018話『白亜の壁の更なる裡へ』(4)
※(2026.10.4) 本文の大幅な改稿と加筆修正を行いました
[ 城塞都市ヴィートボルグ ~ 第二城壁の壁上 ]
「……」
橙色に染まるシーリア湖の水面を、市街地を、そして二つの白亜の壁を。
壁上に佇むノイシュリーベは、じっと眺めていた。
夕暮れ時に吹く一陣の風が、今は途轍もなく心地良く感じるのだ。
「お疲れ様ー! 予想はしていたけど、今回も長引いたねぇ」
「あんたもね。議事録の作成、ご苦労様。
この分だと、全体会議の時は丸一日かかっちゃいそうだわ……」
「あははっ、月に一度の大領主様の大仕事だ。
こればっかりは、お城を抜け出して逃げ回る訳にはいかないよ」
城壁に等間隔に設けられた側防塔より、エバンスが姿を現した。
壁上で歩哨を務める常備兵達は、少し離れた位置を歩いている。今、この瞬間に於いては二人の会話を耳にする者はいない。
「ん~~、いい風だね! この開放感は堪らないよ」
「……そうね」
「どうしたの? まあ大変な状況だし、ノイシュが浮かないのも仕方ないけどさ。
今は一つ一つ、地道に手を打っていくしかないよ」
「ええ、何も出来ずにいる訳じゃない分だけマシよね。
少なくとも、お父様とお母様が亡くなられた時とは違うわ!」
この都市の地下深くの隔離施設で、呪詛に侵された両親の最期を看取った時のことを思い出していたのだ。
当時のノイシュリーベは、ただ立ち尽くして悲しみに暮れるばかりだった……。
「『偽翡翠』も。ザンディナムの『負界』も。皇国海洋軍も!
必ず私が対処してみせるわ」
「うんうん、その意気だよ♪
重臣の方々も、何としても解決したがっていたし。
皆で力を合わせていけば、何とかなるって!」
「ふん! ジェーモスやエゼキエル教官に見限られないよう振舞わないとね」
「あの二人がノイシュから離れるところなんて想像できないけどねぇ。
エドヴァルドさんは……まあ、成果主義だから何とも言えないけど」
あの堅物の樹人は、先代の大領主であるベルナルドの代に招聘された人物。
それ以前の時代では、『森の民』の氏族会議の議長を務めていた権力者であり、ベルナルドの妻であるダュアンジーヌの推薦で、登用された経緯を持つ。
「彼がヴィートボルグでグレミィル半島の統治に携わっている限り、
"大樹の氏族"を始めとする五氏族からは、一定の支持が保たれるわ。
だからこそ、私が実力と実績を証明して繋ぎ止めておかないと……」
「一癖も二癖もある、紋章官達を束ねられる実務能力も貴重だしねぇ。
まあ、いずれはエドヴァルドさん抜きでも統治できれば良いんだけどさ」
そのために有力となるのは、矢張りサダューインを参謀として迎え入れること。
実現すれば、グレミィル半島はより盤石となる筈なのだ。
しかしエバンスは、そのことを指摘しようとはしない。
どうあってもノイシュリーベが呑まないことを、熟知しているからだ。
「(昔から二人には、よくしてもらっていたけど)
(まさか、ここまで関係が拗れちゃうとはね……)」
エバンスにとって、それは最大の悔恨の一つ。
幼少の頃より極めて近い場所で、同じ時間を共有していた筈なのに。
大きく路を違え始めた姉弟を止めることが出来なかった。
今の彼に出来ることは、姉弟間の連絡役を担うことで、辛うじて繋ぎ止めているに過ぎない。
「そ、それにしても来週にはバラクード殿下が来られるとはねぇ。
まあヴィートボルグへ到着するには、更に一週間は掛かるだろうけど」
これ以上、重臣やサダューインのことを挙げても仕方ないので話題を変えることにした。こちらも目下、重要な案件ではある。
「はぁ……よりにもよって、こんな時期にね。
毎度のことだけど、本当に困った御方だわ」
「ノイシュが大領主になってから来訪されるのは、これで三回目かな?
騎士修行に行っていた間は、殿下は来られなかったし」
「……光栄ではあるのでしょうけどね」
「エドヴァルドさん達が、今回で縁談に漕ぎ着けるっていうのなら
いっそのこと、このまま婚約を決めちゃえば良いんじゃない?」
「……それ、本気で言ってる?
私みたいな行き遅れの上に、ハイエルフとはいえ亜人種の血を引いている者を
殿下が皇室に迎え入れるわけないじゃない」
「歳もそう離れているわけじゃないし、別におかしくないと思うけどね~。
それにベルナルド様も、ダュアンジーヌ様も、本国で評判が良かったし!」
旧イングレス王国では、王族が亜人種を寵愛することはなかった。
どんなに見目麗しき者でも、側室にすら選ばないほど徹底している。ノイシュリーベから見た君主像は、それに深く影響を受けていたのだ。
しかし、どうやら大陸南方のラナリア皇国の皇族達は価値観が異なるらしい。
「悪い話じゃないと思うよ。
バラクード殿下自身も、一癖ありそうだけど決して悪人じゃなさそうだし。
ノイシュのことを無碍に扱うようなことはしないだろうね」
「……仮に本気で殿下が私を欲しているのだとしても、
それはきっと、この両目の『妖精眼』が目当てでしょうよ」
瞳に三つ重なる光の輪を灯らせながら、ノイシュリーベは淡泊な呟きを発した。
「そうかもしれないけど、それもノイシュ自身の魅力には違いないよ」
「……平気で嘘を吐くような男は好きじゃないのよ、"あいつ"みたいにね。
どんなに頭が良くて地位が高くても、それだけでは信用できないわ!」
「うーん、たしかに底が見えないところはあるかなぁ……」
『妖精眼』を駆使すれば、ある程度の嘘を見抜くことが出来る。
肉体と魔力の流れを辿れば、生物が抱えている症状などを把握し、発する言葉と照らし合わせて真贋を判別するのだ。
生まれた時より、常人には真似できないことを繰り返して来たノイシュリーベがそう言うのだから、思うところがあるのだろうとエバンスは察した。
「……あんたは、私が殿下と結婚しても良いと思っているの?」
北東から南西に向けて、再び一陣の風が吹く。
二人から少し離れた空中にて、風の精霊が不自然に踊っていた。
「……」
「……」
ノイシュリーベが立っている位置と向きからすれば追い風で、彼女の銀輝の髪が夕焼け空に溶けるかのように靡いている。
その光景を、旅芸人は常世のものとは思えないほど美しいと感じた。
然れど、その眼差しに邪な想いは微塵もない。
「それがノイシュの理想と幸せに繋がるのなら、おいらは賛成だよ」
一切の迷いなく、幼馴染は言葉を返した。
一切の偽りなく、視線を返した。
「ベルナルド様の意思を継ぎ、グレミィル半島を争いのない領土にする……。
その理想を遂げるには、皇族との繋がりはとても大事だ」
「……そう」
「そうだよ。
ノイシュが誰と結ばれようと、おいらは祝福するし、君に付いていくだけさ。
そして君のために、何でもやる覚悟をしてる」
とはいえ、ノイシュリーベ自身がバラクードを信用ならない人物だと判断しているのならば、無理強いをする気はなかった。
「……」
「まあ縁談の話は、その時の状況に委ねれば良いとして
とりあえず皇国海洋軍の提督について、訊き出すことに専念しようよ!」
「……そうするわ。
それ以外に属領の大領主が、本国の軍人達の動向を探る手段は、
かなり限られてくるでしょうしね」
右掌を頭に当てて、風によって解けた髪を整えるノイシュリーベ。
空中にいた風の精霊は、いつの間にか何処かへと去っていた。
「(ノイシュに呼ばれた精霊だったのかな?)
(舞台の上でなら、いい演出だったけど……おいらの答えは、変わらない)」
だが生憎と、此処は喜劇を演じる舞台などではなかった。
城館を守る最後の砦、第二の白亜の城壁。厳しい現実を突き付ける場所なのだ。
♪~~~
幼馴染が仕向けた不器用な演出に言葉で応じる代わりに、エバンスは弦楽器を取り出して優しい旋律を奏で始めた――
「それにしても、"あいつ"が連れて来る亡命者ってどんな娘なのかしらね?
『負界』で穢された者を癒せるなんて、相当な腕前どころじゃないわよ」
風に乗って耳朶に響く楽奏を堪能しながら、思い出したかのように嘯く。
会議の場でエバンスが伝えた内容の中には、現役の治癒術師ですら全く歯が立たない程の汚染物質であることが挙げられていたのだ。
それは最早、災厄級の現象と同義である。
「うーん、流石に詳しいことまでは手紙には書いてなかったけど。
なんでも海底都市に伝わる秘術を駆使して、患者を救ってくれたそうだよ」
「秘術……か。私達が知り得なかった未知の力というわけね。
"あいつ"が直々に欲しがったのも、納得だわ」
如何なる手段を使ってでも、貪欲に知識と技術を会得しようとする双子の弟の性質を、ノイシュリーベは恐ろしいとすら感じていた。
「あっ、それから! サダューイン達が交戦した魔具像を倒したのも
そのラキリエルの秘術だそうだよ!」
楽奏の音色が少しだけ派手に、そして厳かなものへと移り変わる。
「火力も、治癒力も一流……いえ、それ以上ってことね」
「サダューインの怪力でも、装甲をへこませるのがやっとの相手だったのに
凄いもんだよね~」
「……そんな娘と、二日後に面会することになるのね」
「実際に会って、ノイシュの"瞳"で確かめてみろ……って、ことなんじゃない?」
伝えられていたのはラキリエルの能力と功績だけで、具体的な容姿や性格などには触れていなかった。
或いは、どうせノイシュリーベと面会するのだから事前情報など無意味と判断したのかもしれない。
「上等よ! "あいつ"が、どんな化け物を連れて来たとしても
大領主として堂々と会って、品定めしてやるわ!」
両掌を己の腰に添えて、ふんぞり返るようにして胸を張って言い放つ。
先程までの少し消極的な言動とは、まるで別人のようであった。
「あははっ。その意気、その意気!」
♪~~
弦を押さえ付けている指の位置を変え、音階を少し繰り上げる。
ただし弓を弾く腕の動きはゆっくりと……雄大なる曲調へと変化していった。
「ただし、エバンス! あんたも同席して背後に控えていなさいよね」
「ういうい~」
「もしも"あいつ"に預けておくのが危険な娘だと私が思ったら、
大領主の権限で取り上げて、暫くはあんたに扱いを委ねるから」
「うへぇ、そうくるのかぁ。おいら面倒ごとは嫌だなぁ……」
「ふんっ! 秘術とやらを抜きにしても海底都市の生き残りなんて、
どうあっても政治的利用価値と思惑が絡んでくるでしょう。
権力に無関係で単独で動ける奴ってなると、あんたが最適なのよ」
旅芸人として大陸各地を巡業しているエバンスは、とにかく顔が広い。
そして自衛の手段も豊富に心得ており、危険人物や要人の身柄を預けて遠ざけておくならば、彼以上に頼れる存在はいない。
「……私の理想と幸せのために、何でもしてくれるんでしょう?」
一瞬だけ声色が揺らいだ。
僅かに相手を窺うような、ノイシュリーベらしくない慎重さが滲み始めている。
「わ、分かってるよ! もちろん、その時は引き受けるって!」
「ふふっ……ええ、よろしく」
今度は望む返答を得られたからか、満足気に頷いた。
そしてノイシュリーベは、いよいよ沈み行く夕日の残滓を見届ける。
本日もまた、夜の帳が降りてくる……。
優しい偽りが、白亜の壁を包み込み始めるのだ。
「さてと、そろそろ晩餐の支度が整う時刻かしら。
あんたも適当に食堂で何か食べておきなさい!
夜中になったら、また書類作業の続きをしないといけないわ」
「へへっ、もうお腹ぺこぺこだよ。
おいらも作業を手伝うから、今日こそ全部片付けちゃおう。
そんで明日は、ノイシュもじっくりと休みなよ?」
「そうね、明後日の面会に備えるためにも是非そうしたいわ……。
どうせ"あいつ"と顔を合わせたら、ロクなことにならないだろうし」
「(それは九割方、ノイシュの方から突っかかるせいじゃないかな~)」
と心の中だけで指摘しつつ、エバンスは呑気そうな笑顔を浮かべて頷いていた。
「じゃあ、また後で執務室でね!」
「ええ、また後で――」
眼下に広がる市街地では、早くも魔具灯の淡い光に包まれ始めている。
幻想的で美しい、理想と理念を具現化させた御伽噺のような都市。
其の頂点に君臨し、領土を統べる者の戦いは昼夜を問わず繰り広げられている。
【Result】
・第18話の4節目をお読み下さり、ありがとうございました。
・改稿前は、執務室で二人でお茶を楽しみながら話し合う流れでしたが、思い切って大幅に変更してみましたが、如何だったでしょうか。
※会話の内容そのものは、大きく変わっていません。
・一点だけ補足させていただきますと
優れた魔法と魔術の素質を持ち、精霊を視認できるノイシュリーベにとって
精霊との交信は、友人にちょっとした頼み事をような気安い感覚となります。
・今回、空で踊っていた風の精霊も、きっと彼女の頼みを二つ返事で聞いてくれた、気のいい個体なのでしょう。




