019話『プリンシパルキャスト』(6)
いつから背後を振り返ることを、怖く感じるようになったのだろう……。
水塊の中で不安気な眼差しを"あいつ"に向けるラキリエルは今にも泡となって消え去りそうなほど儚げに感じた。
彼女の挙動を見ていれば一目で分かる。一緒にいた期間は十日にも満たない筈なのに、心の底から"あいつ"に心を奪われてしまっているのだと。
己の本性、仮初の姿を解いて想い人に真実を晒すというのは大層な勇気が必要であったことでしょう。でも彼女はそれをやり遂げた。
純人種とは掛け離れた種族の姿を開示することで、"あいつ"に嫌われてしまう可能性があったのに、我々への誠意を示すために全てを明かしてみせたのだ。
その瞬間、私は彼女を何がなんでも保護したいと思い、護りたいと願った。
気が付けば水塊の中に飛び込んで抱き締めていた。泡となって消え去る前に、この両腕で掴んでおかなければいけないような気がしたのだ。
躊躇してはならない、怖気付いてはならない。思い立ったら即決即断。誰よりも早く行動することが大領主としての私の矜持であり、唯一の武器なのだから。
斯くして本性を晒したラキリエルを、私は正式に迎え入れる宣言を発した。
魔法で部屋を元通りの状態に戻し、彼女は再び純人種の姿へと変容してから、元の場所に着席した。
流石に深海の竜の民……竜人種の姿では椅子に座ることは難しいでしょう。
「それではラキリエルの件は、これにてグレミィル侯爵から直々に認可されたと
捉えさせていただいてもよろしいですか?」
「ええ、それで結構よ。後日エドヴァルドを通じて書類にも調印しておくわ。
暫くは城館の貴賓室で過ごしてもらうことになると思うけど」
これは予め考えていたことだ。"あいつ"は、才能や能力はあるが困窮していたり故郷を追われた女性達に付け入っては虜にし、利用しようとする。
今回のラキリエルもその類だと思ったので、喰い物にされる前に遠ざけておいたほうが良いと判断したからだ。勿論、彼女の意思は尊重するつもりだけど。
「ふむ、そうですね。たしかに彼女はずっと海の底で暮らしてきた。
なら最初は街中よりも城館内で侍従を付けて生活に慣れてもらったほうが
後々のためになるでしょう……それで良いかな、ラキリエル?」
意外にも"あいつ"は反論せずに、むしろ賛成してきた。これは少々、拍子抜けしたというのが正直な感想ね。
「はい……わたくしは、サダューイン様達の決定に従わせていただきます」
「ヴィートボルグの市街地には、他の街じゃまず見ることがないくらい
沢山の種族がごった返してるからね。おいらも最初はかなり戸惑ったよ!
出歩くにしても一通り知識を付けてからにしたほうが良いよねぇ」
「決まりね。東側の一番室を空けてあるから、そこを使うといいわ。
エバンス、後で案内してあげて頂戴」
「ういうい~」
「身に余るほどのご配慮をいただき、心より感謝いたします……」
「いいのよ。貴方が少しでも早く、ここでの生活に慣れることを願っているわ」
ラキリエルに安心してもらえるように、できる限り優しく微笑んでみせた。
これで彼女の件は一段落といったところでしょう。しかし、話すべき議題はまだまだ存在していた。
「じゃあ、次の話に移りましょうか」
「……ザンディナムの件ですかね」
「ええ、あんたからの報告書には一応 目を通しておいたわ」
癪だけど、"あいつ"から送られてくる書面はいつも適格で、尚且つ簡潔に要点を絞って纏め上げてくれている。
一流の紋章官にも引けを取らない実務能力を備えていて、エドヴァルド達からの評判も相当に高い……。
「まず坑道内の魔物……魔獣といったほうが良いのかしら?
その討伐を成し遂げた冒険者には特別報酬を与えることにしたわ」
「結構なことです。たまたまウォーラフ殿と"春風"が居合わせていなければ
『翠聖騎士団』を二部隊以上は派遣することになっていたでしょうからね」
「どうやら、そのようね……書かれていることが真実なのなら」
「ま、サダューインがここで嘘付いたり誇張したりするメリットはないよね~」
「……暫定だけど"春風"のアルビトラには『幻創記章』を送ろうと思うわ」
「ほう! 姉上が大領主になってから初の授与者が現れるということですか!
それに……タイミングとしても悪くない、むしろ最良かもしれませんね」
流石の"あいつ"もこの特別報酬は予想していなかったらしく、珍しく私の話に目を見開いて驚愕した表情を浮かべていたわ。
「あの……『幻創記章』とは、どういった代物なのでしょうか?」
「あ、そっか! たしかに海底都市で暮らしてたら聞き馴染みはないよねぇ」
「『幻創記章』とは、この大陸で大きな領地を持つ為政者が
功績を挙げた冒険者や傭兵、商人といった放浪の者達に送る最高位の勲章だ。
この勲章を持つ者はそれだけで一目置かれる存在になるのさ」
「あとは、おいら達みたいな旅芸人なんかもそうだね~。
定住する土地を持たないヒトにとって、この勲章をどれだけ持っているかが
一つのステータスになるし、大きな仕事を受ける条件にもなったりするんだ」
「なるほど! お二人とも、ご説明ありがとうございます!」
「ちなみにノイシュは自分から率先して領内の問題解決に駆け付けるもんだから
冒険者達が大きな活躍をすることがなくて、今まで授与者が出なかったんだ」
異なる環境で生きてきたラキリエルに"あいつ"とエバンスが代わる代わるに説明してくれた。
「エドヴァルドやジェーモス達とも協議した結果よ。
"春風"の働きはそれに見合うものだった。二ヵ月以内には授与式を行うわ」
「了解しました。俺からは特に異論はありませんよ。
ザンディナム銀鉱山の変事により不安を懐いている者は多い……。
そこへ『幻創記章』授与者が現れたなら、多少は気を紛らわせるでしょう」
「それほどまでに……その勲章は価値あるものなのですね」
「そうだよ~、一般庶民にとっちゃ授与者の誕生はちょっとしたお祭り騒ぎさ。
難事件を解決した英雄様! ってのは皆、大好きだし話題性も抜群だしね」
「事件の収束を明確に喧伝して、民の心を落ち着けるという意味合いもあるわ。
冒険者側からしても名声を得る貴重な機会だから、お互いの利益になるの。
大陸全土で広く浸透している制度だから、覚えておいて損はないわよ」
「勉強になります。たしかに悪い出来事の噂だけを放置していたら
皆さん、どんどん暗い気持ちになっていきますものね……。
教えていただいて、ありがとうございます!」
この部屋に居る自分以外の者にそれぞれ深々と頭を下げて律儀に御礼をするラキリエル。その挙措を目にしただけで、私は好印象を懐いたわ。
「……とはいえ現状では領民の目を逸らすだけの喧伝に過ぎません。
根本的な解決には、一日でも早く鉱山事業を再開することが必須でしょう」
「その通りよ。ザンディナムの宿場街に滞在する者達を抑え込める期間は
精々が二ヵ月……あんたはその期間で問題を解決する案を出せるの?」
宿場街が立ち行かなくなれば領地運営に於いて財政的な影響を及ぼす。そうなれば領民が不安に陥るばかりでなく、食い扶持を稼げなくなった冒険者達が略奪行為に手を染める可能性があり、著しく治安が低下していくのだ。
そんな最悪の自体だけは、なんとしても避けなければならなかった。
『幻創記章』の授与は領民や放浪者達の心を落ち着かせるための施策の一環であり苦し紛れの目晦ましでもあったのだ。
「勿論です、昨日の間に段取りを整えて参りました」
憎たらしいほど涼しい顔で、わけもなく言ってのける。
この弟はいつもこうだ。私達が知恵を絞り出して、何度も何度も意見を交わして決議するような方法を独りでさらっと考え付いてしまう。
そればかりか現実的に実施可能かどうかまで確実に検証してから動くのだ。
「へぇ……相変わらずの"腕"の長さと多さよね。
じゃあ聴かせてもらいましょうか、二ヵ月以内で坑道を浄化する方法をね」
皮肉と牽制を交えた言葉を放っても、"あいつ"は一切表情を変えることなく、応接机の上に情報を纏めた資料を置いて淡々と説明に入ったの。
「まず坑道に充満した『負界』を祓うには第二級火葬術式が必要です。
広大なザンディナム銀鉱山でそれを実施するには相応の人数と計画性が必須」
資料に記載された必要人数と経費の概算を見て、私は眉を顰めてしまった。
「火葬術式を習得した魔術師だけでなく、坑道内の酸素を保持する環境魔法や
浄化魔法を得手とする魔法使い、そして魔物の横槍を防ぐための護衛役。
それ以外にも諸々の雑務を担当する者も必要となってくるでしょう」
「……とんでもない人数ね。搔き集めるだけなら不可能ではないでしょうけど
それは無限に時間あればの話よ? 二ヶ月間で事業再開までできるのかしら」
「そうだねぇ、多少は余裕を持たせないといけないだろうから
一ヶ月半くらいで全部終わらせるくらいの見積もりでないとダメだろうね」
「ええ、エバンスの言う通りですね。なので環境魔法の遣い手は大至急、
ウープ図書学院へ伝令を出して学徒を含む魔法使い達を派遣してもらいます。
そして火葬術式はブレキア地方の隠者衆を招聘します。これで人数は足りる」
「……なんですって!?」
「???」
"あいつ"の提案に思わず声を出してしまった。エバンスも同様に少し驚いたような表情をしている。その一方で、意味を理解していないラキリエルだけは頭に疑問符を浮かべていた。
「うーん、図書学院にお願いするのは分かるけど……隠者衆はどうだろうね。
あのお爺ちゃん達が素直に従ってくれるとは思えないし、
なによりブレキア地方から移動してくるのに軽く二ヶ月は掛かっちゃうよ!」
ウープ図書学院とは、グラニアム地方の西に位置するウープ地方の発祥であり中心ともなった都市で、その名の通り数多くの蔵書を抱えているために古くから将来を有望視された魔法使い達が学びを得る場として発展してきた。
隣の地方であるために伝令を出して必要人数を招聘するのに必要な日数は半月ほど。若い学徒ならば体力があるでしょうし、環境魔法は習得がそう難しいものではないから経験の浅い魔法使いにとっては場数を踏む貴重な機会になるわ。
しかし隠者衆はそうはいかない。まずブレキア地方は半島の最南端に位置し、片道だけの移動でも相応の日数が必要となるし、なによりも隠者衆は第一線を退いて引退した魔術師達の集まりで政治的な権力からも距離を置いている……。
魔術の腕は確かだけれど、頭が固くて体力もない。大領主の座を継いで二年程しか経っていない私の言うことを素直に聞き入れるとは思えなかった。
「大丈夫だ、隠者衆の纏め役の孫娘達を通じて既に手は打っている。
老人とは頑固で打算が得意な生き物だが、自分の孫には甘いものだからな」
「うへぇ、孫娘さん達も片っ端から君の"お手付き"ってわけかぁ」
「……幸い、彼女達の多くはヴィートボルグで暮らしていたからな。
昨日のうちに全員に会って、既に使い魔を送ってもらったよ」
その言葉を聞いて、私はますます眉を顰めることになった。
"お手付き"とは"あいつ"によって誑かされて、意のままに操れる手駒と化した娘という意味だ。全くもって穢らわしい!
見るからに"あいつ"を慕っているラキリエルがその意味を知ってしまったら、どれだけ傷付くことになることか……私は深い憤りに呑まれ掛けた。
「そして移動に関しては、エシャルトロッテの覇王鷲で送迎すれば解決する」
「ははぁ、成程ね。覇王鷲ならエアドラゴンよりも大勢運べるし、快適だ。
問題はあのロッティが素直に引き受けてくれるかどうか、だろうけど」
「……それは、俺が責任を持って必ず交渉してみせるさ」
「あの……エシャルトロッテさんという御方は、たしか『亡霊蜘蛛』の?」
「ああ、そうだよ。……スターシャナから聞いたのかな?
彼女は天空騎士の末裔で、代々に渡り覇王鷲と契約してきた一族なんだ。
覇王鷲は一度に二十人以上ものヒトを乗せて飛ぶことができるのさ」
「すごいです……! 是非とも一度拝見してみたいですね」
「現在は出払っているが明日にはヴィートボルグに戻って来る予定だよ。
覇王鷲は目立つからね、ここで暮らしていれば必ず目にする機会はあるさ」
「はい、楽しみにしておきます!」
ラキリエルにとって地上世界で目にするもの全てが新鮮に感じるのでしょう。まだ見ぬ未知の生き物と、それを駆る女性に興味を懐いたようね。
「隠者衆を呼び寄せる算段は理解したわ……個人的には受け入れ難いけれど
他に有効そうな手段も見当たらないし、今回はあんたの提案を呑むわ」
「有難うございます。姉上からも一応、隠者衆への正式な招聘手続きを
していただけると更に盤石となるでしょう。
浄化中の護衛役に関しては宿場街に滞在中の冒険者に依頼を出してください」
「……分かった。後でエドヴァルドにも言っておく。
そうなると残るは経費の問題よね」
派遣する魔法使いや魔術師の滞在費用や報酬、雇用した冒険者への依頼料など
人数が人数だけに莫大なる支出が予想される。勿論、銀鉱山を再開できなかった際に収入源が途絶えることに比べれば、遥かに軽い支出ではあるのだけれど。
「そのことに関しては、俺の個人的な蓄えを切り崩しますよ。
今回ばかりは最速で解決させる必要がありますからね……」
恐ろしいことを、さらっと言う。
確かに一刻も早く鉱山事業の再開を目指すならば悠長に稟議などしている暇はないのでしょう。即決で捻出できるなら、それに越したことはないわ。
ただし問題はその金額。資料に記されていた諸々の必要経費の概算は約五百万エディン……これだけのお金を大領主として動かすならば、本来ならば財務を担う紋章官達を全員集めて何日も協議の場を設けなくてはならない。
それを個人で、直ぐに出せるというのだから"あいつ"が独りで築き上げてきた底無しの財力を思い知らされてしまう……。
この弟は昔から、こうなのだ。
私が預かり知らぬ場所で、じっくりと腰を据えて着々と力を蓄えている。
お金も、ヒトも、技術も……その恵まれた才能を駆使して手中に収めている。
お父様以上の優れた肉体に、お母様を超える頭脳。"あいつ"が持ち合わせていないものがあるとしたら、それは魔力と『妖精眼』だけなのだ。
それ以外の全てを、この弟は持ち合わせている。そして己に慢心しない。
"魔導師"の称号を持つお母様は元々 素晴らしい魔具を幾つも造り出した人で特に死去する前の五年間ほどの間にはヴィートボルグの都市機能を著しく向上させる施設を完成させた。
しかし、それは"あいつ"が提供した資金があればこそ実現したのだ。そして現在も、お母様が遺した魔具施設を維持して都市が美しい景観を保てているのは、全て"あいつ"の頭脳と財力があればこそ成り立っている。
紋章官達の中には私ではなく"あいつ"が大領主になったほうが良いと考えている者は少なくない。そればかりか『翠聖騎士団』の部隊長の中にすら、弟を支持する者も存在する。
実力至上主義を掲げる第二部隊長のペルガメント卿や、そもそも"あいつ"の"お手付き"である支援部隊長のバリエンダール女史などだ。
もし"あいつ"が騎士を目指していれば、大陸史に名を刻む英雄になるだろう。
皇国軍の軍人として仕官すれば皇王府に出入りするような将軍になるだろう。
独自の商会を立ち上げれば、他の大陸に進出するような大富豪になるだろう。
そんな輝かしい才能と努力と実績の全てを、この弟はグレミィル半島の繁栄と領民の安寧のために費やそうとしている。
ただし手段は選ばない。選ぼうとしない……利用できるものは全て利用し尽くして、総てを呑み込んで自由自在に操ろうとするのだ。
この弟はいつの間にか、こうなのだ。
どんなに早く、誰よりも速く、私が前を突き進んでいったとしても、背後には必ず"あいつ"が追い付いてくる。
しかも重厚な足場を築き上げて、安全で最善な橋を一から造り上げながら。
同じ血を別けた双子である筈なのに、私は綱渡りのような最短距離を最速で駆け抜けることしかできない、脆い偶像。
そしてこの弟は、何一つ臆することなく堂々と告げた。
「予備資金を含めた総額で五百五十万エディン、一切の返却は不要です。
ザンディナムが機能不全に陥ることを免れるのなら喜んで提供いたします。
隠者衆の説得と送迎も、俺の首を懸けてでも成し遂げてみせますよ」
正直に白状しましょう。私は……"あいつ"が 怖い。
背後を振り返ると、己の無力さを突き付けられてしまいそうで
もしも傍に悪友がいてくれなかったら、きっと私は恐怖で震えていた……。
・第19話の6節目をお読みくださり、ありがとうございました。
・五百五十万エディンは現在の日本円に換算すると、だいたい55~60億円くらいの想定となります。
・第14話でも少しだけ触れましたが、サダューインは子供の頃から独学で色々な商売に手を出しており、エデルギウス家とは無関係な財産を自力で築き上げてます。
ヴィルツと懇意にしているのも、その一環ですね!




