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017話『白亜の壁の裡へ』(5)

※(2026.9.26) 本文の大幅な改稿と加筆修正を行いました

※西征の刻=午後9時


 [ 城塞都市ヴィートボルグ ~ 城館 地下一階 主厨房 ]


「それじゃあ、このお盆の上に載ってるやつを纏めて持っていきますね」



「おう、頼んだぞ狸の坊主! お前も夜遅くまで大変だな」



「あははっ……厨房長さんには言われたくないですよ~」


 宵が更けて暫くが経ち、西征の刻を間近に控えた時分。

 丘上に聳(そび)え立つ城館内には、未だに使用人や給仕達の姿があった。




「ま、確かにねぇ。後でノイシュにも、しっかりと言っておかないと……。

 夜番でもないのに、遅くまで仕事しなくちゃならないのも考えものだ」


 香草茶が入ったポットと夜食を乗せた銀の盆を抱えて階段を登る最中に、エバンスは自嘲混じりに嘯(うそ)いた。

 彼が向かおうとしている三階の執務室では、主君である大領主が、今も書類の親閲に勤しんでいるのだ。



「こうして見ると、お城も随分と変わったもんだよ」


 地下から一階へ、そして廊下を少し歩いてから二階へ続く階段を登り始める。

 城館内の至る箇所に、市街地と同じく魔具灯の明かりで照らされていた。


 エバンスが初めてこの城館を訪れた時は、まだ蝋燭や篝火台の明かりに頼っていた。したがって現在のような安定した光源ではなく、使用人達の多くも早々に寝静まっていたものだ。



「とはいえ、便利で快適に過ごせるようになっているのは事実だ。

 ダュアンジーヌ様と、サダューインの功績は途轍もなく大きいね~」


 二階に着くと、続いて三階に繋がる階段を目指して壁伝いに続く廊下を進む。

 すると前方より二人組の男性の騎士達が歩いて来た。




「(おっと、あれは『翠聖騎士団(ジェダイドリッター)』の第二部隊長と第四部隊長だ……!)」


 彼等の素性を察したエバンスは、無言で廊下の端に寄った。

 そして壁に背を向けて頭(こうべ)を垂れる。騎士達が通り過ぎるまでの間、そのままの体勢で待っているのが貴族を遇する作法なのである。



「けっ!」


「…………」


 二人組の片方、長身の狼人(ウェアウルフ)が明らかな侮蔑の視線をエバンスに傾けた。

 もう片方の年配の純人種は、一瞥すらしなかった。しかし通り過ぎる間際に、貫禄のある口調で言葉を紡ぎ始める。




「侯爵閣下の部屋に向かうのか?」



「はっ! 夜の御食をお届けにあがるところでございます」



「そうか……では貴様からも、侯爵閣下には程々で切り上げるよう進言せよ」



「心得てございます、ハンマルグレン卿。それにペルガメント卿も」



「……うむ」


 終始、前だけを向いて歩き続ける。そのまま彼等は一階へと降りていった。




「ふぃ~~、ジェーモスのおっちゃんと違って、あのヒトは緊張するなぁ」


 騎士達の姿が見えなくなったところで、エバンスは大きく息を吐きながら立ち上がる。口調とは裏腹に、表情は実に飄々としている。




「それにしても、貴様からも進言せよ……か。

 ハンマルグレン卿達も、ノイシュに小言を言いに行ったのかなぁ?

 この分だと、余計に意固地になって仕事を続けていそうだ」


 ノイシュリーベの性分を知悉するエバンスは、先程までは異なる意味合いの溜息をまた一つ吐くのであった。






 [ 城塞都市ヴィートボルグ ~ 城館三階 執務室 ]


 コンコンコン……と等間隔で三回、扉を叩く。


 千年樫を削り出した上質な木材ならではの、重厚な音色が静かに響いた。

 旅芸人として精緻な耳を持つエバンスからしても、心地良く感じる程である。



「入りなさい」


「ははっ!」


 銀の盆を片手で保持したまま器用に扉を開く。

 一拍置いてから、足を踏み入れて扉を閉じる。そして部屋の主に一礼した。


 執務机で作業をしていたノイシュリーベは、入室したのがエバンスであることを察して、ほっとしたようだ。




「夜食とお茶を持ってきたよ~。

 ま、眠気覚ましっていうよりは『早く寝てください』って感じだけど」



「ふん、ハンマルグレン卿達にも言われたわ! 皆、心配性よね」


 少し辟易したような顔で愚痴を零しながら、ノイシュリーベはエバンスが執務机の上に置いた盆の中身を検めた。

 仄かに漂う甘い香りが鼻腔をくすぐり、疲れた頭を刺激してくれる……。




「南杏の米粥と、香草茶だよ。いい食材を厳選してくれたみたいだねぇ」



「ナジア領から入ってくるようになったやつね」


 種子を磨り潰した乳白色の液体に、米を加えて煮込んだ代物である。

 この液体こそ甘い匂いの正体であり、淡泊なナジア米とよく合うのだ。


 香草茶の方は、林檎に似た優しい甘さと爽やかさを兼ね備えた風味。きっと米粥の後味をさっぱりと流してくれることだろう。



「ありがたく、いただくわ。

 三食だけに留まらず、このような上等な食事を摂れることに感謝します」


 己の鎖骨の辺りに掌を添えて軽くお辞儀をすることで、食物への感謝を示した。

 同じく盆に載っていた銀製の匙を使って、小さな口でぱくぱくと平らげていく。




「真面目だね~。

 でも早く休んでほしいっていうのは、おいらも同じだよ」



「……まだ半分くらいしか書類に目を通せていないのよ。

 特に税収に関係するやつとかね!」



「あははっ、ノイシュは軍事には強いけど、こっちは苦手だもんね。

 サダューインなら……おっと、なんでもない! なんでもないよ!」


 弟の名を出した途端に険しくなる双眸を察して、エバンスは両掌を大仰に振るって誤魔化した。




「……ふん! エドヴァルド殿に小言を言われる前に

 自分でやれることはやっておきたいの。あんたも手伝いなさい!」



「そのつもりさ~。あと、そっちに置いてある呪具の解析もね」


 部屋の隅の棚に視線を傾けると、何やら怪しげな雰囲気を醸し出す宝石が白い布に包まれて置かれていた。



「それはもう終わっているわよ。

 帰る時に、バリエンダール女史の従者に渡してきて頂戴」



「へぇ、流石! 『妖精眼』があると解析もちょちょいのちょいだねぇ」



「お母様に比べれば全然大したことないわ……。

 まあ、書類作業の良い気晴らしにはなったけどね」


 そう言いながらノイシュリーベは、同心円状に三つ重なる光輪を双眸に浮かび上がらせた。如何なる術式も、呪具も、彼女にとっては些末なパズルに等しい。


 それだけに彼女の瞳を以てしても解析できない『偽翡翠』なる呪詛の蔓延は、非常に頭の痛い問題なのである。




「色々と手を出すのは良いけどさ。一人で出来ることには限度があるよ」


 棚に置かれた宝石を布ごと手に取り、ポケットに仕舞い込む。

 それからエバンスは机に積まれた紙束の一つを掴んでみせた。



「とりあえず、これはおいらが目を通すよ。

 食べ終わったらノイシュはそっちの束を見て、今日はもう休もう」



「……わかったわ」


 さり気なくエバンスが掴んだ紙束は、ノイシュリーベにとっては判断に迷う土地に関する書類であった。今、抱えている中で最大の難敵というわけだ。

 それを処理してくれるというのだから、これ以上の文句は言えない。



「(これだけ色んなことが出来るくせに、ずっと後ろで支え続けてくれる)

 (いつも私が祈りを捧げている精霊達よりも、ついつい頼ってしまうわ……)」


 そうしてノイシュリーベが大人しく米粥を啜っている間、エバンスは黙々と書類に記載された内容を検めていった。






 [ 城塞都市ヴィートボルグ ~ 丘上の家屋 ]


 沐浴を終えて用意された部屋着に袖を通したラキリエルは、髪が乾くのを待ってから居間へと案内された。

 その間にスターシャナは夕食の支度を済ませており、香ばしい匂いが部屋中に漂っている。空腹の身体を大いに刺激してくれることだろう。


 しかしラキリエルは、沐浴時に交わした会話のことで頭がいっぱいだった。




「いい匂いだ、これは……羊肉の鉄板焼きかな?」


「……っ!」


 少しの間を空けてサダューインが居間へと顔を出した。そして中央に置かれた長机のうち、ラキリエルの隣の席へと腰掛ける。

 心なしか、この家屋にやって来た時よりも顔色が良くなっていた。



「ほう、来客用に用意させた服だが見事に着こなしている。

 その髪型もこうして見ると新鮮に感じるな」



「あ、ありがとう……ございます」


 現在のラキリエルの出で立ちは肌着の上に、薄い緑色のガウン状の部屋着を纏っている。長い黄金の髪は、馬尾のように一つ結びにしていた。


 天井より吊り下げられた魔具灯の光と相俟って、昼間の彼女よりも少し大人びた雰囲気を醸し出していた。




「ふふっ、よく似合っているよ。

 尤も、何を着ていても、君なら映えることだろうね」


「うぅ……」


 清々しいまでの笑顔を傾けられて、思わずラキリエルは俯いてしまった。

 朱色に染まる頬と、微熱のような蕩ける頭は一向に収まってくれない。

 先程までのスターシャナとのやりとりのせいで、一層とサダューインのことを意識してしまうようになったのだ。




「その言葉。初めてロッティを連れて来た時にも言っていましたよね?」


 居間の奥の台所より、料理の載った移動台を両掌で押しながらスターシャナが姿を現した。相変わらずの無表情だが、その口調には僅かな棘が含まれている。



「(ロッティ……たしか、エシャルトロッテという御方でしたっけ)」



「ははっ、そうだったかな? よく覚えているね」


「当然です」


 長机の傍で移動台を置き、大皿に盛られた羊肉と小皿のサラダやスープ、ライ麦パン等を並べていく。一切の無駄がない流れるような所作だった。


 ラキリエルがロッティという人物について尋ねようと口を開き掛けたところで、スターシャナが更なる指摘をサダューインへと傾けた。




「お怪我の具合はもうよろしいのですか? この家屋を訪れた時には

 右掌と左上腕部、それから脚の骨にも異常が見受けられました」



「……えっ?」


「ふっ、相変わらず君の"瞳"は誤魔化せそうにないな」


 居間だというのに装着したままだった漆黒の手袋。

 その右掌側をそっと外して、包帯の巻かれた右掌の様子を開示した。



「あっ! ザントル山道の時の……」


 そこでラキリエルは、はっとした表情で驚きながら硬直してしまった。

 ラナリア皇国海洋軍の軍人や、魔具像(ゴリアテ)との戦いで負った傷痕だ。


 戦いの後に、ラキリエルが魔法(スペリオル)で癒そうとしたのを何かと理由を付けて拒み、ヴィートボルグまでやって来てしまったのだ。

 初めて訪れた御伽噺(ユメ)のような都市に夢中だったこともあり、ラキリエルは今の今まで失念していた。




「大丈夫だよ。元々、治療用の魔具(デミ・マギア)で事足りる程度の傷だったからね。

 この通り、完璧に手当ては済ませた。二日もあれば完治してくれるだろう」



「……」



「ラキリエル、君の力はとても貴重だ。

 心配してくれるのは嬉しいが、きっと俺よりも救いを欲する者が居る筈だ。

 その時のために今は自身の心と身体を労わってほしい」


 朗らかな表情と口調。このサダューインという男の方針は一切、揺るがない。



「しかし私達としては、もう少し御身を顧みてもらいたいものです。

 そういった部分は、ご姉弟で似通っておられますからね。

 エバンスさん達の心労も相当なものでしょう」



「……ははっ、肝に銘じておくよ。

 ともあれ用意してくれた料理が冷めるのは勿体ない!

 二人とも、先ずは食事を優先しようじゃないか」


 ちくちくと指摘するスターシャナの言葉を受け流しながら、サダューインは遅めの夕食の開始を促し始めた。

 ラキリエルは何も言うことが出来ず、スターシャナは溜息を吐いてから空いた席に静かに着席した。どうやら主君と食卓を共にすることを当然としているようだ。




「この地の恵みと、精霊の温情に感謝を。

 そして"堅き極夜"の温もりに、変わらぬ忠節を」


「か、海神龍様の思し召しと、我らの糧となる生命達に心より感謝いたします。

 どうか蒼角の果てで新たに常世へと巡り、還らんことを……」



「ありがとう、いただくよ」


 スターシャナとラキリエルは、食前の祈りを捧げるための言葉を述べた。

 サダューインは、料理を作ってくれた者に対する感謝の言葉のみ述べた。


 やはりサダューインだけは、祈らない。

 少なくともラキリエルは、彼が何かに祈る姿を未だに見たことがない。



「(ですがスターシャナさんは何も指摘しようとされません)

 (きっと、サダューイン様は昔からこうやって生きておられるのでしょう……)」


 サダューインとスターシャナの関係は主君と家臣ではあるが、ラキリエルが僅かな時間で目にした範囲だけでも、それ以上の信頼関係が見て取れる。

 たとえ主君であっても言うべき時は、はっきりと言う。そんなスターシャナが何も言わないのだから、いよいよこれが彼の在り方なのだと理解した。



「(サダューイン様は、いったい何を信じて生きておられるのでしょうか?)

 (誇らし気に理念を継いだと仰られた、お母上はもういらっしゃらない)」


 祈りの所作とは、日々の中で感謝を捧げるためだけのものではない。

 己が信じるものに対する希望の寄る辺。ラキリエルはそう捉えていた。




「(それとも既に、お母上に代わる……心の支えとなる恋人や、許嫁が?)」


 胸の奥底に芽生えた甘く蕩けるような熱き想いは……不確かだが、自覚した。


 だからこそ、彼がどういった人物なのか、余計に気になって仕方ない。


 それに……。




「(テジレアさん、スターシャナさん、エシャルトロッテという御方)

 (それに他にもサダューイン様の周りにはたくさんの女性が……)」


 多くの者から慕われている彼は、何処へ歩いていこうとしているのか。




『その言葉。初めてロッティを連れて来た時にも言っていましたよね?』


 つい先程、スターシャナが発した言葉が脳内で蘇る。




「(もしかしたら、私のように窮地を救われた女性が他にもいらっしゃる?)

 (いえ、きっとそうなのでしょう……何故ならば、この御方は……)」




『ラキリエル……俺は君の持つ海底都市での経験や知識を高く買っている。

 だから本国(ラナリア)の連中に君の身柄を渡すような真似は、絶対にしない!』


『決して目立つことなく、このグレミィル半島のために尽くすことだ。

 人知れず領民を守り、彼等が不自由なく暮らしていける土地にする。

 生まれの差や、身分で人生を決められることなく生きてほしいからね』


『そういう訳なのでね。この都市は姉上の意向が色濃く反映され始めているが、

 俺にとっても掛け替えのない都市なんだ。だから、本気で守りたい』




 己の領土で暮らす民達を本気で守りたいという理念。

 余所から迎え入れた者でさえも、その身と心に安寧を与えて領民とする。


 であれば、ラキリエルだけが特別な存在である筈がないのだ。


 ましてや偽りの姿で接している今の状態で、どうして彼と釣り合うというのか?

 それに三日後に控えた大領主との面会の場では、偽りが暴かれるかもしれない。




「……」


 スターシャナが用意してくれた食事を黙々と口に運ぶ。


 香草とラプス油でじっくりと焼かれた羊肉の断面は、非常に食欲をそそられる。

 今朝、運ばれたのであろう葉野菜のサラダは、実に新鮮で瑞々しかった。

 スープから立ち昇る湯気と香りは控えめながら、しっかりとした存在感。

 ライ麦パンは表面をカリッと炙られており、噛み応えがありそうだ。



 素朴ながらも真心の籠められた、素晴らしい料理の数々。


 しかしながら今のラキリエルには、口内で広がる味を感じられなくなっていた。






【Result】

挿絵(By みてみん)


・第17話の5節目を呼んでくださり、ありがとうございました!

・ノイシュリーベのパートでエバンスが擦れ違った二名の騎士。

 彼等が本格的に登場するのは第2章以降となりますので、今はそんな感じの騎士がノイシュリーベの臣下にいるくらいの認識でOKです!

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