったか、数えていない。
王国の使者が来たとき。アリシアは断りながら、一枚の紙を無償で渡した。後からその内容を確認したセバスチャンは、それが王国財政を当面持たせるための手順書だと分かった。
(なぜ、敵国に等しい相手に、と思った)
「王国が完全に傾くと、この地域の商業にも影響が出ます」
アリシアはそう言った。損得の話として処理していた。感情でも義理でもない。
それが正しい判断だと分かりながら、セバスチャンには同じ判断ができた自信がなかった。
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ヴァルツの件は、特に印象に残った。
降水量のタイムラグを指摘されたとき、セバスチャンは自分でもその数字を見ていた。見ていたのに、気づいていなかった。データを「確認する」ことと「読む」ことが、自分の中で違う行為だったと、その瞬間に気づいた。
会議でアリシアがヴァルツの使者を誘導していく様子を、セバスチャンは脇で見ていた。
指摘しない。断定しない。ただ、相手が自分で答えに辿り着けるよう、問いと資料を置いていく。
(このようなやり方を、どこで身につけられたのだろう)
尋ねたことはない。おそらく尋ねても「前の職場で」とだけ答えられるだろう。
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もう一つ、気になっていることがある。
公爵様のことだ。
ディアス・フォン・クロイツという人間を、セバスチャンは長く見てきた。飄々としていて、何事にも動じない。感情を見せることがほとんどない。それがこの方の常だった。
アリシア着任以降、その常が少し変わっている。
打ち合わせの時間をずらしたこと。「資料を持ち込むな」と言ったこと。「クラーラを専任に」という指示。どれも、これまでにない種類の命令だった。
セバスチャンは理由を聞かなかった。聞く必要がなかった。
三十年の経験があれば、見ていれば分かることがある。
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今日の第一四半期の数字を、セバスチャンはもう一度見直した。
想定を上回る結果だった。農地、交易路、商業区画。アリシアが着任してから手をつけた順番に、数字が変わっている。
アリシア本人は「まだ途中です」と言って、次の課題を見ていた。
(そうであろう、と思っていた)
この人はおそらく、クロイツに来てからずっと同じだ。終わったことを振り返らない。次を見る。そしてまた数字を変える。
家令という仕事は、驚かないことが基本だ。
ただ——この三ヶ月で学んだことがある。
驚かないための訓練と、驚く理由がないことは、別の話だ。
明日からは少し投稿頻度を落とします




