3-7 これ、ひょっとして非公式の外交ってやつ?
結局、宝石商の銀の髪飾りは、王太子府持ちで購入し、エルヴィーラ姫へのプレゼントとなった。
いくらだったのかな。
細かいことはセレスティーナさんとレティシアさんがやってくれたけど。
凄く高価そうだったのに、あれをポンと買ってしまう王族予算の恐ろしさよ。
そして、そろそろ朝靄も晴れてきた。
露天も殆どが開き、人通りも多くなってくる。騎士団の人たちの護衛があっても、この辺が限界かな。
お忍びといっても、暗黙のルールがある。一般人の迷惑にならないように、そろそろ大人しく引き下がるべきだ。
と、そんなタイミングで、私の目に飛び込んできたものがあった。
とある露店の店頭にそれはあった。
グネグネとねじ曲がったガラス管。
知らない人が見れば意味がわからないだろうが、わかる人にはわかる。
「オリヴィアさん、そろそろ潮時ではないかしら……、って。あら、珍しいものを見てますわね」
「これは、なんでしょう。複雑な形のガラスですね」
エルヴィーラ姫とセレスティーナさんが不思議そうにしていたが、私にとっては切実な物だった。
そんな私たちに露店の人が説明してくれる。
「そちらはリフラックスコンデンサーというものです」
「グラハムですよね。ジムロートはあります?」
「ございます。こちらです」
「おお、こないだ壊しちゃったのと同じものが……」
このところ爆発続きで、実験器具が足りなくなっていたのだ。毎回大枚を叩いて特注していた実験器具が、こんなところに……。
そんな興奮する私の背後で、冷静に会話する女性二人。
「呪文のような会話をされてますね」
「これは私にもわからないわ」
「オリヴィア様はどうしてこのようなものを?」
「彼女、研究者なのよ。化学っていう魔法を使わないで何かする分野の。こういう器具で何かするんでしょうね」
「まあ、学者さんで……」
振り返ると、エルヴィーラ姫にキラキラした瞳で見つめられていた。
なんという破壊力のある笑顔。
と、露店の人も気づいたのだろう。顔を真っ赤に見惚れていた。
「欲しいなら買ってしまいなさい。人通りも多くなってきたし、そろそろ離れますよ」
「ちょっと待ってください。これでも高価なもので……」
「その程度、悩む必要もないでしょう。支払いなんかはレティシアに任せて。ほら、行きますよ」
「え、ええっ!!」
セレスティーナさんが値段も確認せず購入決定。
王太子府持ちで買ってもらってしまった。
嬉しいやら恐れ多いやら。
◇◇◇◇◇
ラダ・エルザ朝市を抜け、繁華街の中心部へと向かう。こちらにはしっかりとした店舗が軒を連ねている。
私たちは、その中にあるカフェ・ド・エルザという店にやってきた。セント・ルディアのカフェ文化の先駆けとなった老舗だ。
「では、カフェ・ラテを三つ。それに茶菓子をいくつか頂けますか?」
「畏まりました」
さすがは老舗。
ここではフードを取った私たちに、店の者たちは驚いたものの、直ぐに上階の特別室に通された。
こんな部屋あったんだな。初めて来た。
他の客のいない上等なカフェテラスで、私たちは席を囲んだ。
「ここは貴族ではない方でも、気軽に来れるお店なのですか?」
「そうです。それに事前に連絡する必要もありません。気ままに訪れて、気ままにカフェを楽しめます」
「そんな素敵な場所があるなんて……」
そもそも、他の都市では貴族以外の者がカフェを楽しむという発想もないだろう。そこはセント・ルディアの豊かさだ。
近年では、他都市にもいくらか広まっていると聞くが、ノルガルドではまだなのだろう。
「さて」
三人でテーブルを囲んだところで、セレスティーナさんが声をひそめる。
「ようやく会話しやすい環境になりましたね」
レティシアさんを始めとした護衛の騎士たちは少し離れたところにいる。
エルヴィーラ姫とセレスティーナさん、そして私。
三人だけがテーブルを囲んでいた。
考えてみれば、なかなか不思議な取り合わせだ。
先程まで楽しく買い物をしていたのだが、そこはエルヴィーラ姫も王族だ。
「こういう機会ですもの。ざっくばらんに話しましょう」
と、セレスティーナさん。
「今回の使節団がエルヴィーラ姫でどのようなことをしたかったか、だいたい予想できています。でも、オリヴィアさんの存在で、かなり予定が狂ったのではなくて?」
本当にざっくばらんだ。
その問いに、エルヴィーラ姫も悩んだようだが、意を決したように応える。
「ええ、この使節団の当初の目的は、私がアルヴェリオ王太子殿下に婚姻を申し入れることでした」
「でも、このオリヴィアさんが既に婚約していた。どうなさるおつもりで」
「わかりません。使節団の中でも方針が定まっていません」
あれ。
これ、ひょっとして非公式の外交ってやつ?
何気なく凄い会話が始まってしまった。
「使節団の方針は決まっていなくても、エルヴィーラ姫ご自身はどのようにしたいとお考えで?」
「わたし? 私ですか?」
と、心底驚いたような表情。
エルヴィーラ姫はお人形さんみたいな顔なのに、意外と表情が豊かだ。
「私の意見なんて。この使節団は実質、副使のベルンハルト様が取り仕切っています。私の意見など、とてもとても……」
たぶん、エルヴィーラ姫も私と一緒で、こんな非公式の外交なんて経験がないのだろう。失言しないように、丁寧に言葉を選んでいた。
そんな様子に、セレスティーナさんが鋭い視線を送る。
「でも、このままなんの成果もなく、帰国するわけにもいかないでしょう?」
「そうかもしれませんが……」
エルヴィーラ姫が俯く。
なんだか可哀想だな。
そんな姫がぽつり、ぽつりと話し始めた。
「お二人は凄いですよね。それに比べて私は……」
カフェ・ラテを両手に包み、エルヴィーラ姫がゆっくりと語る。
「セレスティーナ様は家のことを考えていて。オリヴィア様は研究者という立派な才能をお持ちで。私なんか、ただ容姿だけで持ち上げられている存在で……」
そんだけの容姿なら立派な才能と思いますけどねえ。
「私は使節団で決められたことに従うだけですから。この先どうなっても不満には思いません」
そう笑顔を見せた。
こんなに美しいのに。こんなに笑顔なのに。
うーん、困った。
「えーっと、でも、そこは私たちも、そこまで変わりないんじゃないかなあ? 外交の主体はグランフェルド王家なわけだし」
「でも、アルヴェリオ王子が主張するなら王家も無視できないでしょう? 王子を通して意見すれば、多少は動きますよ?」
セレスティーナさんがエルヴィーラ姫を見る。
つまり、ここで彼女が何かを伝えたなら、私たちを通じて何か影響を及ぼせるかもしれない。
エルヴィーラ姫は少し驚いていただろうか。
だが、しばらく考えた挙句、出てきた言葉は弱々しかった。
「ですけど、意見と言っても何を……」
まあ、そうかも。
主張するにしても、何をと言われると困る。
「オリヴィアさんの所為で迷走してしまった使節団の落としどころ。悩ましいですわね」
「私の所為って……」
「どうしたら良いのかしらね」
セレスティーナさんの言葉。
たぶん、皆迷っている。
こうして三人で仲良くお茶をできているのに、これから私たちはどうなってしまうのだろうか。
初夏。
セント・ルディアの繁華街を見下ろすテラス席で、ガーデンパラソルに当たる陽光も強くなってきた。
街から賑やかな人々の声が聞こえる。
そんな中、エルヴィーラ姫が心から嬉しそうに、とても穏やかな微笑みを浮かべていたのが、私の心に残った。




