1-6 月明かりの夜
「きゃあ!!」
月夜に小さな悲鳴が響いた。
離宮のバルコニーから、オリヴィア嬢を抱えて宙を舞ったアルヴェリオ。
――この程度でこんな反応をするのか。
アフロでやや破天荒な外見の女性だ。
それが意外なほど可愛らしい声を上げ、ぎゅっと抱きついた。
――いや、しまった。彼女は薬学の人。戦闘訓練をしていない人なら当然の反応だったか。
すぐに思い直したものの、アルヴェリオはすでに跳躍してしまっている。
――それに、意外なほど軽い。鎧を着ていない女性とは、こんなにも軽いものか。
そのまま、アルヴェリオは柵や塀を飛び越える。
そして、ガルバンディエ魔法学院のすぐ側にたどり着くと、ようやく驚いた表情のオリヴィア嬢を丁寧に地面に下ろした。
「……心臓が止まるかと思いましたよ」
「済まない。怖がらせるつもりはなかった」
「アルヴェリオ王子は本当に野生児みたいな人ですね。もっと王族然とした人かと思っていました」
アルヴェリオが顔を撫でる。
そんなことを言われたのは初めてだった。
ともあれ、学院に来てしまった。
勝手知ったる場所に来て、オリヴィア嬢も少し態度が砕けただろうか。
「せっかくここまで来てしまったからには、ご案内はしますよ、私の研究室。でも、本当に面白いことは何もないですよ?」
オリヴィア嬢の案内で、学院の裏口から建物の中へと入る。
夜の学院は静かだった。
だが、グランフェルド魔法王国における魔法研究の最高峰だ。だいたい徹夜で研究している輩がいるので、無人ということはない。
「私もよく徹夜します」
「夜の建物は怖くないか?」
「怖いのは徹夜で実験した結果で、何も得られないことですかねえ」
と、その扉の前へと来た。
「ここが私の研究室です」
扉が開かれる。
小さな研究室だった。
壁一面に書籍や器具が詰まった棚。窓際にテーブルと、その上にたくさんの実験器具。それに応接用のソファ一式。
そして、その小さな研究室から、ふわりとアルヴェリオの鼻腔を刺激する、否、匂いですらない何かを感じた。
――ああ、この感じ……。
胸の締付けが解けるような感覚。
どこか懐かしさを感じた。
「見ての通りですけど、何にもないでしょう?」
「そんなことはない。興味深い」
「そうですか? 爆発で興味深くなるような実験器具はなくなってるから……」
と、テーブルの上を見たオリヴィア嬢が、何やら紙片を取る。
「あああぁぁ!!」
「どうした?」
「今週中に薬を追加で30錠納品って、要望書が!」
アルヴェリオに思い当たるところが。
だが、細かなところは執事のヨークが取り仕切っている。詳しくは知らない。
「その薬は、誰かに納めているのか?」
「はい。大口のスポンサー様がおりまして」
「そうか。相手の名は?」
「スポンサー様の名前は実は知らないんですよ。きっと、どこかの貴族でしょうから。狭心症とは知られたくないのでしょうね」
彼女も知らないらしい。
そして、アルヴェリオは少しだけカマをかけてみた。
「先日の話にあった、学生の頃、オリヴィア嬢のところに来ていた学生だったりしないか?」
そんな問いにオリヴィア嬢は、宙を見上げる。いったい彼女はどんなことを思ったのだろう。
笑顔を見せた。
「そうだと良いですね。彼、かなり辛そうにしていたから」
その笑顔が、なんとなくアルヴェリオの心に刺さった。
「どんな学生だったか覚えているか?」
「王子とは似ても似つかないタイプの男の子でしたよ。小柄で、気弱で。心臓が弱いから何にもできないんだって、いっつも嘆いてました」
記憶と一致する。
自分の背が伸びたのは、その後のことだ。
そして、発作を抑える薬を得た頃から、徐々に性格も変わった。
「と、まあ、こんな研究室ですけど。どうします? もう戻ります? あまりパーティーの主役が抜け出して良いことないと思いますけど?」
「いや、もう少しここにいたいな」
「ええ……」
困惑するオリヴィア嬢。
彼女がほぼ自分の「思い出の人」なのだろうとは思う。
だが、あと少し。何かが欲しかった。
「ここにいるっていっても……。珈琲でも飲みます?」
オリヴィア嬢がそんな事を言ってくれた。
「頂こう」
「といっても、王子が普段飲んでいるような良い珈琲じゃないですよ?」
「私だって安物の珈琲を飲むことくらい全然ある」
どうもオリヴィア嬢は王族というものを過剰に評価しているようだ。
と、オリヴィア嬢がテーブルに実験器具を並べ始めた。
フラスコとランプ。
それに彼女はドレスの上から白衣を纏った。
「珈琲を淹れるんだよな?」
「ドレスが汚れるといけないので。サイフォンで淹れますよ。器具が揃っているので」
ガチャガチャと、器具をセッティングする。
まるで科学実験だ。
やがて、水が沸騰し、黒い珈琲が煮出されていく。
窓の外には月明かり。
ぐつぐつとサイフォンから湯気が立ち昇る。
「珈琲は濃いめで良いですか?」
「ああ、任せるよ」
「私、濃いめが好きなんですよ。安っすい粉だから、うんと濃くしてるんです」
その台詞がアルヴェリオの記憶に響く。
耳の奥に残っていた言葉。
彼女の口から何度も聞いた。
と、そのオリヴィア嬢が声を上げた。
「あ、ああぁ!」
「どうした!?」
「魔力が抜けるぅ……」
金髪アフロに両手を伸ばすオリヴィア嬢。
と、そのアフロの髪から薄っすらと輝く魔力が抜け出ていく。と同時に、彼女の髪はゆっくりと、普通の髪のように下りていった。
肩までかかるウェーブがかった金髪の女性。
それが窓からの月明かりに照らされていた。
その姿は、間違いなくアルヴェリオの記憶にある女性の姿だった。
――君は何にもできないわけじゃない。
――ちょっと身体が弱いだけ。
――何もできないと思っていると、本当に何にもできなくなるぞ。
――君は何でもできる。
自分が憧れた上級生の女学生の記憶が蘇った。
アルヴェリオは息を飲んだ。
◇◇◇◇◇
離宮のバルコニー。
建物の中からは、楽団の優雅な演奏が漏れていた。
「立てますか?」
「大丈夫です」
その装飾豊かなバルコニーに、アルヴェリオ王子はゆっくりと私を下ろしてくれた。
まだ、私の心臓はドキドキしていた。
王子からお姫様抱っこされたことにではない。その状態で、帰路再び大跳躍されたからだ。
だって、いま遠くに見えるガルバンディエ魔法学院から10歩くらいで帰ってきたぞ。魔力の高い人の身体強化、恐るべし。
「覚悟はしていましたけど、やっぱり怖かったです」
「すみません。なるべく丁寧にはしたのですが。あまり私が長時間席を外しているのも良くないので」
それは私の研究室でゆっくり珈琲を飲んだりしたからでは?
結局、殆ど話らしい話もしなかったし。
やっぱり王子様は窮屈な日常が嫌になっていたのかな?
「ですけど……」
ただ、それでも私は王子に笑顔を見せた。
「ちょっと楽しかったです。王子と二人でパーティーを抜け出したなんて。一生の思い出になります」
「一生と言わず……」
私の髪は魔力が抜け、普通の髪型になっていた。爆発からちょうど三日目。何もこのタイミングで元に戻らなくても良いのに。
頭もドレスもボリュームがない今の私は、きっと貧相になっているに違いない。
少し恥ずかしい。
だけど、そんな私にアルヴェリオ王子は微笑んでくれた。いままで見た中で、一番自然で、優しそうな笑顔だった。
その王子が、私の耳元で囁いた。
「また、誘います。次もお会いしましょう」
「え、次って……」
と、聞き返す間もなかった。
アルヴェリオ王子は身軽にバルコニーの柵を飛び越えてしまった。
驚いてバルコニーから身を乗り出すも、王子は何ごともなかったかのように地面に着地。そのまま駆けて行ってしまった。
そんな王子の姿を私は、ただバルコニーの上から見送った。
月明かりが離宮を照らしていた。




