017話『白亜の壁の裡へ』(6)
※(2026.9.26) 本文の大幅な改稿を行いました
「これが俺達の作業部屋、そして仮眠所でもある」
夕食を済ませた後に、サダューインは家屋の中で最も広い部屋へとラキリエルを案内した。尚、スターシャナは一人で後片付けに勤しんでいる。
横幅にして六メッテ、奥行きは八メッテほど。
そこそこ豪奢な宿屋の一室くらいの広さだが、中央に置かれた作業台や、部屋の隅にずらりと並ぶ小さな机。
そして書物や素材を納めた棚や収納箱、仮眠台のせいで手狭に感じてしまう。
「……」
「食事が口に合わなかったかな?」
夕食の時より、心ここに在らずといったラキリエルを心配そうに覗き込む。
「……! い、いえ……決してそのようなことは!」
急に目の前まで寄って来た美丈夫の面貌に、盛大に動揺して声が上擦った。
サダューインへの微かな疑念と負い目が頭から離れてくれない。
「(いけません、もっとしっかりしないと……)
(わたくしの方からサダューイン様の工房が見たいと言い出したのですから!)」
頭を横に振って邪念を散らし、改めて彼の瞳を見詰め返す。
翡翠の如き左目、爬虫類のような瞳孔をした黄金の右目。左右非対称な、サダューインの涼やかな眼差しを正面から受け止めるかのように。
「すみません、少し疲れてしまっていたようです。
ですが、まだ起きていられますので! 是非、ご紹介をお願いします」
「そ、そうか……? なら良かった。では順番に説明していこう」
そうして、いつものサダューインの解説が始まった――
「見ての通り、窓辺に仮眠用の寝台が二つ置いてあるだろう。
この家屋に滞在する時、俺はそこで眠るようにしているのさ」
「それは……常に魔具の制作や調整を行えるようにする為でしょうか?」
「その通り。この家は俺にとって大切な場所ではあるが、仮の住処でもある。
本来の私室は、此処とはまた別の場所にあるからね」
続いてサダューインは中央の作業台を指差した。
「基本的に何かを造る際には、この台を使うことが多い。
しかし小型の魔具や、ちょっとした素材の調整を行う時は個人机を使う」
「六台、いえ七台くらいありますね」
「ふふっ、テジレアを始めとした『亡霊蜘蛛』の者達に手伝ってもらっている。
制作や調整だけでなく、簡単な書類作業を任せることもあるからね」
「ふむふむ、皆さんで力を合わせておられるのですね……。
ですがテジレアさんや、スターシャナさん以外の御方は今、どちらに?」
少数精鋭の上に、テジレアのように一定の地方を巡回しながら活動する者もいると聞かされてはいた。そうであったとしても姿を見掛けなさ過ぎる。
「それは尤もな疑問だな……。
一応、スターシャナ以外にも何人かはヴィートボルグに滞在しているよ。
ただ別の場所で仕事をしてもらっている。此処に全員が集うことは極めて稀だ」
言いながら、手近な個人机の椅子に腰かける。
そして隣の席の椅子を引いて、ラキリエルにも着席するよう促した。
「立って話を続けるのも難だしな、楽にしていてほしい」
「ありがとうございます」
「これは俺の机。君が座っているのはラスフィシアという娘の机だ。
彼女もテジレアのように、遠い場所で任務に赴いてくれている」
窓の外から夜空を眺めようとしたが、生憎と緑色のカーテンが閉まっていた。
「ラスフィシア……ラスフィと呼ばれている御方ですね」
「ああ、スターシャナから聞いたのかな? 皆、頼りになる臣下ばかりだよ」
「…………」
「……さて、じゃあ少しだけ俺が作業する姿を見せようかな?
といってもテジレアやスターシャナみたいに、大した芸当は出来ないのだが」
自嘲気味に肩を竦ませながら、己の机に置かれている試験管台のような物体に向き合った。他には薬品が収められた硝子瓶や、蓋付きの陶器が並んでいる。
「その試験管のような容れ物は、もしかしてグレイウルフとの戦いの時の?」
「ほう! よく分かったね。
あの時に一本起爆させてしまったので、今から補充するところなのさ」
街道での魔物の群れとの遭遇戦。ラキリエルが初めて垣間見た、サダューインという男が本格的に戦う姿。
魔術師はおろか、魔具術士としても落第気味の彼が、魔具を造るのだ。
試験管には藍色の薬品が既に入っており、その隣の硝子瓶には桃色の薬品。
陶器は中身が見えないので、よく分からなかった。
「……少し臭うかもしれないな。
気分が悪くなったら直ぐに言ってほしい」
「はい、分かりました!」
サダューインが陶器の蓋を開けると、微かに刺激臭が漂い始めた。
あまり気分の良い臭いではなかったが、決して耐えられない程ではない。
続けて試験管の真鍮栓と、硝子瓶のコルク栓を、それぞれ開けていった。
「すぅ……はぁ……すぅ……はぁ……」
深呼吸をして、体内に蓄積していた僅かな魔力を稼働させる。
ラキリエルから見れば、砂粒に等しい程の限られた魔力である。
それをサダューインは大切に、大切に扱っている。
まるで遭難者が暖を取る為に、必死に搔き集めた棒切れを擦って、種火を熾そうとするかのような健気な姿であった。
「サダューイン様、右目が……!」
貧弱な魔力が蠢くにつれて、微かに彼の右目が発光し始める。
その容姿には似付かわしくない、爬虫類の瞳孔が見開かれていた。
「もしかして、その瞳は魔眼ですか?」
「ご名答。といっても生まれつきのものではなくてね。
過去に目を負傷した際に、移植させてもらったのさ……」
ラキリエルが見た限りでは、どうやら彼の持つ魔力の大半は右目に集約されているようであった。むしろ、この右目がなければ他に魔力が感じられない程である。
「そう、俺はこの瞳を移植したことにより、やっと最低限の魔力を得られた」
金属製の鑷子を用いて、陶器の中より灰色の小さな結晶を摘まみ上げる。
それを試験管の中に沈めると、続いて硝子瓶の中の桃色の液体を注いでいく。
じゅぅぅぅ……と、何が蒸発するような音と煙が起こり始めたところで、サダューインは素早く真鍮栓を閉めて、堅く封をした。
「……『赤灯よ、両掌に燈れ』」
漆黒の手袋を付けたままの両掌を試験管に翳し、二節の詠唱句を発した。
すると彼の十本の指に、赤い光が灯り始める。
「『赤塔よ、両界を閉じよ』」
再び詠唱句を発しながら、少しずつ両掌を閉じていく。
指先の赤い光が真鍮栓に転写されていき、やがて小さな文字を象り、刻印した。
「(簡易的な術式効果を、発光文字を描く魔術で刻印されたのですね)」
専門分野が異なるので魔術自体については疎いラキリエルであったが、サダューインが何をやったのかだけは、凡そながら察しが付いた。
作業自体は大した難易度ではない。
手順を知っていれば、児童でも手伝うことが出来るような、そんな容易さだ。
「(たったあれだけの魔力を扱っただけですのに……)
(サダューイン様、もうあんなに額から汗を流していらっしゃいます)」
彼の魔力が非常に乏しいということは、魔物の群れとの戦いで把握していた。
しかし改めて見ると、なんと心許ないものだろう……。
その恵まれた肉体や美貌、類稀なる知識と頭脳とは、まるで不釣り合いだった。
「ふぅ……これで完成だな」
「お、お疲れ様です」
「ははっ、君からすれば児戯のように映ることだろう」
「いえ、決して……そのようなことは……」
目を逸らす。彼の言っていることは事実なのだが、それを口にするような真似は善良なラキリエルには憚られた。
「正直に言ってくれて構わないよ。俺自身が誰よりも理解しているからね」
完成した魔具……と呼べるかどうかも怪しい代物を手に取って、掌の中で弄び始めた。
「今更、こんな常識を語る程のことではないと思うが、
魔具とは、物体に術式を刻印することにより
魔力さえ注げば誰でも疑似的に、そして恒久的に魔術を扱える代物だ」
たとえば、この都市で散見される魔具灯。
この家屋にも当たり前のように天井から吊るされている。普及した技術。
「だが、これは敵に投げて低位の着火魔術で起爆させて使う。
……何故だか分かるかな?」
「すみません、魔具造りそのものには、詳しくなくて」
「ふっ、俺が刻印できる術式が、極めて稚拙だからだよ。
だから恒久的に使えて、並み以上の威力を引き出せる物は造れない。
起爆させて、最低限の攻撃魔術の代わりとするのが関の山だ」
一回限りの使い捨て。邪道の産物。こんなものは魔具とは呼べないのだ。
魔術の劣化である魔具術の、更に出来損ないというべきか。
「一方の姉上はといえば、君とほぼ同等の魔力量を有している。
全てを見通す『妖精眼』。精霊の寵愛。最高峰の魔法と魔術の素質。
同じ血を別けた姉弟だというのに、ままならないものだよ……」
「ですがサダューイン様は、それを補ってあまりある魅力に溢れています!」
己を蔑む気配を見せ始めた彼に対し、咄嗟にラキリエルは声を荒げて否定した。
それは紛れもない本心による言葉であり、故に……気が付いた時には彼の両掌に腕を伸ばして、ぎゅっと掴んでしまっていた。
「これまでに、わたくしのような者にもご教授いただいた数々の知識。
領民への深い関心と愛情。身を粉にしてご領地を巡る献身さ。
スターシャナさんを始めとして、多くの方々に慕われておられますし……」
心臓の鼓動は、既に最高潮に達している。
しかし言葉は止まらない。止める訳にはいかない。
「先程の魔具だって、御自身ができる限りのことをやっておられます。
生まれ持った素質から目を逸らすことなく! 一生懸命に……」
為政者としてやるべきことをやっている上で、魔具術士という最後の砦に縋ろうとしている。
たとえそれが、彼が目指す母親と同じ位階には到底及ばないのだとしても。
「常世で生きる方々のうち、いったいどれだけのヒトが
サダューイン様と同じことが出来るというのですか?!」
真っ当な性根の持ち主ならば、彼の生き様を嘲るような真似はしない。
「だからこそ、その……貴方は、とても素晴らしい……御方です」
その言葉だけを、ラキリエルは辛うじて絞り出せた。
もっと深い部分の想いの丈を伝えたい。
今、直ぐにでも古代魔法による仮初の姿を解いて、本来の姿を打ち明けたい。
真なるラキリエルの、芯なる想いを言葉にしたい……。
しかし今はまだ、それは出来ない。
他ならぬ彼女自身が、好意の輪郭を意識し始めたところなのだから――
「……誰かに、そう言ってもらえるのは幸せなことかもしれないな」
少し間を置いて、サダューインはいつもの優しい微笑みを浮かべた。
天井から吊るされた魔具灯の輝きが、彼の整った顔立ちに淡い優しさと、裡に秘めたる陰をくっきりと浮かび上がらせる。
「ありがとう、ラキリエル。
君の優しさと無垢さは、とても救いに感じるよ」
「あっ、その……す、すみません!」
慌てて両掌を放して、思わず椅子から立ち上がった。
勢いに任せた行動だったといえ、はしたない真似をしてしまったように、後から段々と感じてしまったのだ。
「いやいや、おかげで勇気が湧いたよ。
君をもっと……そう、もっと大切にしたいとも思えた」
「うぅ……」
「一先ず、話を戻すとしようか。さあ、席に着きたまえ」
丁重に促されて、ラキリエルは顔を真っ赤にしながら再び椅子に腰掛けた――
・第17話の6節目をお読みくださり、ありがとうございました!
・そろそろラキリエルには、己の気持ちを自覚していただきたいところです。
・本文中でサダューインが行使していた二種類の魔術は、
簡単にいえばレーザー加工のような工程となります。
ただ、この場合は光ではなく魔力による文字転写で、物体に術式を刻印していくような感じとなるでしょうか。
・より複雑な術式を刻印する場合は、専用の機材や刻印用の魔具を用います。
サダューイン単独を扱えないために今回は描写しませんでしたが、作業部屋内にはそういった機材も置いてあります。




