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80.熱

 あぁ、声が聞こえる。

 また誰かが泣いている。


 ゆっくりと浮上する意識にともなって瞼を持ち上げる。

 ふわふわと揺蕩うような気分でいたら、言葉の通り身体が宙に浮かんでいた。


「あれっ、また来たの?」


 驚いたような声がした方へ視線を向けると、あの夢の男の子が目を丸くしていた。

 その傍らでは、少女が泣いていた。

 あのときの女の人と同じ、根本だけが紫の、黒髪の少女。

 10歳くらいだろうか、両手で覆われていて顔は見えない。


 男の子は女の子の頭を抱きかかえるようにして、その丸い頭を優しく撫でている。


「ちゃんと帰れなかった?」

『帰れた、けど』

「戻ってきちゃったの?」

『多分……?』


 眠りにつこうと肉体に戻ったのが、思い出せる最後の記憶だ。

 つまり、ここはやはり夢の中ということなのだろう。


『なんでこんな夢見るんだろ』

「夢?」

『あなたは誰?その子は?私にかけられた呪いに何か関係ある?』

「呪い?」

『……なんて聞いてもむだか』


 軽くため息をついて自嘲する。

 ストレスが溜まっているんだろう、いろいろあったから。

 そう結論付けて、いまだ嗚咽を漏らし続けている女の子の横に腰かける。


『どうして泣いてるの?』


 何の気なしに訊ねてみる。

 女の子はぴくりと肩を揺らし、ゆっくりと顔を上げた。

 涙にぬれた瞳は、今にも溶けだしてしまいそうだ。


 顔立ちも幼くなっているが、泣きはらした顔は以前夢に見たラナによく似ていた。


「かっ、かなし、の」


 しゃくりあげながら、女の子が言う。

 喉の引き攣れるような音が痛々しい。


『何が悲しいの?』

「あ、あのひっ……とが」

『うん』

「わたしっ、わたしが、や、やだって、いった、からっ」


 ズビ、と女の子が鼻をすすった。

 ぼろぼろととめどなく溢れる涙を手の甲で乱暴に拭うのを男の子が止めて、優しく目元を拭ってやる。


「わっ、わた、し、ほんとはっ、ほんとは……っ、せかいなんて、どうなってもよかったのに」

『世界?』


 予想外にスケールの大きな話が出てきたことに驚く。


「ぜんぶ、いらないっ……いらな、のに、まちがったっ、まちがえ」

「違うよ」

「ちがわないっ!まちがえなければっ、ま、ちがっ」

『何を間違えたの?』


 涙にぬれた頬を撫でると、女の子は余計に顔をくしゃりと歪めた。


「いちばん、わた、しの、いちばん」

『一番を間違えたの?』

「……あな、たも……まちがえる」

『え?』

「あなたもきっとまちがえる」


 依然涙を流したまま、でも恐ろしいほど冷たい声で、女の子が言う。

 頬を撫でた手は、いつのまにか小さな指先につかまっていた。


「ラナ、だめだよ」


 男の子が窘めるように言う。


『やっぱり、この子はラナなの?』

「そうだよ」

『小さくなってる』

「そうだね」

『……私は、何を間違えるの?』

「――間違えないよ」


 言葉とは裏腹に悲しそうな瞳で、男の子が私を見据えた。


『……あなたは、誰?』


 問いかけに、返答はなかった。

 代わりに、ラナが私の腰にしがみついてきて、思わずバランスを崩し、その場に倒れこむ。


 ラナにしがみつかれたところが熱い。

 まるで、溶け合っているみたいだ。


「ラナ!だめ!」


 男の子が声を荒げて、ラナを引っ張る。

 それでも、私にしがみついたまま、ラナはくぐもった声を漏らすだけだった。


『う゛ぅっ』


 熱い、熱くてたまらない。

 ラナを引きはがそうとその肩に手をかけたが、ぬかるみにはまるように、その肩に指先が沈みこむ。


 ひっ、と短い悲鳴がこぼれた。

 ラナは大きな瞳を潤ませたまま、私を見上げている。


「だめ!《《まざっちゃう》》!!」


 男の子が叫ぶ。

 それでもラナは私に絡みついたまま、熱く、ただ熱く溶けていく。

 ラナに触れているところからじわじわと広がった熱は全身を蝕んでいった。


 熱い、苦しい、熱い。

 ぐわんぐわんと視界が揺れる。

 もはや、意識を保っていることすら難しい。


 ラナが何かを言った気がしたけれど、消えゆく意識の中、それを聞き取ることはできなかった。

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