28.モブ令嬢と婚約者
綺麗。初夏の花々の力強い彩りが、会場を華やかに飾り立てる。ふわりと風に漂う鮮烈な花香に、シルヴィは目を細めた。
来賓席の一番後ろからシルヴィは、ルノーにエスコートされ拍手の中優雅に歩を進める。既にロラが大号泣しているのが見えて、シルヴィは照れたようにはにかんだ。
隣に座るフレデリクが、目だけで上手くやりなさいとルノーに釘を刺している。ルノーはそれに、ゆったりとした笑みを返した。分かっていますと言いたげに。
「すっげぇ……」
不意に来賓席から聞こえた聞き覚えのある声に、シルヴィは視線を動かす。美しく、しかし、あくまでも控えめに着飾ったザフラがムザッファルの隣に座っていた。
その瞳には、以前のような敵意も焦燥も宿ってはいない。ザフラは、ムザッファルの服の裾を控えに引っ張った。さも当たり前とそれに応えたムザッファルは、穏やかに目を細める。
ザフラはムザッファルに、何事かを聞いているのか小首を傾げた。ムザッファルは丁寧に説明し、そして最後に愛でるようにザフラの頬を指先で撫でる。
それにザフラは、顔を真っ赤に染め上げ目を吊り上げた。何か怒鳴る前に、逆隣に座るジュッラナールに手で口を優しく塞がれる。本気でキスしたのかと勘違いするほどの至近距離で注意を受けていた。
それにシルヴィは、よかったと安堵したような表情になる。とても大事にされている上に、ザフラ本人も幸せそうだった。少しムザッファルとジュッラナールに振り回されている感はあるが。
花畑の中心で、シルヴィとルノーは立ち止まった。来賓席に向かって、礼をする。今日というハレの日に相応しく、抜けるような青空が広がっていた。
「では、双方当代が誓約書にサインを」
神父の言葉に従い、アミファンス伯爵とフルーレスト公爵が前へと出る。貴族の婚約らしく家同士の誓約が成された。
「公爵。どうぞ、末永くよろしくお願いいたします。ねぇ?」
伯爵にあくまでも穏やかに微笑まれた公爵が、頬を引きつらせる。陛下が前で出ながら「ベルトラン、やめなさい」と制止していた。
「めでたい日だろう」
「何をおっしゃられているのか……」
「お前という奴は……。相手方の当主を威圧するのは、アミファンス伯爵家の伝統なのか?」
呆れ半分、冗談半分、といった風にこぼした陛下の言葉に伯爵が「当然では?」と小声で返す。陛下はベルトランの婚約の儀での先代の様子を思い出し、恐ろしい一族だと遠い目をした。
気を取り直すように、陛下は咳払いをする。「我が名において、了承する」と、宣言した。
「行こうか、シルヴィ」
「緊張する」
「名前を書くだけだよ」
シルヴィとルノーが台の前へと進み出る。当代のサインと陛下のサインが並ぶそれに、ルノーが名前を刻む。
羽ペンを渡されたシルヴィは、それをぎゅっと握り締めた。ゆっくりと、ルノーの隣に自分の名前を書く。
「お二人のご婚約は、成されました」
その言葉にシルヴィは、どこかふわふわとした心地になった。現実味がない。しかし、隣のルノーがクラクラと魔力を乱しているので、確かな現実なのだろう。
「ルノー、しっかりしなさい」
「貴方に言われずとも」
父親に注意されたからか。ルノーがスンッと魔力を安定させる。どうやら父親に指摘されるのは嫌らしい。
そういうところは、男の子なんだよなぁ。と、シルヴィは微笑ましい気持ちになった。
シルヴィとルノー以外の面々が、席へと戻っていく。入れ代わるように前に出てきた伯爵夫人は、美しい細工の施された木製のリングボックスを持っていた。
それに、シルヴィはソワソワとし出す。ルノーは愛おしげにその様子を眺めていた。
「あぁ、シルヴィ。本当に綺麗よ」
「お母様、ありがとう」
伯爵夫人がボックスの蓋を開ける。そこには、シンプルかつ華やかな一組の指輪が収められていた。
「アミファンス伯爵家に伝わります。伝統の指輪交換式に入らせて頂きます」
神父が伯爵に言われていた段取り通りに、場を取り仕切る。婚約の儀は、誓約書以外はそれぞれの家によって内容は異なるのである。
アミファンス伯爵家は、“愛”の一族。それは、最愛だけにとどまらない。家族愛は勿論、友愛、親愛、敬愛。全ての“愛”に生きる一族。
なればこそ、最愛にだけ誓う。
「ルノーくん、誓うわ」
シルヴィは、今日のために用意した指輪を手に取った。ルノーの手を取り、薬指にその指輪をゆっくりと通す。
ルノーは自身の薬指に収まった指輪に、うっとりと目尻を下げた。ルノーの髪を揺らした風に、青葉がさわさわとそよぐ。
「今この時より私、シルヴィ・アミファンスは――あなただけのもの」
シルヴィの背後で、風に巻き上げられた花弁が柔く散る。黄緑色の瞳がルノーだけを映して、キラキラと煌めいた。目を細めるものだから、こぼれ落ちてしまいそうで。
目眩がするほどに、美しく見えた。一瞬、ルノーの世界から全ての音が消える。ついで、上空で大爆発が起こった。
「やはり、無理だったか」
そう遠い目で呟いたのは、勿論フレデリクで。「今世紀最大級かもしれんな!!」と、豪快に笑ったのはリルだった。
《魔王妃様!!》
《主様!!》
待ってましたと、メェナとピィヨが現れる。そして、《おめでとうございます!!》と声を揃えた。瞬間、そこかしこから魔物と精霊が飛び出してくる。頭上で花弁と紙吹雪が舞った。
聞いていなかったシルヴィは、「わぁっ!」と驚き半分、嬉しさ半分といった声を上げる。
「よいぞよいぞ!! わしが!! 虹をかけてやろう!!」
精霊王は言葉通りに、晴れ渡った空に虹をかけ始めた。七色の煌めきが、青のキャンパスを彩っていく。シルヴィは感嘆の息を吐いた。
「シルヴィ、誓うよ」
「え?」
いつの間に持ち直したのか。ルノーは指輪を手に取ると、優しく、丁寧に、シルヴィの手を取った。ルノーは耐えきれないと言いたげに、シルヴィの人差し指に素早く指輪を通す。
そのまま指を絡めて繋いだ。距離がぐっと近くなる。
「今この時より僕、ルノー・シャン・フルーレストは――君だけのもの」
酷く嬉しそうな声だった。得も言われぬ感情を宿して、ルノーの瞳がゆらゆらと揺れる。シルヴィは、ルノーが泣いてしまうと本気で思った。
「やっと。やっとだ――シルヴィ」
「ルノーくん……?」
何だろうか。脳裏を過った嫌な予感に、シルヴィは眉尻を下げる。ルノーは、蕩けたような吐息を零した。
「君のためなら僕は、世界征服でも滅亡でも何でもやってあげる」
場に静寂が落ちた。
「や、やめなさいっ!!」
「何でも叶えてあげるからね。ワガママ沢山言ってよ、シルヴィ」
「ルノー!!」
フレデリクの怒声を聞きながら、シルヴィは空笑いを浮かべた。どうして、そこに着地してしまったのか。全く分かりそうにもなかった。
何故ならば婚約の条件は、“人間であると証明してください”だった筈なのだから。最終的に魔王に着地してどうする。
どうか。そういったことは私の預かり知らないところでお願いします。シルヴィは心の底から思った。
モブ令嬢には荷が重い!!
「シルヴィ、愛してる」
当の魔王様は、ただひたすらに幸せそうにシルヴィを見つめている。それにシルヴィは、仕方のない人と内心で溜息を吐いた。
「私も、愛してるわ」
シルヴィは、ルノーに口づける。予定になかったそれに、ルノーは目を真ん丸にした。
“全ては愛のために”
愛おしげに目を細めたシルヴィは、幸福のまま閉じる。ルノーの手を握り返したシルヴィの薬指で、指輪が陽光を反射し美しく煌めいた。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました!
そして、ブックマーク、評価、いつも元気をいただいております。ありがとうございます!
このお話楽しんで頂けてるんだなぁと“いいね”がつくたびに喜んでおりました!
何と言いますか。本当に長くお付き合いくださり、感無量です。201エピソード、めちゃくちゃ書きましたね。初めて書き出したのが、このモブ令嬢でして。本当に、完結できてよかったです。
いまだにあとがきに何書けばいいのか分かっておりません。本当に、ありがとうございました!




