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プロローグ 死んだ勇者は美少女になった

 目を覚ました僕は、冷たい石床に頬をつけていた。苔と土の匂いがする。頭上には崩れかけた石のアーチがあり、森の木々がその隙間から差し込んでいた。古びた遺跡らしい。


「……僕は死んだはずじゃ?」

 声が思ったより高い。


 首元へ手をやった。お守りのように下げていた転生の石は、そこにはない。最後に覚えているのは、帰路で崩れた橋と、胸元で石が砕けた瞬間だった。


 どうして遺跡にいるのか。なぜ声が違うのか。確かめるには、まず外へ出る必要がありそうだ。僕は崩れた石壁の隙間から森へ出た。木々を抜けた先に湖がある。朝の光を受けた水面が、鏡のように静かに揺れていた。


 その水面に、誰かの姿が映り込む。


 ――そこにたどり着くまでの記憶が、僕の頭に戻ってくる。魔王討伐後、僕たちは戦勝パレードに参加するため、王国で最も大きな王都へ向かう。その途中で野宿をしていた。


「レイン、また手紙をもらったの?」

 エステルが、僕の手元をのぞき込んだ。金色の長い髪が肩から流れ、耳の先がほんの少し尖っている。エルフの血が四分の一だけ混じる彼女は、旅の初めから僕とワンダに簡単な魔法を教えてくれた、頼れる仲間だ。


「そうだよ。前に泊まった宿の女将からね」


「女将さん、結婚していたわよね」


「だから何だい?」


 その言葉を聞いて、向かいに座る剣士の青年ワンダが、黒い眉を寄せた。目つきの悪さだけなら、狼というより森の魔獣に近い。けれど、彼が本気で怒っているのか、ただ呆れているのかは、付き合いの長い僕にも分かりにくい。


「相手の夫がいる前でも口説いていたじゃないか」


「彼女が僕に会いたがっていたんだ。応えてあげるのも、世界を救った勇者の務めだろう?」


「そんな務めはないが」

 ワンダの隣で、ミレーヌが小さくうなずいた。ブラウンの短い髪を揺らし、彼女は手元のカップへ視線を落とす。元は見習い神官だったミレーヌも、旅を通して腕を上げた。控えめで人見知りをする彼女が、僕の言葉に笑ってくれるようになったのは、少し嬉しい。


「レインさんは、いつも女性に正直ですね」


「そうとも。好みの女性を見つけたら、声をかけずにはいられない」


「自慢することじゃないだろ」

 ワンダはため息をついた。


 僕は肩をすくめた。世界一の剣聖にして、魔王を討ち取った勇者。女性に好かれることだって、実力のうちだと思っている。エステルとミレーヌは、そんな僕の軽口に慣れていた。二人とも僕の恋人で、今もこうして隣に座っている。もちろん、彼女たちが僕を選んだのだ。僕はただ、女性の魅力に気づくのが人より少し早いだけである。


「ワンダも、少しは女性に声をかけたらどうだい?」


「遠慮する」


「エステルに魔法を教わるときは、ずいぶん熱心だったのに」


「それは魔法を覚えるためだ」


「そうかい?」

 ワンダの耳が、わずかに赤くなった。


 彼は昔からエステルに片思いをしている。魔法を習うたび、彼女が褒めてくれるたび、ワンダは何でもない顔をして視線をそらした。僕はそのことを知っていたが、エステルが僕を選んだあとも、ワンダは一度も責めなかった。そこが、彼の良いところだ。ただ、僕の恋人たちの前で少しぐらい恨み言を言ってくれても、構わないと思う。


「ところで、その石は何?」

 ミレーヌが僕の胸元を指した。服の上には、灰色がかった宝石を下げた細い鎖がある。魔界の奥で見つけた、世界に一つしかない秘宝――転生の石だ。


「死んだ者を、次の生へ送る石だよ。僕が見つけた」


「そんなものを、お守りみたいに首から下げているの?」

 エステルが眉を上げる。


「お守りにはぴったりだろう。僕が死ぬことなんて、まずないけれどね」


「そういうヤツほど、変なところで怪我をするんだ」

 ワンダが言った。


「心配してくれているのかい?」


「石のほうをな」


「素直じゃないなあ」

 僕は転生の石を指で弾いた。小さな宝石は、胸元でかすかに揺れる。


 その日の夕方、僕たちは山道沿いの宿場町へ立ち寄った。宿の美しい女将は僕を見るなり、笑顔で近づいてきた。


「レインさん、また寄ってくれたのね」


「君に会いたくてね」


「口がうまいんだから」

 女将は笑いながら、僕の手に小さな包みを押しつけた。包みの中には、香りのよい布と短い手紙が入っていた。手紙には、次に来るときは夫のいない日に、と書かれている。


「本当に見境がないな。お前は」

 ワンダが呆れた。


「彼女も喜んでいる。問題ないだろう?」


「それを決めるのはお前じゃない」


「もちろん。だから、彼女が決めたことを尊重しているんだ」


「都合のいい言い方だな」

 それでも僕は、手紙を大切に荷物へしまった。


 翌朝、僕たちは戦勝パレードが行われる王都へ向けて、雨上がりの山道を進んだ。到着まではまだ道のりがある。魔王は討ち取られ、目の前に敵はいない。僕たちは久しぶりに気を張らず、旅を続けていた。

馬車の前を歩くワンダが、濡れた地面を確かめる。


「この先の橋は古い。馬車を通すなら、ゆっくり進んだほうがいいぞ」


「分かったよ」


「聞いているのか?」


「聞いているとも」

 そのとき、橋の向こうで馬がいなないた。次の瞬間、足元が大きく揺れた。


 古い橋の板が、乾いた音を立てて崩れる。馬車が傾き、積んでいた荷物が滑り落ちた。ワンダがエステルとミレーヌを引き寄せる。僕も踏みとどまろうとしたが、濡れた板が足元から消えていった。


 世界が横倒しになる。魔物の攻撃なら、何度も見切ってきた。武器を振るう相手なら、どれほど強くても対応できる。けれど、崩れる橋は魔物でもないし武器を持っていなかった。衝撃のあと、僕の意識は急速に遠のいた。


「――レインッ!」

 ワンダの声がした。胸元で、転生の石が砕ける。ああ、死ぬのだと、僕は理解した。魔王を倒した世界一の剣聖は、帰り道の古い橋に負けたらしい。


 ――それから、長い暗闇があった。どれほどの時が過ぎたのか、僕には分からない。再び意識を取り戻したとき、僕は森の古びた遺跡で目を覚ましていた。


 首に下げていた転生の石は、もうない。あの瞬間に砕けた石の力が、僕を次の生へ送ったのだろう。だが、どれほどの時間が過ぎたのかまでは分からなかった。


 僕は崩れた石壁の隙間から外へ出た。森の木々を抜けると、すぐ近くに湖があった。朝の光を受けた水面が、鏡のように静かに揺れている。


 僕は水面をのぞき込んだ。美しい灰色の髪と色白の肌は、以前の僕と同じ。けれど、水面に映っているのは小柄で可愛らしい少女だった。服は何も身につけていない。僕は一度だけ周囲を見回し、それから水面の少女に目を戻した。色っぽさよりも、愛らしさが先に立つ顔立ち。自分のことだというのに、思わず見とれてしまう。


「……僕、かなり可愛いじゃないか」

 こんな美少女が目の前にいたら、僕なら迷わず口説く。そう考えた僕は、水面へ向かっていつもの決め顔を作った。水面の少女も同じ顔をする。当然だ。僕なのだから。


「これは……脈あり?」

「いや、僕だ」

 死んだはずなのに、こうして生きている。しかも美少女になれた。僕は、驚くより先に口元をほころばせた。


「なるほど」

 僕は満足げにうなずいた。


「今度はこの姿で美少女たちとイチャつくのも、また一興だね」

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