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元社畜令嬢、婚約破棄されたので隣国で本気出します  作者: ハル


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幕間 「七年前から、今日まで」 ディアス視点

今回はディアス視点の話です


七年前のことを、今でも覚えている。


 王国の夜会だった。煌びやかな会場で、誰もがディアスに向けて顔を作っていた。笑顔、敬意、媚び、値踏み。ディアスはそういうものを見分けることに、とうの昔に慣れていた。


 だから逆に、目に入った。


 会場の端。給仕の動線を確認するように壁際で立っている令嬢が一人いた。社交のための笑顔でもなく、退屈を隠す表情でもない。ただ、何かを考えていた。


 誰かに見られていることを、まるで意識していなかった。


 (珍しい)


 その程度の認識だった。名前も知らなかった。次に会場で見かけたときも、彼女はまた同じように、壁際で何かを考えていた。


 後から分かったことだが、その夜の王国財政に関わる問題を、彼女は一人で処理していた。


 誰も知らないままに。


━━━━━━━━━━━


 今日、応接室でヴァルツの使者と向き合うアリシアを見ながら、ディアスはあの夜のことを思い出していた。


 アリシアは上座のディアスから少し外れた位置に座っていた。自分を主役にしない配置だ。資料を出して、問いを立てて、相手が自分で答えに辿り着くのを待っている。


 (変わっていない)


 七年前も、今日も、同じだった。


 周りが見ているものを見ていない。周りが見ていないものだけを見ている。


 ヴァルツの若い文官が「三年前に降水量が落ちていますね」と呟いたとき、アリシアの表情はほとんど動かなかった。ただ頷いた。それだけだった。


 (あと少し、と思っているんだろう)


 そこまで読めた。自分でも少し可笑しかった。


━━━━━━━━━━━


 使者が帰った後、「上手くやったね」と言ったのは本心だった。


 「先方が自分で気づいてくれました」


 アリシアはそう答えた。こういうところが、と思った。


 手柄を相手に渡す。それが計算でも本心でも、どちらでもよかった。問題は、それが自然に出てくることだ。


 第一四半期の数字を見たときも同じだった。


 想定を上回る結果を前に、アリシアは「まだ途中です」と言った。誰かに褒められることへの照れも、成果への執着もなかった。ただ、次の課題を見ていた。


 (後悔したことはあるか、と聞いたのは——)


 「ありません」という答えが返ってきたとき、何かが緩んだ気がした。


 「ありがとう」と言った。「来てくれたこと」と。


 珍しいことを言うものだと、自分でも思った。でも取り消す気にもなれなかった。


━━━━━━━━━━━


 執務室に戻った後、ディアスはしばらく何もしなかった。


 窓の外はもう夕方になっていた。


 (いつからだろう)


 七年前から、顔を知っていた。名前を調べたのは、それからしばらくして。王国財政の動きを追うようになったのは、もっと後だ。王国が安定していた裏に、誰かの手が入っていることに気づいたとき、その「誰か」がまだ名前も知らないあの令嬢だと分かった。


 引き抜こうと決めたのは、婚約破棄の話が耳に入った日の夜だ。


 あの女が王国を離れるなら、どこかが拾う。ならば自分が拾う方がいい——最初はそういう判断だった。


 今も、そういう判断のつもりだった。


 ただ。


 (「整理しようとして、うまくいかなかった」)


 夕食の時、アリシアが書斎に向かいかけて、「今日は上がっていいと言われた」と思い出したように廊下で止まった姿を見た。あれで少し笑ってしまった。本人は気づいていなかった。


 放っておけない、と何度か言った。


 あれは本当のことだが、理由が「放っておけないから」だけではないことに、今日気づいた。


 言葉にするつもりはなかった。まだ、する必要もなかった。


 ただ——今日初めて、自分の中にあるものの名前が、おおよそ分かった気がした。


 ディアスは立ち上がり、扉を開けた。


 「セバスチャン」


 家令がすぐに現れた。


 「アリシアの部屋に専任をつけろ。クラーラでいい」


 「……かしこまりました。理由をお聞きしても」


 「放っておくと食事を抜く。声をかける人間がいた方がいい。それだけだ」


 セバスチャンが一礼して下がった。ディアスは窓の外をもう一度見た。


 (あの人は、誰かに世話を焼かれることに慣れていない)


 だからといって、放っておく理由にはならなかった。


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