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1-1

 ラクトの覚醒はゆっくりであった。次第に浮き上がってくる意識に、もぞもぞとベッドの中で腕を動かしていたラクトは、再度テーブルに手を伸ばして、おいてあった時計の角度をかえて時間を確認すると、一呼吸置いた後に欠伸をしながら体を起こした。

 時刻は既に昼になろうというところだった。一緒に住んでいる妹のララは、家族なのだから食事は一緒に摂ろうといつもは言ってくるのだが、ラクトがギルドの仕事を終えた次の日だけは、疲れているだろうからと寝坊を許してくれていた。


 ノソノソとベッドから這い出て、そのまま洗面所へと向かう。蛇口を捻り出てきた冷たい水を使って洗顔などの身支度を整えると、ラクトはキッチンへ向かう。もうすでにララは出かけていて、家にはラクト一人のようだった。

 パンを取り出してトースターに仕掛けた後、冷蔵庫からミルクを取り出してグラスに注いでおく。ラクトはララとは違いお茶やコーヒーも嫌いではないのだが、空きっ腹に流し込むとどうも腹が痛くなる体質らしいので、朝はもっぱら白湯かミルクにしている。

 ミルクをチビチビやっている間に出来上がったトーストを手に取ると、ラクトはそれを齧りながらリビングへ向かう。ラクトが食べている緑がかったパンは、ノーゼシアで最も流通しているといってよいルジーブレッドと呼ばれるものだった。


 氷雪大陸ノーゼシアという環境で洞窟に住む事を強制された人類だったが、その洞窟の中で取れる食材としてルジーと呼ばれる藻を見出していた。洞窟内でも湿度が高く、かつ、わずかに光が差し込むところの岩にビッシリと生えている緑色の苔をナイフで削り取り、乾燥させて粉にするのだ。ルジー粉を使って作ったパンは独特の香りがあり、他大陸の人間に言わせると

「クセのある香りは好みが分かれる」のだそうだ。しかしノーゼシアで生まれ育ち幼いころから食べてきたラクトにとっては、むしろこの香りが無いと物足りないとすら思うようになっていた。


 テーブルに自分あての届け物がない事を確認したラクトは、パンの最後のひとかけらを口に押し込んでミルクで流し込むと、キッチンに取って返してグラスを流しに置いた。そこで取って返そうとして、ララの「それくらい自分で洗って」という小言を思い出し、再度振り返るとグラスを洗い出す。

 この家にはラクトとララの二人暮らしだった。もともとは家族三人で暮らしていたところラクトが飛び出してきたのだが、ララが本人曰く「お目付け役」としてついてきていた。本当は母もラクトを止めるか自分も一緒に来ようとしていたらしいのだが、ラクトは止まるつもりが無く、そして母は仕事の関係で引っ越しする事ができず、結果として母は一人暮らしをさせてしまうことになってしまった。それについては悪い事をしているという自覚がないのでもないラクトだった。


 いつもの防寒着を身に着けて出かける準備を終えると、階段を上り玄関に向かう。防寒の為に半地下となっているのだ。

 扉を開けると、そこには珍しく雲一つない快晴と、日の光で眩しいまでに輝く雪と氷の世界があった。

 そう、ここは新界連合による復興によって地表に作られた町の一つ。ガス、電気、上下水道といったインフラを完備された他大陸と遜色ない生活をおくれる、四番目に作られた地表都市。

 ヴァルガド。それがラクトが今本拠地を置いている町の名前だった。

 

***


 リンダはユージュリーの町の冒険者ギルドで働く職員である。

 ギルドとはかつて大魔王を倒す際に結成された組織で、現代であっても世界的に信用ある民間組織として戦闘力をもつ個人を多数かかえていた。リンダは大学卒業後にギルドに就職して3年目となる。最初は実力を誇る冒険者達を相手にする業務に内心おびえてはいたが、それでもさすがに最近は仕事にも慣れてきていた。

 そんな彼女だが、現在担当している冒険者の中にたった一人だけ飛びぬけて苦手としている人がいる。それが今目の前に座っている青年――いや、少年であるラクトだ。


 リンダは受付業務についたほぼ最初期からラクトの担当を任されている。が、これは信用あるからとかでもない。実のところギルドのユージュリー支部からしてもラクトは腫れもの扱いされているのだ。それを押し付けられている、というがリンダの現状に近い。

 リンダから見るとラクトは十は年下の男の子だ。もしこれで単純に不良だヤンキーだといった存在であれば、それになれている職員に頼ればいいとリンダは思っている。しかしラクトの厄介なところは、普段は特に問題がないのに、突然に爆発しだす所だった。


「――何か、不備でもありましたか?」

「い、いえ。すいません、もう少々お待ちください」


 ついつい視線を送ってしまったのか、訝し気な声を出してきたラクトにリンダは慌てて手元の書類に視線を戻す。ラクトは優秀で将来有望な冒険者であった。それに間違いはない。今回も昨日こなされた盗賊討伐の任務を危なげなくこなしており、その報告に来ているのである。

 ラクトは機装士である。それ自体は珍しくないが、ギルドに所属している機装士となると一気に珍しくなってくる。というのも、機装士をやるには当然魔導機装が必要になるのだが、それの入手にも、技術熟達にも、そして日々のメンテナンスにも大きなハードルがあるからだ。

 他大陸と比べたら発祥の地であるためノーゼシアでは機装士の数も多い方だが、基本的には戦闘可能な魔導機装は軍が抱えている場合がほとんどであり、個人で所有できているのは珍しい事であるには間違いなかった。更に言えばラクトはまだハイスクールに通っている筈の年齢である。それでいて機装士としての実績を積み上げてきているなど、常人ではない。

 そこ自体に問題はない。問題は、彼の仕事選びがひどく”偏っている”事である。


「あの、こちらは問題ないです。ありがとうございました」

「そうですか。では……」

「いえ、あの、ちょっと待ってください。実はですね、こちらの依頼を受けていただきたく――」

「興味ないです」


 けんもほろろである。ラクトはギルドに入ってからずっと鬼に関係がある可能性がある依頼しか受けて来なかった。それ故にDランク止まりになっているのだ。

 ギルドでは所属するメンバーを、その実力によりAからFまでのランク付けを行っている。初心者のFランク。一通り学び初心者から脱却したEランク。ギルドとしての一人前であり実質的なボリュームゾーンであるDランク。その中でもベテランレベルの域になっているCランク。そしてその人特有の力により一流と呼ばれるようにまで上り詰めたBランク。その上澄みをAランクとしている。

 非公式には更にそのAランクの上澄みをSランクとしているという噂もある。実力者として名高く、更にその他の事でも話題に事欠かない”聖剣の使い手”フェイ・マカトーニなどはSランカーなのではないかと言われている一人だ。しかしギルドは公式には認めておらず、たかが受付に過ぎないリンダにもその真偽のほどは分からない。

 リンダはラクトの事を、そこまで行くかはともかくとして少なくともBランクにまでは簡単に行ける人材なのではないかと思っていた。だからこそギルドも「惜しい」と思っているのだ。

 ランクの昇格条件は色々あるものの、Dランク以上に上がる際に必要なものの中に、実力以外にも”色々な種類の依頼を受けている事”というものがある。これは例えば、自分の専門分野ではないにしろ、他人の応援に呼ばれた際に「全く知らないし経験もありません」では困るからだ。ギルドの方針としてはスペシャリストでありさえすればよい、というのはそうである。が、最低限他人が何をしているのかギルドではどのような仕事をしているのかを、簡単にでも知っておいてほしいという思惑があった。研修に近い。なんならその経験が本人の本業に活かされる場合も、むしろ自分の適性をそこで見つけるケースだってあるのだ。

 ラクトに関して言えば、実力については全く問題ないとリンダは思っている。が、ネックはラクトが鬼が絡む以外の依頼を受けようとしない事だった。例えばラクトが歩けないなどの特別な事情を持っているならば話は変わってくる。が、そういったケースでない以上、ラクトを特別扱いして昇格させることができないのだ。

 ランクの高さは本人の実力の証明であると同時に、ギルドが依頼を回せる難易度の高さでもある。実力者には色々な仕事をこなしてほしいギルドにとっては、実力があるのにランクを上げようとしないラクトは頭痛の種ではあった。どうしても「もったいない」と思ってしまうのだ。

 ラクトの昇格については、ギルドの上司からも言われている。リンダはその上司からの視線の圧力を後頭部に受けながらも、なんとかラクトを説得してみるしかなかったのだ。


「でもですね。ランクを上げる為に、是非こちらを受けていただきたくて」

「興味ないです」

「あの、ですから、ランクが上がるともっと良い依頼を回せるようになりまして、そうなったら鬼に関する依頼だって――」

「上位ランカーは鬼よりももっと巨大な魔獣とかの退治依頼ばかりなのは知ってます。だから、上げても意味ないと知ってます」


 ――それがまたラクトの言う通りなのである。鬼自体は確かに脅威である。が、やっていることは所詮”盗賊団”の域を出ないのだ。それと比較した時に、例えばもっと悪辣な事をやってのける人間の犯罪者や、ケイブを丸ごと破壊しつくしてしまうような魔獣対峙などの依頼の方が、上位ランク向けの依頼に多いのは確かだった。

 当初はランクを上げようかと考えていたラクトであったが、その実情を知って以降は全くランクを上げようとしなくなってしまった。元々鬼が暴れるような案件は、軍の方に多く流れるケースが多い。なのでラクトはそこから、鬼が絡んでいるかもしれないという可能性が高い依頼ばかりを選り好みして受けるようになってしまったのだ。

 そんな実態を知られてしまったのはリンダの最大のミスだと思っているし、その事情を知っているからこそ上司もリンダに圧力をかけてきているのである。

 結果としてラクトと上司の間に挟まれているリンダは胃がキリキリする思いをする羽目となってしまっていた。


「いや、これから先もそうだと決まった訳では……」

「話はそれだけですか?」

「ですからラクトさんの目的の為にだって役に立つ可能性があるのですから」

「終わりという事でいいですね? それでは」

「待ってくださいよ! 復讐なんてものよりもっと人の役に立てることが――」

「――あ?」


(しまった!)


 あまりに人の話を聞いてくれないラクトの反応についついヒートアップしてしまい、余計な事を言ってしまったとリンダは内心で真っ青になった。

 そう、ラクトの厄介な点は依頼のえり好みだけではない。その行動指針――すなわち鬼に対する復讐について否定的な事を聞かされるだけで”キレて”しまうことだった。

 他の事であればここまでの事にはならない。しかし彼はその復讐のためだけに親の元から出て、一人この町へやってきていた。全ては親の仇の鬼を殺すため。その行動の全ての中心にはその復讐心が燃え盛っているのだ。

 ここまでは面倒そうにしながらも一応は礼儀をもった上で話してくれていた筈のラクトの目。その奥に一気に暗い炎が宿ったのがリンダにも分かった。ただの一般人であるが故に敏感にそのあまりに圧倒的な狂気に気づけたのかもしれない。

 目の前の自分ではない。失言をしたのは確かにリンダではあったが、それは呼び水に過ぎなかった。ラクトの心の中にある暗くも激しく、燃え盛るような激情を呼び覚ますことに繋がったのだ。

 もし一度爆発すればもう手が付けられない事はリンダが一番よく知っていた。なにしろリンダの前の担当がその地雷を踏んでしまったのだ。激怒したラクトがギルド内でその担当と諍いを起こし、大変になったことになったのの後始末をさせられたのがリンダである。それだけでなく、担当の後釜まで押し付けられたのがリンダだったのだ。その際に、ラクトの怒気に触れないように散々言い含められてきたのだ。そしてその言いようが事実なのだと、日々ラクトと接する間にリンダも分かっていたはずなのに。

 このままでは大変なことになる。そう理解したリンダは――。


「申し訳ありません! すいません、ごめんなさい! 悪かったです。私が、悪かったですすいません!」


 ラクトが激昂する前に大声で謝罪をしてテーブルに頭を何度も打ち付けた。もうリンダには謝り倒すしか手札が残っていなかったのだ。十も年下の少年にするにはみっともない態度であるとは言えるのだろうが、そんなことを気にする余裕などリンダには残っていなかった。

 ただひたすらに謝罪の言葉を口にしながら頭を下げる。それを繰り返す事しか、リンダにはできなかったのだ。


「……もう、いいですよ」


 どれくらいの時間がたっただろう。頭を下げたままのリンダに、ラクトの比較的落ち着いた声がかけられた。ゆっくりと顔を上げてラクトの顔を見ると、まだ少し怒気は残っていたようだが、それでも抑えてくれる程度にはなったのだろう。リンダは内心で盛大に安堵のため息をついた。


「はい、ありがとうございます。すいませんでしたっ!」


 最後にもう一度大きな声で謝罪して頭を下げる。それに毒気を抜かれたのか――。


「もういいですよね? それでは失礼します」


 静かにそういうとラクトは席を立った。

 もう追いかける事も、背中に声をかける気にもなれなかった。リンダは大事に成らなかった事に最大限の感謝を感じていた。


「…………」


 自分が晒した醜態に、周囲の視線が集まっている事。そして「また失敗したのか」と言わんばかりに上司の怒りの視線が自分の背中に突き刺さっている事。

 そのどちらをも感じながら、リンダは今日はストレスで痛めた胃を労わってやろうと、薬を買って帰る事を決めていた。


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