第一話 全裸の美少女
「美少女ハーレムを作るぞー!」
湖の水面に向かってそう宣言した僕は、ひとつ重大な問題に気づいた。
服がない。正確には、服どころか身につけているものが何もない。財布も、剣も、あの宿の女将からもらった手紙もない。あるのは灰色の髪と、色白の肌と、どうやらかなり可愛いらしいニューボディだけだ。
「……計画の第一歩から、前途多難だな」
僕は湖から目をそらし、遺跡の周囲を見回した。苔むした石壁と、伸び放題の草。人の気配はない。ここがどこなのかも分からない。
まずは町を探そう。服を手に入れ、食事をし、状況を把握する。ハーレム計画は、そのあとだ。裸で町へ行くわけにはいかない。分かっている。分かってはいるが、代わりの服がないのだから仕方ない。せめて人に見つかる前に、森を抜けよう。
僕は地面に落ちていた大きな葉を何枚か拾い、胸と腰のあたりへ当ててみた。風が吹いた。葉は、あっけなく飛んでいった。
「……自然の厳しさを、こんな形で知るとは」
仕方なく、腕で前を隠しながら歩き出す。せめて道を見つけるまでは、木々の陰を選んで進もう。
裸足の裏に、柔らかな土が触れる。石や枯れ枝を踏めば痛そうなので、なるべく草の生えた場所を選んだ。華々しい再出発とは程遠い。世界を救った勇者が、足元を確かめながら森をそろそろ歩いているのだから。
「剣と衣服があれば、こんな森など一息で――」
小石を避けようとして、ぬかるみに足を取られた。
「ああ、ばっちい……一歩ずつ進もう」
しばらく歩くと、木々の向こうに細い道が見えた。人の通る道なら、町へ続いているかもしれない。僕はほっと息をつき、道へ出ようとした。
そのとき、前方の茂みから男たちが現れた。三人。腰に剣を下げ、旅人というには服が汚れている。道を塞ぐように広がり、僕の姿を見て、そろって動きを止めた。
三人の視線が、僕の肩から足元へ走る。服を身につけていないと気づいたらしい。一人は気まずそうに咳払いし、もう一人は慌てて目をそらした――が、すぐ舐めるようにこちらを見直した。
「お嬢ちゃん、そんな格好で森を歩いていたのか?」
「見れば分かるだろう」
「そ、それはそうだな。危ないから、俺たちが町まで送ってやるよ」
親切そうな言葉に、にこやかな笑顔。けれど、彼らの目は笑っていない。僕はため息をついた。
「その親切そうな顔、もう少し練習したほうがいいよ」
男たちの笑顔が固まる。
「何のことかな」
「さあね。けれど、親切をしようとする相手に三人で囲む必要はないだろう?」
僕は一歩、後ろへ下がった。逃げ道は細い。男たちはそれを塞ぐように、じりじりと距離を詰める。
「怖がらなくていい。俺たちは親切にしてやろうって言ってるんだ」
「それはありがたいね。では、道を空けてくれ」
「そうはいかないな」
男の手が伸びてきた。僕は、その手首を取るつもりだった。
相手の重心を崩し、腕を流し、地面へ沈める。以前なら、呼吸をするより簡単な動きだった。頭の中では、手順がすべて見えている。
なのに、身体がついてこなかった。手は届かず、足は踏ん張れない。思ったより短い腕が空を切り、相手の肩にぶつかっただけだった。
「えっ」
驚いたのは、男より僕のほうだった。
男は僕の腕をつかみ、乱暴に引き寄せた。肩が痛む。反対の手で男の身体を押し返そうとしたが、力の差はどうにもならない。僕は地面へ転がり、柔らかい土に頬をつけた。
「な、何だ……今のは」
技は知っている。相手の動きも読めている。けれど、以前の身体なら当然のように出せた力も、間合いも、今の僕にはない。剣どころか、体術まで身体能力に支えられていたのだ。
「ひっひっひ、威勢のいいお嬢ちゃんだな」
男が腕をつかみ、起き上がろうとする僕を押さえつけた。もう一人が縄を取り出す。
「離せ。僕を誰だと思って――」
言いかけて、やめた。
今の僕を誰だと思うかと聞かれれば、裸足で森を歩いていた、身元不明の少女だ。勇者レインだと名乗っても、信じてもらえる材料がない。
「助けを呼んでも無駄だぜ」
「そうかな」
男の手が止まった。森の奥から、低く落ち着いた声が響いた。
「その娘から手を離せ」
三人の顔色が変わる。
道の向こうに、一人の青年が立っていた。黒髪に、鋭い目つき。肩にかけた外套は旅の埃に汚れ、腰には使い込まれた剣がある。顔だけ見れば、今すぐ人を斬りに来たような迫力だ。けれど、その目は男たちではなく、まず僕の様子を確かめていた。
「ワンダ……」
声が漏れた。
青年、ワンダの眉がわずかに動く。
「俺を知っているのか?」
しまった。今はまだ、彼に正体を明かしていない。いや、明かしたところで信じてもらえるとは限らない。
「いや、ええと……」
「賞金首の山賊ども。大人しく縄につけ」
ワンダは僕をかばうように、男たちとの間へ進み出た。
「なんだあ、てめえは。こいつは俺たちの連れだぜ」
「その子は嫌がっている」
短い返事だった。
男が剣を抜く。ワンダも剣を抜いたが、むやみに振り回すことはなかった。相手の踏み込みを半歩ずらしてかわし、柄で腕を打つ。剣を落とした男の足を払う。もう一人の攻撃は、最小限の動きで受け流し、地面へ伏せさせた。
派手さはない。だが、無駄もなかった。最後の一人が逃げようとしたところを、ワンダはすぐに追いつき、襟首をつかんで引き戻した。三人が地面に転がるまで、ほんのわずかな時間だった。
僕は土を払って起き上がった。
「助かったよ。ありがとう」
「怪我はないか?」
ワンダは剣を納め、まず僕の腕や肩を確かめた。視線は、僕の身体の必要なところだけを見て、すぐに外れる。自分の外套を脱いで、僕の肩へかけてくれた。
「これを着ておけ。町まで送る」
その言い方には、からかいも、値踏みもなかった。ただ困っている相手を助ける。それだけのことのように振る舞っている。
……胸の奥が、妙にきゅっとした。
「……紳士だね」
「そういうつもりじゃない。寒いだろ」
「うん。寒い」
外套を握りしめる。大きくて、少し砂埃の匂いがする。けれど、今の僕には何よりありがたかった。
山賊たちは、ワンダが持っていた縄で手際よく縛られていた。どうやら彼は、彼らを追ってここまで来たらしい。
「こいつらを町の役所へ連れていく。君も一緒に来るか?」
「もちろん。町へ行きたかったんだ」
立ち上がると、足の裏に小さな痛みが走った。思わず顔をゆがめる。歩き続けたせいで、柔らかな地面でも傷ができたらしい。
ワンダはすぐに気づき、腰の袋から清潔そうな布と細い紐を取り出した。
「足を見せてくれ。歩くのは、そのあとだ」
「そんな大げさな傷じゃないよ」
「大げさかどうかは見てから決める」
彼は僕の返事を待ってから、布を折り重ねて足裏に当て、紐でずれないように結んだ。手際よく作られた簡易の足当ては、即席にしてはなかなか頼もしい。
「これで少しは歩きやすいはずだ。痛むならすぐ言え」
「……ありがとう。君、こういうことにも慣れているんだね」
「山道を歩く仕事だからな」
ワンダはそれ以上、余計なことを言わずに立ち上がった。その気遣いまで、昔と変わらない。僕は彼の横顔を見上げた。
「ねえ、ワンダ――」
「……どうして俺の名前を知っている?」
もっともな疑問だった。
僕は答えに詰まる。まさか「僕はレインだ」と言うわけにもいかない。目の前の青年は、まだ僕を知らない。ただの、森で山賊に襲われていた少女だ。それでも、彼の隣をまた歩けることが嬉しかった。
「……どこかで聞いたのかもしれない」
「どこで?」
「それは、町に着いてから考えるよ」
「考えてから答えるものなのか?」
「人生には、そういうこともある」
ワンダは不審そうに僕を見た。僕は彼の外套を肩に寄せ、足元の柔らかな土を選びながら歩き出す。
美少女ハーレム計画の第一歩は、ショボい山賊に負けて幼馴染に助けられることから始まった。
……計画の見直しが必要かもしれない。




