015話『清貧なる巡回徴貢』(1)
[ グラニアム地方 ~ ティグメアの町 ]
グラニアム地方の南西部に位置する町、ティグメアは海岸沿いを北西へと伸びるノールエペ街道から、やや外れた場所で栄えた漁師達の町である。
簡素な木造の集合住宅地が建ち並び、漁業に従事する者が扱う小舟や漁具を補完するための倉庫が埠頭近くに軒を連ねている。
軍艦や交易船の多くはエーデルダリアに集中するので同じ港町ではあるものの、こちらは静寂で穏やかな風情が漂っており、外から訪れる者は滅多に現れない。
そんな小さな町の中に在って唯一の石壁造りの家屋……町長の館の入り口にて、この日は珍しく人集りができていた。
「大領主様……それに従者様も、このような小さな町に立ち寄ってくださり光栄の限りでございますぞ」
「町人一同、大領主様が快適な旅路を歩まれますことを祈っております」
「ええ、突然の訪問にも関わらず泊めてくれて有難う。
我が父ベルナルドとエデルギウス家の名に懸けて、この町の保護を約束するわ」
場違いなほど立派な白く輝く全身甲冑を着込んだ女性騎士と、彼女の身の回りの世話を行う従騎士と思しき男性による二人組が町長を含めた多くの町人から盛大に見送られている最中であったのだ。
尤も、現地の住人としては突然の来訪者を歓待しなければならなくなったことに対して冷や汗を隠し切れておらず、彼女達が立ち去った後は皆一様に安堵の表情を浮かべることであろう。
エーデルダリアを後にしたノイシュリーベはエバンスと合流し、エペ街道を北上してグラニアム地方へと移っていた。
道中にはエデルギウス家のささやかな領地と屋敷が存在し、まずはそこで一泊。
幼少のころから屋敷で働く家宰達に迎えられながら順当に過ごし、再びヴィートボルグへ帰還するべく歩を進めていったのだ。
やがてノールエペ街道へと差し掛かり、日が暮れてきたので最も近くに位置するティグメアの町へと立ち寄った。
ティグメアは別の貴族家が管轄する小さな港町であり、上述の理由とも相まって訪れる理由が滅多になく丁度良い機会でもあったので巡視も兼ねてここで宿を借りることにしたのだ。
「よかったねぇ、すんなりと一泊できて。
まあ彼等からすれば生きた心地がしなかっただろうけどさ」
ティグメアを発ってから北西へと街道を進み、町の姿が見えなくなってきたころ、一見すると、ふくよかな体型のように映る従騎士……に変装していたエバンスは、身体を覆っていた甲冑をベキベキと折り畳みながら脱いでいった。
それは本物の甲冑ではなく、よくできた偽物でありハリボテ。旅芸人が大道芸を披露する際に用いる大道具の一つであった。
即ち、町に滞在する間だけ大領主に随伴する従騎士を演じていたのである。
「はぁ、こんな回りくどいやり方をしなくても……」
「ダメダメ。
この辺の人は世情に疎いというか自分達の生活で手一杯な人が多いんだ。
大領主が代替わりしたことや今のノイシュの姿を知っている人は、ほとんどいないよ」
白馬に跨るノイシュリベートの左隣にて、徒歩ながら同速で並歩するエバンス。
「ノイシュの顔を覚えてもらう意味も含めて、まずはちゃんと従者を連れた大領主として振舞うのが無難だよ」
彼は旅芸人として各地を巡っているだけのことはあり、並の為政者よりも遥かに世情に明るい。故にノイシュリーベはその意見を素直に聞き入れるである。
大領主が領内の巡視も兼ねて町を訪問し、一泊するというのは稀に成されてきた事例ではあるがノイシュリーべのように従者すら付けずに単独で出歩くような為政者は例外中の例外。
普段から彼女と接する機会が多く、その生き様や行動力を知悉している者であればともかく、滅多に関わることのない町の住人であれば、単独で騎馬を駆る彼女がグレミィル侯爵だと信じてもらうには時間が掛かってしまうだろう。
そこでエバンスが大道芸で磨いた腕を活用し、大領主にお供する従騎士を演じることで町長や町人達に信じてもらい易くなるよう、文字通りの芝居を打ったのだ。
「ノイシュがベルナルド様と一緒に各地方を巡視して回っていたのは、今からもう十年以上前でしょ?
もしかしたら一部のお年寄りなら覚えていたかもしれないけど、大抵の漁師は日々の生活の忙しさで忘れちゃってるよ」
「むぅ、まだまだ お父様のようにはいきそうにないわね」
「仕方ないって。ベルナルド様達がいなくなっちゃったのは急なことだったし、
君は騎士の修行のために一昨年まで南イングレスで過ごしてたんだしさ。
一歩一歩、地道に新たな大領主として実績を積んでいくしかないんじゃない?
昔のベルナルド様のようにね」
「そうね、まあ……助言してくれたことは感謝しておくわ」
「ういうい~」
街道を進む傍ら、砕けた様子で談笑する両者の間柄は、古くからの悪友であることを感じさせる砕けた雰囲気であった。
ちなみに周囲の目がある場でエバンスがノイシュリーベに話し掛ける際には今のような気易い口調ではなく、貴人を相手とするに相応しい恭しい口調へと変わる。
そういった処世の術や、貴族相手の応対の仕方などを、エデルギウス家と懇意にしてきた旅芸人の彼は十二分に心得ていた。
故にノイシュリーベやサダューインは、彼に対して強い信頼感を懐いているだけでなく、今や滅多に顔を合わせることのなくなった姉弟の間を取り持つ貴重な存在として双方から認められている。
「あ、そういえばティグメアでは例の巫女さんとサダューインっぽい人達が
立ち寄ったという話は全く聞かなかったね。
ってなると彼等はグレキ村の方角から、お城へ向かったのかなぁ」
「あり得そうな話よね。
巫女を追い掛けてきた連中は自分の船を持っていたでしょうし、
慎重で臆病な"あいつ"だったら海岸沿いの路は避けるに違いないわ!」
「じゃあ馬の足の差で、お城に着くのはおいら達のほうが先になるかもね?
ノイシュの馬……フロッティと、サダューインのリジルとじゃあ速度が
違うし、途中で馬を調達しない限りはあっちは二人乗りだ」
用意周到なサダューインであれば予め巫女巫女用の馬を用意している可能性もなくはないが、護衛のし易さの観点から考えて一頭の馬に二人で乗って帰路に着きそうな予感がしていた。
「グレミィル半島の外まで移動するような長旅だったら持久力に優れたリジルに分があるだろうけど、お城までならこっちのほうが断然早く着くね」
「ふん、"あいつ"に先に城に入られて待ち構えていられるよりはずっと良いわね。
それなら速度をもっと上げて半日でも早く帰ってやりましょう」
「えぇぇ……おいらはノイシュと違って徒歩なんですけどぉ?!」
「……常歩とはいえ、馬の速度に普通に付いてくるくせによく言うわ。
下腹の出たドワーフみたいな体型してるくせに!」
エバンスは徒歩にして騎乗中のノイシュリーベと遜色ない速度で街道を歩いているのだ。それも談笑交じりに、休憩を挟むこともなく。大荷物まで抱えて。
これは彼が獣人特有の強靭な足腰と持久力を兼ね備えているというだけではなく、素養のある者が厳しい鍛錬を何年も積んできた証左であった。
「体型のことは言わないでよ……これでも結構、気にしてるんだけどー。
おいら達、狸人が生れ付きこういう身体だってのは知ってるでしょ!
ヴェルムス地方のビュトーシュ辺りなら、おいらの五倍くらい腹の出た酒飲みのおっちゃん達がゴロゴロいるよ」
「ふふっ、あの辺りは昔からの葡萄農家や醸造所が沢山あるからね。
今年の新作はどんな感じに仕上げてくるのか、今から楽しみだわ」
双方ともに特に気にした様子は見せず、和やかな雰囲気で談笑を続ける。
彼等にとってはこれが普段通りのやり取りであり、昔からの付き合いの長さを醸し出していた。
「ああ、それから……ノイシュがエーデルダリアで目にしたっていう
『偽翡翠』だけど、昨日の夜のうちにティグメアの人に聞いて回った限りだと
特にそれらしき症状を抱えた人は居ないってさ」
「それは良かったわ。エデルギウス領でも、それらしき人は見当たらなかったし
どうやら今のところはエルディア地方の貧民街でのみ蔓延しているのかしら」
「んー……こういうのは気付かないうちに、そこいら中で広がってたりするし
あんまり楽観視はできないかもね?
次にサダューインに会う機会があったら、この件ばかりはよく相談しなよ」
「……そうね。お父様達の死因とも無関係じゃないでしょうし
遺憾だけど"あいつ"にも知る権利くらいはあるものね」
若干、深刻な話題にこそ触れたものの、その後は再び他愛のない話題で会話を弾ませながら街道を歩んでいった。
春から夏へと移る間際の時節。海岸沿いには潮の香に混ざって程好い微風が流れていた。周囲を見渡せば牧歌的な景色が広がっており、先日の雷雨が嘘であったかのような快晴の空が広がっている。
石造りの城の中で政務に追われる日々や、家臣や政敵達との距離を取り持ちつつ時に大領主として異種族間の問題を捌き、差配を求められる時間はここには無い。
一人の騎士として、ヒトとして気心の知れた悪友と領地を巡るこの瞬間こそが
ノイシュリーベにとってはなによりもの安らぎであったという。
「……っと、いけね! ノイシュ、北東の空を見て!!」
会話の最中、突如 緊迫した声色と面持ちに変貌したエバンスが警告を促す。
彼が指摘した方角を見上げると、おおよそ八百メッテほど離れた地点の上空にて三つの大きな影がこちらに接近しようと飛翔していたのだ。
「相変わらず、よく気付くわね……。
勘の良さは本当に誰にも負けないものを持っていると思うわ。
……で、随分と妙な方角から飛んで来るじゃない」
「んー、ザンディナム銀鉱山の方角から飛んで来たみたいだねぇ。
翼と胴体の大きさからしてグリフォンっぽいけど通常種じゃあない。
喉元が膨張してるから火を噴く亜種、銀鉱山の近くに多く棲息してる奴等だ」
「ザンディナムの近くに棲息しているとなると……エルドグリフォンかしら?」
「そうそう、それそれ!
火を噴いて鉱物や魔晶材を溶かしながら食べちゃう種族だよ」
望遠鏡を用いずに素の視力のみで魔物の種類まで判別してのける。
ノイシュリーべも相当に視力は良いほうなのだが、彼の索敵能力には毎度ながら舌を巻くばかりであった。
「たしかに奇妙ね。これは"あいつ"がなにかやらかしたのかもしれないわ。
城に着いたら きっちり詰問してやらないと!」
サダューイン達がグレキ村の方角へ伸びる街道を選択したのではないかと話していた矢先であったこともあり、真っ先にそのような考えに至った。
「流石にサダューインが原因とは思わないけど何か掴んでいるかもしれないね。
……魔物除けの仕掛けも通じてないみたいだし、たぶんこっちに来るよ」
グレミィル半島に敷かれた各街道には、平野の魔物が嫌う臭い袋が等間隔で設置されており、巡回する警邏隊や依頼を受けた冒険者が定期的に交換に訪れることで往来する人々の安全性を高めている。
しかし、それはあくまで平野に棲息する魔物に対してのみ有効な仕掛けであり、今回のような銀鉱山に棲息するような魔物に対しては効果は極めて薄かった。
加えてグリフォン種は馬を喰らう魔物として有名だ。ノイシュリーベが駆る白馬などは恰好の御馳走として映ることだろう。
「ふーん、完全に私の乗るフロッティを狙っているようね。
魔物に空から見下ろされるなんて、あまり良い気分ではないわ」
「……うへぇ、やっぱりこうなるのかぁ」
愛馬から降りて素早く兜を被り、面当てを下げる。その途端に麗しき大領主は、白く輝く厳格な女性騎士へと変貌する。
そして長年使い込んでいる長柄武器である斧槍を鞍から外して握り締めた後に、フロッティを近くの林の影へと退避させた。
相手がグリフォンの近縁種たる空飛ぶ魔物であれば馬にとっては天敵種だ。
幾ら戦場を共に潜り抜けてきたフロッティであったとしても相性の差は如何ともし難い……戦いの最中に丸呑みにされるような危険は減らすべきだと弁えていた。
・第15話の1節目をお読み下さり、ありがとうございました!
今回はサダューインとラキリエルがザントル山道を登っている時と同時期のお話なります。