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017話『白亜の壁の裡へ』(4)


 ラキリエルが案内された部屋は、質素ながらもよく整えられた心地良い空間であり、充分に清掃が行き届いているようであった。


 部屋の一角、水を弾く床材の上に置かれた沐浴槽には、あっという間に真新しい清水が張られていく。スターシャナは相当に手際の良い侍従でもあるようだ。



「どうぞ、お使いください。

 必要ならば、こちらで御髪の手入れを手伝わせていただきますよ」



「えっと、あの……はい。それでは、よろしくお願いいたします」


 断るのも申し訳ないと感じ、言われるがままに手伝いを承諾するラキリエル。

 躊躇いがちに、纏っていた白い法衣や半透明状の布……衣類を脱いで用意されていた駕篭の中へと容れていく。そうして片足から清水に浸し、徐々に水の冷たさに慣れていくと、ゆっくりと全身を浸していった。


 やはり、水の中というのは落ち着く。


 海水ではないことが残念だが、それでもラキリエルにとっては生まれ育った環境に近しい状態であり、心と身体が安らぎを覚える。

 故にグレミィル半島の沐浴の文化には、比較的早い段階で順応できたのだ。



「水質は問題ありませんか?」



「はい、とても心地よい……です」



「それはなにより。では御髪を洗わせていただきますね」


 なおグレミィル半島の清水には、浸かるだけで穢れを落とす作用があるために手間を掛けて身体を洗う必要ないのだが、髪の手入れだけは別であった。

 特に長い髪は清水と相性が悪く、また優れた魔法使いや魔術師であれば自然と髪に魔力が蓄えられていることも多いため、清水の特性を弾くことがある。


 ラキリエルもまた豊富な保有魔力と高度な古代魔法を扱う身、沐浴の際に入念に髪を扱わなければならず、これまで訪れた宿屋などでは随分と苦労を重ねた。

 そういった意味ではスターシャナの申し出は非常に有難いものであったのだ。



 清潔な布と櫛を並べ、木桶に清水を張るスターシャナ。

 そして幾つかの楕円形の塊を取り出し、隣に置いた。


「ふむふむ、ラキリエルさんの髪質でしたら、こちらのメゼルナ石鹸を使用させていただきますが、かまいませんか?」



「……? そ、それはどういった代物なのです?」


 石鹸を溶かして髪を洗うことは理解しているが、その石鹸の区別が付かなかったのだ。街の宿屋などで見掛けた際は、全て同じ種類のものであった。



「おや、これは失礼いたしました。

 メゼルナ石鹸は"魔女の氏族"が治めるレアンドランジル地方で製造されている品物で、古代魔法との親和性が高いのです。

 ……つまり古代魔法で常に姿を変えておられる御方が使用しても、その効力を妨げることなく洗髪できるのですよ」



「…………ッ!!」


 思わず、ぎょっとした貌を浮かべるラキリエル。

 誰にも話していなかった筈の秘密……唯一、サダューインにだけは本来の姿の一部を見せたことがあったが、それでも本性の全てには程遠い。

 にも関わらず眼前のこの褐色のエルフは、わけもなく看破した上で最適な提案まで示そうとしているのだ。



「存在置換の術式を行使していらっしゃいますよね?

 御安心ください、"魔女の氏族"のお歴々の中にも似たような御方はいらっしゃいますので、私個人としてはなんとも思いません」



「どうして……わかったのですか?」


 部屋に通されるまでにスターシャナがサダューインと交わした会話は極僅かであり、ラキリエルの素性どころか扱う魔法に関する話題は一切なかった筈だ。



「私は、『妖精眼』持ちなのですよ」


 微笑みを浮かべるスターシャナの左目の裡に、光輪が浮かび上がる。



「『妖精眼』は魔力の流れや、術式の本質を視ただけで看破するというもので

 エルフを含む"妖精の氏族"の極一部の者のみが宿す素質なのです」



「……つまり、わたくしの本来の姿が視えているというのですか?」



「いいえ、私の眼にはそこまでの機能はありません。

 ですが、どういった魔法を使っておられるのかくらいは分かります。

 あとは"魔女の氏族"の方々を視てきた私の経験則ですよ」



「そ、そうだったのですね……本来の姿を誤魔化して接することは大変な失礼に当たることと理解していますが

 どうか、どうか他の方々には内密にお願いすることはできないでしょうか!」



「それは何故です?」


 懇願するラキリエルに対し、スターシャナはあくまで淡々と質問を返した。




「……その、まだ心の準備が出来ていなくて」


 声を震わせながら、歯切をが悪くしながら言葉を紡ぐ。



「わたくしの全てを……本当の姿を……今、曝け出したとしたら

 サダューイン様がどう思われるのか不安に思ってしまうのです。

 もちろん、いずれ折を見て 伝えるつもりではいますけども!」



「……ああ、成程。乙女心というやつですか」


 呆れたような表情をされてしまった。



「すみません、すみません……」



「いえ、違いますよ。我が主君に対して呆れただけです。

 あの御方は本当にどうしようもない人誑しだなと改めて思っただけですわ」


 溜息を吐くと、とりあえず問題はなさそうだったのでメゼルナ石鹸を手に取り泡立てて、ラキリエルの洗髪を始めていった。



「大丈夫ですよ、あの御方は大抵の物事は受け容れる器量を持っておられます。

 ラキリエルさんがどのような御姿でも、拒まれることはないでしょう」



「……そうだと、良いのですが」


 されるがままに洗髪されていく最中、朱色に染まり熱を帯びた頬を冷ますようにして少しだけ顔を清水に浸しながら、呟いた。



「ええ、個人的に保証いたします。ただ……あの御方を慕うというのなら

 別の意味で、それなりのお覚悟をしておいたほうが良いでしょう」



「そ、それはもしかして……他にもサダューイン様を想っていらっしゃる方々がおられるから、ということでしょうか?」


 ヴィートボルグへ辿り着くまでの間に、ラキリエルとて薄々は感じていた。行く先々の村や町で熱い視線を送られていたことは数知れず。

 更にテジレアとの会話や、この家屋の入り口でのスターシャナとの会話などではロッティ、ラスフィ、センリ……女性の名ばかり聞こえてくるではないか。



「まあ、そうですねぇ……あの美貌ですからね」


 再び溜息を吐きながら、頷かれてしまった。


 英雄ベルナルド譲りの屈強な肉体に美しき面貌。"妖精の氏族"のエルフの中でも王族だけが持つ真珠の如き銀輝の髪。聡明な頭脳。年端も行かぬころから自力で築き上げた独自の財産と数多のコネ。

 そしてなによりも、このグレミィル半島を統べるエデルギウス家の一員……現在の大領主であるノイシュリーベの双子の弟という出自。


 これだけ揃っているならば、世の女性方が放っておく筈がないのだ。



「ドニルセン姉妹……ああ、我々の同僚の『亡霊蜘蛛(ネクロアラクネロ)』の一員です。

 彼女達は特にサダューイン様を熱烈に慕っていますね。


 姉のエシャルトロッテ……ロッティと呼ばれている者と

 妹のラスフィシア……ラスフィと呼ばれている者のことです」



「ロッティさんと、ラスフィさん……」



「それからセンリ様……センリニウム様は『亡霊蜘蛛(ネクロアラクネロ)』ではなく

 "妖精の氏族"の氏族長の御息女で、その……大変、申し上げ難いのですが」



「……??」


 淡々と話すスターシャナにしては珍しく、少し言葉を詰まらせた。





「……センリニウム様は、サダューイン様の許嫁なのです」




「えっ……?!」


 驚愕に目を見開く。しかし同時に納得もしてしまった。


 サダューインくらいの立場の者ならば、許嫁もしくは婚約者の候補の一人や二人くらいは居てもおかしくはない、むしろ居ないほうがおかしいのだと。

 年齢的には、既に結婚していたとしても不自然過ぎるということもない。



 その瞬間、ラキリエルは目の前が暗くなった。



 動悸が激しくなり、耳鳴りが響き、呼吸が乱れかけた。

 



 御伽噺(ユメ)が……罅割れて崩れかけた。




 然れど、スターシャナが次に放つ一言により、罅割れた視界は辛うじて繋ぎ止めることが適う。


「とはいえ許嫁の件は先代の氏族長……センリ様の叔父に当たる御方が

 無理やり決めただけの話であり、今の氏族長になってからは頓挫しています」



「え、あ……そうだったのですね……」



「ええ、ですから本気でサダューイン様を狙っていく ご意思があるのなら

 まだまだ充分に可能性はあるということですわ。茨の道でしょうけどね」



「うぅ……」


 僅か数十秒の間に目まぐるしく変化していく表情、心境、視界にどっと疲れたラキリエルはなにも言えなくなってしまったが、同時に安堵していた。

 その間にもスターシャナは洗練された手際で、あっという間にラキリエルの長く美しい金色の髪を梳かしていった。



「そんなわけで、多種多様な女性と接して来られたサダューイン様なら

 貴方の本性を目にしたとしても決して動じることはないでしょう。

 それよりも、今はノイシュリーベ様との面会に備えることが大事ですわ」



「そ、そうですね……なんだか色々と、ありがとうございました」



「いいのですよ。恋する乙女は応援したくなる性分ですので。

 ……ところで、話を戻してもよろしいでしょうか?」


 言いながら、再び左目の光輪を灯し始めた。



「はい、なんでしょうか!」



「私はこの通り、左目に一輪の『妖精眼』を宿しております。

 『妖精眼』の保持者は、エルフでいえば万に一人と言われていますわ」



「それは……すごく希少なのですね」



「ええ、そして同じ『妖精眼』でも位階が別れているのです。

 主に光輪の数で決まり、より高位ともなれば二重輪や三重輪が存在します。

 輪の数が多いほど看破できる魔力や術式の精度が跳ね上がる仕組みですね」


 独自の経験則を持つとはいえ、片目の一輪ですらスターシャナはラキリエルの古代魔法を看破してのけたのだ。

 こと魔力への干渉に限るならば、『妖精眼』の保持者が如何に優位に立てるのかが伺えた。



「つまり、他にも『妖精眼』を宿しておられる御方がいらっしゃった場合、

 わたくしの本性も簡単に見破られてしまう可能性があるのですね……」



「そういうことですわ。そして貴方がこれから面会されるノイシュリーベ様は

 両目ともに三重輪の『妖精眼』……嘘、偽りは一切通用いたしません」



「……ッ!!」


 ただでさえ希少な『妖精眼』の上に、更に両目の三重輪ともなれば数千年に一度、現れるかどうかの確率であった。

 姉弟の母、ダュアンジーヌも三重輪の『妖精眼』ではあったものの片目のみ。



「ノイシュリーベ様は清廉潔白を信条とされる御方。嘘や欺瞞は嫌われます。

 ……どうか、お覚悟ください。サダューイン様とは別の意味でね」


 淡々と事実を告げる間にも、侍従は手を動かし続ける。

 サダューインへの想いとは別の形で新たな不安を抱え始めたラキリエルの胸中とは裏腹に、彼女の金色の髪は一切の曇りなく輝きを取り戻していったという。


・第17話の4節目をお読みくださり、ありがとうございました!

・そういえば各登場人物の具体的な年齢を描いてはいませんでしたが、主人公姉弟とエバンスは22歳(満23歳)くらい、ラキリエルは19歳となっております。

 ただしラキリエルは閉鎖された環境で限られた者とのみ接して生活してきたので、精神年齢は少し幼く15~16歳くらいになると思います。

・なおラナリア皇国や旧イングレス王国内での、一応の成人の基準は16歳となっております。

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