27話 ~救急車~
日が暮れた東京都港区の路地裏には細かい雨が降り始めている。
「起きてるんだろう?聞きたいことがあるから起きろ」
人々のざわめきをBGMにして鳴守 倫理は目線を下げて囁くように言った。
「………」
答えは何も返ってこない。人がそこにいないわけではない。カラフルな服を着て髪を染めた男たち総勢30人弱はいるのだが、全員が濡れ始めているアスファルトの上で倒れ込んでいる。
「そうかそうか、そういう態度か。それならこちらにも考えはある」
コツコツコツ、という足音が路地裏に響いて立ち止まり倫理はその場に落ちているナイフをとって軽く振り下ろすと空気を切り裂く音がして一瞬の静寂に包まれた。その後で静かに唾を飲み込む音がそこらかしこでし始める。
「それじゃあ今から3秒以内に起きないやつの顔をこのナイフでズタズタに切り裂く」
呻き声と共に倒れていた人間たちが一斉に起きあがった。
「やはり起きていたじゃないか、嘘はいけないな嘘は」
「ほんっとうにすいませんでした兄貴。どうかこの通りですからもう勘弁してもらえませんか」
黄色い服を着た長髪を左右に分けたチャラそうな男が泣きそうな顔をしながら前歯が全てなくなった顔を地面と平行に下げた。その後で一斉に謝罪しながら一斉に皆が頭を下げる。鼻から血を流していたり脇腹を押さえていたりと、誰もがどこかしら痛めている。
「最初からそう素直だとよかったんだけどな。ある程度は分かってもらえたようだしこれで許してあげようじゃないか」
「ありがとうございます」
「いいよ………ところで一人だけ起きていないやつがいるな」
倫理は雨に濡れて真っ黒なアスファルトに寝そべる短髪の男の元へ歩く。
「その人は熊谷組の組長の息子さんの龍二さんです」
二人の様子を見守るうちの誰かが言った。
「どうした龍二、お前はどうして立たないんだ?お間が得もってきたこのナイフで顔を切り裂かれたいのか?」
「誰がお前の命令なんか聞くか」
いかにもヤンチャそうな顔で下から睨みつけた。
「いきがっている割には随分と声が小さいな、腰でも痛めたのか?」
「てめぇ!分かってて言ってやがるな!」
歯を食いしばる音が聞こえる。
「ああもちろんだ。自分がやったことくらいわかっているさ、お前はこの中で唯一といっていい殺意を持っていた存在だからな。そういうやつには他よりも厳しい罰をあたえることにしているんだ」
「これをこんな目にあわさて只で済むと思うなよ」
笑う。
「お父様に泣きつくか?」
髪の毛を掴んで顔をもちあげて目と目を合わせる。
「自分じゃ何ひとつできないのか。喧嘩に負けてその仕返しをすることもお前はできないのか、ああ情けない、なんて情けない奴なんだお前は」
「なんだテメェ」
「なんだテメェ、じゃないだだろう。俺の言っていることが間違っているならはっきりそう言えばいいじゃないか。俺は親父の力なんか借りない、俺の力だけでお前を倒すってな」
顔をゆっくりと下ろす。
「自分一人で何とかしようなんて考えもしなかったお前にはそんなこと言えないだろうな。なんて惨めな奴なんだお前は、自分が惨めだということすら気が付いてなさそうなのがさらに惨めだな。表彰状もんだよお前は」
荒い呼吸がアスファルトとぶつかって音を出す。
「百人でも千人でも連れてこい、相手をしてやるよ」
「兄貴、そんなこと言ったら本当に来ますよ?」
ロン毛の男が遜りながら言う。その姿からは痛めつけられた恨みも怒りも感じない。露骨なほどにただただ倫理の下の立場について少しでも機嫌を取ろうとしていた。
「ああそれでいい、実を言うとそっちの方が助かるんだ」
「ど、どういうことですかそれ」
「今の俺は身分証が無い、そして金が必要なんだ」
「は、はぁ………」
何を言っているのか理解できないという顔ばかりがその路地にはあった。
「身分証が無いから働くこともできないし漫画喫茶に泊まることもできない。そうなれば生きていくためには奪うしかないだろう。ただし何の罪もない人間から奪うのは罪だ、しかし俺に危害をくわえようと襲い掛かって来るやつらから奪うことは罪ではない。迷惑を受けた俺が慰謝料とか迷惑料を受け取るのは当然のことだからだ。人数が多いほうが一度に入って来る金が多くなるから効率的だろう、そういうことだ」
「なるほど………なるほど、なるほど」
丁寧に説明したにもかかわらず誰一人として納得した表情を見せないことに倫理はため息をついた。
「というわけで誰か身分証が無くても泊まれる宿を知らないか。お前たちをわざわざ立たせたのはそれを知りたかったからだ」
「宿、ですか………」
長髪の男は心当たりがないらしく誰か知っている人間はいないかと見渡すが、誰一人として心当たりのありそうなものはいなかった。
「俺は疲れているんだから早く思い出してくれ」
「し、少々お待ちを、おい誰か知らないのかよ!」
少し苛立った倫理の声に焦る男の背後から少し甲高い男の声が響いた。
「それなら俺が知ってるよ!」
皆が一斉に振り向くと、そこには建物の角からカマキリのような顔をした背の低いのリーゼントの男が顔を出していた。
「テンメェ!一番最初に逃げだした奴じゃねぇか!」
誰かが即座に叫んだあとで脇腹を押さえたまま呻き声をあげた。
「そうだあいつ逃げたやつだ!たしかはじめとかいう名前のやつだ!」
「卑怯者だ、許せねぇ………」
体に走る痛みを倫理に向けることが出来ない分だけはじめに集中する。当然のことながらその視線は刺すように厳しい。
「いやちょっと待ってくださいよお兄さん方。俺はちゃんと離れた場所から仕事はしていたんですよ」
「何が仕事だふざけんな!」
「ただ逃げてただけじゃねぇか!」
「そうじゃないですよ。離れた場所にいて本当にヤバそうだったら警察とか救急車を呼ぼうと思ってちゃんと見ていたんですよ」
「嘘つくんじゃねぇ!」
「嘘なんかついてないですよ。それにこの辺りじゃ武闘派で名を馳せたお兄さん方がどうにもできないくらい強い闘神みたいなお方が相手じゃ俺たち3人がいたところで何にもできるわけないじゃないですか」
はじめの後ろから「なんで言うんだよ」とか「最悪だ」とかいう二人の声が聞こえる。それによってその場にいる全員が、逃げ出したのは3人いたと思いだした。
「泊まれる所を知っているのか?」
「はい。俺の弟が雇われ店長をしているラブホテルが歌舞伎町にあるんですよ、俺が話をすればそれくらいのことは融通利かせてくれます、任せてください。あの、ラブホテルでも大丈夫ですよね」
「ああそれでいい」
「闘神の大兄貴ありがとうざいます!」
ひとなつっこい満面の笑みではじめは頭を下げた。
「どうですお兄さん方、俺は役に立ったでしょう?どうかこれで俺に対する怒りはチャラにしてください、お願いしますよ」
さっきまで怒りの声を上げていた者たちは何も言わない、何も言えない。
「俺とふたりの友達で案内させてもらいますよ闘神の大兄貴。表の通りはさっきの大騒動の影響で警察とかも集まってきているのでここにいる全員でぞろぞろと歩くのは危険です。あっという間に職質をくらってしまいます」
「そうか、確かにサイレンの音がひっきりなしに鳴っているな」
納得した様子で倫理は自分の顎を擦る。
「お兄さん方もそのほうが助かるんじゃないですか?」
それはそうだ、誰しもがいま倫理のそばから一刻も早く離れたいと思っている。全員が必ずどこかしらを痛めている。それに恐ろしくてたまらない。どんな武器を振るったところでお構いなしに突っ込んできて自分のしたい攻撃をとんでもない威力で放つ人間とは思えない存在の元から一刻も早く逃げ出したい。
さらに言えばすぐに病院に駆け込みたい、けれどそれは言えない。その場にいる全員が倫理が医療従事者に迷惑をかけるなと言っていたことを覚えているからだ。できるだけ見つからないように病院に行きたい、できればタクシーを使って見つからないように行きたいところだが倫理から奪われていて金は無い。
誰しもが考えていることは大体同じ、だからもうすでに自分たちが今一番欲しいことを与えてくれたはじめのことは許していた。
「それじゃあ俺たちが逃げたことはこれで完全に許してくれるっていうことでお願いしますよ」
「わかったよ」
「ありがとうございます!」
一同に安心感が広がった。
「それじゃあ行きましょうか闘神の大兄貴」
「その前に………」
「何か忘れものですか?」
「そいつに救急車を呼んでやれ、下手に動かさない方がいいだろう」
倫理は笑った。
倫理は知る由も無かったが、その後の港区には赤い手をした妖怪が路地裏で騒ぐ不良を徹底的に痛めつけて全財産を奪っていくという新たな都市伝説が生まれることとなった。




