2-4 王太子妃と研究者
ガルバンディエ魔法学院。
「うぇーぃ、落ち着くうぅ……」
久々の研究室で、私は机の上で伸びていた。
激動に継ぐ激動の数日間。
私はようやく、この小さな城へと戻れたのだ。
アルヴェリオ王子とのお見合い紛いの茶会に始まり、離宮でのパーティー、立太子パーティー、それに王子との遠乗りと、まあ盛り沢山だったこと。
落ち着いた研究から、すっかり離れてしまっていた。
どうしようかな。
直前までやっていた実験とか、かなり記憶の彼方だ。
まあ、でも、やり直すしかないよなあ。
でも、そんな急ぐことでもないし。
よし、珈琲を淹れよう!
研究や実験は逃げたりしない。
私はフラスコやランプを用意する。慣れたものだ。
そうして、ぐつぐつと珈琲を沸かしていると、不意に扉をノックされた。
「どーぞー」
「失礼します。オリヴィア様、イルドガルド学院長がお呼びです。空いている時間にいつでも良いので、学院長室に来るようにとのことです」
「学院長が? ありがとう」
言伝を携えた学生だった。
伝え終えると、彼は私のほうを凝視した後、すぐに退出して行った。
ちらっ、と見てきたのはアフロが珍しいから……。
いや違うな。
オリヴィア研究員でなくて、オリヴィア様って言ったか。王太子との婚約がこんなところまで広まっているのか……。
溜息が一つ。
なんとなく心を落ち着けるために、珈琲をゆっくりと頂いてから、私はイルドガルド学院長のもとを訪ねた。
◇◇◇◇◇
ガルバンディエ魔法学院は歴史が古い。
特に学院長室のある中央棟は、数百年前に建てられたものだ。その古めかしくも装飾豊かな建物へと向かう。
コンコン。
「オリヴィア研究員です。お呼びとのことで参りました」
「どうぞ、入って」
重い扉を開くと、イルドガルド学院長が執務机に向かっていた。
「かけて待っていて。すぐ終わらせるから」
小さな眼鏡をかけた学院長が、書類にサインを繰り返していた。机の上に積み上がった書類の束が分厚い。いつものことながら大変そうだ。
「お待たせ。時間を取らせたわね」
と、一区切りつけたらしいイルドガルド学院長がやってきた。
「昨日、アルヴェリオ殿下から伺いました。東宮での社交を任されるそうですね」
その話かあ。
昨日の今日の話ですよ。
「ええ、まあ、なんかお願いされまして」
「大変な仕事なのでしょう?」
「大変かどうかはわかってないんですが……」
私がぼんやり答えると、学院長が僅かに目を見開いた。
心から意外そうな顔。
そして、小さく溜息をつく。
「おかしいと思ったのです。貴女がそんな大変そうな仕事を二つ返事で引き受けるなど」
「あれ、そんなに大変ですかね?」
「東宮の社交を任される。その意味を考えてご覧なさい」
ええぇ。
そんなに大変な仕事かな?
だって、社交ですよ。何となくのイメージだけど、綺麗なドレス着て、皆でお茶しながら、オホホホ、とか言ってるイメージだったんだけど。
「くだらないこと考えてますね?」
「いえいえ」
イメージが貧困かも知れないけど、くだらないつもりはないです。
「まあ、そちらの話は良いでしょう。東宮のことは、ちゃんと王太子殿下に確認なさい」
「はい」
「それよりも、です」
イルドガルド学院長が真っすぐに私のほうを見つめた。
何もかも見透かされそうな瞳。
「研究のほうは捗っていますか?」
「うっ……」
この上もなく痛いところを突かれた。
「えーっと、王子との茶会からこの方、いろいろと忙しくて……」
「そうでしょうね。責めてるわけじゃありませんよ」
学院長の声は優しい。
だけど、その優しい声音で急所を刺してくるのが、学院長の得意技だ。
「ただ、そんな状態で東宮の社交など安請け合いして。今後貴女は研究をどうするのです?」
言われて言葉に詰まった。
研究できてないのは確かだ。
「いまはバタバタしてますけど、そのうち落ち着くと思うのですが……」
「落ち着きますか?」
「えーっと……」
その落ち着く目処が一向に立たないから困っているわけで。
そんな私の様子に、イルドガルド女史は再び溜息を一つ。
「貴女の研究には大金を出資して下さってるスポンサー様がいるの。スポンサー様の手前、何も進んでませんとは言えません。そこはわかりますか?」
「……」
「さらに今後、貴女は王太子妃として多くの時間を取られるでしょう」
イルドガルド学院長が居住まいを正した。
そして、静かに告げる。
「狭心症の研究を、別の者に引き継がせる気はありませんか?」
「は!?」
引き継ぎ?
別の者?
いや、研究が捗っていないのは確かだけど……。
「それは……」
何か言おうとして、だけど、言葉が出てこない。
「……そ、それは、私が研究を離れるという話ですか?」
狭心症の研究は私が学生の頃から、ずっとテーマにしてきたものだ。
もう十年近く携わっている。
「必ずしも完全に離れるという話ではありません。ですが、程度の差こそあれ、ある程度研究からは離れないといけないでしょう?」
「で、でも……」
「少なくとも貴女がアルヴェリオ殿下の望みに応えようとするなら、研究に費やせる時間はますます少なくなるでしょう」
そんなこと、考えてもみなかった。
狭心症の研究は私が立ち上げたものだ。思い入れもある。
その、研究から離れるなんて……。
ずっと携わってきた研究だ。
それが、サラサラと指の間から溢れ落ちるような感覚。
なんというか、心が冷えた。
「急ぐ話ではないわ。少し考えてご覧なさい」
黙ったまま固まった私に、イルドガルド学院長が優しい笑顔を見せてくれた。
この人は厳しいだけの人ではない。
だけど――。
「少なくとも、ここ最近の貴女は王太子妃と、研究者の仕事を両立できていませんでした。何しろ3回も爆発したのですからね」
優しいだけの人でもない。
王子の立太子パーティーの前に3回も爆発した影響で、私の頭は未だにアフロだ。
反論の余地が欠片もなかった。
私が応接ソファで項垂れていると、学院長は部屋の飾り棚へと目を向けた。
壁一面に広がる飾り棚。そこには、長い学院の歴史を刻んだ品々が飾られていた。
「それにしても、貴女が王太子妃とはねえ」
それについては私も同感だ。
アルヴェリオ王子からの好意は本物だと思うけど、私が王族になるなど、青天の霹靂も良いところだ。
「私もここに長いですから、いろんな人を見てきました。結婚や、家庭の事情、あるいは戦争を理由に研究から離れた人も。研究者は弱い仕事です」
と、学院長と視線があった。
イルドガルド学院長が笑っていた。
彼女の笑顔自体は珍しくない。でも、なんだか見たことのない笑顔だった。
「私は貴女を研究者として評価していました。でも、個人的な希望を言うとね。貴女には研究者として以上に、王太子妃として頑張ってほしいと思っているの」
「……そうなんですか?」
「貴女が研究成果を上げるより、研究に理解ある王太子妃が王宮にいてくれるほうが、学院としては有り難いですからね」
政治家の顔をしたイルドガルド学院長。
初めて見た。




