世界の理と素晴らしい先輩オー君
ふと外を見るともうすっかり日が暮れていた。時計を見ると、時刻は夕方六時を示している。
サターンさんも忙しいらしく、俺は大体の時間を広い実験室内を一人うろうろしていた。
初めて落ち着けるまとまった時間ができたので、俺は今までのことも踏まえてちょっと一人でこの世界のことについて考えを巡らせていた。
こまでの出来事を思い返して気付いたことがいくつかある。
この異世界も、俺のいた世界と同じ言語が使われている。
俺の見た範囲でも日本語に、そして英語がある。書き言葉も同じ。異世界の言語と呼べるものは今のところ見あたらない。
さらに一日は二十四時間で、一月ごとの間隔もほぼ一緒。実験室の壁に掛かっていた暦を見ると今は九月らしく、大体六時かそこらに日が暮れるのも元の世界と同じだ。
空には太陽っぽいものもあったし、日が暮れた今は月っぽいものも見える。どちらも元の世界のものと瓜二つだ。
違うところと言ったら貨幣くらいで、この世界はGが通貨の基準単位となっている。
ちなみに俺の借金は毎月十八万G。この会社に勤めればそれを払えるってことは、月々の給料もそれくらいに違いない。
予想だけど、一G=一円くらいの感覚だろう。
随分と分かりやすい異世界だな。
こちらとしてはありがたいんだけど、ちょっと引っかかる。
普通、こんなに共通点があるものなのか?
「スズキ君、社長が呼んでるよ」
実験室の椅子に座ってそんなことを考えていると、横から野太い声が響く。
顔を上げると、最初に会社の前で倒れていたオークが立っていた。
あの時死にそうになってアスカリさんから回復薬を注入されていた姿とは違い、今は生気に満ちあふれた顔をしている。
「そうなんですね。えっと、あなたは」
「ボクのことは『オー君』とでも呼んでくれ。皆そう呼んでいるんだ」
「オー君、ですね。よろしくお願いします」
「ああ、よろしく。君のことは社長から聞いたよ。新人は久しぶりだからボク嬉しいなぁ」
「ず、随分この前としゃべり方が違いますね」
「あれ? ボク達会ったことあったっけ」
オー君は覚えてないっぽいけど、俺は見たことあるんだよね。しかも最悪の形で。
あのときの一人称は『オデ』だったはずだ。随分と爽やかなしゃべり方でちょっとびっくりしている。
「昨日の昼頃、会社の前で倒れているところを見ました」
「ああ、それは恥ずかしいところ見られちゃったね」
オー君はばつが悪そうに頭をポリポリかいた。
「あの時は徹夜明けでさぁ、もうぼろぼろだったんだよ。新製品の上市直前で今大忙しなんだ。疲れちゃうとボク、地元の訛りがでちゃうんだよ」
「そうだったんですね」
オー君はそう言って爽やかに笑った。俺の知ってるオークのキャラとだいぶ違う……。
「正直なところ、この会社は今ちょっと人手が足りてないんだ。慢性的に人材が不足しているので手が回っていない仕事も沢山ある。それに最近はスライム産業も斜陽と言われていてね。昔は弱いながらも安かったから需要があったんだけど、今は他の人工モンスターも低コスト化が進んでいて、その強みも薄れつつある。かなり厳しいのが現状だ」
「マジですか。知らなかった」
今スライム産業ってそんなポジションなんだ。だからあの時狐顔さんはあんなこと言ってたのかもしれない。
ブラウン管が液晶テレビに駆逐されたように、スマホがガラケーに取って代わったように、時代の流れに飲み込まれ消えてしまったものは枚挙に暇が無い。
今のスライム業界も、そんな感じなのだろう。
「でも、だからこそスズキ君のような若い人には期待しているんだ。これから一緒にこの会社を、ひいてはスライム産業を盛り上げていこう!」
「……! オー君さん!」
「はは、オー君でいいって」
「オー君! 俺がんばります!」
「うん、ぜひ頑張ってくれよ」
めちゃくちゃいい人だ……! それに熱い。
あの死臭みたいなのも、多分風呂にも入らずに仕事していたからなんだろう。
物腰柔らかで仕事熱心。なんて尊敬できる先輩社員なんだ。
この世界に来て初めて普通に信頼できる人に出会えた気がする。
ん? なんかこの流れ前も経験したことがある気がするぞ。具体的に言えば二回くらい。
いやでも流石にオー君は違うだろう。だってこんなにいい人だし。
「おっと、話が長くなっちゃったね。早く行かないと社長に怒られちゃう」
「あっ。そうだった。すぐ行ってきます!」
「うんうん。いい心がけだ。社長室は実験室出たところにある階段を上ったすぐ先にある。一人で行けるかな?」
「たぶん大丈夫です! 色々ありがとうございました」
「はは、ボクは何もしていないよ。それじゃあ、これからよろしくね」
「はい。よろしくお願いします!」
俺は尊敬できる先輩、オー君と別れて社長室に向かった。
たぶん今日の仕事はこれで終わりなのだろう。流石に初日だしね。
初めての労働だけど、あんまり働いた気がしないな。でもこれから忙しくなっていくんだろうな。
そう思うとちょっとだけ気が滅入った。
*
「で、どうだった?」
社長室に入るや否や、そんなおおざっぱな質問を投げかけられた。
「どう、と言われましても」
「あたしが聞いているのは、一日働いてみてこの仕事のことをどう思ったかってこと。そのくらい察しなさい」
いや、言ってくれないと分からねぇよ。本当にこの社長は……。
オー君を見習ってくれ。
「そうですね……」
俺はそう言ってちょっとだけ考え、
「まだ分からない、というのが正直なところです」
「へぇ。その程度の感想なの」
「いや、まだ初日ですし、ほとんど実務してませんし。でも、サターンさんは楽しそうにスライム作ってましたし、オー君もこの仕事に熱意を持って取り組んでいました。実験室にくる他の人たちもみんな一生懸命仕事をしていて、俺も頑張らなくちゃとは思いましたね」
「そうなの。ふふ、それは良い心がけね」
社長はそう言ってにやりと笑った。なんか邪悪な笑みだ。
いやな予感がする。
しかし、続いて飛んできた言葉は俺の予想とはかなり違ったものだった。
「うん。それじゃあ今日の仕事はこのくらいにしておきましょうか」
「ほ、本当ですか!?」
「ええ、本当よ」
俺は心の中でぐっとガッツポーズを決める。なんだよ、定時退社できるじゃないか!
社長の気が変わらないうちに帰らないと。
「それじゃあお疲れ様でした!」
俺は元気にそう言って帰ろうとすると社長の声が響く。
「アンタ、どこに帰るのよ」
「どこって家にですけど」
「アンタ『転生者』なんだからどうせ帰る家とかないでしょ」
「あっ。そう言えばそうでした。どうしよう」
よく考えたら俺に帰る家はない。俺の実家は遥かあの塔の彼方にある(願望)。
ヤバい、どうすりゃいいんだ。
「ったく。そうだろうと思ってアンタの住むところ用意しといたわ」
「マジですか!」
正直な所、めちゃくちゃありがたかった。
昨日野宿したせいで体の節々がちょっと痛い。
こんな生活が続くのは流石に体がもたなそうだ。
社長、ちゃんと社員のこと考えてくれるんだな。見直したぞ。
「こっちに来なさい。アンタの家まで案内したげる」
社長室のドアを開け、社長はすたすたと早足で歩いて行く。俺もそれに付いていく。
社長はそのまま会社の外に出て……出て?
いや、社長は会社の外に出なかった。
出口方向とは真逆に社長は進み、かつかつ階段を上っていく。
「あの、今から俺の家に行くんですよね。こっちって会社の出口じゃないですよね」
「いいから黙って付いてきなさい」
俺は言われるがままに社長の後ろを追う。いつも通り嫌な予感がする。
社長がたどり着いたのは、会社四階にある人気の無い部屋の前。
がらりとドアを開けると、積み重ねられた大量の机と椅子が目に入った。隅っこの方には封に入ったスライムが散らばっている。どこからどう見ても物置である。
その物置の中央に、布団一式がぽんと置かれている。嫌な予感はピークに達する。
えっと、まさかねぇ。まさかここが……。いやいや、そんなはずは。
「ここが当面のアンタの家だから」
そんなはずがあった。
俺は頭を抱えた。
「いやいや! 嘘でしょ社長、冗談はやめて下さいよ!」
「あたし冗談は嫌いなの。食べ物とか飲み物はアスカリに聞けば貰えると思うから。あとは……」
「ちょっと待って! だって、ほら、こんなんじゃプライベートもクソも無いじゃないですか!」
「アンタさっき『俺も頑張らなくちゃ』と言ったわね」
「え、ええ、確かそんなこと言いましたけどそれは……」
「あたしはアンタのために最適な環境を用意したつもりよ。ここなら遅くまで残ってもちゃんと家に帰れるし、遅刻もせずにすぐ仕事始められるでしょ。アンタが無理なく”頑張れる”環境を提供してあげたのよ。感謝しなさい」
「そんなむちゃくちゃな!」
俺の悲痛な叫びも社長には全く届いていないようだ。
社長は「それと」と呟き、バッグから大量の書類を取り出す。
「これ明日までに目を通しておきなさい。こっちが就業規則で、こっちがウチの製品カタログ。社員名簿に、会社組織表。あとアンタ『転生者』だからどうせ魔法のことも知らないでしょ。ついでにこの『魔法基礎』も読んどきなさい。あと午前中に渡した『モンスター製造基礎』も継続して読むこと」
「でも、もう今日の仕事は終わりだって」
「これはアンタの自主的な”頑張り”を補助するためのものよ。もちろん強制じゃないわ」
「あはは、そうですよね。でもさっき明日までに目を通しておけって言われたような……」
「アンタ、まさか一度言ったことを撤回なんてしないわよねぇ。アンタが『頑張る』と言ったからあたしはそれを信じて頑張りの目標を設定してあげたんだけど」
「頑張らせて頂きます……」
社長の威圧感に負け、俺はうなだれながらそう言った。というか言わされた。言わざるを得ない空気だった。
もう二度と軽はずみなことを口にしない。俺は心に誓った。
「あたし達はまだこれから仕事あるけどアンタはゆっくり休んで、ゆっくり頑張りなさい。じゃあね」
「はい」
力なくそう返事をすると、社長は物置から出て行った。
俺は社長を見送ってからしばらく呆然としていた。
どうしてこうなった……。
そう力なく呟き、俺の出社一日目は終わった。
ら良かったのになぁ。
この社屋、木造だから下の階の声がよく聞こえる。
しばらく就業規則を読み、いい時間だからそろそろ寝ようかと思ったところで、下の階からこんな会話が聞こえてきた。
『オー君! 実験結果まだまとまんないの!? 早くしなさい!』
『はい! ですが社長、今別の実験が入ってしまって、ちょっと手が離せなくて……』
『んだとう! 明日までに実験結果営業に渡さないと広告打てないでしょ!』
『ですが物理的に考えて無理です。こっちも手が離せません。もう結果自体は出てるので後はまとめるだけなんですが……』
『ああもう、仕方ない!』
その会話の後、ドタドタドタと誰かが階段を駆け上がってくる音がする。
最高に嫌な予感がしたので俺は布団にくるまって寝たふりをする。
「スズキぃ! ちょっとこっち来て手伝いなさい!」
何も聞こえなかった体で、俺は布団の中で身じろぎ一つしない。
俺はもう寝てる。寝てるんだ。
「ちょっとアンタ、何寝てんのよ!」
社長は問答無用で俺の布団をはぎ取った。俺のプライベートが……。
「わ、何するんですか社長」
「なんだ、起きてるじゃない。アンタちょっと手を貸しなさい!」
「でも俺、今日はもう寝ようかと。ほら、もう零時まわってますし……」
「んなこと言ってる場合じゃないわよ! ほら、簡単な仕事だからこっち来なさい」
「ふぇぇ……」
そんな幼女みたいな反応をする俺を、幼女みたいな社長がぐいぐい引っ張っていく。
実験室に着くと、オー君がスライムを床に落としていた。
その表情はまるで死んだ魚のようで、ついさっき熱くこの会社の未来を語っていたオー君とは全く別物だった。
「えっと、一体何をやっているんですか」
「ああ、今ちょっと性能確認のための衝撃耐性のチェックやってるんだ……。かれこれもう、六時間はずっとこうやってるよ。連続性が重要なんだ。ハハハ……」
オー君は死んだ魚の目でスライムをまた床に落とす。落としたスライムに、透明な何らかの液体をかけようとしたところで、その体がふらりと揺れた。
「あう。ス、スズキ君。すまない。ちょっとオデ、もう駄目みたいだ……」
そう言ってオー君はバタリと倒れた。
「オー君! しっかりしてください!」
「アスカリ! オー君が倒れたわ! ポーション用意して!」
「はい! 分かりました!」
社長がそう叫ぶと、上の階からアスカリさんの返事が響く。そしてすぐにアスカリさんは実験室に駆けつけてきた。
というか皆この時間まで普通に残っているんだね。実験室の隅っこにサターンさんもいるし。
アスカリさんはいつか見たような赤い液体の入った注射器を取り出し、オー君の首元にぶっ刺した。
「んほぉ! しゅごいい……」
「オー君……」
ポーションを注入され、女騎士みたいに情けない声をあげるオー君に俺は何も言うことができなかった。俺の理想の先輩が壊れていく……。
結局この日は明け方までオー君の代わりに実験データをまとめる仕事をすることになったのだった。
そうして俺の地獄の日々が始まった。




