3-15 いや、全然
ガルバンディエ魔法学院。
夜も更けた研究室。
「……ぅう」
私の膝の上で、アルヴェリオ王子が小さく声を漏らした。
薄っすらと目を開く。
「気がついた?」
「ここは?」
ソファに横たわる王子。
私はそのソファに座り、王子の頭を膝枕に抱えていた。
王子が研究室を見渡す。
「私の研究室です」
「……」
「王子は狭心症の発作で倒れたんです。それで、研究室に来てもらって、製薬して、なんとか症状が治まったところです」
たぶん、記憶が途切れているのだろう。
状況を理解できていない。
だが――。
「あっ!」
王子が飛び起きようとするのを、慌てて抑えつけた。
だけど、大きい人を抑えつけるのは大変だ。
「駄目ですよ。急に動いたら。さっきまで血が巡ってなかったんだから」
「わかったわかった。大人しくするから」
王子の意識がしっかりした。
良かった。
これで一安心か。
「私は倒れたのか?」
「みたいです。私が駆けつけた時には王子の意識は朦朧としていて」
「倒れたのは誰かに見られた?」
「カディスくんたち騎士団の人たちと。水晶宮の兵士の人もいたと思う。それにセレスティーナさんも」
「そうか……。水晶宮の光臨祭は?」
「さあ、そこは私も抜け出てきたから……」
状況を把握しようとする王子。
王太子が光臨祭を抜けたんだから、影響はありそうだけど……。
そんなことよりも、だ。
「王子、それよりも、狭心症だったんですね」
「ああ、ついにバレたか」
「バレたか、じゃないですよ」
全く悪びれない王子。
子供じゃないんだから。
「それと、もう一つ」
「まだあるのか?」
「王子はあの時の赤毛くんだったんですね?」
王子の目をしっかりと見つめて問う。
王子もまた私の目を見つめ返した。のだが、だんだんと視線が逸れていく。
そして、唇を尖らせて不満そうな顔。
あー、その顔。
覚えてるぞう!
「どうして言ってくれなかったんですか! あの時の赤毛くんって知ってれば、私だって求婚された時、あんなに悩まなかったですよ!」
膝枕の上にある王子のオデコを、ペシペシと叩いた。
「いろいろあったんだ!」
「いろいろってどんな?」
「僕の健康と魔力は、国防とかいろいろ機密扱いされるんだ」
「まあ、そういう事情があるなら……」
「それに!」
王子が膝枕の上で声を荒げた。
だけど、その声は急速に萎んで、不満たらたらの声に変わる。
「あの時の僕は格好悪かっただろう……」
格好の良い王子はどこかに行ってしまった。
ここにいるのは身体ばかり大きくなった、いつかの少年だった。
「あの時の僕と繋がったら嫌われるかと思った……」
「そんなわけないじゃない! もう! なんてくだらないことに振り回されたことか!」
「がっかりしてないか?」
もう呆れるやら何やら。
ああ、でも、これは確かにあの時の赤毛くんだ。
「そんなわけないでしょう?」
「本当に?」
「うん、どっちかっていうと、安心した」
でも、許さないぞ。
王子のほっぺたを、グイグイと抓ってやった。
「痛い」
「このくらいで許してやるんだから我慢なさい」
「はい」
ひとしきりグイグイと頬を引っ張ったり、伸ばしたり。
それで満足すると、王子の髪をかき上げた。
オデコを出すと、あの時の赤毛くんの面影が間違いなくあった。
「ねえ、あの頃から髪色変わってない?」
「変わってない。髪を伸ばしたら毛量で暗く見えるようになっただけだ」
「それに、おっきくなったねえ」
「中等部の二回生の頃からかな。急に身長が伸び始めたんだ」
「声変わりもしてるし。これは、わからないわ」
わかってみれば、確かに、ということが沢山あった。
だけど、気づけなかったのだ。
こんなにしっかりと記憶に残っている人に求婚されたのに、正体に気づけなかったとは。
「心臓は強くなったの? 鍛えるとか言ってたよね?」
「まあ、多少は。でも、心臓が強くなっても、それ以上に魔力が増えたりして。結局、特効薬を得るまで苦労したよ」
「特効薬ってのは……」
「ご察しのとおりで」
それから幾年もかけて作った薬。それはいつの間にか、ちゃんとこの人のところまで届いていた。良かったというか、呆れた話だ。
だけど、胸の奥が少しだけ熱くなった。
「もう……」
私はソファに深く寄りかかり、天井を見上げた。
何だか疲れてしまった。
そんな私を見て、王子が不安そうに見上げてくる。
「それじゃ、もう駄目ですか?」
「何が?」
「こんな姿を見られたら。貴女を惚れさせるという約束。格好悪いですよね」
神妙なアルヴェリオ王子。
呆気に取られた私。
見つめ合ったまま固まった。
「なんでそうなるの!?」
「いや、だって!」
「王子、格好良いよ。凄く格好良くなった。ビックリしちゃった」
そうだ。
あの時の赤毛くんが、あのアルヴェリオ王子になったのだ。
そう思うと感慨深い。
だけど、それと同時に心配なことも――。
「むしろ、王子のほうがガッカリしてない?」
「あの頃は私が上級生だったし、王子もまだ幼かったし。だけど、今は王子も大きくなったし、女性だって選り取り見取り。私なんかに求婚して後悔してない?」
「いや、全然」
即答だ。
えー、どうしてかなぁ?
思い出補正があるにしても、私で本当に良かったの?
すると、王子の表情が歪む。
いつかの文句を言う時の赤毛くんの表情だ。
「でも、思うところが、全然なかったわけじゃないですよ」
「だよね?」
「求婚してから、何度か貴女と話しているうちに、『そういえば、こういう人だった』って思い出してきましたよ。そそっかしいし、全然悪びれないし」
「あ、あー、えーっと……」
「言っときますけど、僕が発作で苦しんでいるのに、部屋中をブルーチーズの臭いで充満させたことは、ずっと覚えてますからね」
「そんなことあったっけ? ……あ、あったねえぇ」
だけど、そんな私に王子は微笑んでくれた。
優しい表情というのとも違う。告白してきた時とも違う。でも、今までに見せたことのない笑顔だった。
「だけど、僕……、いや、私にとって、貴女は特別なんです」
「どんなところが?」
「私の人生で一番辛くて、人が離れていた時。私に勇気をくれた」
――君は何にもできないわけじゃない。
――ちょっと身体が弱いだけ。
――何もできないと思っていると、本当に何にもできなくなるぞ。
――君は何でもできる。
「私、そんなこと言った!?」
全然記憶にないぞ!
そんな臭い台詞吐いてた?
だけど、王子は笑いながら怒った。
「そんなことだろうと思っていました。だけど、良いんです。オリヴィア嬢は何気なく言ったのでしょう。でも、私にとっては大切な言葉だったんです」
私の膝の上で、アルヴェリオ王子はそう言った。
きっと王子にとっては、かけがえのない言葉だったに違いない。
「でも、その言葉だけで、私と婚約するの?」
「その言葉だけではありませんが……」
王子は目を瞑る。
もう一度考え直しているようだ。
そして、目を開いた。
「うん、結婚するならオリヴィア嬢しか考えられません」
「本当に?」
「あの時の貴女がこうして目の前にいる。そうと知らないままなら諦めもついたでしょう。いつかの研究室の思い出の女性として、僕の心の中に仕舞っておけた。だけど、もう知ってしまった」
アルヴェリオ王子が私の顔に手を伸ばす。
私の頬を両手で包んだ。
「もう、手放したくありません」
「そんなに?」
「そんなに」
そこから、私たちの話題は尽きなかった。
私と赤毛くんが出会ったのは十年前。それから私たちはずっと離れていた。
色んなことを話した。
それまでの時間を埋めるように。
いつかの研究室よりも、ちょっと手狭な私の研究室。
割れた窓から、初夏の涼しい風が吹き込んでいた。
古い魔導灯と、月明かり。
そんな研究室で、10年間すれ違っていた想いを、私たちはゆっくりと、何度も重ね合わせた。




