018話『白亜の壁の更なる裡へ』(2)
正午前に執務室で始まった会議は、結局 夕方近くにまで伸びてしまった。
現状で各自が提案できる意見や方策は出尽くしたがために、この日は解散の運びと相成った。ジェーモスやエドヴァルドを介して、今宵までには各騎士や紋章官達にも概要が伝えられていくことだろう。
侍従のアンネにも休憩を与えるため一旦退がるよう命じると、彼女は去り際にて簡単な軽食だけ用意して退出していった。
執務室には、ノイシュリーベとエバンスの二人だけが残されることとなる。
「お疲れ様! いやぁ、今日はまた一段と長かったよねぇ……」
要人が去ったので普段の口調に戻りつつ、アンネが置いていった移動台に載せてある魔具製のポットを操作するエバンス。
魔力を注いで機構を作動させると、底部が発熱してポットの中の水を沸騰させることができるという代物である。
「思っていた以上に深刻な事態になっていたから仕方ないわ。
一つずつ問題を片付けていくしかないのだし、何も進展しないよりはマシよ」
「ただ単に戦っていれば良いわけじゃないのが、大領主様の辛いところだね」
「承知の上よ。それに、お父様達の時代はもっと大変だった筈でしょうし。
ジェーモスやエゼキエル教官達に見限られないように頑張らなくちゃ!」
「あの二人がノイシュから離れるところなんて想像できないけどねぇ。
エドヴァルドさんは……まあ、成果主義だから分からないけど」
「ええ、"大樹の氏族"でも名門の出身である彼の支持は繋ぎ止めておきたいわ」
「一癖も二癖もある紋章官達を束ねられる実務能力も貴重だしね。
……よし、いい感じに温まった」
湯気が立ち昇り始めたことを確認すると隣に置かれているティーポットに茶葉を入れて湯を注ぎ、僅かに蒸らす。次いで茶漉しを使って二つのカップにはそれぞれ鮮やかな色合いの紅茶を注ぐと片方をノイシュリーベが座る席へと運んだ。
「ありがとう、いただくわ」
「ういうい~」
もう片方のカップは中央の応接机に置き、椅子の一つに腰掛けたエバンスは砂糖の塊を遠慮なく紅茶に混入させていく。ずっと立ちっ放しで会議を聞いていたのだから、さぞや身に沁みることであろう。
「それにしても、来週にはバラクード殿下が来られるとはねぇ。
まあヴィートボルグへ到着するには更に一週間は掛かるだろうけど」
糖分を堪能しながら、先程の会議で名の挙がった皇太子の件を呟いた。
「はぁ……よりにもよって、こんな時期にね。本当に困った御方だわ」
「ノイシュが大領主になってから来訪されるのはこれで三回目かな?
グリーヴァスロへ騎士修行に行く前も、ちょくちょく来られていたし
よっぽどノイシュのこと気にいっていらっしゃるんだろうねぇ」
「……光栄ではあるのだけれどね」
「いっそのこと、このまま婚約を決めちゃえば良いんじゃない?
歳もそう離れているわけじゃないし、皇族の一員なら結婚相手として
これ以上の相手はいないと思うよ」
「……それ、本気で言ってる?
私みたいな行き遅れを殿下が皇室に迎え入れるわけないじゃない」
国によっては差はあれど、貴族家の令嬢ならば大抵は十代の後半には嫁ぎ先が大体決まっているものだ。
しかしノイシュリーベは政治的価値のある令嬢ではなく、政治を担う大領主としての道を選択した。故に、二十歳を過ぎても浮いた話がないのである。
無論、将来的にはエデルギウス家やグレミィル半島の益となる相手と婚儀を結ぶことにはなるが、今はまだ大領主としての地固めに専念する時期なのである。
「悪い話じゃないと思うけどなぁ。
殿下と結ばれたとしても、ノイシュは嫁ぎ先からグレミィル半島の統治を行う
っていう選択肢もあるわけだし。まあ代官を立てる必要はあるけどね」
「……仮に本気で殿下が私を欲しているのだとしても、それはきっと
この両目の『妖精眼』が目当てでしょうよ」
言いながら瞳に意識を集中させて同心円状に三つ重なる光輪を灯してみせた。
「そうかもしれないけど、それもノイシュ本人の魅力には違いないよ」
「……平気で嘘を吐くような男は好きじゃないのよ、"あいつ"みたいにね。
幾ら頭が良くて地位や能力が高くても、それだけでは信用できないわ!」
「うーん、たしかにあの殿下は底が見えないところがあるからねぇ……」
『妖精眼』を駆使することで、ある程度の嘘を見抜くことができるノイシュリーベがそう言うのだから、その通りなのだろうとエバンスは弁えた。
「……あんたは、私が殿下と結婚しても良いと思っているの?」
「それがノイシュの理想と幸せに繋がるのなら、おいらは賛成だよ」
砂糖を大量に溶かした紅茶を飲み干しつつ、一切の迷いなく言葉を続ける。
「皇族との繋がりが強固になれば、この半島の平穏を末代まで維持したいという
君の願いはこれ以上ないくらいに達成される……。
まあ、殿下が信用できない人物だと判断したのなら、しょうがないけどね」
「……そう」
「そうだよ。ノイシュが誰と結ばれようと、おいらは君に付いていくだけさ。
ま、とりあえず来週以降に訪問された時には、さっき話していたように
上手いことボルトディクス公爵のことを訊き出すことに専念しようよ!」
「……そうするわ。
それ以外に軍人達の動向を洗う手段は、限られるでしょうしね」
やや眉を潜ませながら、用意されていた軽食である薄焼きパンを一齧りする。
パキッと固形物が割れる小気味よい音が響き、次いでノイシュリーベの小さな口で租借する微かな音が続いた。
やや苦味を含んだ木の実の主張を強く感じるものの、噛めば噛むほど野味溢れる味わいが広がっていく。空腹が満たされれば心も落ち気を取り戻すだろう。
「ういうい~。ああ、それとサダューインからの報告書の件だけどね。
実は口頭だけで彼から伝えられたことがあったんだ」
「なんですって?」
「山道で交戦した軍人達は特殊な『魔具像』を運用していて
サダューインでもかなり苦戦を強いられたんだってさ」
「現地で『魔具像』を運用する海洋軍の軍人と云えば特殊部隊じゃないの!
たしか……『エイリーク』とかいう部隊名だったかしら」
「確証までには至っていないって話だけどね。可能性は高そうだけど。
『魔具像』も相当な一級品だったらしくてサダューインが斧で叩いても
一撃ではとても粉砕できなかったんだってさ」
「……冗談じゃないわ。そんなの、どうやって倒したっていうのよ?」
サダューインの膂力の強さを誰よりも知悉するノイシュリーベは驚愕に目を見開いた。彼の打撃をまともに浴びて耐え抜くなど尋常な硬度ではない。
「それがねぇ、救出した巫女さんの攻撃魔法が決め手になったみたい。
見たこともない古代魔法で、一撃だったそうだよ」
「その話が本当なら……とんでもない娘を抱え込むことになるわね。
そう、たしかに"あいつ"が懇切丁寧に連れ帰ろうとするわけだわ」
「少なくとも、彼にとって『大いに利用価値あり』ってところだろうねぇ」
「……また女を虜にして喰い物にする気かしら。穢らわしいわ」
ますます眉を顰めながら、忌々し気に呟いた。
「詳しいことは面会の席で補足すると言っていたから、ノイシュとしては
明日 その目で巫女さんをしっかり見定めてみるのが良いと思うよ」
「元より、その予定ではあったのだけれどね。
エバンス、明日もあんたは同席しなさい。後で意見を聞きたいから」
「それはまあ、別に良いけど」
「会って話をしてからになるけど、もしその娘を"あいつ"に預けておくと
危険だと判断した場合は、暫くあんたに扱いを委ねるようにするわ」
「うへぇ……そうくるのかぁ。おいら面倒ごとは嫌だなぁ……」
「海底都市の生き残りなんて、どうあっても政治的価値と思惑が絡むでしょう。
権力に無関係で単独で動ける奴ってなると、あんたが最適なのよ」
旅芸人として大陸各地を巡業しているエバンスは顔が広く、ノイシュリーベやサダューインですら把握していないような独自の繋がりを持っている。
加えて単独で大陸を渡り歩く術や自衛の手段も心得ており、万が一の事態に際して要人の身柄を預けるならば、これ以上頼りとなる存在は居ないのであった。
「……分かったよ。その時はなんとかやってみる」
「ええ、よろしく」
満足気に頷いた後にノイシュリーベは時計を一瞥し、次いで窓の外を検めた。少しずつ日が暮れ始めており、城館を囲む城壁の歩廊では、見張りを務める兵士達が交代を始めている頃合いであった。
「さてと、そろそろアンネが休憩から戻ってくるわね。
あんたはもう帰っていいわよ。こっちは書類作業がまだ残っているから」
「ういうい~。おいらもうお腹がペコペコだよ。
だけどノイシュも ちゃんと休憩を採りなよ? もっと忙しくなるだろうし」
「当然ね。働き過ぎて倒れるような真似は……たぶん、もうしないわよ!」
「だといいけど……じゃあね、また明日~」
「ええ、また明日」
カップとティーポットを片付けてから退室するエバンスを見送ると、ノイシュリーベは会議のために中断していた書類の山に挑むのであった。
・第18話の2節目をお読み下さり、ありがとうございました!
・名前の挙がっていたバラクード殿下は第2章の冒頭で少しだけ登場する予定をしております。
本編中では特に物語に絡んでくるわけではないのですが設定自体は練らせていただいていますので、いつかラナリア皇国全体を描く御話を書く際に、がっつり活躍させてみたいなぁと思っている次第でございます。