『一握りの火薬』という呪い
光が強ければ強いほど、影は濃くなる。先輩の『一握りの火薬』の横に並べられた、自分の歪んだ花瓶の絵を見たあの日、十六歳の葵は筆を折ることを決めた。傷つかないために、感情を無彩色に塗りつぶして勉強だけに没頭してきた二年間。しかし再会したホームで蓮が放った言葉は、葵が築き上げてきた防壁を容赦なく崩し去っていく。「どうして、引き止めてくれなかったんだ」
「どうして、そんな目で俺を見るんだ」
現在のホーム。ベンチに腰掛けた蓮が、ふっと息を漏らすように言った。いつの間にか、二人はあの頃と同じように、ホームの冷たい長椅子に並んで座っていた。駅員が構内のシャッターを閉める音が、遠くでガシャコンと重く響く。
「どんな目?」
葵は正面の暗闇、錆びついた線路を見つめたまま、声を絞り出した。
「まるで見知らぬ幽霊にでも会ったような目だよ。俺、そんなに変わったか?」
「変わったわよ」
葵は蓮の方を向いた。
「背も伸びたし、大人っぽくなった。それに……前はもっと、触れたら壊れそうな棘があったのに、今はすごく静か」
「東京は、騒がしすぎるからな」
蓮は苦笑した。
「大学の連中はみんな化け物みたいに絵が上手くてさ。自分の持ってた『火薬』なんて、ただのおもちゃだったんだって、何度も思い知らされたよ」
「先輩でも、そんな風に思うんだ……」
「思うさ。毎日キャンバスに向き合うたびに、俺の絵は独りよがりなんじゃないかって、不安になる。そんなとき、いつも思い出すのは、この駅のホームで、お前が俺の手を振り払ったときのことだ」
蓮は長い指を組み、じっと自分の膝を見つめた。
「あのさ、葵。俺、ずっと思ってたんだ。どうしてあの時、引き止めてくれなかったのって」
葵の胸の奥で、何かがパチンと弾けた。
「引き止める? 私が、先輩を?」
「そうだよ。行くって決めたのは俺だし、東京の美大に行くのが夢だった。だけどさ、まだ高校生だった俺にとって、誰も知らない都会へ一人で飛び出すのは、死ぬほど怖かったんだ。そのとき、もし葵が『行かないで、ここにいて』って泣いてくれたら……俺は、それを言い訳にして、この街に留まることもできた。夢から逃げる大義名分を、お前に作ってほしかったんだよ」
「嘘……嘘よ」
葵の目から、温かい涙が溢れ、頬を伝って制服の襟を濡らした。
「そんなの、ずるすぎるわ、先輩……。私は、あなたの『一握りの火薬』に焼き尽くされるのが怖くて、自分の居場所がなくなるのが怖くて、必死で手を離したのに。あなたが眩しすぎたから、私は絵を描くことすら諦めて、この二年間、感情を殺して勉強だけしてきたのに……!」
「分かっている。お前を傷つけたのは俺だ」
蓮はベンチから立ち上がり、葵の前にゆっくりと膝をついた。かつて美術室で、彼女の震える手から筆を取り、優しく色の重ね方を教えてくれた、あの頃と同じ距離。
「でもな、葵。東京に行って、いろんな絵を見て、いろんな奴と出会って、ようやく分かったんだ。俺の『一握りの火薬』は、お前っていう静かで、優しい『小さな花』がそこに咲いていてくれたからこそ、輝けたんだって。お前がいないキャンバスは、ただの派手で、中身のない色彩の暴力でしかなかった」




