2話 死者の船
一夜明け、太陽が昇った。
川面が朝日を反射し、風が草と湿った土の匂いを運んでくる。
聞こえるのは水音と、遠くの鳥の声だけだった。
ただ、岸には流木や壊れた武具が散らばっていた。
そんな中、ハモンは川べりのぬかるみに倒れていた。
意識がないハモンの耳を、生暖かい湿り気のある何かが撫でた。
「ん…なんだ…?」
目を開けると、一匹の小さなヤギがハモンの耳を舐めていた。
ハモンが頭を撫でてやると、ヤギは何事もなかったように去っていった。
「生きてるのか…?」
周りを見渡す。
どうやら濁流に流され、ここまで運ばれたらしい。
「…死に損なったな」
腰に手をやった。
そこには鞘だけがあった。
「……ない」
立ち上がろうとすると、身体が重たい。
一歩踏み出しただけで、痛みが足に走った。
「う……足を痛めたか…」
それでも、ハモンは川沿いを歩いた。
川の上流に向かい、あぜ道を進む。
流されたのなら、上流に行けば帰れるだろう。
途中、何人か似たような足取りの敵兵士とすれ違う。
だが、お互い見て見ぬふりをした。
今更戦っても仕方ない。
遠くに仮設のテントや馬車が見えた。
人だかりもある。馬車には王国の紋章が描かれていた。
剣について何か知っているかもしれない。
早く剣を探さねば。
「おーい! こっちだ! 一人で歩けるか?」
テントの前にいた兵が、ハモンに向かって手を振った。
近づくと、馬車には多くの負傷兵が詰め込まれていた。
「この馬車は?」
「救護用だ。早くアンタも回復魔法受けな」
「いや、歩ける。他の奴を手当てしてくれ」
「ばか、回復したらお前も探すんだよ」
「ああ、そうか」
白衣を着た若い魔法使いが両手で足首を包んだ。
腫れと痛みが、氷が解けるように薄れていく。
回復魔法は、何度見ても不思議だった。
足首の痛みは取れた。
走れるだろう。
「どうすればいい?」
「まだ泥の中に何人もいる。引き上げて息があるやつは連れてきてくれ」
「よし、心得た」
ハモンは空の鞘を揺らしながら泥へ駆けだしていった。
それから三日、ハモンは泥の中から負傷兵を運び続けた。
後続の馬車が到着し、救護の人員が増えた。
それでもハモンは泥の中に戻る事をやめなかった。
三日目の夕方、一団は港に場所を移していた。
ここから、共和国へ帰る船が出るらしい。
指揮官、兵士、負傷した者、それを支える者。
そして、もう歩くことのない者たち。
一人でも、一つでも多くを故郷に返す。
そのための船だった。
弔いの式典のあと、食事が出た。
この時期は毎晩雨が降る。
そのうえ、今日は一日泥に漬かった。
身体が冷えていたので、温かいものはありがたかった。
だが食事の列はなかなか進まない。
列の中には、共和国の制服も、王国の制服も混ざって並んでいた。
「おい、あんた」
背後から声を掛けられた。
振り返ると、今にも消えそうな火のついた煙草が差し出された。
「いや、俺は——」
「消えちまう。アンタもやりな」
煙草を受け取ると、一口吸い込んだ。
少しだけ、むせた。
「うう…煙たいな…」
煙草を前の男へ回した。
前の男は慣れた手つきで吸い込み、またその前に差し出した。
背後の煙草を手渡してきた男がハモンの腰を見た。
「王国の人かい? 制服が違うようだけど」
「ああ、王国だ」
「今日ずっと気になってよ。中身はどうしたんだ?」
男は、空の鞘を外さないハモンに興味を持っているようだった。
「ああ…探しているんだが…見つからない」
「空の鞘なんて外せばいいのによ」
「見つけたらすぐにしまってやりたくてな」
「はは、覚えといてやるよ」
料理を受け取ると、ハモンは木の下に腰を下ろした。
少し離れた卓では、身なりのいい者たちが同じ食卓についていた。
「今回の侵攻も早かったが、休戦はもっと早い」
「こちらとしては助かった。捕虜ならまだいい。残党として狩られるものと思っていた」
「陛下は、戦場から帰らぬ父を待つ辛さを知っておられる。無用に帰りを待つ者を増やしたくはないのだろう」
「……なるほど」
「それに、そちらは収穫前だ。兵を返さねば畑が死ぬ」
共和国の指揮官は、椀を見下ろした。
「失いかけたのは兵士であり、父親であり、そして明日のパンだったわけだな…」
そして、静かに椀を掲げた。
「王国に……!」
それに応じるように、王国の指揮官も立ち上がる。
「共和国に!」
小さく、しかし確かな声が続いた。
夕陽がその場を赤く照らし、制服の色など見分けがつかなくなっていた。
「おい、あんた。探し物はこれかい?」
背後から声をかけられた。
先ほどの煙草を差し出した男だった。
その手にはハモンの剣が握られていた。
「……俺の剣だ。ありがたい」
「色々聞いて回ったらよ。遺品として拾われていたみたいだぜ」
「そうか…あらためて礼を言う」
剣を受け取ると、ハモンは夕日に照らした。
剣には、無理をさせた。
やはり傷がある。
だが今すぐダメというわけではない。
「おいおい、俺は聞いてまわっただけさ。礼なら拾ったやつに言いな」
「確かにそうだな、どこにいる?」
「白い船が見えるか? あそこのやつらしい。ただ急がないと出ちまうぞ」
「よし、行ってくる」
ハモンは剣を腰に戻すと、遠くに見える船に走り出した。
白い船にたどり着くと、水夫が錨を引き上げているところだった。
「この船はサルトゥス公国の船だ。フリント共和国への帰還の船はあちらだぞ」
「この船の者に用がある。すぐ済む。礼を言いたい。乗せてくれ」
息を切らした様子から、水夫は止めなかった。
「急げよ、もうすぐ出る」
「すまん……! 出発の警笛の前には降りる!」
「お、おい、この船は……いっちまったよ」
船に飛び乗ってすぐ、ハモンはこの船が普通ではないことに気づいた。
特別に荘厳で、気品のある船だった。
乗っている者たちも、みな礼服に身を包んでいる。
ハモンは関係者に事情を説明した。
自分が王国の剣士であること。
剣を拾ってくれた人物に、一言礼を言いたくて乗船したこと。
水夫は困った顔をしたが、拾ったとされる人物のもとへ案内してくれることになった。
その人物は、真っ白なフードを深くかぶっていた。
背はハモンより頭一つ近く高い。
礼服はよく似合っていたが、立ち方にはまるで品がなかった。
「剣を拾ってくれたそうだな」
「うん?……ああ、あの剣か。てっきり別人の剣かと思って拾ったんだ」
「む……女か」
「女では、何か問題があるか?」
「い、いや俺はてっきり背が高いから男かと」
目の前の女は、背が高いだけではナかった。
手も足も肩も、最初から人間より一回り大きく作られているようだった。
「なんだお前、ジロジロ見るな。どこのものだ?」
「これは失礼した。王国の剣士だ。自分よりでかい女性を見たことがなかったもので」
「いいさ。しかし、いいのか、剣士」
「何がだ?」
「もう出たぞ?」
「な、なんと…?」
窓の外を見ると、船はすでに港を離れていた。
「出発の警笛は…?」
「国葬帰りの船だぞ。喪に服した船はそんなもん鳴らさん」
「国葬?」
「アクシア王国の偉い剣士様の国葬だ。この船は式典に参列した宗教家様と儀仗兵を乗せた帰り船だよ」
「しまった…なんてことだ…」
「今から海に飛び込めば帰れるかもしれんぞ」
「俺は泳げん…」
「じゃ諦めるんだな」
「なんと…」
「一日あればつく。それまで大人しくしてるんだな」
「はあ…船員に話してくる」
「真面目な奴め」
ふと、積み上げられた棺が目に入った。
「誰の棺だ?」
「公国出身者の亡骸だ」
「そうか、生まれ故郷に帰れるのだな」
「下らん。実に下らん。死者には土の違いなど分からんというのに」
「そうかもな。ただ…残された家族は安心できる」
「船を危険にさらしてまでやることか、疑問が残るだけだ」
「危険?」
「この船は死者の臭いをさせすぎだ」
奥から船員の一人が近づいてきた。
「縁起でもないこといってんじゃねーぞ。エルフ」
「おい水夫、密航者だぞ」
「あ、下りなかったのかお前」
「捕まえて鮫のエサだ」
「馬鹿か。海賊でも今どきやらねーよ」
水夫は頭をかき、ハモンを見た。
「……とにかく、船長に話せ」
水夫に案内され、船長室に向かおうとした時、背後から声をかけられた。
「おい、お前、名は?」
「ハモンだ。そっちは?」
「あー…ククルスでいい」
「そうか、ククルス。剣のこと、助かった」
その後、ハモンは事情を説明した。
自分が王国の剣士であること。
間違えて乗り合わせてしまったこと。
だが、自分が国葬の主であることまでは説明しなかった。
船長は渋い顔をしたが、宗教家の取りなしもあり、公国に着くまで甲板の隅で大人しくしていることを条件に、ハモンを不問とした。
甲板に出て、ハモンは背後を振り返った。
王国の姿は、もう見えない。
国葬に参加した宗教家に話を聞くと、壮大な式だったらしい。
ハモンの記念碑を作る話まであるという。
ハモンは、手の中のパンを見た。
戻らねばならない。
だが、戻って何をする。
戦場に、剣士の立つ場所はもうなかった。
ハモンはパンを一口かじった。
その時、船体が軋んだ。
大きく揺れ、甲板の上で誰かが叫ぶ。
「敵だ! クラーケンだ!」
ハモンは、走り回る水夫に声をかけた。
「おい、どうした」
「魔物だよ! 血の匂いに引かれて寄って来たんだ!」
「こんなイカがいるのか……船より大きいな」
「だからクラーケンだよ!」
「あの……神話の?」
ハモンは、まだ状況が呑み込めなかった。
王国にも伝わる神話で、存在だけは知っていた。
だが、まさか実在するとは思っていない。
水面を覗き込むと、船体に巻き付く巨大なイカと目が合った。
「魔物……?」
背後から、魔導具の音や魔法の音が聞こえてきた。
船員たちが応戦している。
だが、威力が足りない。
魔法を撃ち込んでも、クラーケンはわずかに身をよじるだけだった。
ククルスは舌打ちし、ハモンを見つけると駆け寄ってきた。
「おい剣士! いや、あー……ハモンだったな。腕前は確かか!?」
「なんだ?」
「この腕輪を斬れるか!」
ククルスは銀色の腕輪を差し出した。
「どういうことだ?」
「死にたくなければ早くしろ!」
「分かった」
ハモンは、剣をゆっくりと抜いた。
その瞬間、ククルスは唾をのんだ。
ハモンの様子が変わったからだ。
刃物のように鋭く光るその目に、吸い込まれるような感覚がした。
「お、おい。どうしていればいい?」
「いや、もう切った」
重たげな音を立てて、両腕にはまっていた腕輪が落ちた。
ククルスは一瞬、自分の手首を見た。
傷はない。
「よくやった……ハモン」
ククルスは魔法の詠唱を始めた。
先ほどとは雰囲気が違う。
波が、彼女を中心に吸い込まれるように集まっていく。
空には雨雲が生まれ、雷鳴が聞こえ始めた。
「全員、死にたくなければ伏せていろ」
ククルスの周りに、何かの力が渦巻いていた。
白い礼服が、風ではない力で震えている。
「水であり水でない、火であり火でない、風であり風でない……我が問いに答えるものは何者ぞ!」
魔法の力が最高潮に達した時、ククルスの深くかぶっていたフードが外れた。
そしてククルスは、小さく指をさして呟いた。
「ライトニング」
轟音と共に、雨雲から雷が落ちた。
稲妻は水中の敵を撃ち抜き、水面の下でイカの胴体が裂けるのが見えた。
「ふう……すっきりした。しかし、雷の魔法は疲れる」
ククルスがよろめき、ハモンがその身体を支えた。
「見事だ。ここまで火力のある魔法は初めて見た」
「たまには全力を出さんとな。ありったけ出して、もう魔力切れだ」
ククルスは懐から煙草を取り出し、火をつけようとした。
「お前のところの魔法使いは人向けだからな。つまらん魔法しか見たことがないだろう。あー……くそ、火が出ん」
魔力を使い切り、小さな種火すら出せないようだった。
船の中から水夫たちが現れ、興奮した様子でククルスを囲んだ。
だが、その水夫の一人が、身の丈ほどもある太い触手に掴まれ、空へ舞った。
船体を覆い隠すように、大きな影が現れる。
影の主は、先ほどよりも大きなイカだった。
いや、神話に登場するクラーケンと評してもよいほどの、大型のイカだった。
肌には、まだら模様がうごめいている。
「二体目……!?」
ククルスは、また魔法を唱えようとした。
だが、ハモンの肩を借りるその身体には、先ほどまでの覇気がない。
手をかざしても、何も出なかった。
「しまった……もう魔力が……」
クラーケンの大きな目が、船体を見た。
怒りにも似たものが、その目に浮かんでいるように見えた。
甲板にいた誰もが、その大きな目に睨まれ、動くことができなかった。
大きな鉄のような触手が、鎌首をもたげている。
叩きつけられれば、船体ごと海に沈むのは避けられないように見えた。
「助けてくれえ!」
水夫が叫んだ。
触手が大きく振り上げられる。
そのまま水夫ごと叩きつけるつもりなのだと、誰もが思った。
甲板にいた誰もが、それを見上げることしかできなかった。
その中で、ハモンだけが歩いていた。
走ってすらいなかった。
触手が勢いよく落ちる。
だが、甲板に叩きつけられたのは触手だけだった。
水夫は、ハモンの片腕に抱えられていた。
遅れて、触手の切り口から黒い血が噴いた。
そこにいた誰も、ハモンの剣を見ていなかった。
「立てるか」
「た、助かったぜ……!」
ハモンは剣についた血を軽く振り飛ばすと、クラーケンを見上げた。
「おい、イカの絞め方はどうするんだ?」
「はぁ!? そ、そりゃ眉間に串を差して……」
「眉間か」
ハモンは帆柱に一足飛びに駆け上がると、そこからクラーケンの頭上へ跳んだ。
空中のハモンを、クラーケンの触手が襲う。
ハモンはそれを斬らず、踏んだ。
触手を足場にして、眉間へ迫る。
戦いは一瞬だった。
眉間に剣が突き刺さり、クラーケンの肌の模様は白くなっていった。
クラーケンはとても静かに、そのままの形で水中へ沈んでいった。
ほんの数秒だけ、波の音が聞こえた。
誰もが声を失っていた。
あまりに静かに、あまりに早く、信じられないことが起きた。
その時、ハモンが口を開いた。
「しまった。もう少し切り落としておくべきだった。さっきのゲソは食べられるだろうか?」
ククルスはフードをかぶり直し、呆れた声で答えた。
「ゲソというな、クラーケンだぞ」
「イカはイカだろう?」
「まったく……」
船員たちの声が、遅れて甲板に広がっていった。
ハモンは剣を見た。
刃のひびは、まだそこにある。
だが、折れてはいない。
戦場では届かなかった。
だが、今日は届いた。
「……間に合ったな」
そう呟いて、ハモンは足元に転がっていた銀色の腕輪を拾い上げた。
読んで頂いてありがとうございました。
二話目となります。
次回は、今回の最後に拾った腕輪の件から始まります。
ハモンはただ返すつもりですが、もちろんそんなに簡単な話ではありません。
よろしければ、次回もお付き合いください。
次回更新は7月10日7時30分に公開予定です。
お待たせする時間が長い、作品自体が長いという意見があり、
今後は上下として更新出来るものは公開致します。




