018話『白亜の壁の更なる裡へ』(5)
※(2026.10.4) 本文の大幅な改稿と加筆修正を行いました
※メッテ→メートル
"半島の真の防人"ダュアンジーヌが手掛けた数々の魔具技術。
その真髄は、ヴィートボルグの地下深くにて、人知れず稼働し続けている。
たとえば、都市の全域を照らす魔具灯。
機構そのものは、ありふれた魔具の提燈を応用したものだが、特筆すべきはそれを一括して運用するための伝達回路と魔力貯蔵槽。
丘上の城館の地下四階より下、つまり丘陵内部を繰り抜いた区画に様々な設備が築かれていた。
地脈を介して集積し続ける魔力を蓄えておき、夜になれば半自動的に都市中の魔具灯が輝き始めるという仕組みである。
他にも上下水道や排水処理施設。備蓄食糧の保管庫。呪詛封じの結界。魔物避けの結界。果ては都市を覆う魔力障壁の発生装置……などなど。
様々な設備が、地下四階から地下九階までの階層ごとに整えられている。
その全てを管理しているのが、地下十階の『魔導研究所』。
大陸に五名しか存在しない、"魔導師"の称号を持つダュアンジーヌが築き上げたが故に、いつしかそう呼ばれるようになっていた――
[ 城塞都市ヴィートボルグ ~ 城館地下 十階 魔導研究所 ]
ノイシュリーベとエバンスが、第二城壁の上で言葉を交わしていた頃。
サダューインは、遥か地下深くの施設にて寝台に腰掛けていた。
彼の両隣では、妙齢の女性達が一糸纏わぬ姿で横たわっている。
「おやすみ、二人とも……君達は日頃から働き過ぎだ。たまには休んでくれ」
そっと二人の女性の頭を撫でてから、ささやくように呟いた。
一人は薄い紅紫色の髪に、異様なほど肌の白い吸血種。
もう一人は髪の色こそ同じ紅紫色だが、下半身が昆虫の節足のような独特な形状をした蜘蛛人である。
「(そろそろ地上では夜か。魔具灯が都市を照らす頃合いだな)
(……道理で空腹を感じるわけだ)」
床に脚を着けて立ち上がり、仮眠室の入口へと向かおうとした。すると脛骨辺りが僅かに軋み、ちくりとした痛みが走った。
ザントル山道での魔具像との戦いで負った傷の影響だ。
美丈夫の甘い面貌の下には、傷だらけの身体が繋がっていた。
然れど、極限まで鍛え上げられた肉体美は常人の追随を許さない。
異常なまでの筋繊維の密集。それにより放たれる高熱の体温。
純人種の特色を色濃く宿しながらも、サダューインの身体は常軌を逸していた。
何故ならば、彼の父親である英雄ベルナルドから受け継いだ身体なのだから。
「("偉大なる騎士"にして英雄と呼ばれた男と瓜二つの肉体)
(……我ながら、酷く醜い身体だよ)
(こんなモノを羨むなど、姉上は本当にどうかしている……)」
横開きの扉を、背中の"腕"を使って開いた瞬間、男女がまぐわった淫靡な空気が室外へと排出される。
「いいや、腹に何か入れる前に身を清めておくべきか?」
部屋を出た先の廊下は、左右に分かれていた。
右に向かえば食堂を兼ねる大部屋。左に向かえば沐浴用の小部屋のある区画。
どちらを優先するか逡巡していると、左の通路より何者かが近付く足音がした。
「お勤め、ご苦労様でございます。サダューイン様。
隣の部屋に新しいお召し物と、澄水を張った沐浴槽を用意しておきました。
大部屋には簡単な食事を……良ければ、ご賞味下さい」
「……君か、スターシャナ。
ラキリエルはどうした? 世話を頼んでおいた筈だが」
眉を顰めて訝しむ。言葉の節より彼女を咎める響きが滲んでいた。
「ラキリエル様でしたら、朝から読書に没頭しておられます。
旧イングレス王国式の宮廷作法を調べておきたいのだとか……勉強熱心ですね」
「彼女が自分から言い出したのか?」
「はい。明後日に控えた、ノイシュリーベ様との面会に備えたいのでしょう。
使い魔を置いてありますので、何かあったとしても問題はありません」
「……そうか。だが念のため彼女の傍に付いていてくれ」
「かしこまりました」
溜息を吐いて、首を横に振る。何かの邪念を振り払うかのように……。
サダューインは臣下の"瞳"を一瞥すると、彼女が先んじて用意した沐浴槽のある部屋へ向かって歩き出した。
「……それにしても、朝から休まずとは。彼女達が羨ましい限りです」
開いた扉から見える、亜人種の同僚達のあられもない姿。
スターシャナは心底羨ましそうに暗闇が支配する室内を検めていた。
「ルシアノンとジューレは夜行性の種族だ。我々にとっては朝からでも、
彼女達にとっては普通の……少し長めの情事くらいの感覚でしかないだろうな」
「私の心得ている『少し』とは、かなり差があるように思いますが?
この後は如何なされるご予定ですか?」
遠ざかる主君の背に向けて、視線を移す。
悍ましい数の"腕"を移植した異形の背中。或いは、化け物の行く路の先を……。
「今日と明日のうちに、回れるだけは回っておこうと考えているよ。
主に貴族家の別邸で暮らしているご令嬢達や、市街地で暮らしている者達だな」
「……」
「明後日は姉上との面会で、丸一日が潰れてしまうだろう。
その次の日には、ドニルセン姉妹が戻ってくるからね。時間が惜しい」
「……本当に、貴方の体力は無尽蔵ですね。
怪我だってまだ完全には癒えていないのでしょうに」
「あの男の血を色濃く継いだ肉体だ、使えるものは使い潰すまでさ。
……それとも、不満か?」
「ええ、そうですわね。
貴方を独占できないという意味では……とても」
「状況が落ち着いたら、君だけの為に時間は作る。それで納得してくれ」
「期待しないでお待ちしておりますわ」
サダューインを見送りつつ、その場で恭しく一礼するスターシャナ。
彼の姿が見えなくなったところで面を上げて、階層移動用の昇降機がある部屋へと歩いていった。
「ふっ、スターシャナの"瞳"を誤魔化すのは諦めるべきだろうな」
沐浴槽の傍に置かれた石鹸を手に取り、苦笑する。ご丁寧にも、治癒魔術が施された高価な薬用石鹸だった。
「都市中を飛び回る前に、早く傷を治せ……とでも言いそうだったな」
用意された石鹸を泡立てて、皮膚に練り込むように擦り付ける。
仄かに檸檬に似た爽やかな香りが漂い始めて、疲労が和らぐような気がした。
身を清めた後に、衣服に袖を通して大部屋へと向かう。
ライ麦パンに羊肉と葉野菜を挟んだ軽食が、大皿に大量に積まれていた。
それをサダューインは、凄まじい速度で平らげていく。
異形と化す前から優れた肉体を持つ彼だからこそ、常人の数倍の食事を必要としてしまうのだ。
「(ラキリエルと二人でグラニアム地方を巡っていた時は)
(なんだかんだと言っても、食事量を抑えていたからな……だが)」
ラキリエルを必要以上に不安に陥らせないためにも、只の美丈夫を演じていた。
故に、彼にとっては常に空腹を感じるような少量の食事を余儀なくされる。
偽りの姿。偽りの食事。偽りの時間。
「(だが、それでも……楽しい道案内だったな)」
ザントル山道の麓で野鳥を捕え、二人で野草やイェルフィンバの実を採取した。
ラキリエルに地上の料理を教えながら、二人で一緒に味わった。
無垢な彼女は何事にも一生懸命で、説明したがりのサダューインとしては、これ以上ない程の充足感を得ていたのだ。
「……おっと、また余計なことを」
もう一度、首を横に振って邪念を……楽しかった記憶を振り払う。
化け物には過ぎた一時だった。
魔人と成った己には、触れてはならない無垢の輝きだったのだ。
「さて、令嬢達の寝室を巡る前に楽園の様子も検めておくか」
あっという間に食事を済ませると、軽く食器を片付けてから大部屋を後にした。
向かうのは、更なる深遠へと続く階段である。
地下十一階は、丘上から二百五十メッテほど降下した位置にある。
ヴィンターブロット丘陵の高さが約二百メッテとされているので、地上から数えると五十メッテほどの地の底という訳だ。
「……」
純人種が三人くらい並んで通れる広さの階段を降りていく。
地下十階までは昇降機で移動できるのだが、後から造られたこの階層だけは未だに階段で……つまり己の脚で進まねばならない。
「(この階層に降りる度に、毎度ながら緊張してしまうな)」
長い長い階段の、最後の一段を踏み締める。
其処は嘗て『隔離部屋』と呼ばれていた、姉弟にとって忌むべき場所。
呪詛によって結晶化した両親を『ラナリアの聖火』によって焼却した姉弟の業。悲憤と慟哭の現場なのであった――
[ 城塞都市ヴィートボルグ ~ 城館地下 十一階 魔導研究所・最深部 ]
階段を下りた先は、鋼鉄製の床や壁、そして天井で覆われた無機質な空間。
家具などは一切見当たらず、ただただ虚無が広がっていた。
地下十階も同じ材質の床や壁であったが、あちらは多少なりとも生活の痕跡が見受けられる。ルシアノンやジューレが住み込みで働いているからだ。
しかし此方は、半ば禁域とされていた。
「こういう時に、魔力を自在に扱えないのは不便だな」
サダューインのために設置された小さな操作桿を、上向きから下向きへと切り替える。すると一斉に照明が灯され始めた。
細く長い魔具灯が、水平に伸びる線を描くかの如く壁に埋め込まれている。
それ等が放つ淡い水色の光が、無機質な空間をより際立たせることになった。
「……」
階段から少し歩き、一見すると最奥と思しき壁際へと辿り着いた。
然れど、壁の隅には秘匿された仕掛けが存在していたのである。
これより先は、大領主であるノイシュリーベすら知らぬ区画。
ダュアンジーヌとサダューイン、そして彼の臣下である『亡霊蜘蛛』の実働員の間でのみ共有される。ヴィートボルグの深淵。
壁に埋め込まれた操作盤を迫り出させて、複雑な手順で掌を動かした。
ガ ゴ ン ……。 ゴ ゴ ゴ ゴ ………。
すると最奥だと思っていた壁が、中央から真っ二つに割れる。
地鳴りの如く重苦しい稼働音と共に、左右に別たれるようにして開いていく。
いわゆる隠し部屋。開かれた扉の先には、更なる広大な空間が広がっていた。
其処は一見すると、まるで楽園のようであった――
先程までの虚無の空間から様変わりを果たし、様々な植物が生い茂っていた。
中央には、地下水を利用して整えられた美しい池があり、水面を渡るために架けられたアーチ状の白亜の橋には、きめ細やかな装飾が施されている。
更に池を囲むようにして、天井まで伸びる巨大な柱のような物体が何本も聳え立っている。さながら聖堂の中に開かれた庭園といった趣だ。
色とりどりの光を放つ魔具灯に照らされた庭園は、正に幻想の具現化。
或いは、ダュアンジーヌの理念が象られた幻創というべきか……。
「(造られた楽園、母上と……俺達の業)」
美しき楽園。然れど、真っ当な生物の気配は感じられない。
草地や水中で棲息する虫や魚、小動物などは存在しないのだ。
しかしながら、この空間にはサダューイン以外に数多くの生命が蠢いている。
「……」
橋を渡り、池の中央に築かれた離れ小島を経由して、楽園の奥へと歩いていく。
罅の入った己の脚で。罅ごと塗り固めた己の意思で。
やがてサダューインの目の前には、白亜の水晶を削り出した玉座が現れた。
丘上の城館一階、謁見の間に置かれた椅子とは全く異なる意匠。異なる意味。
もう一つの、グレミィル半島の玉座なのだ。
「ふふっ、どうやら異常はなさそうだ。
ルシアノンとジューレが、丁重に手入れしてくれているおかげだな」
我が物顔で玉座に腰を下ろし、ぐるりと頭部を動かして楽園の中を一望する。
サダューインにとっては、嫌になる程に見飽きた光景が広がっていた。
「ジューレの姉妹達も、順調に育ってくれている」
柱のように佇立する物体へと視線を傾ける。
よく見れば暗色の硝子で出来ており、裡には液体が注入されていた。
否、液体だけではない。何か巨大な物体が、或いは生命体が蠢いている。
「この分なら、近いうちに実戦投入も検討していけるだろう。
戦場に解き放つのは心苦しいが……本国の連中の横暴を座視する訳にはいかない」
エーデルダリアでの不穏な動き。ザントル山道で遭遇した軍人達。
意図的に噴出させた『負界』と、それを苗床にして流布された呪詛の数々。
他にも、"黄昏の氏族"との軋轢もあった。
故に、サダューインには力が必要なのだ。
己に移植した"腕"以上の、ヒトの道を外れた巨大な力が!
「(姉上達だけでは手に余るような外敵を駆除するために、もっとチカラを……)」
竜人種より移植した左掌を頭上に掲げ、小指からゆっくりと握り締める。
天井にて輝く照明を、人工の光を掴み取るかの如く。
この掌に光を。
グレミィル半島の民を守るための、光を。
亡き母、ダュアンジーヌが遺した幻創を維持するための、光を。
「(ああ、だから俺は……ラキリエルが垣間見せた蒼光を欲したのか)」
全てを消し飛ばしてから再生するかのような、あの無垢な輝きに目を奪われた。
己が求めた力の象徴であった。だから彼女に惹かれてしまったのかもしれない。
その事実を、数多の女性を虜にしてきた美丈夫は気付いてしまった。
「ふふっ……ふはははは……」
竜人種の掌を額に当てて、乾いた笑い声を漏らす。
肺の中の酸素を放出し、そして大きく息を吸い込んだ。
「本当に、俺らしくない思考に支配されてしまっていたな」
自嘲気味に独り言を吐き捨ててから、玉座より立ち上がった。
地上では今頃、ヒトの世界の夜がこれから始まろうとしている。
予定していた貴族家の令嬢達の相手をしに行かなければならない。多くの者を誑かし、ヴィートボルグに縫い留める業務を熟しに行くのである。
彼が多くの女性と関係を築いているのは、力を得るため。保護するため。
スターシャナやドニルセン姉妹のように才能と実力はあるが、社会的地位が極めて低い、迫害の対象となった者達を活躍させるためであった。
サダューインという大領主の弟。エデルギウス家の長男のお手付きとなることで彼女達を虐げようとする者達の魔の手から掬い上げる。
貴族家の令嬢と接するのは、その親がノイシュリーベに服従していない場合だ。
将来的に粛清することになる家に生まれた不幸な娘に対する、同情でもあった。
ただしサダューインの方から女性を求めたことは、過去にたった一度しかない。
深く関わるうちに、自然と女性の方から彼を求めるようになるのだ。
それが英雄ベルナルドと同じ肉体、同じ面貌を持つ者の宿痾……。
ラキリエルに対して当初、予定していたのは前者としての扱いだった。
追われる立場の彼女を救出し、心身ともに疲弊した弱みに付け込んで心を奪う算段であった筈なのに……自分の方が奪われかけているという皮肉。
これまでのように利用価値のある娘を手中に収めて、計画の足しにする手筈であったのに、とんだ誤算であることを自認する。
「……姉上との面会が一段落したら、暫く顔を合わせない方が良さそうだ」
再び橋を渡って中央の池を通り過ぎ、楽園の入口へと歩を進める。
その途中で、柱のような物体の裡で蠢く生命体を見渡していた。
計画は須らく順調に進んでいる。外敵は忌々しい程に足元に迫っている。
なれば、予期せぬ不確定要素は遠ざけてしまったほうが良いのかもしれない。
無論、己の手で救出した以上はラキリエルの安寧と、今後の生活は見届けよう。
責任をもって彼女の自立を助けていく。その方針を違える気はなかった。
「(嘘を見抜ける『妖精眼』を持つ姉上は、俺の行いを看破している)
(清廉潔白を地で行く姉上からすれば、唾棄すべき路と映るのだろうな)」
だからこそ彼女は、双子の弟を表立った政治の舞台に登らせようとしない。
奇しくもそれは、サダューインにとって好都合であり、両者の利害は一致する。
ゴ ゴ ゴ ゴ ………。 ガ ゴ ン !
再び地鳴りを響かせながら、扉が閉まる。楽園の入口が閉ざされる。
虚無の空間へと、サダューインは帰ってきたのだ。
そのまま階段を上り、地下十階の廊下を渡り、昇降機に乗って地上を目指す。
地下三階からは再び階段で、丘上へと戻る。それがヴィートボルグの在り方だ。
「旧イングレス王国式の宮廷作法を学びたい、か。
飲み込みの良いラキリエルのことだ、明後日にはきっと形になっていそうだな」
城館一階の勝手口より外に出ると、彼女が滞在する離れの家屋を一瞥する。
彼女の様子を検めようと家屋に向かおうとしたが、止めておいた。
これから業務に身を窶すというのに、無垢な貴人の輝きを目にするのは酷というものだ。
「(どの道、明後日の面会の場ではずっと同席することになるのだからな……)」
そうしてサダューインは、夜の帳に包まれるように去っていった。
魔具灯の淡い光に包まれた幻想的で美しい、御伽噺を真似た都市。
其の深淵で暗躍し、領民を守る者の戦いは昼夜を問わず繰り広げられている。
【Result】
・第18話の5節目をお読み下さり、ありがとうございました!
・改稿前と比べて、少しでも読み易くなっていれば幸いです。
・次なる第19話では、いよいよ主要人物4名の合流を描いていきたいと思いますので、どうかご期待下さい!




