27.モブ令嬢と婚約の儀
心臓が破裂しそう。シルヴィは控え室で鏡に映る自分の姿を見て、浮かれそうになり前髪を整えるように触った。
本日、晴天。初夏の心地のよい日和の中、アミファンス伯爵領、花畑にて。シルヴィとルノーの婚約の儀が行われようとしていた。
「わー、どうしよう。なんか、わー」
「落ち着いてくださいませ、お嬢様」
「モニク、変じゃない? いや、皆が用意してくれて、変なわけないんだけど。あの、似合ってる?」
「大変お似合いですよ」
淡いブルーのドレスに身を包んだシルヴィの髪は、綺麗に結い上げられている。その焦げ茶色の髪をいつかと同じ、白金色の花飾りが美しく飾っていた。
ルノーがそれを口にすることはない。しかし、シルヴィはその花飾りを見るたびに、花畑で誕生日プレゼントとして花を贈りあったことを思い出すのだ。
よほどルノーは、あの日のことが忘れられないのか。お気に入りなのか。聞けば教えてはくれるのだろうが。シルヴィは、秘めやかに笑う。
暴かない方が素敵なこともある、と。
「シルヴィ、僕だけど」
不意に、部屋がノックされる。扉越しに聞こえた愛しい声に、「どうぞ」とシルヴィは迷わずに返した。
エタンが開けた扉から入ってきたルノーは、グレーのフロックコートを完璧に着こなしていた。それに思わず、シルヴィの口から感嘆の吐息が零れ落ちる。
それは、ルノーの方も同じであったらしい。シルヴィの姿を瞳に移して、うっとりと蕩けるように目尻を下げた。
「綺麗だ、シルヴィ」
「ありがとう。ルノーくんも、とても素敵よ」
「君の隣に相応しいだろ?」
一変して、どこか焦りを含んだ声音を出したルノーに、シルヴィは目を瞬く。今のやり取りに何かルノーの焦燥を刺激する要素があったようだ。
シルヴィは記憶を探って、直ぐに思い当たる。一年次の秋の舞踏会、シルヴィが言ったのだった。“私のパートナーなんて役不足だね”、と。
「うん。私に相応しいのはルノーくんだけって、言ったのは貴方よ?」
シルヴィが、ふわっと幸せそうに笑む。それに、ルノーの魔力が大きく乱れた。
「爆発はダメ!!」
「わ、かってるよ。だいじょうぶ。すき。シルヴィ、あいしてる」
「全く大丈夫ではなさそう!!」
シルヴィは、オロオロと椅子から立ち上がる。ルノーは、嬉しそうにしながらシルヴィとの距離を完全になくした。
「婚約の儀で爆発はまずいよ」
「うん。任せてよ、シルヴィ。耐えてみせるから」
「絶対だからね」
既に魔力が不安定になっているルノーに、シルヴィは心配そうに眉尻を下げる。
今日の婚約の儀には、ルノーが魔王だと知っている面々しか招待していない。つまりは、国王陛下がいらっしゃるのである。
爆発を何とかするというのを婚約の条件に入れたのは、失敗だっただろうか。しかし、ここまできて破談になることはないと信じたい。
「シルヴィ、お父さんだよ。入ってもいいかい?」
どうやら、お互いの両親も準備が整ったようだ。シルヴィはそれにも「どうぞ」と答える。
扉を開けて入ってきた伯爵夫婦と公爵夫婦の姿に、ルノーがシルヴィから少し離れた。家族の時間を尊重してくれたのだろう。
「私の可愛いシルヴィ。本当におめでとう」
「ありがとう、お母様」
シルヴィの母親が、潤んだ瞳を愛おしげに細める。その隣で、父親であるアミファンス伯爵がダバーッと大号泣し出した。思わずシルヴィが「えぇ!?」と素っ頓狂な声を上げる。
「し、シルヴィ、綺麗だよ。ほ、ほんと、うぐぅ……っ!!」
「アナタ!?」
「膝からくずれおちそうだ」
「しっかりしてくださいませ!!」
「まだ婚約の儀なのに!?」
幸せの涙をダバダバ流す伯爵に、シルヴィと夫人が大慌てでハンカチを伯爵に渡している。それを横目に、ルノーは相変わらずだなと内心で溜息を吐いた。
「そうだぞ、まだ婚約の段階なのだから」
そのフルーレスト公爵の声に、ルノーは面倒そうに視線を前に戻す。しかし、父親とは目が合わなかった。
「泣きすぎだぞ、しっかりしなさい」
「だって、だって!! こんなに立派になってぇ!!」
公爵の視線の先には、ハンカチで涙を必死に拭っている公爵夫人の姿があった。それにルノーは、目をきょとんと丸める。
夫人は感極まったのか、公爵の腕をバシバシと叩き出した。それに公爵は、困ったように「痛い痛い、落ち着きなさい」と眉尻を下げる。
どうもこの二人は、ルノーが魔王バレした時の夫人のビンタ以来、距離が縮まったらしいのだ。どちらかというと、遠慮しなくなった夫人に公爵が振り回されているといった感じだが。
ルノーは、困り果てている公爵を見て良い気味だと口角を上げる。それに気付いた公爵が、嫌そうに眉根を寄せた。
「お前という子は……」
「何のことです?」
「あらあら。本当に年々、似てきますわね」
夫人の言葉に、公爵は信じられないという目を向ける。しかし、ルノーは思案するような間のあと「まぁ、親子ですからね」そう返した。
それに、公爵は目を見開く。次いで、「んんっ、そうか。まぁ、そうだな」と照れ臭そうに顔を逸らした。ルノー本人は、当たり前のことを言っただけのつもりらしい。不思議そうに小首を傾げていた。
そんな公爵家のやり取りを涙を拭いながら観察していたらしい伯爵が「ほう?」と、一変して公爵の反応を楽しむように呟いたのに気付いた者はいない。
「さて、では会場の花畑に移動いたしましょうか」
「それなのだが、森を通ると聞いたぞ」
「抜かりありません。馬車が通れるように整備いたしましたので」
伯爵は、穏やかに微笑む。客人は、自国の王族に、隣国の次期女王に大公一家、黄金の国の王に大富豪。この面々に森を歩かせるわけにはいかない。
まぁ、伯爵にとっての一番は、美しく着飾ったシルヴィのためであるのだが。そこは言及せずに、あくまでも伯爵として当然のことですと主張する。
伯爵の姉である大公夫人に祝いだと押し付けられたお金も使い、森の整備は完璧に済ませてあった。
「行こうか、シルヴィ」
「うん。緊張するね」
「そうかな? いつも通りで大丈夫だよ」
「ルノーくんは、もう少し緊張した方がいいと思うの」
いつも通りだと爆発するでしょと、シルヴィは目で訴えてみる。しかしルノーは、どこ吹く風とばかりにただ幸せそうに笑うだけだった。
シルヴィはルノーの腕を取りながら、仕方がない人と絆されてあげることにする。いや、これがダメなのかもしれない。そう毎回思っている気がした。
馬車に乗り込み、森の中を進む。
シルヴィはふと、馬車の窓へと視線を遣った。そこに懐かしい木を見つけたからだ。
「あの木、残してくれたのね」
無意識にシルヴィは、そう呟いていた。
「僕が言っておいたからね」
さらりと落とされたその言葉に、シルヴィはバッとルノーへ視線を戻す。目を丸めたシルヴィに、ルノーは困ったような顔をした。
「当然だろう」
「そう、だね。うん、そっかぁ」
一変してシルヴィの黄緑色の瞳が喜色に煌めく。それにルノーが、うっとりとした吐息を零した。出会った日と何も変わらない。
「世界で一番、美しい」
どんな悪意も変えることが出来なかった。シルヴィの澄んだ黄緑色の瞳。その煌めきの中に自身が映る喜びに、ルノーはクラクラとした優越感を抱く。
シルヴィは急に褒められて、頬を真っ赤に染め上げた。「ええと、その……」そうしどろもどろに目を伏せる。
「可愛い……っ!! むりかもしれない。ここいったい、更地にしそう」
「えぇ!? 耐えてみせると言ったそばから!?」
まだ婚約の儀も始まっていないのに、ルノーは既に限界気味で。それにシルヴィは、照れてる場合ではないと気合いを入れ直したのだった。




