013話『そして濁り水は像を結んだ』(2)
僅かに時を遡る。
食事を終えた二人は後片付けに取り掛かっていた。
小川の水で軽く食器を洗ってから手持ちの万能布で確りと水気を拭き取り、サダューインの革鞄へと仕舞い込む。
余ったイェルフィンバの実は網で包んで黒馬の鞍に吊るしておき、旅路の最中に陽光と風に晒して乾燥させることで保存食にすることにした。
そうした作業が一段落着き、最後に即席竈が完全に鎮火しているかどうかを入念に検めた後に、黒馬に乗って傾斜の付いた山道を歩むこととなる。
進む度に、麓よりも更に植物を見掛ける頻度が減り、ごつごつとした剥き出しの岩肌の地質が目立つようになってきた。
昼下がりの程好い陽光、耳朶に響く心地良い漣の音、食事の後の満たされた臓腑、歩を進める度に等間隔で上下する馬上。様々な要素が合わさることによりラキリエルは徐々に微睡に包まれ始め、少しずつ瞼が重くなり始めていた。
「ここから宿場町までは一刻ほど掛かるだろう。眠たければ、遠慮せず休んでいるといいさ。幸か不幸か、どうやら山道に棲息する魔物の気配を感じないからね」
街道で遭遇したグレイウルフ達のように『負界』の噴出の影響によって一時的に別の場所に逃れているのだろう。
「す、すみません……つい、うとうとしてしまいました。
なるべく起きているようにしますので!」
「無理をすることはない。昨晩だって運び込まれた患者ために高位の治療魔法を何度も唱えてくれていたのだからね」
諭すような口調で、然れど芯よりラキリエルのことを心配していることが伝わってくる声色で囁く。
そんなサダューインに対し、短い間ながらもラキリエルはすっかり信頼と安心感を懐くようになっていたのか、彼の言葉を汲むことにした。
「うぅ……重ねてすみません、ではお言葉に甘えさせていただきます」
背後のサダューインに体重を預け、すやすやと眠りに着く。察していた通り一晩眠ったくらいでは如何に竜人であるラキリエルといえど消耗を帳消しにはできなかったのである。
この分ではザンディナム銀鉱山の宿場町に到着した際に、彼女の性格ならば現地の患者達の姿を見て再び夜通しの治療を行い兼ねないかと不安を覚えた。
「(流石にこれ以上は負担を重ね続けさせるわけにはいかない……今からでも引き返すべきか?)」
斯様なことを思案しながらも、手綱を握り締めて暫く歩を進めていた。
そのまま四半刻が経過したころ、眠りに着いたラキリエルが表情が苦悶に満ち始め、やがて懺悔の呟きとも聞き取れる寝言を呟くとともに魘され始めた。
「……あまり良くない夢でも見ているのだろうか?」
旅籠屋に泊まった際に寝姿を検めたことはあったが、その時は長い逃亡生活の果てに疲労が極限状態に達していたがために深い眠りに陥っていた。
即ち、悪夢すら見る余裕がなかったということだ。
しかし今は、相応の消耗こそあれど夜は充分な睡眠を採り、朝と昼は腹八分目以上には確りと食事も採れている。
故に幾らか気が緩み、浅い眠りとともに夢を見る余裕が出てきたのかもしれない。
「(ヒトは裡に抱えた心理的負担を解消する手段として悪夢を見るという、彼女の場合は恐らく……)」
"魔女の氏族"が書き記した心理に関する学術書より得た知識を思い出し、そのような考察を広げていると更にラキリエルの表情が険しくなっていた。
そして――
「……ああぁぁぁっ!!?」
絶叫を挙げながら大きく目を見開き、額より滝のような汗を流しながらラキリエルが目覚めたのだ。
「はぁ……はぁ……ごめんなさい、ごめんなさい……。
皆様……ハルモアラァト様……ツェルナー……」
夢と現実が曖昧と化した端境。荒い呼吸を繰り返しながら彼女は何度も懺悔の言葉を呟いていた。
頬を涙が伝い、軽い錯乱状態に陥っているようだった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……。わたくし一人……生き延びて……」
「……ラキリエル!」
強く名を呼び、手綱を離して背後より両腕で彼女の身体を抱き締めるサダューイン。二人の異変を察した黒馬リジルは、脚を停めてその場で留まった。
「君に罪はない。君が苛むことはない……」
「……え、あ……さ、サダューイン……様?」
抱き締められてから数分が経過し、ようやく呼吸が整い始めるとラキリエルの意識が明瞭となっていく。
「ああ、そうだ。辛い夢を見ていたようだね」
「……はい」
「全てを忘れろとは言わない。二度と涙を流すなとも言わない
だが生き残ったことに負い目を感じるというのなら、亡くなった者達のためにも精一杯 生き抜いていくんだ」
抱き締める腕に力を籠めながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「君が新たな人生を送れるようになるためなら俺は出来る限りの手助けをしよう。
君が今後、涙を流すことがあれば、俺はこの手で何度でも拭ってみせよう」
漆黒の手袋越しなれど、指先をラキリエルの頬に添えて涙の跡を優しくなぞってみせた。
力強い腕に包まれ、然れど指先は繊細に、優しく慈しむ素振りを感じさせる。
そんなサダューインの振舞いにラキリエルの心に温かいものが拡がり始めた。
「サダューイン様……」
恰も溺れそうになった者が水面に浮かぶ藁に縋りつくように、彼の腕に己の掌を重ねて必死に握り締めながら、掠れるような声を名を呼んだ。
同時にラキリエルはこの時、かつて故郷で暮らしていた時に繰り返し読んでいた書物、『翳の英雄と群青の姫君』のことを想起していた。
即ち、群青は自分。英雄は背後から抱き締める彼。
彼ならば真の意味で閉塞された駕篭の中より連れ出してくれるのかもしれない。
微睡の残る頭、夢見の残滓に懐かれながらそのようなことを考えつつ、今はただ彼の腕の中の温もりに浸っていたいと思ったのだ……。
・第13話の2節目をお読みくださり、ありがとうございました。
・いつの間にか累計PV数が1300を越えていて感無量でございます!
このままコツコツと投稿させていただきますので、よろしくお願いいたします!