23.魔王と美しいもの
最後の余興としては、及第点だろう。ルノーは、恐怖に顔を引きつらせた魔女長を見て、そんな事を考えた。
魔女長は、気付いてしまったらしい。光溢れる未来を夢見たいつかの少女は、そのエンディングには立てないという事実に。
「なんで、そんなこと――言うの」
その魔女長の言葉には、幼子のような純粋な疑問が滲んでいた。それにルノーは、こてり、態とらしく首を傾げることで答えた。
「なに、なんで? なんでよぉ……っ!!」
しかし、魔女長には伝わらなかったらしい。仕方がないので、ルノーは教えてあげることにした。
「僕は、言ったよ。絶対に許さない、と」
ルノーは、瞠いた瞳に殺意を滲ませる。それに、魔女長が「ひっ!?」と引きつった悲鳴を漏らした。
周りは魔女長のせいで、大なり小なり傷を作っている。その中で、ルノーだけは無傷で立っていた。
しかし、あの天国から地獄に叩き落とされた瞬間が、何度もルノーの頭の中を回る。しかも、シルヴィを結構な力で押してしまったのだ。この女のせいで。
「ルノーくん……」
シルヴィの声が気遣わしげに揺れる。ルノーは、シルヴィの方へと視線を遣った。澄んだ黄緑色の瞳をその目に捉えて、落ち着いていく感覚に目尻を下げる。
シルヴィだけだ。シルヴィだけが、ルノーの傷に気付いてくれる。きっとそれは、ルノーの思い上がりではなかった。だって、ずっと隣にいるのだ。出会ったあの日から――ずっと。
「ルノー」
フレデリクがルノーの右側に並ぶ。それに、ルノーは特に何も言わなかった。
「出来れば、後者で頼みたいのだが。俺に選択権は?」
ルノーはフレデリクの問いに、肩を竦めることで答える。それに、フレデリクは「まぁ、だろうな」と溜息を深々と吐いた。
「ロラ! シルヴィ嬢の治療を頼めないか」
今それを頼むのかと、ルノーは目を瞬く。ロラもキョトンとしたが、フレデリクの意図を読み取ったのか。「任せてくださ~い!」と、人差し指と親指で丸を作る。
フレデリクが、これで落ち着けと言いたげな視線をルノーに寄越した。それに、ルノーは相変わらず大した御仁だと愉快げに目を細める。
「ガーランド」
「はい!」
「邪魔させないでね」
ルノーの短い指示に、それでもガーランドは「お任せください、兄上!」そう嬉しそうに目を輝かせた。
その浮かれた背中をディディエが苦笑気味に追いかける。いまだきのこを背負うトリスタンを引き摺りながら。
輪の中でオロオロと困った顔をするシルヴィの手足には、痛々しい血が滲んでいた。それに、ルノーの眉間に皺が寄る。
しかし同時に、ドラゴンの自分を通して見たあの時の情景が鮮明に浮かんで。ルノーは頬を緩めてしまった。
「あの時のシルヴィの頼もしい後ろ姿……」
うっとりとした声音だった。“ルノーくん! いい子で待っててね!!”そう大きく手を振るシルヴィが瞼の裏に焼き付いている。
「――たまらないな」
思わず口からそんな言葉が漏れでる。その小さな声をフレデリクに聞かれてしまったらしい。「ほどほどにしておきなさい」というフレデリクの引いた声は、ルノーの耳を素通りしていった。
「認めないっっ!!」
それは、そうだ。まだ、終わっていない。ルノーは、金切り声を上げる魔女長へと視線を戻す。魔女長の瞳は、ルノーの奥。皆に守られるシルヴィへと向いていた。
「何が違うのよ! 一緒でしょう? あの女と、私は、一緒なのよ!!」
この女は、何を言っているのだろうか。ルノーは、心底不思議そうに目を瞬く。だから、これも教えてあげることにした。「違うよ」、と。
「何で何で何で!? なんで、私じゃ……。駄目なの??」
縋るような視線だった。それが、何故かルノーに向けられる。理解は出来なかったが、ルノーはいつも通りに返した。
「君が、シルヴィじゃないから」
ルノーにとっては、これで充分。それ以上も以下もない。それは、この二人を見てきた者達も同じ。それだけで、全て伝わってしまう。
「何よ、それ!? 意味不明なんだけど!?」
しかし、魔女長には伝わらなかった。それは、あの時と同じ。今尚、イアサントにも伝わりきれていない。
どうしてなのだろうか。ルノーは思案するように、目を伏せる。そして、やっと合点がいった。興味がないのだ。この女達は、シルヴィを見ていない。
遂にあの時言った“シルヴィでなければならない理由”を永遠に語って聞かせる機会が訪れたらしい。ルノーは、理由を羅列しようとしたが何も出てこなかった。
それに、ルノー本人が一番驚いて目を丸める。シルヴィの好きな所は直ぐに出てくるのに。しかし、シルヴィでなければならない理由をルノーは態々考えたことがなかったから。
「シルヴィでなければならない理由」
自分に聞くように、ルノーが呟く。それはルノーにとって、宝箱の蓋を開けるような行為であった。
あの日、木の上には一人の少女が座っていた。興味を引かれたのは、そう。彼女の髪色が、焦げ茶色をしていたから。
それは、一目で分かる。弱者の証。魔法も使えないのに、彼女がなぜ木に登ったのかをルノーは知りたくなっただけ。
「木から降りられなくなった魔法も使えない女の子が、僕に言うんだ。『子猫が困っていたから』って」
急に何を言い出すんだと、魔女長が訝しげな顔をする。
「僕は――」
何と思ったのだったか。あぁ、意味の分からないことを言う子だと思ったのだ。だって、彼女はさも当然のことのように言ったから。
怯えたように木の幹に縋っている癖に、何故かルノーに助けは求めない。変わった子。気紛れで助けてあげた少女は、僕に恐怖も羨望も悪意も何も――見知った感情を向けてはこなかった。
「あんな強い衝動を覚えたのは、永く生きてはじめてだった」
少女の瞳が純粋な色でもって、煌めく。キラキラ、キラキラ、きらきら、と。目が眩んだ。
思わずルノーの口からは、感嘆の息が漏れる。
「そうだ。そう……。僕は、はじめて見たんだ」
綺麗な黄緑色の瞳が、ルノーの頭を占領した。それに、ルノーが恥じらうような表情を浮かべる。
あぁ、誰にも言いたくない。秘密にしたい。でも、言いたい。教えたい。
「太陽など容易く霞む。僕は、あれ程までに美しいものを見たことがない」
ルノーは、「今もね」と自慢するように続けた。
あの時、ルノーは知ってしまったのだろう。
「魔物は存外、美しいものが好きでね」
その価値観。魔物の本能を。
「手に入れようとする癖に、結局は眺めているだけで満足する。けれど、僕は人間に毒された」
ルノーの言葉に、フレデリクが肩を跳ねさせる。心配するように、眉根を寄せた。
「欲しいと思ってしまった」
シルヴィの全てを。しかし、今は分かる。ルノーが真に欲したもの。ルノーが確かに手に入れたもの。
「シルヴィの“特別”を」
それだけだった。それだけのために、ルノーはシルヴィに膝を折った。
その身を焦がし、乞うて、やっと、やっと――手に入れたそれ。
「いやだ」
急に、ルノーの声に幼さが滲んだ。
「誰にも渡さない。もう僕のものになったんだ。他のはいらない。だから、君では意味がない」
それは、優しさの欠片もない確かな魔女長への拒絶。
しかし、愛しさしかない確かなシルヴィへの愛情。
「あの日、木の上に君がいた所で僕は声もかけなかったよ」
人間は、後からそれを運命と名付けるらしい。馬鹿馬鹿しい。しかし、そんな陳腐な言葉もシルヴィとなら。ルノーは、不思議と悪くはないのだ。
目の前の少女は、もはや魔王の愛に手が届かないことを理解したようだ。しかし、それでも諦め悪くルノーへと手を伸ばしてくる。
「あぁ、そうか」
先程のシルヴィの呟きをルノーは、しっかりと拾っていた。“あぁ、なるほど。奇跡なんだなぁ”その言葉の意味が今のルノーにはよく分かった。
愛する人が、自分と同じ感情を返してくれる。それは、当然のことなどではなかった。
「奇跡なんだね、シルヴィ」
ルノーは、その感情を大事に――大事にするように。そっと目を閉じた。




