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2-2

 怒りのあまりラクトが投げつけて来た報酬が入った封筒。そこから衝撃であふれ出て散らばったお金を拾い集めながら、ゴードンは気まずい空気を感じていた。

 ラクトの怒りを買った事に対してではない。そんなことはしょっちゅうあるし、今更ゴードンとて思い悩むほどの事ではない。しかし、腰を屈めてお金を拾い集めるゴードンの背後で、年端もいかない女の子――ララがグズグズと泣いているのが聞こえれば、どう対応すれば良いのか戸惑うしかなかったのだ。


 ゴードンは自分は器用ではないという自認がある。口下手だし、それ故に無口でいる事も多く、女子供にはそれがどうも怖く思われるらしい、というのも気づいてはいる。いくら思い起こしても、死に別れた妻は良くこんな自分に付き合ってくれていたものだとゴードンは心底思う。

 そしてここに来て、泣いているのはララである。自分の知り合いのラーグの娘。そして今自分が専属メカニックをやっているラクトの妹。どうしたって無視もできない間柄だ。

 そんなララが泣いているのに何も声を掛けずに立ち去る程に無情にもなれず、お金拾いで時間を稼いでいたゴードンはそれもできなくなり仕方なく立ち上がった。


 まだグズグズと鼻をならしているララと向かい合い、何かを言おうとしても言葉が出ずにゴードンはその場に佇むしかできなかった。とはいえ、そんな自分を卑下するには、泣いている子供をあやすなどという事が自分にはできないことくらい、十分に理解しすぎていた。

 だから、ララの方が先に声を掛けてきてくれた事については、内容がどうあれ感謝したくすらなったのがゴードンだった。その問いが良く分からないものであったとしても。


「どうして……ゴードンさんは、AX1を整備するんですか」

「ぬ?」

「だって、もしAX1が使えなかったら、兄さんだって戦いには行かないかもしれないし……」


 ああそういう意味かと理解し、ゴードンは否定した。


「言いたい事は分かるがな。あいつはこれが無くても一人で動いて鬼退治行っちまってたさ。というか、あいつが動くのがやっとなジャンク品で動こうとするのを止めたんだよ。ワシが作ったAX1に乗れてる方が安全だからな」

「だからって、子供に戦う道具を与えるなんて」

「それはそうなんだけどな」


 それを言われると弱い。ゴードンはメカニックであるが故にこれしかサポートする方法を知らなかったのだ。が、それが子供にAX1を渡す事になったという事実が許される事なのかというと、ゴードンは自分でもうまい事言い返す事が出来ない。それももっともだ、と思ってしまうからだ。


「それ、に。兄さんはまだ子供なんですよ。ゴードンさんは大人ですよね? だったら説得してくれてもいいのに」


 言っている内にゴードンに対して言いたいことが噴き出たのだろうか。ララの言葉にやや怒りが篭り、ゴードンを責めるような内容に変化した。

 ただ泣いているよりは自分を責めてくれる方がまだやりやすい、とゴードンは変な感謝をしつつ返事をした。


「まぁ、それもそうなんだがな」


 とは言えやはりゴードンにはララを説得できるような言葉は無かった。”大人なんだから、子供である兄ラクトくらい言いくるめてよ”という非難であることは理解したが、それに器用に答えられるくらいならば、ラクトに復讐を辞めさせるような説得だってできただろうに、とは思う。結局ゴードンは苦笑するくらいしかできない。ただの自嘲だ。


 確かに大人であれば、そして知り合いであるラーグの息子であるラクトであれば、彼を危険から遠ざけるように言葉を尽くすことが、本来はゴードンがやるべきだったのかもしれない。ゴードンがいくら自分にはそんなスキルは無いと自覚していたとしてもだ。みっともなく年甲斐もない醜態をさらすかもしれないが、それでもラーグの忘れ形見の安全を確保するためには、例えたどたどしくても言葉を弄するのが責任だったのかもしれない、と思う事はある。

 だがそれが出来なかったのは、ゴードンがラクトに一種の引け目を感じているからでもあった。

 

 ゴードンはラーグのメカニックであった。ラーグの機体のみならず今活躍するロイドの機体も、元はと言えばゴードンがその技術力でカスタムを施したものである。彼らが活躍するのは嬉しかったし、誇りでもあった。思い入れもあった。

 ――だから、ラーグが死んだと聞いた時には、自分を責めた。

 あの日のメンテナンス時に何か不調は無かったのか? それに気づけなかったのではないか? いや、そもそももっともっと強くして安全性を高める事もできたのに、現状に胡坐をかいて満足してしまったが故の結果がこれなのではないか?

 ゴードンを責めたのは、誰よりも自分自身だった。それ程にラーグの死はゴードンにとっても非常に大きな事だった。


 更に悪い事は重なる。同じ時期にゴードンの妻が死んだのだ。元々身体が強く無く、長い闘病生活の果てにであるから、そこにゴードンの責任は無い筈ではある。だが時期が重なったが故だろうか。もっと妻にもできることがあったのではないだろうか、という思いがゴードンを苛んだ。

 その結果として疲弊したゴードンは軍を辞めた。大分引き留められたし、それこそ自分の弟子として教えもしていたロイドは本当に最後まで言葉を掛けてくれた。

 しかしそれでも気力を無くしていたゴードンは、こんな思いでメカニックをやってもミスをして人を殺すかもしれないからと、全てを振り切って辞めたのだ。


 それから自分がどういう生活をしていたかはあまりゴードンは覚えていなかった。死ななかったし、身体を壊してもいないから、それなりの人っぽい生活はできていたらしい。が、それでも何も起きず何も起こさず、ただ時間が通り過ぎるのを待つだけといった日々であったのだろうとゴードンは思う。

 そんな生活が一変したのは、ラクトが目の前に現れたからだった。

 軍を辞めてから初めて会ったラクトを見て、ゴードンは最初それが誰だか分からなかった。ラーグとはそれなりに親しかったゴードンは家族にも紹介されていたし、ラクトにもかつて会った事があった。記憶によれば、コロコロとよく笑う活発な子供らしい子供だったという覚えしかない。父に憧れて機装士になると叫び、だから自分のメカニックもやってもらうんだと彼に言われたのには笑い声をあげてしまったのは覚えている。


 そんなラクトの久しぶりの姿は――復讐の怒りを内に秘めた存在に変貌してしまっていた。彼は言った。自分の復讐に手を貸してほしいと。

 色々な説得を受け、ゴードンは悩んだ。本当にこんな子供に魔導機装を与える事が許されるのか、と。しかし自分がここで彼の手を取らなかったらどうなるかを考えると、震えた。彼は自分が作ったというジャンク品のできそこないの魔導機装を見せ、これで鬼を倒すとのたまったのだ。それはゴードンから見れば死にに行くのとなんら変わらなかった。

 結果、ゴードンはメカニックとして彼を支える事を選んだ。個人として、人間として、彼に正しい道を示すとかは自分が偉そうにやれる事ではないのだ、という諦めと共に。

 勿論、一人の人間として苦言はしよう。思慮が足りない部分は指摘もしよう。が、こと復讐については彼を止めるのは止そう、という結論をゴードンは自分の中で作り上げたのだ。


 そこからは、それなりにうまくやれていると思う。ゴードンが作り上げたAX1のおかげで、ラクトの生存能力は遥かに上がった。その実力もラーグ譲りなのかメキメキと上達し、今ではギルドで二つ名がつけられる程だ。

 が、かつてラーグに感じていた程に、その功績に誇りを感じられるかと言えばゴードンはそこまでは思えなかった。

 どうしても”子供に何をやらせているんだ”という思いは拭い去れない。メカニックに徹しようと思ったとしてもそれだけはどうしてもゴードンの心には付きまとってきてしまう。


 故に、ララの質問はそんなゴードンの、自分でも言語化できていない領域に踏み込むものであったのだ。それこそその場しのぎに適当な事を言えるような器用さもゴードンは持ち合わせてはいなかった。

 かと言って、大人として泣いている子供からの質問に何も答えを返さないというのもどうかとゴードンは自分でも思う。

 なんと言うべきかと答えあぐねている時だった。女性の声が割り込んできた。


「ウチもゴードンも、ラクトはんを守る為にやっているんよ?」


 着物を着たエルフ女、イーシャであった。彼女はいつものように美しい顔に笑顔を浮かべながら、ゆったりと近づいてきた。そして、泣いているララを見ると裾をひるがえしながら、手を広げてみせる。


「――イーシャさんっ」


 途端、涙を溢れさせたララがその胸の中に飛び込んだ。抱き着いてグズグズとぐずるララの事を抱き留め、その頭を軽く撫でながらも、イーシャは視線でゴードンに倉庫の方を示した。

 ここは自分に任せて準備を進めていろ、という意味であるのはゴードンにも察する事ができた。

 ラクトはロイドやギルドに断られたと言っていたが、それで動くのを辞める程度であればゴードン達もこんなに苦労はしていない。どうせ自分達だけで動くことにするに決まっているのだ。であればその為にAX1の整備を終わらせておく必要がある。

 そんなイーシャの思惑を理解したゴードンは、少し考えた後、その場を後にすることに決めた。結局ララに答えを返せていない事に思うところがない訳ではないが、自分が何か言うよりもイーシャに任せた方が良いという判断くらいはできたのだ。


 ゴードンにとってイーシャは、いつの間にかラクトが連れてきていた得体の知れない女、だった。

 ラクトに語ったように、ドワーフとエルフとの仲が悪い、というのは現代ではありえない。しかしそれはそれとして、ゴードンはイーシャに対してはやや不気味なものを感じていた。

 言っている事にそこまでの嘘はない。AX1に乗らない時のラクトを守る為の武力は必要だし、乗った後でさえも一緒に行動できる強さは目を見張るものがあった。

 だがイーシャはどこか――ラクトの復讐を助長している面があるのではないか、とゴードンは感じていた。

 ラクトの動きを許容するかどうかとは別問題として、ベースとしてはゴードンはラクトには復讐は辞めてほしいと思っている。ただそれを口にする権利が自分には無いと思っているから、メカニックに徹しているだけだ。

 だがイーシャについてはゴードンが見る限り、ラクトの復讐を肯定しすぎているような気がしている。それがラクトにとってどのような影響を与えるのかはともかくとしても、ゴードンからすれば思うところが無いではない女なのだ。


(が、それもワシが何か言えた事ではないな……)


 結局ゴードンは何も言わずに、静かにその場を後にした。自分の中に燻るやや苦い何かを飲み下して。


***


 ララはイーシャに抱き着いている自分に少しの気恥ずかしさを感じつつも、しかし兄ラクトの事を思い出す度に溢れてくる涙をどうしようもできず、甘えさせてもらっていた。

 ララにとってイーシャは、とても綺麗なお姉さんであり、母親以外に初めて会った親密になってくれる大人の女性である。

 初めて会ったのは、家出をしたラクトの居場所をなんとか突き止めた時だっただろうか。感情が爆発してしまった自分と母親の対応をしてくれたのがイーシャだった。後から考えるにかなり自分達は面倒くさい相手だったのではないかと思うと、ララは今でも赤面してしまう。

 だがそんなララでも会いに行けば、イーシャはいつだって綺麗な着物を着て笑顔で受け入れてくれるのだ。更に戦えば強いという。ララが憧れるには十分すぎた。


 だからこそ、ララはイーシャに甘えていたし、そして泣いたまま抱き着いている今の状況だからこそ、この際だからと思い切って質問をぶつけるという判断を下す事もできた。


「あの……どうして、イーシャさんもゴードンさんも、お兄ちゃんを止めてくれないんですか?」

「ん? ララちゃんは、どうして止めてほしいの?」

「だって、お兄ちゃんもまだ子供です。本当だったらハイスクールに行くような。それなのに復讐に取り憑かれて……。あんなお兄ちゃん、ちょっとおかしくなっちゃってます」

「復讐に取り憑かれておかしくなってるというのは、せやねぇ」


 苦笑するイーシャに勇気づけられたようにララは顔を上げ、先ほどゴードンに向けたのと同じ質問をぶつけた。


「あんなんじゃいつか死んじゃいます。だから止めるべきだと思うんです。イーシャさんやゴードンさんは大人なんだから……止めてくれないんですか? 復讐なんてやめろって、言いくるめられないんですか?」

「うーん。……もしラクトはんが間違ってたりするんを正すのはできるけど、復讐については頭じゃなくて心でやってはるからなぁ」

「頭じゃなくて、心?」

「そ。理屈で言うんだったらどうとでもなる。でも、ラクトはんの復讐は、そういうレベルやない。もう魂レベルにまで染みついているの。そこまで来ると、大人でも説得するのは無理やね。子供だったら猶更意固地になるだけやからね」


 イーシャは真剣に考えて答えてくれた後に、後は催眠術くらいかな、とおどけても見せてくれた。イーシャの綺麗な笑顔はいつもララを落ち着かせてくれる。


「もし今ウチやゴードンが協力を止めたら、きっとラクトはんは一人で鬼退治にいって、殺されてまう。それは嫌やろ?」

「ゴードンさんも同じことを言ってました……」

「もう、理屈やないのよ、ラクトはんの復讐は。せやからもう、他人の言葉では止まらんのよ。……無力な大人で堪忍な?」


 謝るイーシャに、「そんなことは無い」と言いかけて、ララは口に出すのを止める。ラクトを止めてほしいのに、それを出来ないという大人を肯定したくなかったからだ。


「でも、もしお父さんが生きていたら、やめろって言うと思う」

「そう?」

「はい。子供が危険な目に遭うのだったら、それはダメだって。そう言ってくれるような人でした」


 目を閉じればララも思い出す事ができる。まだエレメンタリースクールの低学年だったためかやや断片的にはなるが、ララにとってのラーグはいつも笑顔で家族思いだった気がする。


「ね。二人のお父さん、ラーグはんってどんな人?」

「え?」

「ララちゃんから見て、どんな人?」


 その問いかけにララは再度目を閉じる。

 記憶にある限り、ラーグは家にはあまり帰って来てくれない人だったと思う。少なくとも周囲の友達の家庭のように、毎日夜になると帰宅して会えるような存在では無かった。ある日突然帰ってきてドバっと家族サービスをしたらまた仕事に行って帰ってこない日が続く、という人だった覚えがララにはあった。

 今振り返ってみれば隊長という職業柄、色々とやらなければいけない事もあっただろうし、即応の為にシフト勤務をしていたのではないかな、と予想はする。が、当時のララにとってはそんなことは関係なく、あまり帰ってこないけど帰ってきたら笑顔で遊んでくれる優しいお父さんだった、というのが大きな思い出であった。


「そう。そんな人やから、復讐に燃えるラクトはんには悲しく思ってしまいそう?」

「はい。きっと、復讐なんて止めろって言うと思います」

「それが、ララちゃんの知ってるお父さんなんやね」


 ララは自信を持って頷いた。もしラーグが生きていれば、今のラクトを叱ってくれるに違いないと。だが、次のイーシャの言葉にララは固まってしまった。


「せやけどね。ラクトはんの知ってるお父さんはきっと、復讐を達成したら良くやったって褒めてくれると思うんよね」

「え、え?」


 ララの言葉を肯定してくれたイーシャとは思えない言いざまに、ララは目を白黒させた。イーシャはそんなララを見てフフッと笑みで目を細めながら、頭を撫でてくれた。


「人は死んだらもう話す事は出来ない。でも、残された人々の心の中には生き残り続けるんよ。そしてララちゃんの心の中で生きてるラーグはんは、きっと復讐なんて止めろって言うんよね?」

「……はい」

「でも、ウチがラクトはんから聞いているラーグはんはちょっと違う。勇敢で、街の人を守り続けようという強い思いがあって、正義感のある人て聞いてる」

「そう、ですね。私もそれは聞いてます」

「せやからもし復讐を達成して仇を討ったら、”良くやった”って褒めてくれるとラクトはんは思ってるんやないかな」

「は? え、は?」


 ララは理解が追い付かずに混乱する。イーシャはララが落ち着くのを待って続けた。


「自分を殺したような危険な鬼がまだ生き続けている。だったらそれを倒す事は皆を守る事。仇を討つ事は皆を助ける事になる。せやから褒めてくれる、とラクトはんは考えてるんやないかな?」

「そんな……でも、お父さんは優しくて」

「人には色々な面がある言うやろ? 亡くなってもうたラーグはんにも色々な面があって、ララちゃんが覚えてるんは優しいお父さんの面。でもラクトはんが覚えてるんは、鬼を倒すんを肯定してくれる正義の人なんやね、きっと。まぁ、これはウチの予想も入ってるけど」

「……」

「せやから、ラクトはんを説得するのは無理と思うんよね。もう、そういうレベルの声は届かへんと思うから」


 イーシャの言い方はどこまでも優しかった。しかしそれだけに、ラクトを止められないという現実が再びララを襲い、身体を震わせてしまう。イーシャはそんなララを抱き寄せてくれた。


「でも、ウチらにもできる事がある。それがラクトはんを一人にしない事。頑張ってサポートすれば、ラクトはんは死なない。ウチらが、ウチが死なせない」

「イーシャ……さん……」

「まぁ、鬼がいるとなれば飛び込んでいってしまう人やさかい、怪我を絶対にさせないとは言えへんけど。……でも命だけは絶対に守ったる。ウチとララちゃんの約束や」


 その言葉は真実の響きを持ってララの胸に染み入ってきた。元々ララにとっての問題はラクトが死んでしまう事である。それをイーシャやゴードンが遠ざけてくれるというのであれば――自分はもう少し我慢してもいいのかもしれない、とララは自分の中で整理をした。

 まだ完全に納得できた訳ではない。だが、復讐を止めさせる以外の方法でラクトの命を守る事を考えなければならないのだ、ということは理解せざるを得ないとはララにも分かったのだ。

 

 ――ララが落ち着くのにどれほどの時間が経ったのだろう。イーシャの腕の中にいたララは次第に冷静さを取り戻した。

 すると次は、いつまでもイーシャの腕の中にいる事に対する気恥ずかしさが出てきてしまった。それを誤魔化すためにララは声を上げた。


「あのっ、イーシャさん」

「ん? なぁに?」

「鬼って、そもそもなんなんですか?」


 ララとしては少し自分が落ち着くため、そして少しずつイーシャの腕の中から抜け出す為の口実探しと時間稼ぎの為に出した話題に過ぎない。

 ”鬼とは魔物の一種である亜人で、群れで行動しているが人語を解する奇妙な生物だ”くらいの事を想像しての質問だった。

 ――が。


「そやねぇ。最近の研究だと、感情寄生型霊的生物って言われてた気がするわ」

「――え、なんですかそれっ!?」


 あまりに予想外な言葉が返ってきたため、ララは素っ頓狂な声を上げてしまった。


***


「霊的生物? でも、普通に鬼って実体ありますし……」


 顔を上げて戸惑ったように、まだ涙の後が残る目を大きく開いてパチクリとやるララを見て、”ああ、可愛えな”とイーシャは思う。

 先ほどの鬼に対する質問も自分を立て直すための時間稼ぎだと知りつつ乗ったイーシャだったが、それに対する自分の答えに本当に驚いてしまっているララを見て、イーシャは記憶の片隅から、ギルドで読んだ雑誌に載っていた情報を引っ張りだした。


「まず、亜人て分かる?」

「亜人……って、人間に似てるけど人間じゃない生き物、ですか? エルフとかドワーフとか」

「残念。それって悪口になっちゃう事もあるから、気ぃつけてな?」

「悪口なんですかっ!? ご、ごめんなさい、そんなつもりはっ」


 慌てて謝ってくるララに、イーシャは落ち着いてと頭を撫でる。


「大丈夫、分かってる。でもこの際だから覚えとこか? 現在五大人種とされている存在、人間、エルフ、ドワーフ、ホビット、獣人は同じ原人から生まれたとされているんよ。せやからエルフやドワーフの場合は人種が違う、と表現するんよね」

「同じ原人……そうなんですか?」

「せやないと交配可能やないでしょ?」

「交配?」

「子供を作れるって事」


 顔を赤くしてしまったララに気づかない振りをしてあげるくらいにはイーシャにもデリカシーはあった。


「同じ原人から生まれつつも、環境への異なる適応をしたのが五大人種と言われてるんよ。

 つまり、身体を強化することで対応したのが獣人、

 自然と共存することを選んだのがエルフ、

 道具を作る事で対応したのがドワーフ、

 厳しい環境から過ごしやすい環境へ移動する事を選んだのがホビット、

 そして社会を作り知を積み重ねて対応したのが人族。

 多少の違いはあれど、寿命も姿形も似通っている。この五つが五大人種と整理されとるんよ」

「え? 社会って人族が作るもの、なんですか? でも今はエルフや他の人種だって同じ社会で生きてますよね?」

「せや。せやからもう現代では通用しないくくりなんよ。ドワーフとエルフの対立なんてその頃の事なんやから遠い昔。せやから私達他種族も全部をひっくるめて自分達の事を人間、って言うんよ」


 勿論どんな人種であれ、人が二人集まれば社会になるから厳密に言えば”社会”自体は人族特有のものとも言いづらい。が、現代に繋がる社会という意味になると人族が作ったものに他人種のそれが混ざる形で出来上がったものとなる。だからやや”人”という語句が広く、混同されて使われる事もあってややこしい、とイーシャはやや混乱しつつあるララに笑って見せた。


「で、亜人は、人と似通った形はしているものの、その進化の系統が全く違う生物を指すんよ。例えばケンタウロス、マーマン、巨人とかね。これらは結果として人間と同じような四肢を持つケースもあるんやけど、ベースは私達の祖先の原人とはちゃうんよ」

「じゃあ鬼も、ですか?」

「せや、と言いたいところやけど、ちょっとちゃうんよ。ううん、確かにずっとそう考えられてきたんやけど、現代になってようやくそうじゃなくて、鬼は感情寄生型霊的生物だって学説が出てきたんよ」

「それ、なんなんですか?」


 すっかり話を聞くモードに入り不思議そうに首を傾げるララに、イーシャは「ここからちょっとややこしくなるんよ」と言いつつ続けた。


「ある人に不幸が襲い掛かったとして、極度の怒りや悲しみに支配されたとする。するとそこに霊的生物としての鬼が憑依することがあるらしいんよ。そしたらその人は肉体が鬼として作り替えられて角が生えてくる。そしてその発現した能力を駆使して暴走して、その不幸の元となった人を殺したり何かを壊したりして、恨みを晴らそうとするらしいんよ」


 俗に復讐の鬼、と呼ばれるものだ。極度の怒りや悲しみにより鬼に堕ち、人では無くなっていく――。

 それを聞いてララの表情が強張る。ラクトの事を考えたのだろうと分かり、イーシャは笑って”ラクトはんは大丈夫や”と告げた。

 現段階でラクトが鬼になっていないならば大丈夫だ、と。感情の振れ幅が一定以上必要なのか、その際に近くに霊的生物としての鬼がいなかったのか、それとも霊的性質や体質の問題なのか、それは現代でも分かっていない。だが同じような状況に陥っても、鬼になる人とそうでない人が出るのが現実であった。

 故にラクトが今、鬼になっていない以上、ラクトがそうなる可能性は無いと言って良いのだとイーシャはララを安心させた。


「で、恨みを晴らしたとする。そうなると心が空虚になるタイミングがあるやろ? そこを鬼が乗っ取るらしいねん。そこから先は、もう人間じゃなくて鬼として生きていく事になる」


 その乗っ取りを現代の身近な例として出すならば、蟷螂とハリガネムシが挙げられるかもしれない。

 ハリガネムシは蟷螂の腹に寄生して共に成長していくのだが、ある一定以上に育ったら、蟷螂の脳を操作して水辺へと向かわせるのだ。元々蟷螂は水辺へは近づかない性質を持っているのだが、そこを無理やりハリガネムシが操ってみせる。そして蟷螂が水に入った刺激を感知することで、ハリガネムシは蟷螂から水の中へと抜け出ていく事になる。

 勿論、蟷螂は内臓を食べられている事も多いのでそのまま死ぬことが多いのだが、鬼は脳を操った後はそのまま身体を乗っ取る。人間としての生が失われ、そこから先はただの鬼としての生が待っているのだ。


「そうなった後は、鬼の社会、鬼のコミュニティに属する事になる。そして鬼達の一員として生きていく事になるけど、ここから先は普通の生物と同じやね。番を作って子供を産み、群れを成す。ああそう、そうして生まれた子供は最初から鬼として生まれるんよ。つまり、他生物から鬼になったケースと、生まれた時から鬼であるケースがあるんよね。人間とか他生物から成り代わった鬼を、現代では転祖と呼んでるんよね」

「全然知りませんでした」

「まあ普通はそうやね、複雑やし最近の研究結果らしいし」

「あ! だから鬼って人間の言葉を話せるんですか?」

「せや。自分が人間だった頃の知識を持ってるから、コミュニケーションの道具として便利な言葉はそのまま鬼のコミュニティでも使われ続けてる。だから会話可能なんよ」

「あの、会話可能なら、話し合いで解決できないんでしょうか?」

「ん?」

「人間、話せば分かると思うんです」


 そうすればラクトが戦わなくても済むかもしれない、という希望が目に光っているのを見てイーシャは苦笑してしまう。その考え自体は分かるし、過去に同じことを考えた人もいたらしい。

 しかし現代ではそれは無理だという結論に達してしまっているのも現実なのであった。


「んー……例えば、ララちゃんの学校のクラスに、男の子いる?」

「え? いますけど」

「その男の子が事ある毎に怒って、泣き叫んで、乱暴を振るってきたらどう思う?」

「ええっ!? でもそんなの、極端じゃありません? それに話して聞かせれば良いんじゃないですか? 会話できるんですから」

「せや。同じ人間同士やったら、個人的な感情で暴走する事のデメリットを教え込む事で、自制を促す事も可能や。せやけど鬼の場合、感情を暴走させる事が美徳やから、それが通じひんのよね」

「怒る事が美徳!?」

「そこら辺が感情寄生型霊的生物と言われている所以の一つやね。最近の研究でもまだハッキリとは分かってへんのやけど、どうやらその鬼の肉体に宿っている霊的生物の部分が生きていくには、感情の大きな動きが必要らしいんよね。つまり鬼は、生きる為に怒っとんのよ」

「生きる為に、怒る――」

「せや。せやから説得して大人しうさせるって言うんは、鬼に死ねというのと同じらしいんよね」


 だから鬼は会話可能であるにも関わらず、人間社会とは距離を置くことにしているのだ、とイーシャは言った。ずっと人間社会と共にあり、衝突を繰り返していればすりつぶされるのは数にして劣っている鬼の方だという事は彼らにも分かっている。だからこそ、離れる事そのものが彼らなりの生存戦略なのだ。

 だが、その感情の発散の方法として人間を襲う事を必要とする鬼もいる。そして集団こそが人間を襲う盗賊団なりの集まりとなるのだ。


「でもそれなら、鬼と鬼の間だって無理じゃないですか? 偉い人の言うとおりにしなくちゃいけなくて不満が溜まるなんて、鬼同士だってあるんじゃ?」

「その通り! なんやけど解消方法が鬼は違ってて、泣いたり笑ったりして、反抗するのとは違う方向で感情を発散させる事もできるようなんよね。けど勿論それができなくて集団から離れる鬼やっておる。そうやって逸れた鬼こそが、これまでラクトはんが倒して来た”はぐれ鬼”言う事やね」

「……でも、盗賊の人とうまくやってる鬼もいるって……」

「この前のとこもそうやったね。けどそういう場合、人間の方が鬼の感情をうまく扱っとんのよ。例えばおだてたり十分な食料、酒を与えたり。そうやって人間の方がご機嫌取りをするから、鬼は仲間である人間の盗賊を殺す方向には感情を暴発させない。そして人間は鬼の感情を爆発させる場所として、盗賊行為を行ったりして、鬼の武力を使ったりする。そういう歪な関係を築いとるんが彼らなんよ。現代の人間社会と共存できるような、公平公正な関係を持てると思う?」


 ララは少し顔を暗くして、答えを返してはくれなかった。少しだけ光明が見えた気分だったのに、それを叩き潰されてしまったと思ったのだろうか。それについてはちょっと可哀そうだなとはイーシャも思う。


「鬼は感情のままに動く事を美徳としとるから、結局強い者が偉い、という単純な価値観で動く事が多いんよね。せやからあまり複雑な知恵や知識の積み重ねも起きにくいし、ウチら人間からみたら原始的な生き方をしているように見える訳や」

「知性が無いって、事ですか?」

「ちょっと違う。深く考える事が出来ないというのが正しいかな。”面倒だ”みたいなのが勝っちゃうというか。勿論感情のエネルギーを全部考える事に向ける事ができればすごいものができるかもしれないけど……多分それができる鬼は例外的な存在でありすぎて、鬼とは、みたいには語れないんやないかな」

「そうなんですか……」

「感情を満足させるような刹那的な動きばっかりしてるから、もしかしたらラクトはんの仇も、その事をすっかり忘れてるかもね」

「えっ!?」


 ララは再度顔を跳ね上げてイーシャの顔を見た。


「鬼が復讐を誓って執念を燃やす事が無いとは言わんよ? でもそれは鬼の方の話であって、人を殺したとかいうんは些事だと思うて、忘れてる可能性もあるんやないかなって」

「そんな。じゃあ復讐する意味なんてないじゃないですか」

「せやろか。復讐なんて、される方というよりも、する方の心持ちの問題やろうしね」


 そう呟くとイーシャは少し昔を思い出してしまった。が、そんな遠い目をした自分を不思議そうに見上げるララをみて、誤魔化すように言った。


「色々話したけど、結局ウチらがしなくちゃいけない事ってなんやと思う?」

「鬼を止める事もできないし、お兄ちゃんの説得も無理……」

「そ。そしてウチらの目標は、ラクトはんの命を守る事やったやろ? なら、ウチらがすべきことは?」

「敵討ちの最中に兄さんが怪我しないように、サポートを頑張る?」

「正解、100点」


 そう言って笑ってララの頭をかきまわすイーシャに、ララは笑ってくれた。

 そんなララに向かってイーシャの笑顔を向けてみせる。

 ――”ラクトを言いくるめてくれと言われたのに、逆にララの方を言いくるめた”という僅かな自嘲を、その笑顔の裏で噛み砕きながら。


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