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017話『白亜の壁の裡へ』(6)


「お疲れ様です、そちらが……制作されていた魔具なのですね」


 見れば、試験管台に立てられた四本の試験管に同じ分量、同じ色の液体が封入されており、コルク栓ではなく真鍮製の特殊な栓で封じられているようだった。



「ああ、といっても見ての通り使い捨て前提の代物だ。

 魔術師は当然として、魔具術士的にも邪道であることは承知しているがね」



「そんなこと……ありませんよ」



「いや、気を使わなくても良い。俺は魔術や魔法の才能がからっきしだからね

 なるべく一撃の術式火力を高めるとすれば、そういう使い方をするしかない。 非効率的なことこの上ないとは自覚しているさ」


 本来、魔具というものは刻印された術式を繰り返し行使するためのもの。

 魔術を扱うことができない者が疑似的に魔術師の真似事を試みたり、或いは日常生活を快適に過ごすための便利な道具として扱われることが多い。


 制作には相応の素材と技術と手間を要し、決して安価な代物と呼べないのだ。故に常人は使い捨てにするという発想には至らない。



「だから毎回、サダューイン様が自ら魔具を造っておられるのですか?」



「そうだな。テジレアやスターシャナに手伝ってもらうこともあるが、

 基本的には自分で使う分は自作するようにしているよ。

 苦労はあるが、己の力量に見合った最適化ができるので手は抜かないよ」


 保有魔力量に乏しく、低位の魔術しか扱えないサダューインが高火力の魔術に匹敵する一撃を引き出すためには、魔具を手榴弾の如く扱うしかないのだ。



「……魔術や魔具術ではなく、剣や槍で、直接戦うおつもりはないのですか?

 その、サダューイン様の御力でしたら魔術に頼らずとも……」



「以前にも話したが、俺は母上のような"魔導師(トライン)"になりたいんだ。

 剣や槍を振るって最前線に立ち、家臣を率いて民を護るという……

 "偉大なる騎士"のような在り方は、姉上が体現しておられるからね」


 遠慮がちに述べるラキリエルの疑問の言葉を遮るように、先じて告げた。



「俺には姉上のような魔力も、民を惹き付ける華々しさもない。

 それでも地道に研究を重ね、成果を積み上げていくことは嫌いじゃないから

 まあ、暫くはこのままで良いと思っているんだよ」


 自虐ではなく本心からそう感じているのだろう。諦観の中で歩み続け、藻掻き続けた果てに辿り着いた者 特有の硬い意思のようなものを垣間見せる。




「(そのようなことは、決してありえないと思いますが……!)」


 魔力はともかく、民を惹き付ける素養は充分にあるのではないか。

 そうでもなければテジレアやスターシャナのような部下を得ることはなかったであろうし、彼を慕う大勢の女性や許嫁が現れる筈もない。


 なによりラキリエル自身が、彼の存在に強く惹かれてしまっていたのだ。

 たとえ適性がないと自覚しつつも、母の理念を継ぎたいと唱え、愚直なまでに努力を重ね続けるサダューインの姿は、ラキリエルにとって輝いて視えた。


 まるで御伽噺(ユメ)の中の"翳の英雄"のように、己の境遇に藻掻き苦しみながらも民のため、常世のため、姫君のために歩き続ける不世出の傑物の再来の如く――



「……ラキリエル?」


 困惑した様子で己の名を呼ぶサダューインの声が耳朶に響いた。



「あっ……」


 気が付けば無意識のうちにサダューインの隣まで近寄り、両掌で彼の右掌を包み込んで強く握り締めてしまっていたのだ。

 「そんなことはない」「貴方は立派で素敵な御方」「わたくしは 心の底より貴方をお慕いしております」とでも云わんばかりに、強く強く握り締めていた。



「あ、その……し、失礼しました……」


 自らの無意識の行いと、胸中に秘めた想いを自覚して思わず赤面してしまったものの両掌を離そうとはしなかった。

 このまま握り締め続けていたいと、彼の掌の温もりを 欲してしまったのだ。




 サダューインの右掌を覆う漆黒の手袋越しに、彼の体温が伝わってくる――




 同様に、ラキリエルの両掌が発する体温もまた彼へと届けられていく――

 





「…………」


 躊躇いがちに、見上げるようにして彼と視線を重ねて 見詰め合いました。




「…………」


 傾けられた視線から逃れることなく、彼は正面から微笑み返してくれました。


 動悸が加速し、吐息は熱く 切ないものへと様変わりしていきました。




 嗚呼、今すぐにでも古代魔法(幻日)を解いて、真の姿(現実)を曝け出したい。


 そして彼が裡に抱えて積み上げた幻創(真実)を、ここで曝け出して 伝えてほしい。



 漆黒の手袋越しの触れ合い……たかが布地の一枚なれど、明確なる隔たり。

 それが現在の、わたくしと彼との心の距離でもあったのです……。






 いったい、どれほどの間そうしていたのだろうか。


 おそらく時計の針は、それほど動いてはいなかったであろうとも、二人が体感した時間は限りなく拡張されたものであったのだ。



「……今日はもう遅い。君も早く身体を休めたほうがいいな。

 先程、案内させた母上の私室だった部屋を使ってくれ」


 優しい声色で囁き、サダューインは自由に動かせる左掌でラキリエルの頭を軽く撫でてみせた。



「……はい」



「残念ながら明日は、俺は『亡霊蜘蛛(ネクロアラクネロ)』からの報告を聞いて回ったり

 地下研究所に顔を出さなければならないので、この家には戻って来れないが

 明後日の姉上との面会を終えたら、またここで続きを話そうか」



「……はい!」



「ふふっ、じゃあ掌を離してくれるかな?」


 名残惜しそうに、ゆっくりとラキリエルが両掌より力を抜いて離して矢先。今度はサダューインが自信の右掌で、ラキリエルの右掌を掴んで引き寄せた。



「…………ッ!!」


 そしてほん一瞬、彼女の手の甲に ささやかな口付けを 施したのだ。




「おやすみ、ラキリエル。どうか良い夢を……」


 完全に真紅の面貌へと染まるラキリエルを扉の前まで連れて行き、別れの言葉とともに右掌で優しく頭を撫でた。



「おやすみなさいませ、サダューイン様……。

 また明日、いえ明後日はよろしくお願いいたします」


 熱に浮かされた貌で、幸せそうに微笑みながら挨拶を返してから宛がわれた部屋へと向かっていった。






 その後、サダューインは再び作業机に戻り、雑務を片付けていった。

 明後日の面会に向けての調整や、ザンディナム銀鉱山で目にした事柄などを報告書に纏めておく。明日、城館の地下深くに設けられている研究施設へ赴くついでにノイシュリーベの侍従または密使を務めるエバンスに手渡すためである。




 コン   コン…   コン コン!


 半刻ほどが経ち、深夜帯に差し掛かったころ扉をノックする音が四回響いた。



「スターシャナか……入っていいぞ、今ならば別にかまわない」



「失礼いたしますわ」


 入室して扉を閉め、己が主君に対して深々とお辞儀をしてから褐色の肌のエルフは部屋の奥へと歩を進める。



「……こちらも丁度、段取りを整え終えたところだよ」


 羊皮紙の束を一纏めにして椅子から立ち上がり、スターシャナと向き合った。



「お疲れ様ですわ。久々に研究所のほうにも顔をお出しされるのなら

 ルシアノン達も、とても喜ぶでしょうね」



「ああ、彼女達には呪詛の解析や研究を任せきりにしてしまっているからな」


 おそらく現在の時刻でも誠実に働いてくれているであろう部下達のことを考えながら、如何にして労ってやるか検討しようとした……が、その思考は正面から抱き着いて唇を重ねてきたスターシャナの行動によって搔き消されてしまった。


 スターシャナの背丈は一メッテと七十トルメッテほど。女性にしてはやや高めではあったが、それでも長身のサダューインと接するならば爪先立ちで見上げなければならない。




「…………」



「……ん、ふぅ…………サダュ……イ……ンさ、ま………」



 熱く、甘い吐息を零しながら何度も唇同士が触れ合い、舌まで絡ませてくる。

 特に抵抗をすることも、突然の行為に疑問を懐く様子もなく。むしろ途中からは主導権を奪うようにしてサダューインは応じた。


 抱き着いてきた侍従に対して自身の左掌を腰の後ろに回してやり、力強く抱き返してみせたのだ。


 一頻り堪能したのか、スターシャナのほうから唇を離す。唇と唇を繋げていた跡である伸びた唾液の線が、照明によって艶やかに照らされていた。




「……ここでする気なのか?」



「勿論です。そのために用意させていただいた寝台ですので」


 視線のみを部屋の片隅に置かれた仮眠用の寝台へと傾け、そちらへ連れていくようにと暗に求めた。



「奥の部屋まで声が響かなければ良いのだがな」



「聞こえてしまったら、それはそれで愉しいじゃありませんか」



「…………」



「ドニルセン姉妹が戻ってきたら、貴方を毎夜放そうとはしないでしょう?

 独占できるうちに、貴方をいただきたいと願うのは当然の権利ですので」



「……まあ、そうだな」



「それに、随分と溜まっておられるご様子じゃないですか」


 スターシャナの左目に光輪が灯る。『妖精眼』の扱いに長けた者は生物の体内を巡る魔力の流れから体調の加減をも見極めてしまうのだ。

 たとえそれが、サダューインのような脆弱な魔力しか宿せぬ者だとしても。


 それを目にした途端、サダューインの表情が一瞬だけ険しさを滲ませた。

 『妖精眼』は彼にとって最大のコンプレックスの一つ。故にそれを宿す者に対し、無意識のうちに屈服させて優位に立ちという欲求に駆られるのだ。


 サダューインのことを知悉するスターシャナは、彼を焚き付けるために敢えて目の前で『妖精眼』を見せ付けることで理性の箍を外す一助としたのである。



「今回はそこそこ長めの遠征でしたし、なによりもあの可愛らしい御方(ラキリエル)

 常にリジルに乗って過ごしてこられたのですから、無理もない話ですわ」


 サダューインは聖人君子でもなければ、枯れた老人や草食男子でもない。

 むしろ年齢相応に健常な男性である上に、草食どころか本質的には肉食獣の如き捕食者の側なのである。



「ふっ、君に隠し事はできそうにないな」

 

 サダューインの衣装の背部が開き、裡より多種多様な"腕"が飛び出してくる。

 其はグレミィル半島で暮らしている……否、暮らしていた亜人種達の死骸より移植した"腕"。彼に将来を託し、志半ばで散っていった同胞達の残骸なのだ。


 合計 十一本の"腕"を解き放ち、その全てを自在に操ってスターシャナの身体を抱き締めた。まるで蜘蛛が獲物を捕食するかの如く……。




「あぁ……サダューイン様ぁ……!」


 光悦に満ちた艶やかな貌を浮かべながら、侍従は歓喜した。

 この美丈夫(サダューイン)が全てを曝け出して、己を抱こうとしてくれているのだ。

 熱き一夜を過ごす悦びを、忠誠の報酬として与えてくれようとしているのだ。




「……美しいよ、サーナ」


 要望通りにサダューインはスターシャナを寝台へと運ぶ。

 彼女を愛称で呼びながら互いの衣装を剥ぎ、首筋に深く口付けを施した後に、逢瀬を重ねていく。


 『妖精眼』を宿す者を蹂躙するために理性を切除して獣へと変貌してみせる。



 スターシャナは普段は物静かに、淡々と職務を全うする淑女として振舞う。

 己の立場を弁え、常に主君であるサダューインのために尽くそうとする。

 然れど、裡に秘めたる情欲と想いは人一倍強く、それをこの一時だけは恥じることなく、隠さずに曝け出すのだ。


 優秀な臣下が、己の手足として従容と働く者が、全てを曝け出して欲したのだから、こちらもまた全てを曝け出して与えてやるのが主君の勤め。 

 それが『亡霊蜘蛛(ネクロアラクネロ)』を率いる者としての、この美丈夫(サダューイン)の自論なのだ。


 逆に云えば、本性を隠して接する者には、ただ優しく微笑むのみ……。



 そうして寝台に寝かせたスターシャナを押し倒している間に、ふとサダューインは自身の右掌で彼女に触れようとしていなかったことに気付いた。


 何故か? それは半刻ほど前にラキリエルに両掌で強く握られた際に伝わってきた熱の感触が残っていたからだ。

 ラキリエルが伝えようとして、結局は伝えられなかった想いの代弁たる熱の残滓が、他の女性に触れることを無意識下で拒ませていたのだ。



「(俺らしくないな……)」


 心の中で自嘲しながら自省し、右掌の熱を振り払おうとする。

 ラキリエルから伝わってきた熱は、予想以上に自分の中で大きなものだった。



 ラキリエルという存在は、予期せぬほどに大きくなりつつあったのだ――




 しかし如何なる想いを向けられていようとも、優先すべきは今 目の前で抱いている女性であるべきだ。そうでなければ公平ではない。

 己に尽くしてくれる者達に対して真摯に向き合っているとは言えなくなる。


 歪に捻じ狂った自論に沿って、美丈夫は侍従の嬌声を引き出していった――






 そうして城塞都市での第一夜が更けていくのであった。



・第17話の6節目をお読みくださり、ありがとうございました!

・サダューインは、こんな感じの主人公です

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