第6話
蝙蝠は青い空には飛び立たない
北方から伝わる諺より
「なぁんか騒がしいねぇ……誰か、やらかしたぁ?」
豊満な胸を揺らして、億劫そうに女は二階から降りてきた。
それまで寝ていたのか、それなのにまだまだ眠り足りない風で、だらしなく長い髪をかきあげる。
昼をとっくに過ぎている時間だが、別に夜からずっと惰眠を貪っていたわけでない、むしろその逆で、今日は、彼女はまだ三刻ほどしか頭を休めていない。横にもなっていなかったので、身体は休まるどころか強ばって痛い、なんなら寝る前よりも疲弊している気さえする。
「何も……なんか、今日は朝から騒がしいだけです。ヴァシリッサさん、いい加減、徹夜して机で寝落ちるのやめてください。あと、そろそろお風呂、入ってください、さすがに……においますよ。それから食べた食器も下げてください、せめて、それくらいしてもバチ当たらないでしょ、取りに行くのいつも私なんですから……」
ニーカがぶつくさ言いながら、ついでのように答えてくれた。働き者だなぁなんて、思いつつ、はいはいと適当に返事をしておく。
「そこまでしなくてもいいってぇ……うち、お給料そんな出せないのにさぁ、わたしの世話とかそんな雑用とかまで、しなくていいよぉ」
ヴァシリッサの雑な発言に、ニーカは露骨に顔を顰めた。怒りを通り越して帰ってきてまた怒っているらしい、……器用な情緒だこと。
「ほんと、どうしてそんななんですか、そういうとこだと思います、ほんとに、そんな仕事ばっかりしてるから、どんどんどうしようもないひとになっちゃうんですよ」
ドカドカわざとらしい音を立てて立ち去り際に、ニーカは叫んだ。
「そういえばなんか新しく、ひとが入りましたよ!特に問題ないから受理しときました!あとで書類、目を通してください!」
「はぁーい……」
「あと!食器!!ぜったい持ってきてください!!私、取りに行きませんよ!!」
働き者だなぁ……と、ヴァシリッサは己を棚上げして感心した。
家に帰るのがめんどうくさくて、半ばここに住み着いている自分にあわせるように、ニーカは休日でも勝手にヴァシリッサの住処と化しているギルドマスター用の執務室へ様子を見に来る。
やれ食事だの着替えだの掃除だのと、どうせ私がやるはめになるとか言って、……お節介な気質らしいと、考えることを放棄してからは、ずっとそれに甘えている。他所に行きたいと愚痴っているわりにはいつまでもここにいるし、……もうそういう妖精なのかもしれない、恩を返そうとしたらどこかへたち消えてしまうのかも。
「ニーカちゃぁーん、書類どこぉー?あんま怒ってると禿げるよぉー」
「棚のいつものとこです!なんでそう余計なひと言つけ足すんですか!!ほんとっ!!そいういうとこっ!!」
ニーカはまたドカドカ音を立てて棚から羊皮紙を取り出すと、ヴァシリッサにそれを押しつけてドカドカ去っていった。
「いちいち呼ばないでください、そんなことで!私やることいっぱいあるんですから!!」
「ごめぇーんて、……えー……と?……スヴェン……アンダーソン、黒髪碧眼、中年男性……え、これだけ?……サインあるからいいかぁ……もう……ニーカちゃぁーん、このひと変なひとじゃなかったぁ?」
「ここ変なひとしかいないでしょ!!知りません!ふつうのおじさんでした!!」
ヴァシリッサは、それならまぁいいかと、またふらり己の根城に帰って行った。
「ヴァシリッサさんっ!!書類!どうして目の前にあるものすぐ忘れるんですか!!そういうところですってば!!」
冒険者たちが生あたたかい目でそのやり取りを見ていたことに、当人たちばかりが無自覚だった。




