81.変化
目を覚ますと、窓の外はまだ暗いままだった。
まだあの熱が身体を支配しているような気がして、身を震わせる。
( 千里眼 )
熱から逃げるように、肉体から抜け出す。
そのとき、違和感に気付いた。
『あ、れ……』
ふわりとたなびく自分の髪。
菫色のその先端が、黒く染まっている。
『え、な、なにこれ、なにこれっ!』
毛先の15cmほどだろうか、夢に見たラナの髪のように黒い。
慌てて生身の自分の髪を確認すると、そちらは菫色一色のままだった。
なにこれ、え、《《まざっちゃう》》――って。
男の子の言葉を思い出す。
溶けるように私にくっついたラナを思い出す。
『え、ほんとに、混ざった……の?夢じゃなくて?』
問いかけても誰も答えてはくれない。
あれは夢だったはず。
そのはずなのに――
恐ろしくなって、私は部屋を飛び出した。
そして一目散に、《《2つ隣の》》客室に入り込んだ。
ベッドの中では、セオルが規則正しい寝息を立てていた。
私はその肩を必死に揺すって、切羽詰まった声で何度も名前を呼ぶ。
『せ、セオル、セオルっ、起きて、ね、起きてっ』
「うぅ~~ん」
『セオル、セオルってば』
「う、ん……?リリー……?」
眠い目をこすりながら、セオルがうっすらと瞳を開ける。
どしたの、と柔らかな声で問いかけられて、私は思わずその胸の中に飛び込んだ。
そのままぴったりとくっついて、胸元に顔をくっつける。
とく、とく、とくと穏やかな心臓の音が聞こえてきて、少しだけほっとした。
なんだか、ミルクのような甘い香りがする。
こんなにくっついたことはなかったから、彼の匂いに包まれているのは不思議な感じだ。
「リリー?!」
さっきまでのぼんやりしたものとは違う、はっきりとした声。
どうやら完全に覚醒したらしい。
そういえば、今は何時なのだろう。
安眠を妨害してしまったことに罪悪感を覚えたけれど、今はもう少しだけ、こうしてくっついていたい。
「え、ちょ、え?えぇ???リリー?」
……ちょっとうるさいな。
空気を読んで優しく抱きしめてはくれないものだろうか。
ちらりと見上げると、セオルは両手をあげて、目を白黒させている。
「え、なにこれ、夢?妄想?リアリティありすぎじゃない?」
『うるさい』
「うわ、なに、かわいいんだけど。え、なに?ほんとなに?俺死ぬの?」
意味不明なことばかり言っているセオルを無視して、額をぐりぐりと押し付ける。
さっきまで眠っていたせいか、温かくて心地いい。
そうっと、セオルの手が私の頭に触れた。
壊れ物を扱うように、優しく撫でられるのが気持ちいい。
もっと撫でてほしいのに、その手はあえなく離れて行ってしまう。
じわ、と視界が滲む。
『なんでやめるの』
「え、え?何を?」
『いじわる』
「え?!い、いじわるしないよ!えっと……?」
恐る恐る、といった様子で、セオルの腕が私の背中に回された。
そのままきゅっと抱きしめられて、私は息をついた。
撫でられるのもいいけど、こっちも好き。
耳を澄ませれば、セオルの心臓の音が聞こえてくる。
さっきまで落ち着いた音だったのに、今は早鐘を打つように忙しない。
『え、死ぬの?』
「え、やっぱり俺死ぬ感じ?」
『死なれたら困るけど』
「いや、でも」
『これ人間の心臓の音として大丈夫なやつ?』
「えぇ、でも、こんな……えぇ~~」
さっきから意味をなさないことばかり言うセオルに首を傾げる。
見上げたセオルの顔は暗くてよく見えないけど、どこか困ったような表情に見えた。
『……やだったってこと』
腑に落ちて、私は唇を尖らせる。
涙が溢れそうになって、隠すようにうつむいたら、雫がこぼれた。
腕を突っぱねて離れようとしたら、引き留めるように背中に回された手に力がこもった。
「いやなわけないじゃん」
『うそつき』
「嘘じゃないって。ただちょっと、びっくりしてるっていうか、戸惑ってるっていうか」
『なにそれ』
「だから泣かないで。かわいいお顔見せて」
そのまま頬を両手で挟まれて、優しく上を向かされる。
漆黒の瞳に映る私は、迷子の子どもみたいな情けない顔をしていた。
「一個だけ、聞いてもいい?」
『……なに』
「今のリリーはさ」
『……?』
「生身のリリー?それとも、精神体のリリー?」
は?生身なはずないじゃん。
そう言おうとして、気づいた。
温かい体温。
背中に回された力強い腕の感触。
甘いセオルの匂い。
頬を伝う涙を拭うように、セオルの唇がくっつく。
少しかさついた柔らかなそれ。
そのどれもが、今の私が《《感じることのできないはずのもの》》だと。




