76.聖女の心
クレイオスの手記には、ただひたすらにラナへの愛情と神への恨み言が綴られていた。
叶わない恋に生涯を捧げ、結ばれずとも愛する人の傍にいることを選んだ人。
とんだ悲劇だ。
そう思いつつも、そのひたむきな愛情がどうしたって胸を打つ。
「その人、護衛騎士の任を終えてすぐに、自死したんだよ」
『えっ』
「外聞が悪いから、対外的には病死と公表されたようだけど」
それほどまでに、クレイオスはラナを愛していたのだ。
彼女の傍にいられない人生を生きていけないほど、狂おしく。
でも、それならば残された彼女はどうだったのだろう。
「ばかだよね」
吐き捨てるようにセオルが言う。
「好きなら、無理やり連れて行っちゃえばよかったのに」
『でも、そしたら』
「既成事実を作って、逃げられないようにすればよかったんだ。どうせあのまま結婚したところで、聖女の心なんて手に入らなかったんだから」
『どういう意味?だって聖女様は婚約を了承されたんでしょ?』
「貴族からの求婚を無下にできる平民がいると思う?彼女にとっては、クレイオスとの結婚も聖女の務めも、自分の意思とは無関係の決定事項。それでも聖女を選んだということは、そっちの方が幾分かましだったってことじゃない?それをしつこく神殿までついてきて粘着して……聖女からするといい迷惑だったはずだよ」
『……そうとは、限らないと思うけど』
セオルの話も、ありえないとは言い切れない。
それでも私には、ラナがクレイオスに親愛の情を抱いていたように思えてならない。
それが友愛なのか、恋情なのかはわからないけれど。
『だって、すごく優しい魔力が込められてた』
「優しい?」
『なんとなくだけど……あの指輪をつけて、そう思ったの』
「……リリーが言うなら、そうなのかもしれないね」
クレイオスの死は、ラナにどう伝えられたのだろう?
病死として?それとも、正確に自死として?
愛する人が、別の道を選んだことで死を選んでしまったと知ったら――
「リリー?どうしたの、大丈夫?」
慌てた顔で、セオルが私の頬に手を伸ばす。
そこで初めて、視界が涙で滲んでいることに気付いた。
頬を伝ってこぼれた涙は、床にたどり着く前に淡く消えてしまう。
怖い。
ふと湧き上がってきた感情の正体が恐怖だと気づいて、私はうろたえた。
本能的な焦燥感に、涙がとまらない。
私の名前を何度も繰り返し呼ぶセオルに縋りつきたいのに、腕がすり抜けて叶わない。
苦しい、切ない、悲しい。
どこにもいかないでほしいのに、喉が引きつって声が出ない。
白んでいく意識の中、私は喘ぐように呼吸を繰り返す。
精神体で意識を手放したら、私はどうなるのだろう。
このまま霧散して、消えてなくなるのかもしれない。
こんなに苦しいのならば、いっそそれでもかまわない――そう思ったのは、本当に私の心だったのか。
消えゆく意識のはざまで、誰かの泣き声が聞こえた気がした。




