2-10 邪魔するなら帰ってー
ガルバンディエ魔法学院。
研究室。
そこで、私はただ座っていた。
目の前には実験器具が並んでいる。
研究ノートにはやるべきことが盛り沢山。
それなのに私の手は全然動いていなかった。
うわーん!
王太子妃って大変そうだった。
しかも、先日の東宮サロンに続き、昨日は東宮侍女長のベアトリスさんに招かれ、礼儀作法について「ちょっと確認」をされたのだった。
立ち居振る舞いから、サロンに居た人たちのことなど、いろいろと教えてもらった。
有り難いんだけどさ。
そして、例のごとく全く怒られたりはしなかったんだけど、ベアトリスさんの圧が凄くて。
それにセレスティーナさんも凄かったな。あれが貴族令嬢というものか。
ベアトリスさんの話によると、アルヴェリオ王子とは中等部と高等部で同級生だったとか。成績も優秀で、騎士としての腕前もあるらしい。
天が二物も三物も与えた好例だ。それなのに、彼女みたいなことを私にやれと?
「うーん……」
研究室の机に突っ伏して考え事に耽る。
このところ研究が全く進んでいない。これではイルドガルド学院長に顔向けできない。
だけどさあ……。
と、そんな徒然を考えていた時だった。
コンコン。
研究室の扉をノックされた。
誰だ?
「どーぞー!」
扉が開く。
と、見慣れた顔の女性が二人。笑顔で入ってきた。
「いよう、今を時めくプリンセス様! 邪魔しに来たぜ!」
「研究進んでる?」
◇◇◇◇◇
入ってきたのは同期の研究者二人。
元気良く入ってきたのがミレイユで、彼女は同期の中でもムードメーカー的な存在だ。
そして、その後から入ってきたのがクラリッサ。彼女は同期の首席だが、成績は次席の私よりも遥かに優秀だった。
「邪魔するなら帰ってー」
「ほな、またなー。って帰るか!」
「オリヴィア、私は珈琲が飲みたい」
「あんたたち自由だね! そんな気分じゃないから、飲みたかったら自分たちで淹れて。そして、淹れるなら私の分も淹れて」
「わかった」
そして、勝手に私の研究室の機材で珈琲を淹れ始めるミレイユとクラリッサ。
そんな二人を机に突っ伏したまま眺めていると、ミレイユが楽しそうに声をかけてきた。
「お疲れですな。案の定、バタバタしてるみたいだね」
「もう、バッタバタよ」
「立太子パーティーは見てたよ。あれは驚いたねえ」
「アルヴェリオ王子とはどこで知り合ったの?」
「それがねえ……」
気になるよねえ。
と言っても、私も王子とどこで知り合っていたのか、知らないのだけど。
でも、こうして気兼ねなく話せる相手も貴重だ。
そうこうしている内に、私の分の珈琲も淹れて貰って、よもやま話に花を咲かせた。
「呆れた。それじゃ、どうして王子に言い寄られたのもわからないまま、婚約受けちゃったの?」
「オリヴィアが断って、そのまま話がなくなったら困るんじゃない? 王子からの求婚だよ?」
「まあまあ、断るって選択肢はあんまり考えなかったなあ。真剣に想ってくれてるのは伝わってきたし……」
「へええぇ!」
ミレイユとクラリッサがニヤニヤと顔を寄せてくる。
こういう話、楽しいよね。
良い肴にされてしまった。
「そんなことより、わざわざ私の研究室にまで来たんだから、無駄話をしに来たわけじゃないでしょ?」
ともあれ、二人はきっと私に気を使っていた。このところ忙しくしている私に遠慮して、わざと距離を置いてくれていた。
そんな二人が、わざわざ私の研究室を訪れたのだ。
「察しが良いね」
「私たちもイルドガルド学院長から何度か呼び出されていて。最初は『オリヴィアから研究を引き継いで』って話だったのに、後から『やっぱりあの話は無しで』って」
「なんか大変そうだなって。一回様子を見ておこうと思ってさ」
「そっか、そっちにも迷惑かけてたんだね。ごめん」
「全然迷惑じゃないよ」
アルヴェリオ王子との婚約以来、私の知らないところで色んなことが起こっている。
「オリヴィアの研究は研究費が潤沢だからね。関わらせてくれるなら肩身も狭くなくなるだろうし。大歓迎さ」
「あれ、そんな感じなの?」
「オリヴィアと違って、私たちはなかなか結果を出せてないから……」
そういうこともあるか。
私はかなり早くから狭心症の薬の開発に着手していて、出資者も付いている。
対してミレイユもクラリッサも優秀ではあるが、これという看板の研究がない。意外と学院内では窮屈な思いをしているのかもしれない。
「それで、王太子妃候補として早速忙しくなってるんだって?」
「そうなのよ。昨日も東宮に呼び出されて、礼儀作法をみっちり仕込まれて。『ミレイユさん、クラリッサさん、ごきげんよう』みたいな?」
私が背筋をしゃんと伸ばして、挨拶して見せる。
「あははは、似合わねえ!」
「なんか、ちゃんとしているのに、オリヴィアがやると面白い感じになるのは、どうしてなのかしら?」
「あれ、おかしいな。ベアトリスさん直伝のご挨拶なのに」
「頭だよ、頭。その爆発頭で何やっても寸劇にしかならない」
「ああ、これかあ。直らないんだよ……」
立太子パーティー前に三回ほど爆発した影響で、未だに直らないアフロだ。
一回の爆発なら3日で直ることは経験で把握している。だが、その3日では直らなかった。
複数の爆発は私にとっても未知の体験だ。
当初、3+3+3=9日と思ったが、その9日を過ぎても直らない。
ひょっとして、3×3×3=27日?
27日は長いな。
「でも、王太子妃の準備って、礼儀作法だけじゃないんでしょう? 東宮サロンにも呼ばれたって聞いたけど」
「そう。そうなの。そっちも大変なの」
「いっそ、研究は私たちに引き継いで、王太子妃としての仕事に専念するのも手だよ?」
ミレイユが嬉々として囁いてくる。出資者付きの研究はそんなに魅力か。
だが、彼女たちの主張にも一理ある。
イルドガルド女史の言うとおり、王太子妃と研究者の両立は容易ではなさそうだ。
女史の予想通りになるのは癪だが、ミレイユもクラリッサも優秀な研究者だ。彼女たちに任せれば研究が滞ることはないだろう。
誰にとっても良い結果になりそうにも思えるが……。
「でも、オリヴィアは自分の手で研究を完成させたいんでしょう?」
と、クラリッサが優しく囁く。
君たちは天使と悪魔か。
心が揺れ動くじゃないの。
ただ、それもまた私の本心を正確に射抜いていた。
私は俯く。
研究者として、やりきりたい気持ちはもちろんある。だけど、それだけじゃないものが、私の中には確かにあった。
「まあ、すぐに決めないといけないものでもないし、オリヴィアが納得するまで考えると良いよ」
と、クラリッサ。
「研究を手放すならいつでも言ってねえ」
と、こちらは無邪気なミレイユ。
そして、少し考え込んでしまった私を見て、しばらくで二人は部屋から出ていった。気兼ねないだけでなく、気も使ってくれる。有り難い友人だ。
そして、一人になった私は思う。
どうして私はこうも研究に拘るのか?
もちろん、研究そのものが好きなのはある。
だけど、実験とか遊び程度なら、王太子妃としての仕事の傍らでも楽しくできるだろう。
だけど、薬の完成となると、かかる労力は並大抵ではない。それはここ数年研究を続けてきたから骨身に染みている。
きっと、薬の完成だけを目指すのであれば、あの二人に任せてしまったほうが、ひょっとすると早いかも知れない。
だけど、それじゃ駄目なんだ。
だって、約束したからね。
その時、私が思い出したのは、学生時代。夕暮れの研究室にいた少年との記憶だった。




