013話『そして濁り水は像を結んだ』(2)
※(2026.9.5) 本文の改稿を行いました。
ラキリエルが悪夢に落ちる、少し前のことである――
食事の後片付けを終えた二人は、余ったイェルフィンバの実を網で包んで黒馬の鞍に吊るし、半刻ほどの休憩を挟むことにした。
「こうしておくことで旅を続ける間に実が自然乾燥してくれる。
そうすれば、ぐっと日持ちするんだよ」
「あ、なるほど! グレキ村で朝食にいただいた干し果実ですね」
「その通り、よく覚えているね」
といった具合で適度に会話を交えながら、穏やかな一時が過ぎていく。
休憩後、竈が完全に鎮火していることを確かめてから、二人は山道の東端である断崖絶壁まで足を運んだ。そしてナグファルルス海峡の景色を眺めた。
「見てご覧、ラキリエル。対岸のあの陸地が南イングレス領だ」
「どこまでも続く草原と、微かに見える森林。あちらも素敵な大地ですね!」
「南イングレス領の、特に角都グリーヴァスロ周辺は"騎士の国"として有名で
広大な平原や山林が広がっている。
当時、十二歳だった姉上が、騎士修行に赴いた場所でもあるよ」
「……大領主様が!」
「ふっ、まあ今は、無理に頭に入れなくても良いことだな。
先ずはグレミィル半島のことを覚えていけばいい」
「はい! そういえばグレミィル半島も……あちらの南イングレス領も
昔はイングレス王国の一部だったのですよね」
「ああ、しかし今となっては共にラナリア皇国の属領になってしまったがね」
「……サダューイン様は皇国について、どのように思っておられるのですか?」
ラキリエルの声色が微かに震え始めていたのをサダューインは見逃さなかった。
「……そうだな、大領主の弟の立場で滅多なことは言えないが。
現状の我が領土の扱いは、決して悪いものではない。
とはいえ、平身低頭で尻尾を振り続けるのは危険だとも考えているよ」
グレミィル半島は独自の自治権や、司法権まで与えられている。
それも全ては英雄ベルナルドの功績によるものであり、彼が没した今、いつまでも現状の厚遇が続くと考えるのは楽観が過ぎるというものだ。
「だから表向きは服従しつつも、それなりの武器を揃えておく必要がある。
いざという時のためにも、武器は幾らあっても良いものだ」
「武器、とは?」
「兵力、経済力、属領同士の連帯、技術、知識、主にこの辺りだな。
ラキリエル……俺は君の持つ海底都市での経験や知識を高く買っている。
だから本国の連中に君の身柄を渡すような真似は、絶対にしない!」
「サダューイン様……」
ラキリエルを救出した日の夜、サダューインは海底都市ハルモレシアを襲ったのがラナリア皇国海洋軍であることを聞かされた。
だからこそ彼女の不安を察し、これからの扱いについて強く断言したのである。
「……また話が逸れてしまったね。我ながら悪い癖だよ、まったく。
ともあれ出発する前に、この海峡と対岸の陸地を君に見せたかったんだ」
ラキリエルの肩にそっと左掌を乗せて、少しでも彼女の身と心の震えを和らげようと試みた。
「ありがとうございます。
サダューイン様に救けていただいて……本当に、本当に幸せです」
添えられた掌に、己の掌を重ねる。
そうして二人は暫しの間、海峡に吹く海風に当たっていた――
その後は黒馬に騎乗して、昼下がりの陽射しを浴びながら山道を登る。
等間隔で上下に揺れる鞍の上では、程好い眠気が押し寄せて仕方なかった。
思わず瞼が重くなってしまうのも無理からぬ話である。
「ここから宿場町までは一刻ほどの距離だ。遠慮せずに眠るといい。
幸か不幸か、どうやら山道に棲息する魔物の気配を感じないからね」
街道で遭遇したグレイウルフ達のように、『負界』噴出の影響によって一時的に別の場所に逃れているか、或いは息を潜めて隠れているのだろう。
サダューインの言う通り、野鳥などを除けば特にそれらしき影は見当たらない。
「す、すみません……つい、うとうとしてしまいました。
なるべく起きているようにしますので!」
「いいや、まだまだ昨晩の疲れが抜け切っていないのだろう?
高位の治癒魔法を惜しげもなく続けたんだ、入念に休んでほしい」
「うぅ……重ねてすみません。それでは、お言葉に甘えさせていただきます」
背後のサダューインに体重を預け、やがて安らかな寝息を立て始める。
疲労だけではなく、互いに心の距離が縮まったことも影響しているのだろうか。
「すー……すー……」
「(流石にこれ以上は負担を重ね続けさせるわけにはいかない)
(……今からでも引き返すべきか?)」
一瞬だけ、そのような考えが頭を過った。
「(これまでに目にしてきたラキリエルの性格と行動力からして)
(宿場街に辿り着いた途端に重傷者の治療を買って出そうだ……)」
しかも一度、手を付けたことは最後まで完遂しようとする性質がある。
それも生半可な集中力ではなく、またそれを成し遂げるだけの能力をラキリエルは持ち合わせている。だからこそ、危うい。
「(無垢にして慈悲深い……その上、無意識のうちに贖罪を求めている)
(いずれ何処かで彼女とは、折り合いを付けないといけないな)」
サダューインの立場や苦悩にも寄り添おうとしてくれていた。
直接、言葉にせずとも彼女は明らかに気を遣う素振りを見せている。
だからこそ、サダューインはラキリエルの扱いに慎重になり始めていた。
「(一先ず、このまま山道を進んで中腹までは登ってしまおう)
(そこから望遠鏡を使って、宿場街の様子を遠目から視るだけにするかな……)」
斯様なことを思案しながら、手綱を握り締めて暫く歩を進めていた。
四半刻が経過したころ、眠りに就いたラキリエルの表情が苦悶に満ち始める。
やがて懺悔とも聞き取れる寝言を漏らしながら、うなされ始めていた。
「うぅ、だめ……! だめです! ……炎が……都市が……あぁ」
「……あまり良くない夢を見ているのだろうか?」
旅籠屋に泊まった際に彼女の寝姿を目にしたことがあったが、その時は寝返りを打つことすらないほどの深い眠りに陥っていた。
即ち、あの時は悪夢すら見る余裕がなかったように思えたのだ。
しかし今は違う。昨晩の治療の消耗こそあるものの、三食しっかり食事を摂り、逃亡生活を続けていた時よりかは格段に負荷が減少している筈なのだ。
「(ヒトは裡に抱えた心理的負担を解消する手段として悪夢を見るという)
(夢を見る余裕を得たからこそだが、彼女の場合は恐らく……)」
"魔女の氏族"が書き記した、心理に関する学術書より得た知識だ。
半信半疑で学んだに過ぎないが、あながち法螺ではないらしい。
そのような考察を広げていると、更にラキリエルの表情が険しくなっていた。
そして――
「……ああぁぁぁっ!!?」
絶叫を上げながら大きく目を見開き、額より滝のような汗を流しながらラキリエルが目覚めたのである。
「はぁ……はぁ……ごめんなさい、ごめんなさい……。
皆様……ハルモアラァト様……ツェルナー……」
夢と現実が曖昧と化しているのだろう。
荒い呼吸を繰り返しながら、彼女は何度も懺悔の言葉を呟いていた。
頬を伝う涙の跡が痛々しい。
「ごめんなさい……ごめんなさい……。わたくし一人……生き延びて……」
「……ラキリエル!」
軽い錯乱状態に陥っていた彼女の名を、強く叫ぶ。
そして手綱を離し、両腕で背後より彼女の身体を抱き締めた。
二人の異変を察した賢い黒馬は、歩みを停めてその場で留まってくれていた。
「君に罪はない。君が苛まれる必要など何もないんだ……」
「……え、あ……さ、サダューイン……様?」
抱き締められてから数分が経過。
ようやく呼吸が整い始めると共に、ラキリエルの意識が明瞭となっていく。
「ああ、そうだ。辛い夢を見ていたようだね」
「……はい」
「全てを忘れろとは言わない。二度と涙を流すなとも言わない」
抱き締める腕に力を籠めながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「だが生き残ったことに負い目を感じ続けていては、君の心が保たない。
亡くなった者達のために何かしたいのなら、精一杯これから生き抜くんだ」
静かに、だが……とても力強い口調。
まるで彼自身が、過去にそうしてきたかのような説得力を秘めている。
「君が新たな人生を送れるよう、俺は出来る限りの手助けをする。
君が今後、涙を流すことがあれば、俺はこの掌で何度でも拭ってみせよう」
漆黒の手袋越しの左掌。
その指先を、ラキリエルの頬に添えて涙の跡を優しくなぞってみせた。
力強い腕に包まれ、しかし指先は繊細に、優しく慈しむ素振りを感じさせる。
そんなサダューインの振る舞いは、ラキリエルの心に温かな"熱"を与えていた。
「サダューイン様……」
まるで溺れそうになった者が、水面に浮かぶ藁に縋りつくように。
己の掌を重ねて、必死に握り締めながら、掠れるような声で名を呼んだ。
「(ああ、この掌こそ……わたくしが何度も夢見ていた……)
ラキリエルはこの時、かつて故郷で暮らしていた時に繰り返し読んでいた書物、『翳の英雄と群青の姫君』のことを思い出した。
即ち、群青は自分。英雄は背後から抱き締めるサダューイン。
彼ならば、真の意味で閉塞された駕篭の中よりラキリエルを連れ出してくれるのかもしれない。そう、本気で願ってしまいそうになっていた。
まどろみの残る頭。夢見の残滓に包まれながら、そのようなことを考えつつ。
今はただ、彼の腕の中の温もりに浸っていたいと思ったのだ……。
【Result】
・第13話の2節目をお読みくださり、ありがとうございました。
・徐々に立ち込める暗雲……といった回でございます。




