013話『そして濁り水は像を結んだ』(7)
「はぁ……はぁ……」
肩で息をしながら荒い呼吸を繰り返すラキリエル。彼女の保有魔力量を以てしても、先ほど行使した古代魔法は莫大な消耗を強いる術式であったようだ。
加えて直前には防御のためにも別の術を唱えている。
「お見事。あの魔具像を粉砕するとは、やはり竜……いや龍に由来する術式は凄まじいものだ。
……だが、また君に負担を強いてしまったな」
「なにをおっしゃるのです! むしろサダューイン様のほうこそ、ご自身が怪我を負われてまで奮戦してくださったじゃないですか!
さあ、傷口を診せてください。すぐに治療を……」
申し訳なさそうに気遣うサダューインへ自ら近寄ると、戦いの最中に斧を叩き込まれ、鋼拳によって圧し折られた左腕を掴んで治療を施そうとする。
しかしラキリエルが治癒魔法の詠唱句を発しようと瞬間、右掌を挙げて静止させられてしまった。
「いいや、これくらいの傷ならば手持ちの治療用魔具で対処できる。
その気持ちだけ受け取っておくよ」
「ですが……明らかに骨が折れているじゃないですか!」
「大丈夫さ、これくらいなら日常茶飯事だよ。
それより君には昨晩から立て続けに高度な魔法を唱えてもらっている。
せめて宿場街で一息着くまでは、これ以上の魔法の行使は控えたほうがいい」
ラキリエルの負担を考慮して申し出を拒む素振りを見せる一方で、どことなく己の身体を検分されたくないという雰囲気を僅かに見え隠れさせるサダューイン。
革鞄より筒のような容器を取り出すと、内に保管してあった包帯型の魔具を取り出した。
包帯の布地には微量の魔力と中位の治癒魔術が刻印されているようで、これを傷口に巻き付けることで止血とともに応急処置を施すといった代物である。
飲み薬や塗り薬と異なり、この魔具だけで一応の治療行為が完結するのが利点だが、治療用の魔具は他の代物と比べて生産コストが高く、高価なことで知られていた。
「魔法使いであれ魔術師であれ、治癒術を習得した者は限られている。
故に薬師の一般治療薬や、錬金術師が造る軟膏のほうが遥かに安価で市場に流通しているが、そういうのは効果が現れるまでに時間が掛かるからね」
語りながら片腕で要領良く負傷箇所に包帯を巻き付ける。折れた左腕には、治療用の魔具を保管していた筒を添え木の代わりとした上で同じく包帯を巻いた。
単独で行動することが多いからこその手際の良さ。即ち、それは人知れず数々の傷を幾度となく負ってきたという証左であった。
「…………」
「ラキリエル、俺のことを心配してくれるのは嬉しいが、今はどうか自分のことを優先してほしいんだ」
それでも尚、食い下がろうとする彼女を制しながら、何か言葉を発する前に応急処置を完了させていく。
「これで良し……『翠聖騎士団』の支援部隊長に頼んで治癒魔術を刻印してもらった魔具だ。高い代償を支払っているだけの効果は保証されているのさ」
慣れた手付きであっという間に包帯を巻き終えてしまう。一連の所作だけで彼が人知れず戦い続けて傷を負ってきたことを物語っていた。
「……わかりました。ですが、もしサダューイン様がこれ以上の怪我を負われた時には容赦なく治療しますからね!」
「ははっ、肝に銘じておくよ」
悔しそうに告げるラキリエルを諭すように微笑を浮かべて言葉を返し、折れた左腕の具合を改めた。
特注品である治療用魔具の効き目は良好で、二~三日も経てば骨折した腕とて快癒する見込みである。
「さて、後は生かしておいたラナリア兵への詰問か」
「……!?」
その言葉を聞いてラキリエルは、はっとした面貌を浮かべる。それと同時に、魔具像を起動させた軍人以外は全て絶命させた事実を思い出した。
複雑な胸中ではあったものの、たとえ故郷を襲撃した敵であった者達に対して短い追悼の祈りを捧げ始めた。
「……どうかこの者達の魂が蒼角の果てで穢れを漂白され、常世へ巡り還る新たな旅路を歩まんことを」
「(律儀なものだな)」
全ての生きとし生ける者を平等に扱おうとするラキリエルの在り方は、サダューインにとって眩しく輝く存在に感じた。
手を伸ばせば直ぐに届く距離に彼女は居る。然れど互いの魂の在位はあまりにも遠く懸け離れているように感じる。恰も昏き地の底と、夜空に輝く月の如く。
そんな所感を懐きながら、腰に帯びているベルトのホルダーより試験管を一本抜き取りコルク栓を指で弾いて開封。生かしておいた軍人の元に近寄り、瓶の中身である粉末を鼻腔に振り掛けた。
「……ッ!! げほっ! ぐげぇああああ!!」
前歯や鼻骨を砕かれて意識を失いかけていたところに、粉末……恐らく強力な気付け薬に相当する代物を嗅がされて無理やり意識を覚醒させられる。
意識を取り戻すとともに激しい痛痒が一挙に押し寄せ、軍人は悲鳴交じり激しい嗚咽と悲鳴を撒き散らしたのだった。
「貴様を生かしておくつもりは無い。だが、なるべく静かに息絶えたいと願うなら、こちらの問いに答えてもらおうか。
拒むのは自由だが、その時は有らん限りの苦痛を提供しよう」
絶対零度の如き瞳で見下ろし、敢えてゆっくりと言葉を告げることで相手が己の置かれた状況を理解させるだけの時間を与えた。
つまるところ質問に答えなければ、持てる全ての手段を駆使して拷問を行うと宣言したに等しい。楽に死にたいのなら情報を出せ、ということである。
希少なヨクゥーダ馬を駆り、明らかに特注品の魔具の数々を所持するサダューインは軍人の目から見ても明らかに只人ではなかった。
いずれかの権力者に連なる者であることは間違いなく、そんな彼が提供する苦痛ともなれば如何に壮絶で常軌を逸した歓待であるのかは想像するに難くなかった。
「…………ひ、ひぃぃ!」
絶望的に支配された表情を浮かべながら、震えながら首を縦に振る軍人。
隣の大陸への遠征経験のある彼でされ、この時に感じた恐怖は己の信念と経験をも捻じ曲げるほどであったのだ。
「よろしい。では一つ目……あの魔具像、『グロシュラス』とやらの装甲には『灰礬呪』の羅漢者が発症するものと同等の鉱物的特徴が視られるが、それはなぜだ?
こちらの認識では生体のみが発症する症状だと認識していたが」
「うぅ……『グロシュラス』は……『灰礬呪』の原体を……組み込んで創られ……た兵器。自衛能力と……運搬能力を両立させるために……魔具像が素体として起用された……」
痛痒と恐怖に怯え尽くし、肩と声を震わせながら軍人が掠れるような声色で言葉を紡いでいく。
そんな彼を見据えるサダューインの瞳はどこまでも昏く、冷厳であった。僅かでも虚偽の言葉を並べたならば、更なる無慈悲な仕打ちを断行するぞという圧力を感じさせる。
「…………」
ラキリエルは息を呑んだ。そしてなにも口を挟めなくなった。自分に傾けられる優しい眼差しや言葉とはまるで異なるサダューインの挙措に、為政者の一族としての貌を垣間見たのだ。
尋問は着々と進行していく。
「成程、だから他領の奥地へ人知れず運び込むことができたというわけか。普通はたった四人で魔具像を運用しようとは考えないからな。
しかし原体だと? そんなものを持ち込んで、なにをするつもりだったんだ?」
更に瞳の温度を下げて睨み据えるサダューインが、追加で試験管を取り出してコルク栓を開ける。
開封しただけで鼻が捥がれるような異臭が漂い始め、思わずラキリエルは後退りながら両掌で鼻を抑えてしまった。
・第13話の7節目をお読み下さり、ありがとうございました。
・なんと先日、感想を賜る栄誉をいただきまして、感無量でございます!
より一層、気合を入れて執筆してまいりますので、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
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