013話『そして濁り水は像を結んだ』(3)
※(2026.9.5) 本文の大幅な改稿を行いました。
「……先程はお見苦しいところを見せてしまい、申し訳ございませんでした」
「気にすることはない。溜め込んでいたものが心の表層に出てきたのだろう。
全てを吐露するのは難しいと思うが、俺で良ければいつでも話を聞くさ」
徐々に落ち着きを取り戻したのか、馬上にて何度も頭を下げるラキリエル。
サダューインは、そんな彼女にそっと左掌を伸ばして優しく頭を撫でた。
すると今度は、ラキリエルは全く動かなくなり、別の意味で動揺したかのように
目を伏せてしまった。ともあれ悪夢の余韻はすっかり払拭されたようだ。
「(成人した女性の頭を撫でるというのは無礼かもしれないが)
(ラキリエルは見た目よりも、心の方が少し若い気がする……)
(立ち振る舞いや知性、女性としての自覚は外見相応ではあるようだがな)」
正確な年齢はお互いに伝え合っていないし、本当の姿とも限らない。
しかし純人種の姿を象るラキリエルの外見は、十代後半といったところだ。
十五歳で成人とするラナリキリュート大陸の常識に於いて、彼女は一人の大人として扱うべきなのだが、何故かそれより幼く感じてしまう。
「(古代魔法で姿を変えているとはいえ、あくまで陸上に順応するための手段だ)
(ならば大きく肉体年齢を違えるような真似はしないと思うが……)」
ただでさえ慣れない環境なのだから、なるべく負荷を抑えるために視点の高さや腕の長さなどは本来の姿に近い状態に寄せている筈だ。
いつもの癖でサダューインが思案していると、ラキリエルは一つ咳払いをして、ようやく調子を取り戻し始めた。
「こほん。もう……大丈夫だと、思います」
「それは良かった。また辛いことを思い出したら、いつでも俺を頼ってくれ」
「どうしてそこまで、わたくしに対して良くしてくださるのですか?」
「ふむ、そうだな」
問われて、少しだけサダューインは脳内で考えを巡らせた。
彼女を心酔させるために煌びやかな言葉を使うか、それとも事実だけを並べ立てるか……。
ラキリエルの頬は朱色に染まりかけている。
だが、その下には涙の跡が微かに残っている。
故に、サダューインは慎重に言葉を紡いだ。
「先刻も少し話したが俺は君の持つ独自の知識や、古代魔法の力。
そしてハルモレシアでの経験に大きな利用価値があると考えている。
それは俺を含むグレミィル半島の民が持たない類のものだ」
「……」
「そして知識という武器は幾らあっても良い。だから君を受け容れようと思った。
だが勿論、それだけではないよ」
まずは為政者としての思惑や打算を開示して、境界線を引く。
これはサダューインが他者を誑かす際によく用いる手法の一つ。
そういった賢しさを、彼は二十二年の人生の間で会得してしまっていた。
「……淑女が困っているというのに、掌を差し伸べないのは紳士とはいえない」
磨き抜かれた自然な笑顔。その矛盾は、魅力として成立していた。
己が美丈夫であることを自覚しているからこそ、いつでも象ることが出来る。
「それに君と過ごす時間は純粋に楽しい、俺の話にも付いてきてくれるしな。
願わくば、このまま我が領地でラキリエルと暮らしていきたいと思っているよ」
嘘は言っていない。嘘だけは、言っていない。
一切の後ろめたさを切り捨てて、サダューインは堂々と言い放った。
「先に挙げた君の価値を抜きにしたとしてもね」
「ともに……暮らす、サダューイン様と……?」
「ああ、君が再び自分の脚でどこまでも歩いていけるようになるまで。
どうか守らせてほしい……それが答えでは駄目かな?」
「いえ……いいえ! すごく光栄に思います。
わたくしなどに、そこまで心を砕いていただけるなんて……」
「違うよ、ラキリエル。君だからこそだ。
この短い間だけでも俺はそうしたいと、心から思えたんだ」
曇りなき眼で直視しながら、淀みなく告げた。
その所作は実に洗練されており、明らかに手慣れている。
しかし同時に、それは幼い子供をあやすようでもあった。
「うぅ、ずるいですよ。そんな風に言われたら、わたくし……」
いよいよ朱色に染まりきった面貌を隠すように俯いてしまう。
然れど、発する言葉の節々からは嬉しさが滲み出ているようであった。
「それでは先へ進もうか。
リジル……空気を読んでくれて、ありがとう」
「ブルルル……!」
黒馬は僅かに身震いをすると、再び常足で山道を進み始めた。
宿場街を目指すまでの間、ラキリエルは先程の悪夢の内容について、ぽつぽつと語り出した。
即ち、自身と海底都市ハルモレシアに降り注いだ災厄について明かしたのだ。
時折、身体を震わせながら。疎らで覚束ない口調ながら。
それでも彼女は、サダューインという庇護者を懸命に信じようとしたのだ。
「……そうして、わたくしと僅かな従者だけが海上へと逃れたのです」
「ある程度は予想していたが、まさかそこまで凄惨な有様だったとはな。
……よく話してくれたね。辛かっただろうに」
「いえ、サダューイン様だからこそ話せたのです!
貴方はラナリア皇国に属しながらも、完全には呑み込まれまいとされています。
だからこそ……打ち明けておかないといけない、と思いました」
「ありがとう。君の事情を知れたことで、俺達の方針も明確に出来る。
ヴィートボルグに着いたら、姉上ともよく相談しておくよ」
大国であるラナリア皇国といえど、海底まで侵攻できる船は限られている。
それに加えて都市に撃ち込まれた紫紺色の砲弾。海の中でも燃え盛る炎。
挙句の果てには、彼女の同胞達を結晶化させた呪詛……。
「(皇国海洋軍の中でも相当の地位と権力を持った輩が関わっている)
(しかもラキリエルの話を聞く限りでは、『灰礬呪』が用いられた?)」
左腕が鈍い痛みを発している。
まず間違いなく結晶化の原因は、サダューインがよく知る呪詛だと判断した。
彼の両親を死に追いやり、各地の貧民街などでも少しずつ広がり始めている。
不吉な予感がした。これではまるで……。
「(半島に逃れて来たラキリエルも、少なからず呪詛に関わりがあるとなると)
(何者かの掌の上で踊らされているかのような錯覚を覚えてしまうな)」
「あの、サダューイン様?」
「……済まない、俺も少しばかり睡魔に襲われ始めたのかもしれないな」
「ふふっ、わたくしが言うのもなんですけど。
サダューイン様も、宿場街に着いたらゆっくりとお身体を休めてくださいね」
「ああ、無理はしないと約束しよう」
無意識のうちに表情が険しくなってしまっていたようだ。
心配そうに見詰めるラキリエルを誤魔化しつつ、軽く頭を撫でてやった。
「(そうか、海底都市の中でも閉塞的な環境で暮らさざるを得なかった彼女は)
(限られた者達としか接点を持てなかった……だから無垢で、幼く、危うい)」
ラキリエルが辿ってきた路を伝えられた今だからこそ合点がいく。
美女といって差し支えない風貌。それに見合う教養と器量を兼ね備えているというのに、どこか幼さを感じさせていた要因が明らかとなったのだ。
「(そうなると、やはり俺などとは釣り合わない)
(姉上やエバンスの近くで暮らしてもらう方が、ラキリエルのためだな)」
そうした方がより健全に、より多くの物事を学べるだろう。
多種多様な価値観を持った人物達と触れ合うことが出来るだろう。
グレミィル半島で生きていくための知識は与えられるが、人脈はまた別なのだ。
己に傾けられ始めた好意を察したサダューインは、至極冷静であった。
それから半刻ほどが経ち、二人を乗せた黒馬は山道の中腹に差し掛かる。
この辺りになると麓の方では繁茂していた苔類やイェルフィンバの木なども見掛けることはなくなり、ただただ岩が連なる殺風景な景色が広がっていた。
「ザンディナム銀鉱山の宿場街までは、あともう半刻といったところだ。
昼前には到着できそうだな」
「分かりました! それにしても、このような岩山を登っているというのに
リジル……さんは、全く疲れた様子を見せませんね」
黒馬を労うように、そっと灰色の鬣を撫でるラキリエル。
数日の付き合いだが、サダューインの愛馬に対しても心を開き始めたようだ。
「リジルは少し特殊な馬でね、隣の大陸の、とある国の出身者から譲り受けた。
とても持久力に優れた馬種で、万全なら一週間は駆け続けることが可能だよ」
「そうだったのですね! 道理で見たことのない毛並みだと思っていました」
黒馬と一口に言っても、その種類は様々である。
サダューインの愛馬の毛並みは、特に深く、暗い、漆黒色。
光すら吸収してしまいそうな、闇に溶ける色合いだ。
暗部を率いるサダューインの活動に、これ以上適した相棒は居ないだろう。
「成程、君は北イングレスに立ち寄ったことがあったのだな。
数々の名馬を輩出した彼の地でも、リジルのような馬は珍しい筈だ」
「はい、同じ黒でも……もっと薄いといいますか。
何だかんだで太陽の下では微かに毛の艶が光を反射していました」
「ふっ、良ければリジルとも仲良くしてくれると嬉しいよ」
「はい!」
そんな他愛もない会話を交えながら、更に山道を進んで行く。
すると途中で、人工的に繰り抜かれた大きな洞穴のようなものが見えてきた。
麓から中腹に至るまでの間に幾つか設けられている休息所ないしは避難場所だ。
実はこれまでに二度ほど、同じような場所があったのだが、黒馬が疲労した素振りを見せなかったので通り過ぎていたのである。
「また……岩壁が繰り抜かれた休息所がありますね。
どうして、こんなにたくさん用意されているのでしょうか?」
「ああ、それは落石や天候の変化に備えるためだよ。
ナグス小山脈はナグファルスス海峡に隣接している関係で風雨が激しい。
時期によっては濃霧も発生する。だから山道に避難場所は必須なんだ」
「そうだったのですね」
「幸いにも今のところは快晴だ。天気が崩れる前に登りきってしまおう」
或いは宿場街の手前辺りから街の様子だけ窺い、直ぐに引き返す。
そのような方針を改めて固め直し、休息所を通り過ぎようとした……だが。
「あの方達は……」
繰り抜かれた岩壁に凭れ掛かりながら佇む、数人の男達の姿を目撃した。
いずれも旅人が着用するような、丈夫で安価な外套を纏っており、一見すると冒険者の集団のようにも見える。
「ふむ、妙だな。冒険者にしては隙の見えない立ち方だ」
「えっ?」
思わず眉間に皺を寄せるサダューイン。彼等から強烈な違和感を覚えたのだ。
「数は……三人か、いや奥の方にも一人居るな」
「サダューイン様! あれをご覧ください!」
休息所の奥では、一人の男が蹲っていた。
否、何か巨大な物質を弄っていたのである。
「巨人? いや、あれは……魔具像か?
ザンディナム銀鉱山での掘削は全て人力で行っていた筈だが……」
全長にして四メッテほど。休息所の天井擦れ擦れで辛うじて収まる歪な巨躯。
サダューイン達の居る場所からでは影により全貌は見えないが、少なくともこのような山道には不似合いな存在である。
「サダューイン様、魔具像というのは?」
「ああ、その名の通り魔具の技術で造り上げた自動人形だよ。
錬金術で造った錬成像に似ているが、より兵器としての側面が強い」
「なるほど、では魔具像と共に居る彼等は……」
「ただの冒険者でないことだけは確実だな」
訝しむ二人が遠巻きに眺めていると、それに気付いた男達が眼光を鋭く光らせて睨み返してきた。そして口を開く。
「貴様、何を見ている?」
「用がないのなら、さっさとこの先の街に行ってしまえ」
「それは済まない。
俺達もここで休憩を挟みたいと思っていたんだが……お邪魔かな?」
「……他を当たれ、今は取り込み中だ」
歯切れの悪い口振りで拒絶された。
他の男達も一様にしてサダューインを警戒し始めている。
「いや、待て! 貴様の乗っている馬……もしやテスカリオ馬か?」
「馬鹿な! 何故この大陸に"燦熔の庭園"の固有種が?」
「怪しいな……何者だ貴様?」
自分達のことは棚に上げて、男達は次第に詰問するような口調でサダューインに問い掛けていった。
どうやら希少な大陸外の馬についての知識もあるらしい。
「いやいや、これはグルダナ大草原から連れて来たヨクゥーダ種だ。
確かにこの辺では珍しいと思うがね」
「馬鹿にするなよ! ヨクゥーダはもっと薄い黒色の毛だった筈だ」
「ただの女連れの旅人が乗るには不自然な馬だ、詳しく調べさせてもらう」
或いはこの男達も、サダューインには何か常人とは違うものを感じ取ったのだろう。切っ掛けは黒馬だが、それとは別に険悪な雰囲気になりつつあった。
そんな中、ラキリエルが右掌の親指と人差し指でサダューインの服の袖を申し訳程度に引っ張って何かを語り掛けようとしていた。
「彼等の外套の下から見え隠れしている衣服、あれは……もしや?」
「ふむ、全員同じ服を着ているようだな。
濃紺の長衣。そして肩口から微かに見える紋章……皇国海洋軍の軍服だ」
袖を引っ張るラキリエルの指が震えていた。顔が青褪めていた。
当然だろう、あの紋章は彼女の故郷を滅ぼした者達であることの証。
悪夢を見た矢先に、現実にまでやって来たのだからラキリエルの心境や如何に。
「なにをコソコソと女と話している!」
「今直ぐに下馬して、そこに直れ」
「……おい、まだソイツは動かないのか?」
男達のうち二人が詰問し、三人目は奥で蹲ったままの仲間と魔具像に呼び掛けているようだった。
「ふっ、そちらこそザントル山道でいったい何をやっているのやら。
魔具像まで持ち込んで、まさか破壊工作か?」
ラキリエルを馬上に残し、サダューインは素早く岩地へと飛び降りた。
そして素早く鞍に括り付けていた杖を外して身構える。
「我々と闘り合う気か?」
「どうやら、ただの命知らずではないようだが……土人めが!」
「土人、か。
如何にも本国の連中が口にしそうな言い方だよ」
一度、震えるラキリエルの顔を覗き込んで微笑んでみせる。
俺は君の味方だ、何があっても……と言わんばかりに。
そうした後に、再び休息所で屯する男達改め軍人達を睨み据えた。
「本国の軍人といえど、放置するわけにはいかない。
何か良からぬことを企んでいるというのなら、洗い浚い白状してもらうぞ」
諸手で杖を握り締め、サダューインは臨戦態勢に移った。
【Result】
・第13話の3節目をお読み下さり、ありがとうございました。
・本文中にありましたサダューインの黒馬、リジルについては
とりあえず珍しい馬種で、それを譲った人物がいる……という点だけ頭の片隅に入れておいていただければ光栄です。




