22.魔王と魔女長
あぁ、なんて幸福なのだろう。ルノーはシルヴィの“愛してる”を何度も何度も反芻し、うっとりと目を細めた。
しかし、その夢のような心地を煩わしい金切り声が現実に引き戻してくる。なんと邪魔な存在なのか。これで、二度目だ。
明確な殺意でもって、ルノーは魔女達の孤城を爆発させた。爆風でルノーの白金色の髪が大きくなびき、キラキラと輝く。
「じゃあ、仕方がないね」
シルヴィが当たり前のことのように、そう言った。いつもならば、“首を刎ねるのは、どうかと思う”くらいは言いそうなものだが。
ルノーが、不思議そうに目を瞬く。それに対してシルヴィは、優しく目を細めることで答えた。
「ルノーくんが、やりたいようにやればいいと思うの」
シルヴィが甘やかすようにルノーの頬を撫でる。それはつまり、ルノーがどんな事をしてもシルヴィは、ルノーを嫌いにならない。裏切らないということだろうか。
そんな考えで頭が埋め尽くされたルノーの頬は、一瞬で赤に色づく。目眩で倒れてしまいそうだった。
あぁ、しかしそうだ。あの時から、シルヴィはドラゴンの姿であろうと何も変わらなかった。澄んだ黄緑色の瞳は、どんなルノーを映してもなお美しく煌めく。
溢れだした幸福に殺されぬよう、ルノーは吐息を吐き出した。それと同時に、城が爆発する。ルノーの心情を現すように、狙いはフラフラと定まっていなかった。
「ルノーくん、深呼吸しようか?」
「うん、すき、シルヴィ、あいしてる」
「うーん、聞こえてない?」
シルヴィは、困ったように眉尻を下げる。ルノーだって、そんなことは分かっている。しかし、甘やかしたのはシルヴィだ。
「どう説明しようか……」
少し離れた所で、フレデリクが諦めたように天を仰いでいるのが見える。ルノーは、ここは王宮でもないのだからと、特に気にとめなかった。
しかし、シルヴィは違ったらしい。フレデリクからルノーへと視線を移すと、思案するように目を伏せる。そして、魔女長を一瞥した。
「ルノーくん、魔女長はもういいの?」
シルヴィが打った一手の効果は、抜群であった。ふわふわと浮わついていたのが嘘のように、ルノーの纏う空気がビリッと震えた。ルノーの殺気によって。
「そうだね。先に済まそう」
ルノーは魔法で白金色の髪を纏めると、大事に守っていた紺色のリボンを浮かせる。そのまま鏡もなく魔法で結び飾った。
それは、毎日の習慣。一連の慣れた優しい魔力コントロールには、ルノーからシルヴィへの恋慕が滲んでいた。
さらりとリボンから落ちた短い髪が、ルノーの視界で揺れる。目に痛いピンクが掠めて、ルノーは嫌悪感を隠さずに眉根を寄せた。
先程までは気にならなかった甘ったるい香りが鼻につく。あぁ、早く湯浴みをしたい。ルノーは、深々と溜息を吐いた。
「大丈夫?」
「……うん。少し待っててね」
ルノーは、一呼吸置いてからシルヴィに返事をする。その表情も声音も穏やかで優しかった。苛立ちのままシルヴィに返事などしたくないので、ルノーにとっては当然のこと。
「分かったわ。気を付けて」
そしてシルヴィは、それをルノーと同じ温度感でもって、さも当たり前のことのように受け取ってくれた。その事実だけで、ルノーの心は一瞬で満たされる。
「直ぐに終わるよ」
今日のシルヴィは、いつも以上に劇薬だ。ルノーの魔力コントロールが一気に不安定になる。再び城が爆発した。
あぁ、まずい。ルノーは、幸せである筈なのに焦燥感を募らせる。この幸福を飲み下せなければ、シルヴィとの婚約が再び遠退いてしまうのだから。
「シルヴィ、あいしてる。愛してるんだ」
「うん。ルノーくん、いってらっしゃい」
シルヴィの手が、ルノーから離れていく。それにどうしようもない程の喪失感を感じ、同時に渇望が湧いた。
送り出されたのなら、帰らなければならない。シルヴィの腕の中に。あぁ、シルヴィは何と意地悪なのだろう。
愛してると、言ってくれなかった。
「いってくるよ」
ルノーはシルヴィの頬を名残惜しそうに撫でると、立ち上がる。深い紺色の瞳が、やっと魔女長へと向いた。その瞳からは、先程までの柔らかさの一切が抜け落ちている。
「メェナ」
《はい! ここに!!》
「シルヴィのそばに」
ルノーの視線がメェナへと動く。その瞳を見て、メェナはお利口に全てを察したらしい。
《御意に!!》
シルヴィの後ろへと回ると、クッションのようにして寝転んだ。そして、毛をモコモコと少し大きくする。
「メェナ?」
《魔王妃様! 私の毛は寝心地抜群かと!》
「あれ? 眠らせようとしてる?」
バレてしまった。まぁ、流石にあからさま過ぎたか。そうルノーは、開き直る。彼女の前で、血生臭いのは困るのだが。
「ダメよ、メェナ。最後まで、見届けるんだから!」
《しかし……》
《妾が目隠ししてあげるわよん。この美しい羽でね!!》
「ありがとう、ピィヨ」
《うぐぐ……っ!!》
メェナは態々ルノーが命じなくとも理解している。どんな時も、シルヴィ優先。メェナは大人しく引き下がるを選択した。だからルノーは、彼女をシルヴィの傍に置き続けている。
しかし、ソワソワとシルヴィの手はメェナの毛に触れていた。やはり、首を刎ねるのはやめておこうか。そんな考えが浮かんだが、結局ルノーは見えなければいいかという結論に着地した。
瞬間、ルノーの視線を戻そうとでもいうかのように、ルノーの足元に魔法陣が浮かび上がる。ルノーは、いつものようにアレクシから魔断の剣を拝借した。
この改良された剣は、いい。便利だ。こうして転移で引き寄せられる。
「ルノーくん!」
シルヴィの不安そうな声音を安心させるように、ルノーは迷いなく魔法陣に剣を突き刺した。そこからヒビ割れるようにして、魔法陣が派手に砕け散る。
ぶわりと、ルノーの正装が風に靡いた。禍々しい汚泥のようなそれの中で、ルノーは鋭く目を細める。表情には、沸々とした怒りが滲んでいた。
「アレクシ様の剣……」
どんな状況下にいても、ルノーの耳はシルヴィの言葉だけは聞き逃さない。一声かける間もなかったからと、ルノーの頭に言い訳が浮かんだ。
「そのままお使いください!!」
アレクシが少し離れた位置から声を張り上げる。ルノーは、いい子は嫌いじゃないと口角を上げた。
先程の余波を受け、後ろへと引っくり返った魔女長が、地面に呆然と座り込んでいる。
「どう、して……?」
「禁忌の術も魔法ではあるらしいね」
魔断の剣で壊せたのだから当然だろう。ルノーは、分からないのかと言いたげに小首を傾げる。魔女長が目を吊り上げた。
「違う! そんな顔しないで! いや! 私のなのに! 私だけの!!」
「けたたましい」
静かな声である筈なのに、魔女長は続けようとした言葉を呑む。代わりに、短く震える息を吐いた。
「シルヴィの隣は僕のものになった。そして、僕の全てはシルヴィのものになったんだ。分からないの?」
ルノーの声音に喜色が滲む。その瞳には、幸福しか宿ってはいなかった。遠くの方で爆音が響く。
「僕は、寛大だ」
一歩、ルノーが魔女長に向かって足を出した。
「魔王としての僕に、ここで首を刎ねられるか」
ルノーが剣を振ってみせる。
「人間としての僕に、捕らわれ処刑台に送られるか」
切先が真っ直ぐと魔女に向けられた。
「好きな方を選ばせてあげよう」
ルノーが、ゆったりと笑む。感嘆するほどに美しい微笑みであった。
「君達は選択肢とやらが、一等好きなんだろ?」
愛など少しも感じられない。魔王がそこには立っていた。




