2-1
学校からの帰り。ララはゴードンの倉庫に向かい、そこでAX1のチェックをしていたラクトを見つけて声を掛け――一「ああっ!?」といら立ちの声をぶつけられた。
「へっ……」
「あ、いや、すまん」
ラクトが怒りやすい事も苛立ちが多い事も知っていた。しかしそれでもララは自分にそれがぶつけられた事は無かった。今回も正確にはララに対しての怒りではない。たまたま声を掛けたのが自分だったからララに矛先が向いたに過ぎない。事実、ラクトとしても想定外だったようで半ば本気でオロオロとしつつララに謝ってきた。が、それでも少しララから離れるとまた顔が怒りに歪み始めていく。
ラクトの怒りを偶然とはいえ初めて真向から受け止める事になったララは――怖くなった。
ララにとってラクトは「優しいお兄ちゃん」である。父親の仇を取ろうとしているのは分かるし、そのために暴走しているというのも理解はできる。だからこそ、居なくなってほしいからこそ押しかけてまでラクトのサポートをしているのだ。
できうる限り早く復讐など忘れられるように。もっと違う生き方を見つけられるように。
実際、ここの所は鬼以外の依頼を受けさせる事も少しは成功し、そこではやや大人しいラクトを見ていたからこそ――油断した。ラクトの鬼に対する思いを少し甘く見てしまうという油断をしてしまった。それがラクトからの怒声を浴びせられて、ララが必要以上に怯えてしまう事に繋がった。
「その、どうしたの? 何かあった?」
「あ? いや、ロイドの所に行ったんだけど――」
ラクトがロイドの所に押しかけて、仇の鬼を倒すのに協力を要請したところ、いつもロイドの隣にいる副隊長オランドにより却下されたのだ、とラクトは苛立たし気に語った。ララは「まぁそうだよね」という納得をしながら聞くことになった。
その副隊長が説明してくれたことはララにも良く理解できた。つまり、今回の事件にその仇の黒鬼が関わってくることは分かったし、確かに次に事件を起こしそうだという懸念があるという事も理解はしてくれたのだという。が、それでも「次に襲うのはここだ」という情報を、ラクトが盗賊達から聞き出しただけのものを確定的なものとし、軍を動かすのは厳しいという話だったのだ。
そもそも前提として、ロイド達ヴァルガドに駐留する軍が守るべきはヴァルガドである。それぞれのケイブにはそれぞれのケイブの守備部隊がいるのだし、そこにいきなり増援部隊を送るというのは理屈が通らなかった。
更に言えばその黒鬼がどれほどの規模の仲間を持ち、それがいつ、どこを襲うのかという情報すら薄弱だったのだ。ラクトが倒した鬼も逃げ出してきただけであり、更に盗賊達はそれを聞いただけである。ラクトは更にそのまた聞きだ。であれば、ヴァルガド軍を動かす程の情報とは言えないという判断を下されたのだという。
ララにはその理屈は理解できた。大体、仇の黒鬼がどこにいるのかという情報がこれまで入ってこなかったのである。という事はこれまでは違う地方にいたという事であり、入り込んできた黒鬼の仲間の規模感や危険度も不明なのである。軍同士の連携で情報が入ってくるかはラクトにもララにも分からないが、少なくともギルド経由では入ってきてないし、ロイドが言わなかったという事は軍にも大した情報が無かったのだろう。
そんな状況下でラクトという鬼に異常な執着を見せる男の言葉に従って軍を動かすというのは、軽挙妄動にすら見えてしまうというのは分かる話だったのだ。
ロイド自身は軍を出してもよさそうだったが、彼がチラチラと横目で伺う副隊長はガンとしてそれを許さなかったのだという。これでラクトのヘイトが副隊長に向いたらかわいそうだな、とララは密かに思った。
更にラクトは次にギルドに向かい同じような論調で語ったらしいが、リンダに突っぱねられたらしい。ギルドには危機に際しては所属メンバーに作戦に参加を呼び掛けることを可能にする権利はあったのだが、それをするに値する状況には無いと判断された、というのである。理由は軍と同じである。
それを聞かされたラクトはまたリンダにブチギレ、そしてそれはさすがに理不尽だと思って、涙を浮かべるリンダに謝罪の言葉もそこそこにここに戻ってきたのだと言った。
(リンダさんもかわいそうだ……)
ララはギルドでラクト担当になってしまったが故に貧乏くじを引いたかのように酷い目にあっている受付嬢に少々同情してしまった。後で埋め合わせに美味しいものでも行こうって誘おうかな、と思うくらいにはララはリンダとの仲を深めてはいた。主にラクトの尻ぬぐいで会話をしている内に。
そんな状況であるから憤懣やるかたなしといったラクトの所にララが声をかけたものだから、怒りが一瞬噴き出てしまったというのが真相らしい。
自分に向けられたものなど本当に一端であり、それを直接ぶつけられたのがロイドの副隊長であり、ギルドのリンダなのだという理解をして――ララは震えた。
(このままじゃ――ダメじゃない?)
ララはもうラクトがギルドの一員として危険な仕事をする事は仕方がないと諦めていた。
本当はもっと穏当な仕事をしてほしかったし、それ以前にまだハイスクールに行っているような年齢なのだから、あと数年はずっと学生で居てほしかった。
しかしギルドメンバとして実績を出してしまった以上、そこはもう納得するしかない。しかしそれでも、復讐の念に駆られて動く事は危険すぎないか、というのをララは自分に怒りの欠片をぶつけられたことで初めて痛感した。
(あんなお兄ちゃんは――普通じゃない)
普通に仕事でするだけであれば安全マージンだって取るだろう。お金の為であれば、自分の命と引き換えにするほどでもないと分かる筈だ。が、復讐の念がそれを上回ってしまったら――?
理屈では理解したつもりではいた。しかしそれでは全然足りなかったのだ、という事をララは改めて痛感してしまったのだ。
――であれば。
(あたしが言うしかない――)
他の誰にも言えない。言葉は届かない。が、肉親である自分の言葉なら届くのではないだろうか? ララは一つ息をつくと、決心したように前に出た。
「あの――お兄ちゃん。復讐って、しなくちゃダメ?」
「あ?」
「だってこのままじゃ、お兄ちゃんはいつか絶対怪我をする。命だって……危ないかもしれない。そ、そこまでして仇を取る事をお父さんが望むことなんて――」
「――復讐はな、するんだよ」
その応えは。これまでララが聞いてきたラクトのどの言葉よりも冷たく、重く、身体に響いてきた。兄妹の情ゆえかこれまではどんな言葉であろうともラクトの声に載せられていた温度が、無くなっていた。
「あいつらはな、父さんの命を奪ったんだ。ただケイブを守ろうとして、精一杯頑張って努力してた父さんを、背中から狙い打った挙句に叩き殺したんだ。そんな事――そんな事、許せるものか、許していい筈が無い!」
その言葉を口にしているのは確かにラクトである。が、ララにはラクトの中にいる何かが身体を乗っ取って喋っているようにすら思えた。それ程に言葉は、怒りと呪いに満ちていた。
話している内に”それ”に成り代わられたのか、すでに言葉はララに向いてはいなかった。ただの怒りだけが迸るようだった。
「平穏な日常を、ただの暴力で乱す。快楽の為に踏みにじる。そんな奴らを許せと? 見逃せと? 俺達の父さんと同じような目にあう人を増やし、俺達のように悲しみにくれる人達を増やせと? ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな! そんな事、あってはいけないはずだろうが!」
「――っ」
ララは恐怖のあまり何も喋れなくなってしまった。目に怒りを宿し、叫ぶラクトの姿に恐怖を感じ、身をすくませることしかできない。
「父さんを殺したあいつを、殺してやるんだ。そうだよ、そうすれば皆の為になるじゃないか。なんでそれが分からない。なんでそれを邪魔する? それは平和に対する裏切りだ。邪魔するならお前も――」
「――そこまでだ」
何か決定的な言葉がラクトの口から出そうになった時。二人の間に割って入る者がいた。
ゴードンだった。自身の趣味倉庫の方から出て来たゴードンが、二人の会話に危うさを感じて割って入ったのだった。
恐怖で身をすくませるララを庇うかのように背に隠し、ゴードンは自分よりも背の高いラクトの顔をジロリと見上げた。
「お前は何をやってるんだ。大事な妹だろうに」
その言葉にラクトは我に返った様だった。そして自分がララに何を言おうとしていたかを思い出し、気まずげに視線を逸らした。
「復讐するなとは言わん。俺に言える義理じゃない。が、周りに当たり散らすのは辞めろ。復讐が終わった後のお前に響くだけだ」
「――――っ」
何か反論しようとして。声を荒げそうになったラクトは自制し、数歩距離を取った。そして背中を向け、その場を離れていく。少し歩いて、背中を向けたままぽつりとつぶやく。
「復讐以外の事なんて知るかよ。終わった後の事なんて考える余裕なんかない。俺は、復讐をするんだよ」
言い捨てて去ろうとするラクトの背中に、今度はゴードンが声を掛けた。
「ギルドの所に寄ったんだろ? じゃあもらってる筈だな。金を寄越せ」
そのゴードンの言いように反射的に顔を向け何かを怒鳴ろうとし――唇を噛んで我慢をしたラクトは懐からお金が入った封筒を取り出すと、それをゴードンに投げつけた。
そしてその場から何も言わずに背を向け、立ち去っていった。
***
倉庫から出たラクトは無性に苛立っていた。それはララという肉親にさえ復讐について理解してもらえていなかったという虚しさからくるものであった。
(復讐は、果たさなくちゃ駄目なんだよ。なんでそれが分からない!)
色々考えても結局はそこに帰結する。ラクトの胸の内の激情は、それ以外の結論を許さない。
折角、これまで見つけられなかった仇の姿が見えたのだ。それを追う以外の選択肢があるはずも無いのに。何故それが理解できないのか。
ララは同じ父親を亡くすという同じ傷を持っているもの同士だった筈だ。にも拘わらず復讐を否定された、ということはラクトにとっては少なからずショックだった。
勿論、自分の怪我を厭うから安全に過ごしてほしいという意味から窘めてくるという事は理解していた。しかしそれでも、復讐するという大目標だけは共有できると信じていたのだ。それよりもラクトの安全を気にして、”怖気づく”という結論が出るのがラクトには理解できない。
結局のところ、誰にも理解されないという状況そのものが更にラクトの心の内の炎に燃料を投げ込む事にもつながっていた。
しかし、それでも。
「――ララにはひどい事を言ったかな……」
ララに対する発言を思い返し、少し我に返る事が出来る程度にはラクトにも肉親の情が残っていた。もしこれが赤の他人に言われた事であれば、ラクトは相手に暴力を振るってでも我を通しただろう。
だがララだけは別である。故に心のどこかにあった引っかかりが自責となって口に出る。
「なんであんな事、言っちまったかな……」
「復讐の炎が消されてまう、と思ったからと違う?」
ラクトの口からこぼれ出たそれは、決して応えを期待したものではない。しかし言葉が返ってきた事に驚き、ラクトは言葉を返してきた相手――イーシャの方を勢いよく振り向いた。
「消されてしまうって、なんで」
「ララちゃんの言いたい事も分かるわ。これまでやって、結構安全マージン無視した戦い方をしてきたやろ? そんなギリギリな戦い方をして来たんに、仇を見つけて更に捨て身の戦い方をしてしまうんやないか、って心配してるんやろ? 妹としては、それは心配ちゃうんかな」
「それは……」
「でも、そうやないと生きて来れなかったんが、ラクトはんやろ?」
イーシャの言葉に、ラクトはその場に固まった。意識はしてこなかったが、ではもし復讐を志していなかったら自分はどうなっていたのだろうか? 果たして今と同じような環境にいつつ、平和にギルドで働く人間でいれただろうか?
いや、それ以前にまだまだハイスクールに通っていたかもしれない。年齢的にはそうやって勉強しつつ、将来の夢を青臭く語っていたかもしれない。
(――いや、それは無いな)
自分で考えてみて、ラクトはそれを否定した。もし父ラーグが死ななかったら、ただ純粋に憧れて続けていて、普通に学生をしていた世界線はあったのかもしれない。
が、違う。父ラーグは殺されたのだ。であれば、それが前提となる世界において、自分が能天気に生きていられる訳がない。
ラクトの沈黙をどう思ったのかは分からない。だがイーシャはいつもの変わらない笑顔のまま、優しく言葉を掛けてくる。
「復讐の為に、心の中に炎が宿った。その強い思いがあったからこそ、生きて来れて機装士にも成れたんやろ? もしその炎が無かったら……自分は復讐すらできない役立たずだ、みたいに思い込んで動けなくなってしまったんちゃう?」
「……」
「今もそうや。下手に復讐を諦めてその炎を消したとして。そしたらむしろ生きる目標や意味すら見失って、ダメになってしまうんとちゃう? ララちゃんには、それが見えてへんのよ」
悲しみこそすれ、自分で復讐するという選択肢を持たなかったが故に、ララは折り合いをつける事に成功していた。その時分にはまだ幼かった、というのもあるかもしれない。
だがラクトはラーグに憧れすぎていた。そして、復讐をすることができてしまうという選択肢を持ってしまっていた。持ててしまえていた。それは復讐をするという自分に燃料を注ぎ込み、炎として燃やすには十分すぎた。
「せやから、復讐の思いは今は消すべきやない、とウチも思う。あんさんはやりたいようにやればええ。ウチやゴードンがサポートするさかい」
どこまでも今のラクトを肯定してくれる言葉に、心が落ち着いて来る。そう、自分は間違ってはいないのだと。この復讐は正しいのだと。何をおいても成し遂げなければならない事なのだと!
さしあたってはララちゃんのフォローかな、と倉庫の方に歩みを進めるイーシャに、ラクトは心のどこかで少し安堵する。
そんなラクトを振り返って、イーシャは笑顔のまま、言った。
「せやから――ラクトはんはただ、復讐する事だけを考えればええ」
***
雪が降り積もる。そんな氷雪大陸の名前を体現したかような天候の元で、ある集団が焚火を囲んでいた。
確かに雪を押し返す程に強力な炎を中心においてはいたが、それでも彼らは軽装でありとても耐寒装備をしているとは言えない。更にはその炎の側に置かれて焙られて表面に火がついているようにすら見える肉を、伸ばされた手が素手でそのままつかみ取っていった。通常の人間であれば火傷必至である。
まだ表面に火が燻るも、それを気にせずに牙を突き立て、引き裂き、咀嚼して飲み込んでいく男の頭部には角が生えていた。
そう、鬼である。
彼らはジンガ率いる一行であり、次に獲物と見定めた人間の巣、ケイブへと歩を進めている所だった。
その中にあって一人の黄色い肌をした鬼、ガラは手にした肉を骨ごと噛み砕いて飲み込み、手についた油を膝にこすり付けながら立ち上がった。
周囲を見渡せば、同じように肉をむさぼり、歌い、騒いでいる鬼達がいた。彼らは棟梁たるジンガに惹かれて集まってきた鬼達である。ガラも同じ立場だ。少し違うのはガラも体格に恵まれ、才覚を発揮して幹部にまで上り詰めて来れたくらいだ。
それ以外の点は周りにいる鬼達と何一つ差が無い。
彼らは文化を積み上げるという事を知らない。料理文化すら原始的なものに留まっている。肉は火で焙った方が美味しい、という理由だけで焼いているに過ぎない。故に人間の料理人が目指すような”程よい焼き加減”を極めようという発想を持つ鬼もほぼいない。
ほとんどの鬼は見た目が焼けたようになれば手を伸ばしてかぶりつき、もし生焼けにあたっても”運が悪かったのだ”くらいの考えしか浮かばない。いや、考えが及ばないというのは語弊がある。正確にはそれくらいの意味でしかないが故なのだ。
生肉を食べた所で腹を壊すでもない。純粋な好みでしかないし、”もう一度焼くのが手間”という発想すら優先される事が往々にしてあるのが鬼だ。そしてその代わり、怒り、歌い、踊る。そうして己の心のままに騒ぐ。
そう、その時その瞬間に感じた感情――衝動が何よりも優先される行動原理になるのが鬼という生物なのであった。
そんなその場にいる鬼達の中にあっても明確に別格な存在が三人だけいた。この集団を作ったジンガを長兄とする三兄弟である。
末弟たるボロはやや自分達普通の鬼に近しい。しかし知恵は回るし、身軽な動きについていける鬼も少なく、やや恐怖を感じる対象からは外れるものの、やはりジンガの影響もあって侮れる存在ではないと考えられている。ただガラからすると、同じ黄鬼という事もあり勝手な親近感を感じてはいた。彼にはそういう、好かれる部分があった。
そしてジンガの妹にしてボロの姉、ロダは三兄弟の中での紅一点である。胸と腰を覆うだけといった簡素な服装しかしていないが、鮮やかな朱色の肌の下には他の鬼に引けをとらない筋肉が盛り上がっていた。事実として鬼という種族にとっては、傾向としては男女差は多少はあるものの、それでもロダの腕力はその団ではトップを張れるレベルのものであった。豪快な性格だが面倒見がいいところもあり、ジンガが寡黙なためか窓口となり接する事も多い。鬼達の中ではいずれは彼女を自分の番としたいと考えるものも多いというが、最低限彼女を超える強さを持つことが条件ではあるものの、それがかなり高い条件であることは確かだった。
そして最後の一人。ガラが探していた、三兄弟の最後の一人にして長兄、この集団の棟梁たるジンガは、騒ぐ鬼達とは少し離れた場所に座っていた。
黒鬼ジンガ。この鬼の集団の中でも別格の体躯を持つトップである。
鬼、というだけで普通の人間よりも大きい身体をしている。更にノーゼシア大陸の鬼は角が短く、身体が大きい傾向にある。そうした世界的に見ても大きな体を持つ鬼達の集団の中にあっても、別格の巨躯を誇るのだ。それだけでも彼が特別な鬼であることは察せられる。
ザンバラな黒髪に漆黒の肌。しかし開かれた右眼だけは爛々と赤く輝かせており、そのこめかみに二本生えた角はノーゼシアの鬼とは思えない程に大きく太い。
左目は何かの傷でつぶれていた。その理由についてはガラは聞いたことが無い。それに聞いたところで”覚えていない”という答えが返ってくるのが関の山だろうとはガラも理解していた。そんな事など些事とするのだろうと思う程に超然としたものをガラはジンガに感じていた。
ジンガが他の鬼達と少し離れた場所にいるのは、騒ぐことがそれほど好きでは無いという事も去ることながら、火を全く必要としていなかったからだ。
人間に比べたらこの地の鬼は遥かに耐寒性能をその身体に持っている。だがそれでも休息時には火を焚いて暖を取った方が楽に休めるのだ。が、ジンガの巨躯にはそれすらも不要なようだった。
更に彼は肉を焼くことにも興味を持っていないようだった。近くで狩った獣を、そのまま食しているのだ。糞尿が混じるであろう内臓だけは小器用に捨てていたようだが、それ以外は毛だろうと骨だろうと構わずに、口に運びかみ砕き飲み込んでいた。当然その口からは血が滴り落ちていたが、それすらも気にせずにジンガはただ黙々と獣を喰らっていた。
それを見るガラの心に湧き上がるのは、畏敬の念である。焼く、などといった小手先の技術などはいらないのだ。ただあるがままに命を食す。それこそがジンガという鬼なのだ、と。
そのガラの思いはむしろ信仰の域にあったとすら言えるだろう。
が、これ自体はガラだけのものではない。この集団自体はそんなジンガに惹かれて集まってきた鬼達で形成されたものなのだ。無口たるジンガと集団との間をつなぐ為にロダとボロが立ち回り、そして彼ら自身もジンガ程ではないにしろその実力を示してきたからこそ、彼ら三兄弟を中心とした鬼の盗賊団として彼らは行動してきているのである。
と、ジンガがガラに気づいたのか、隻眼をギョロリと向けて来た。
「――なんだ」
「いえ。次の仕事、任せてくれるんですよね? そうしたら――」
ジンガはガラの言葉を催促するような事はしない。ただ黙り、そして次の肉の塊に手を伸ばしただけだ。が、その赤く輝く目だけはガラから離れない。そしてそんな行動すらガラを魅了する。
なればこそ、ガラは次の言葉を続けることができた。
「うまく言ったら、ロダの姐さんを番にする許可をください」
「――ぬ?」
予想外の事を言われた、とジンガの行動がしばし止まった。ガラはそんな沈黙を耐える勇気を振り絞る。ロダを番にしたいと思う鬼は多数いると上述したが、誰あろうガラもその一員であったのだ。
「――何故、俺に言う? ロダに言えば良い」
「姐さんには仕事がうまく言ったら言いやす。でもその前に――ジンガの兄貴に、認めてもらいたかったんす」
ロダを番にしたいという思いに嘘はない。ガラにとってはロダも当然眩しく思い、憧れる存在だ。それを自分の番にできるとあらば、この上ない幸福であろうとはガラも思う。
だが、それ以上にロダを番にしたらジンガと血の縁ができるのだ、という所に隠し切れない興奮を伴ってしまうのだ。ともすれば、ロダ自身を手に入れるよりも。
この集団におけるジンガとは、鬼達にそんな思いを抱かせてしまう程に、絶対的な存在であったのだ。
「――好きにしたらいい。強さを示して見ろ」
しかして、ジンガが与えてくれたのは許諾。それだけでもガラは瞬時に身体の血が沸き立つような感覚を覚えた。いつもの略奪とは違う。大きな意味が次の襲撃に載せられた瞬間だった。
だが、そうして喜ぶガラの背中に、やや冷たい声が浴びせられる。
「……あたし本人を差し置いて、何兄貴に言ってんだ?」
慌てて振り返るガラの前にいたのは、ロダである。その顔がいつもよりやや赤く見えるのは、少しでも照れてくれたから――とガラが期待したのとは違う方向でロダの眉が怒りに吊り上がる。
「ふざけんな! あたしより弱い癖に!」
「い、いえいえ! これでも強くなったんでさ。それを次の仕事で見せてやるつもりで」
「なんだとっ!?」
慌てて抗弁するガラに更なる怒りの声をぶつけるロダ。そのやりとりが何かの琴線に触れたのだろう。不意にジンガが笑い声をあげた。
普段無口であるジンガが笑い声をあげる事など稀である。そしてそれを聞いた鬼達は、いつの間にか歌い踊っていた騒がしさを消していた。
"呆気にとられた"や"珍しいもの見たさ"などとは違う。純粋に”ジンガが笑っている”という事に対する歓喜が彼らの中には沸き起こっていたのだ。
ジンガのカリスマ故である。
ガラに怒鳴りつけていたロダもいつのまにかそんなジンガを見て、ニヤリと笑っている。
「――良いだろう。全ては次の仕事の結果だ。力を示して見ろ、ガラ」
「へいっ!」
次の仕事ではいつも以上の力を発揮できる――。ガラは頭を下げながら、そう確信していた。




