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018話『白亜の壁の更なる裡へ』(3)


 [ 城塞都市ヴィートボルグ ~ 城館地下 十階 魔導研究所 ]


 丘陵の頂に聳え立つ城館には、迷宮の如き広大なる地下部が広がっている。

 城館や周囲の軍事施設、貴族家の邸宅、そして市街地を含む上下水道の管理や排水処理施設、他領から送られてきた毒物や呪物などを解析・解体する施設など階層ごとに区分けされた機構を兼ね備えているのだ。


 その全ては先代の大領主の妻、"魔導師"ダュアンジーヌによって築き上げられた彼女の地下城であり、大工房でもあったのだ。

 大陸全土を通しても希少な"魔導師"が築いたということで、便宜的に『魔導研究所』と呼ばれ、いつしかそれが定着していった経緯を持つ。


 『灰礬呪(かいばんじゅ)』により結晶化したベルナルドとダュアンジーヌが最期を迎え、焼却処分された空間はこの一つ下の階層となる。

 両親の最期の光景はノイシュリーベにとって最大級の心傷(トラウマ)を刻むこととなり、故に彼女は『魔導研究所』を含む地下の深部施設には近寄れなくなってしまった。



 ノイシュリーベとの面会を明日に控えた昼下がり。即ち、地上三階の執務室では彼女達が会議に勤しんでいたころ、サダューインは地下深くの研究所内に設けられている居住室の寝台の上で身を起こした。


 部屋内には男女がまぐわった後の特有の淫靡な香りが充満しており、それなりの長時間に渡って行為が続けられた後であることを物語る。


 同じ寝台には薄い紅紫色の髪に異様なほど肌の白い女性と、純白と紅紫色が混ざった長髪に蜘蛛の如き下半身を備えた女性が一糸纏わぬ姿でぐったりと横たわっていた。



「おやすみ、二人とも……君達は日頃から働き過ぎだ。たまには休んでくれ」


 そっと二人の女性の頭を撫でてから、床に両脚を着けて立ち上がる。一仕事終えたとばかりに軽く屈伸をしていると僅かな喉の渇きと空腹感こそ感じたが、まだまだ動き回れる体力は充分に残っていることを確認した。


 そうして背中の"腕"を稼働させて居住区の出入り口の扉を器用に開いて廊下へ出ると、そこには侍従の衣装を完璧に着用しているスターシャナの姿が見えた。



「お疲れ様ですわ。隣の部屋に真新しいお召し物と、飲料水に軽食。

 それから清水を張った沐浴槽を用意してありますので、ご使用ください」



「……ラキリエルはどうした? 世話を頼むと言っておいた筈だが」


 冷ややかな声色で、やや咎めるように尋ねる。



「彼女でしたら、明日の面会に備えたいと仰って旧イングレス王国の宮廷作法を 記した書物を朝から読み耽っておられますわ。大変に勉強熱心なことです」



「そうか、こちらのことは良いから彼女の傍に付いていてくれ」



「使い魔を置いてきてありますので、なにかあれば直ぐに駆け付けますわ。

 ……それにしても、朝から休まずとは彼女達が羨ましい限りです」


 開いた扉から見える二人の同僚達のあられもない姿を目の当たりとし、スターシャナは心底羨まし気な視線を送っていた。



「ルシアノンとジューレは夜行性の種族だ。我々にとっては朝からでも

 彼女達にとっては普通の……少し長めの情事くらいの感覚でしかないだろう」


 ルシアノンと呼ばれた女性……紅紫色の髪に色白の肌のほうは吸血種(ヴァンパイア)

 ジューレと呼ばれた女性……蜘蛛の如き下半身のほうは蜘蛛人(アラクネア)という種族であり、双方共に"黄昏の氏族"出身の『亡霊蜘蛛(ネクロアラクネロ)』の一員であった。



「私の心得ている"少し"とは、かなり差があるように思います。

 ……この後のご予定は如何なされるのですか?」



「今日のうちに回れるだけは回っておこうと考えているよ。

 貴族家の別邸で暮らしているご令嬢方や、市街地で暮らしている者達だな。

 明日は姉上との面会だし、明後日にはドニルセン姉妹が戻ってくるからね」



「……本当に、貴方の体力は無尽蔵ですね。

 怪我だってまだ完全には癒えていないのでしょうに」



あの男(ベルナルド)の血を色濃く継いだ肉体だが、使えるものは使い潰すまでさ。

 ……それとも、不満か?」



「ええ、そうですわね。貴方を独占できないという意味に於いては」



「状況が落ち着いたら時間は作る。それで納得してくれ」



「期待しないでお待ちしておりますわ」


 完璧な所作にて恭しく一礼してみせた後にスターシャナは先に階層移動用の昇降機へと移り、ラキリエルの居る地上の工房へと戻っていった。




「やはり彼女に隠し事はできそうにないな」


 なにか思い当たる節があるのか、困ったような表情を浮かべつつ用意された食事を雑に頬張り、水を幾らか口にして無理やり押し流す。


 そうして適当に腹を満たしてから沐浴槽に浸かって情事の痕跡を洗い流した。

 傍に置かれている衣服は清潔で、清々しい日光を存分に浴びて乾燥させた心地良い仕上がり。背面に不自然なスリットとそれを塞ぐためのボタンが設けられているものの、正面から見た限りでは有り触れた貴族用の着衣といった具合か。


 用意された衣服を纏ってみせると、どこからどう見ても完璧な貴公子の姿がそこに現れた……ただ一点、背中より伸びる複数の"腕"を除いて。



「……おっと、『縮小』を施すのを忘れていた」


 鏡を見て"腕"を仕舞い忘れていたことに気付くと。"腕"の中の一本……地上の竜人種から移植した、緑色の鱗が特徴的な腕部に嵌められている腕輪型の魔具を作動させると、全ての"腕"が見る間に縮んでいく。

 やがて衣服の中に収まるくらいには小さくなり、今度こそ完璧な貴公子が仕上がったのだ。



「(これで良し、最後にルシアノン達の成果を確認してから発つとしよう)」


 昇降機ではなく下階へと続く階段へと足を運び、地下十一階を目指して一歩ずつ自分の脚で降りていく

 地下三階までは地上階と同じく、一つの階層ごとの壁の高さは約五メッテほどだが地下四階以降は各機構との兼ね合いからか高さが跳ね上がり、約二十五メッテほどになっていた。


 地下十一階ともなれば丘上の城館が建つ位置から見て二百メッテ近く降ることになり、ヴィンターブロット丘陵の高さが約百五十メッテであることを鑑みるならば、既に平地よりも五十メッテ近くも地下に位置することになるのである。





 [ 城塞都市ヴィートボルグ ~ 城館地下 十一階 魔導研究所・最深部 ]


 階段を降りた先は鋼鉄製の床や壁、そして天井で覆われた無機質な部屋であった。家具などは一切見当たらず、ただただ伽藍洞とした空間が広がっている。


 父、ベルナルドと母、ダュアンジーヌが最期を迎えた場所……。

 呪詛により結晶化した身体を粉々に砕いた末に、『ラナリアの聖火』によって焼却することとなった姉弟にとっては忌むべき記憶を刻んでいた。



「…………」


 サダューインは無言のまま無機質な部屋を渡り歩き、やがて最奥に辿り着くと壁に埋め込むようにして秘匿された仕掛けに触れて複雑な手順で操作を行った。




 ガ ゴ  ン ……     ゴ ゴ ゴ ゴ ………


 すると最奥だと思っていた壁が地鳴りを起こして真っ二つに割れるかの如く左右に開いていく。いわゆる隠し部屋というやつである。

 開かれた扉の先には、更なる広大な空間が広がっていた。





 そこは一見すると、まるで楽園のようであった――



 先程までの無機質な空間とは異なり、様々な植物が生い茂っているだけでなく地下水を利用して人工的に整えられた池は美しく、その池を渡るために架けられたであろう橋は優雅なアーチを描いており細やかなる装飾が施されている。

 更に池を囲むかのようにして天井まで伸びる巨大な柱が何本も聳え立ち、さながら神殿の中に開かれた庭園といった趣を醸し出していた。


 随所には市街地で見掛けたような魔具製の街灯が建てられており、煌びやかな照明にて一帯を眩く照らしている。

 部屋の中央であり池の中心部には離れ小島のような床地が設けられ、上流階級の者達が利用するオープンテラス席の如きテーブルと椅子まで置いてあった。

 そして真の最奥部には、この空間の主が座すための玉座が象られている……。




 サダューインは我が物顔で隠し部屋の中を闊歩しながら橋を渡り、玉座の前まで辿り着くと堂々と腰掛けてから周囲を見渡した。


 一見すると優美を極めた楽園。然れど、佇立する各柱をよくよく観察してみれば、異様な代物であることが伺えることだろう。

 柱……のようなものは実のところ全て硝子製の培養槽であり、裡には何らかの液体が満たされており、更に巨大な影が揺蕩うように漂っていたのだ。



「(順調に育ってくれている、ルシアノン達には感謝しないといけないな)

 (とはいえ、実戦投入までにはまだ暫く時間が掛かるだろうか……)」


 各培養槽の裡で漂っていたものとは、女性のような上半身に蜘蛛のような下半身を備えた巨大な蜘蛛人(アラクネア)であった。


 先程、サダューインが褥をともにしていたジューレという名の女性に酷似した外観なれど、彼女の体長が約二メッテであることに対して培養槽の裡に浮かんでいる蜘蛛人(アラクネア)達はいずれも十メッテを超える巨体であったのだ。

 しかも一人として異なる外観の者は居らず、精巧に量産された巨像の如く均一な容姿をしている。



「(彼女達が成体まで育った暁には、戦場で解き放つ日が楽しみだ)

 (母上が味わった苦痛と同じくらい惨たらしい最期を、奴等にくれてやろう)」


 母、ダュアンジーヌを死に追いやった原因である『灰礬呪(かいばんじゅ)』を撒き散らしに来た本国の軍人に悪漢達、それに尻尾を振る叛意を懐いた貴族家。ノイシュリーべを悩ます厄介なイェルズール地方の"黄昏の氏族"……などなど。


 他にも様々な唾棄すべき者達を脳裏に浮かべては瞬間的に怒りの焔を燃やす。結晶化した両親を、『ラナリアの聖火』を用いて自ら焼却して回ったあの日からサダューインは裡に秘めたる誓いを立てていたのだ。




「(このグレミィル半島に仇成す全ての者達を……必ず蹂躙し尽くしてやる!)」



 双子の姉であり、現在の大領主であるノイシュリーベは正面からの正攻法にて

諸問題や敵対勢力の攻略に取り組んでいる。それはとても素晴らしい在り方で、為政者として貴い姿ではあるが、正しさだけで全てが上手くいく保証はない。


 故にサダューインは、ノイシュリーベが採ることができないような手段で諸問題の解決を志した。生前の母、ダュアンジーヌがそうしてきたように……。


 たとえそれが己を慕う者達の心を利用した外道の振舞いであれ、邪法と呼ばれる技術の数々であれ、忌み嫌われる宿痾の協賛であれ……魔人と化した美丈夫(サダューイン)は全てを統べて己の幻創(真実)を歩いて行こうと、決めたのだ――




「ふふっ……ふはははは……!!」


 然るべき裁断の日を想像して思わず哄笑が零れる。しかし即座に声を潜め、現実へと思考を呼び戻した。

 空想に耽るような暇はない。御伽噺(ユメ)のような物語に浸っている趣味はない。只管に現実だけを直視して、今 己に能う最善を積み上げていくのだ。



 然れど、嗚呼……然れど! 裁断の日の想像と同時に脳裏に浮んでしまった。


 覇軍を率いて敵対者達を蹂躙し、報復の戦火で灰燼の園を拡げていく光景を目の当たりとした慈悲深き無垢な貴人(ラキリエル)が、悲痛に満ちた面貌で見詰めてくる姿を。悲しみに暮れる彼女の涙を!

 想像を停めようとしたにも関わらず、脳裏から消えようとはしないのだ。




「本当に、俺らしくないな……」


 自嘲気味に嘯き、緩慢な所作で玉座から立ち上がる。


 追われる立場の彼女を救出し、心身ともに疲弊した弱みに付け込んで心を奪う算段であった筈なのに……自分のほうが奪われかけているではないか。

 これまでのように利用価値のある娘を手中に収めて計画の足しに加える手筈であったのに、とんだ誤算であることを自認する。



「……姉上との面会の場を終えたら、暫く顔を合わせないほうが良さそうだ」


 柱の如き培養槽の傍を通り、裡に揺蕩う巨大な蜘蛛人(アラクネア)達の姿を検めながら通り過ぎていく、須らく計画は順調なのだ。

 なれば予期せぬ不確定要素は遠ざけてしまったほうが良いのかもしれない。


 無論、己の手で救出した以上はラキリエルの身の安全と今後の生活を保障し、責任をもって救けていく。その方針と理念を違える気はない。




 ゴ ゴ ゴ ゴ ………  ガ ゴ  ン !


 やがて楽園の入り口まで戻ってくると、入った時と同じ要領で分厚い隠し扉を閉鎖し、再び無機質な鋼鉄の空間へと巻き戻した。


 


「…………」


 長い階段を無言で登り地下十階へ。そこから先はスターシャナと同じく昇降機を使って地下三階まで昇っていく。

 利便性を追求するならば地上階から昇降機を直通させるという提案が出されたこともあったのだが、他領から来訪した者達に魔導研究所の存在を知られることを嫌ったダュアンジーヌが拒んだので現在のような構造となっている。



 地下三階からは普通の階段を利用して地上階へと至り、城館の裏口……使用人達の通用路から建物の外へと出た。

 まだまだ黄昏時には程遠く、陽も高い位置に在る。これならば明日の朝までに複数人の邸宅を巡ることも適うだろう。



 サダューインは、ラキリエルが滞在している建物を一瞥した。


 立ち寄って彼女の様子を確認することも検討していたが先程のこともあり、そのまま通り過ぎることにした。

 どの道、明日の面会の場ではずっと同席することになるのだから……。


・第18話の3節目をお読み下さり、ありがとうございました!

 次なる第19話では主要登場人物4名の合流を描いていきたいと思います。

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