017話『白亜の壁の裡へ』(3)
※(2026.9.26) 本文の大幅な改稿を行いました
「あれは……木の柵でしょうか?」
市街地の北東端に差し掛かり、ラキリエルは主要路を塞ぐように立ち並ぶ、高さ一メッテ程度の木材の束に注目した。
「ああ、一応の関所や門のようなものだよ。
此処までが市街地。この先は貴族の邸宅や為政者の施設、そして軍事設備だ」
「成程。でも都市内の塔に比べると……その、何と言いますか……」
「ははっ、確かに心許なく感じてしまうかな?
騎兵が頻繁に往来する都合上、本格的な設備を設けられないんだ」
言い難そうに話すラキリエルの意図を察し、サダューインは肩を竦めてみせた。
そして木の柵の傍まで近寄ると、馬上から掌を触れて柵の一部を横にずらす。
「このようにして、通りたい時は自分で動かすと良い。
市民達は柵を越えないようにしているが、城館で暮らすことになる君は、
都市内に足を運ぶことも多くなるだろうからね」
「はい、分かりました!」
そうして二人は黒馬に乗ったまま市街地の外に出ると、再びサダューインが腕を伸ばして柵を元の位置に戻した。
「おや、あれは……」
柵を越えて、市街地より少し北側。ラキリエルは乱雑に積まれた木材や廃材、ボロ布の塊のようなものを目撃した。
「ふむ、不法滞在者達の棲み処……の残骸だな。
先月頃に一斉に取り締まり、一部の者を城壁の外へ追い出したところだよ。
あの残骸も、夏が過ぎ去るまでの間には完全に撤去すると姉上が発布していた」
「不法……滞在者。この都市にもいらっしゃるのですね」
これまでの逃亡生活の間に立ち寄った都市でも、ラキリエルは似たような場所を何度か目にしていた。
安全で豊かな都市。然れど、やはり完全に御伽噺の世界のようにはいかない。
貧富の差。身分の差。法を犯してでも都市内に留まろうとする者は必ず居る。
「がっかりさせてしまったかな? まあ、これは大きな都市の宿命だよ」
「い、いえ……決してそのような……」
「良いんだ。ありのままのヴィートボルグを知ってもらいたいからね。
それに俺としては、不法滞在者はそこまで悪しき存在とは思っていない」
「えっ、それはどういうことです?」
「……いつか、話すこともあるだろう。
とはいえ大っぴらに姉上の方策に逆らう気は無いので、撤去を見守るだけさ」
珍しく言葉を濁し、早々に説明を切り上げるサダューイン。
そのまま黒馬の歩を進め、丘上へと続く坂道をゆるりと登っていく。
[ 城塞都市ヴィートボルグ ~ 丘陵路 ]
丘陵の起伏を利用して、石造りの舗装路が延々と続いていた。
そして道の端には等間隔で魔具灯が設けられており、夜間の往来にも関わらず、足を踏み外して転落するという心配はなさそうだとラキリエルは感じていた。
「ザントル山道の坂道と比べて、全然でこぼこしていませんね」
「起伏に合わせて石材を上手く調節したからね。
リジル以外の馬や、馬車で移動する時には多少揺れるかもしれないが、
そこまで気分を害することはないだろう」
「目立たない部分にまで高い技術が使われているのですね……。
それにしても、うねうねと続いていて、まるで深海龍の背骨のような道です」
「はははっ! 海底に棲む大いなる龍のようだと言われれば、悪い気はしないな」
海底都市の住人だったラキリエル特有の表現に、サダューインは満更でもない表情で爽やかに笑ってみせた。
そして一定間隔で西へ東へと折り返し続ける坂道を進み続けると、幾つかの分岐路が見え始めていた。
「右手側に伸びる道を進めば、『翠聖騎士団』の詰所や演習場が建っている。
左手側の傾斜に沿って進めば、貴族家の別邸が建つ区画に行くことが出来る。
……尤も、君にはあまり縁の無い場所かもしれないがね」
「『翠聖騎士団』……あの時、わたくしを救けに駆け付けて下さった方々。
ノイシュリーベ様だけでなく、他の騎士様達にも御礼を申し上げたいです」
「是非、そうしてほしい。ラキリエルのような貴人から労われたならば、
きっと彼等も、一生ものの栄誉の如く感じるだろうね」
「そ、そんな……」
少しだけ頬を染めて照れ始める。そんな彼女の様子を、サダューインは微笑ましく眺めていた。
二人は更に、更に坂道を登っていく。目指すは登頂部の、もう一つの白亜の壁。
その途中でラキリエルは、生い茂る木々が密集している区画を発見する。
「サダューイン様、あれは?」
「ふむ、防風林を兼ねた果樹園だな。特殊な果実を育てているよ。
似たような区画が丘陵の至る箇所に設けられているが……生憎と今は夜だ。
明日以降の陽が高い時刻にでも、改めて見渡してみるといいさ」
「はい、それも楽しみにしておきます!」
いったい、どのような果実が実っているのだろうか?
他にも様々な施設を目にして想像を膨らませているだけで楽しく、心地良い。
ラキリエルにとって、それは大領主が住まう丘上の城館に向かうという緊張感を適度に和らげてくれる要因となっていた。
そして……。
「此処からなら、よりはっきりと見えると思うが、向こうの宮殿には――」
背後の美丈夫の雄弁が続く。これもまた、誠に心地良い。
背中越しに伝わる彼の"熱"が、新天地に踏み込む高揚感と合わさって、ラキリエルの鼓動を際限なく高めてくれている。
市街地の外で目にした薄暗い部分があったとはいえ、やはりこの都市は彼女にとって限りなく御伽噺の世界に等しいのだ。
故郷で繰り返し目にして、一言一句を記憶するほど読み込んだ書物。
『群青の姫君と翳の英雄』に描かれた幻創と、己を重ねていた。
"翳の英雄"を背後に感じていたのだ。
もはや、ここまで来れば己の感情に見て見ぬふりは出来ない。
「(わたくしは、この御方のことを……)
たとえこれが夢見る幼い少女の、淡い自己投影であったとしても。
たとえそれが魔具灯の明かりのような、まどろみの如き光だったとしても。
それでもラキリエルは、己の胸中で灯る想いの火種を、実感していた――
[ 城塞都市ヴィートボルグ ~ 第二城壁 ]
夏の息吹が混ざる快い夜風が、火照った頬に染みていく。
ラキリエルが胸の高鳴りを意識している間にも、黒馬は着実に歩を進めており、気が付けば二つ目の白亜の壁が迫っていた。
「これが城館を守る最終防衛線といったところかな。
都市を囲む城壁よりも僅かに高さで劣るが、厚さは此方の方が優れている」
壁上を見上げると、巨大な弩砲が至る箇所に設置されていた。
より分厚い壁だからこそ、これ程の大きさの迎撃兵器を扱える。
しかし今のラキリエルの耳には、心には、そのような説明は全く入って来なかった。それどころではなかったのだ……。
「……ラキリエル、大丈夫か?」
「あっ……は、はい! 聞いています。聞いております!」
「今日は早めに休んだ方が良いのかもしれないな。
姉上との面会は、少し日を空けるとしよう……ふふっ」
「うぅ、すみません……」
視線を逸らすように顔を前方に傾ける。それ以上は言葉が続かなかった。
そんな彼女の様子を目にして、何を想っているのかを察したサダューインは、いつものように優しく微笑みながら門へと向かう。
「サダューイン・エヌウィグス・エデルギウスだ。通してもらうぞ」
「……っ!」
「おかえりなさいませ。グレミィル侯爵閣下は既にお戻りになられています」
魔鋼材の重厚な門。その両隣に控える重装騎士達を睥睨しながら被衣を脱いで、名を明かす。
すると彼等は一糸乱れぬ挙措で背筋を正し、拳を胸に当てた。
「ご苦労、楽にしてくれて良い。
救出した客人を明日……いや、三日後に姉上の執務室に案内する。
済まないが、後でエバンスかエドヴァルド殿に伝えておいてほしい」
「承りました」
「サダューイン殿のご帰還を歓迎いたします」
返答した直後に、片方の重装騎士が城門棟の窓へ向けて手を振った。
それが開門の合図なのだろう。数秒の間を置いて、ゆっくりと重厚な門が左右に開き始めた。
「(最初に潜った城壁よりも、壁も門も一回り小さいですけれど)
(傍まで近付いた時の威圧感は、此方の方が重く感じますね……)」
まるで顎門を開いた深海龍の体内へ潜っていくような錯覚を、ラキリエルは覚えてしまった。
「このまま直進すれば城館の入口だが、今回は先に俺の工房に案内しよう」
「サダューイン様の……工房、ですか!」
ザントル山道の麓で、共に料理を嗜んだ時に交わした言葉を思い出した。
『いや謙遜することはない。これほど器用に熟せるのなら、
俺の工房で魔具造りの手伝いをしてほしいくらいだよ』
『サダューイン様の工房ですか。是非とも拝見したいです』
『ならヴィートボルグの城館区内に着いたら最初に案内しよう。
……さて、そろそろ調理を始めていこうかな』
「(あの時に仰られていた場所ですね)」
「元々は、嫁入り前の母上の為に用意された離れの家屋だがね。
現在は俺と、その部下達とで共用させてもらっている」
「部下達というと、テジレアさんのご同僚でしょうか?」
「その通り。『亡霊蜘蛛』という部隊名の、暗部の精鋭達だ。
数年前に俺が組閣した一派でもあるが、現在は十名程にまで数を減らした」
「そ、それは……」
何らかの理由で脱退したのだろうか。もしくは殉職という可能性もある。
流石にラキリエルには、安易に訊ねることは出来なかった。
「ともあれ、生活する上で不自由はしない筈だ。
この家でラキリエルには、明日と明後日は身体を休めてもらいたい。
そして三日後の午後に、姉上との面会の場を用意しよう」
「分かりました。全てサダューイン様の判断に従います」
「それは良かった。既に日も暮れて久しい、先ずは夕食を摂ろうか」
そうしてサダューインは、その場で先に下馬して地に脚を着けた後にラキリエルへと掌を差し出した。
これまでに幾度となく繰り返されたやり取り。
故に、ラキリエルは何一つ疑問に思うことなく彼の温かい掌と、己の掌を重ねてゆっくりと馬の鞍より降ろしてもらったのだ。
「(なんだか……今までよりも恥ずかしく感じてしまいますね……)」
少し収まり掛けていた鼓動が、再び早鐘を打ち鳴らし始める。
眼前の美丈夫は、相変わらずの微笑みを傾けてくるのみ。
ある意味で、清々しいほどの平常さのように感じた。
「ヒヒィィン!」
「リジルも、よく休んでくれ。暫く遠出の予定は無いからね」
「こ、此処まで乗せていただいて、ありがとうございました!」
黒馬にとっても勝手知ったる我が家なのだろう。
主人の指示を受けて、家屋に併設されている馬舎へと独断で向かっていく。
一方のサダューインは扉の前に立ち、備え付けられた打ち鐘を二回……カンカンと鳴らす。
「スターシャナ、居るか?」
十数秒の後に、奥より何者かが近付いて来る足音をラキリエルは感じ取った。
「おかえりなさいませ、サダューイン様。
予定よりも随分と遅かったですね……おや、そちらの女性は?」
「……っ!」
丁重に扉が開かれる。中より現れたのは黒い給仕服と、フリルの付いた白い前掛けを身に纏う長身の女性であった。
ラキリエルは思わず、出迎えてくれた人物の容姿に驚きを露わにしてしまった。
「ザンディナムで予想外の事件が起こってしまってな……。
彼女は出発前に話していた、我々の客人だよ」
「そうでしたか、道理でテジレアの帰りも遅いと思っていました。
……成程。此方が噂の、海底都市からの亡命者でしたか」
「は、はい……ラキリエルと申します」
同じ女性ながら少し高い視点より見下ろされて、すっかり萎縮していた。
「ラキリエル、此方は俺の部下の一人。スターシャナと呼ばれている。
『森の民』の"妖精の氏族"の中でも珍しい、ダークエルフだ」
暗い焦げ茶色の肌。薄い石楠花にも似た銀色の髪。
感情が抜け落ちたような表情は、黄金色の瞳と相俟って、居合わせる者達に並々ならぬ威圧感を与えてしまう。そんな女性だった。
しかしラキリエルを更に驚かせたのは、ダークエルフという種族だった。
御伽噺の書物で綴られた物語の中では時折、忌むべき悪役として登場していた。
「怖がらなくても大丈夫だよ。
スターシャナは人前では冷静で不愛想だが、親しい者には優しく接してくれる。
お互いに最初はやり難いかもしれないが、二日もあれば慣れるだろう」
「……すみません、失礼いたしました」
「かまいませんよ。一般的にはあまり好ましく思われない種族ですから。
ラキリエル様の反応と警戒心は、むしろ正常です」
「スターシャナ、三日後に姉上と会わせようと思っている。
それまでの間はラキリエルの身の回りの世話を頼みたい」
「かしこまりました」
「ありがとう。では俺は、奥の作業部屋で着替えてくる。
彼女には母上の寝室を使わせてやってくれ、それと夕飯の準備も頼む」
スターシャナが恭しく頭を垂れて応じたことを確認した後に、サダューインはラキリエルの肩にそっと掌を添えて、耳元に顔を近付けた。
「では後程、また居間で会おう」
「は、はい。何から何まで……色々とご配慮に感謝します」
「……」
少し声を上擦らせながら辛うじて返事をすることが出来た。
立ち去る主君の後ろ姿と、そんな彼の姿を見詰めるラキリエルの様子を、スターシャナは静かに観察していた。
【Result】




