012話『蒼穹の真下にて』(5)
「野外なので凝った仕上がりではないが、これはこれで風情があって良いな」
調理台代わりにしていたものとは別の平らな岩の上に布を敷き、二人で作った料理と村で購入しておいた薄焼きのライ麦パンを乗せた木製の平皿と深皿を計四つ、そして木製のカップを二つずつ置いていく。
カップには小川の水を沸騰させた湯が注がれていた。水筒には飲料用の水がまだ残っていたのだが、これから山登りをする以上はなるべく現地で汲んだ水を利用したほうが良い。
「むー……そうですねぇ」
調理の最中にからかわれたことを少し根に持っているのか、ラキリエルは精彩さを欠いた生返事を返した。
「ははっ……本当にすまなかった。
君の手際の良さに嬉しくなってしまってつい、ね。
誰かと共に料理をすることなど久しぶりだったんだ」
苦笑しながら頭を搔いて先程のやりとりに対する詫びの言葉を述べつつ、食事用のナイフ、フォーク、スプーンなどを取り出すサダューイン。
いずれも年季を伺わせる使い込まれた木製品で、エデルギウス家とは異なる家紋が刻まれている。
そしてラキリエルの元にも同様にグレキ村の食堂で融通してもらったカトラリー一式を並べて食事の支度を整えた。
「……いえ、別に嫌なわけではなかったんですけど? ちょっと、びっくりしちゃっただけです」
熱を払うように、軽く頭を左右に振って気持ちを刷新すると、改めて野外で広げられた食卓に目を落とした。
両手で相掌しながら目を瞑り、食材となった野鳥や野草、岩塩など自然の恵みに感謝の祈りを捧げる。
「海神龍様の思し召しと、我らの糧となる生命達に心より感謝いたします。どうか蒼角の果てで新たに常世へ巡る還らんことを……」
「(この大陸で信仰の対象となるのは管轄者である"主"が主流で)
(それを信奉するコーデリオ教では管理と秩序の裡で生命が循環することに感謝する説法を主体としているが)
(こうして彼女の祈りの言葉を聞くと、海底都市で信奉されていたというハルモアラァトは、まるで別次元の存在のように感じるな)」
数日の間の旅路で何度か食事を共にした際に耳にしていた程度だが、彼女が唱える祈りはまるで死した者の魂は異なる世界へと渡り、再び常世に還ってくるかのような口振りであることにサダューインは違和感を覚えた。
この地上世界に、嘗て神々と呼ばれた者達はもう存在しない。正しくは淘汰の果てに存在しなくなった。
いわば時代遅れの型落ち品であり、遥かな昔に人々の記憶や文明からも喪われている。
ハルモアラァトのような一部の神性存在だけは、辛うじて海底や地底に逃れていたが、それも極めて限られた例外中の例外なのである。
現在の地上世界を統べるのは、常理を敷いているのは、各大陸に君臨せし"主"を主軸とした管理機構。
ラナリキリュート大陸で広く信仰されているコーデリオ教の教えでは、死した者の魂すら"主"によって管理され、秩序の下で大陸の何処かへと巡って再誕するとされる。
サダューインは特段"主"を信奉しているわけでもなければ、特定の宗教に肩入れしているわけでもない。
しかし、これまで多少なりとも触れてきた宗教観とはまるで異質なるものを海神龍ハルモアラァト、およびそれを信奉する海底都市の民達に懐いたのだ。
とはいえ斯様なことをラキリエル本人に尋ねるものではないし、忌避したいわけでもない。折角の食事を前にしては無粋なことでもある。
余計な詮索の言葉は表に出さず、ラキリエルが相掌を解くまで沈黙して待つことにした。
「お待たせいたしました、それではお相伴にあずからせていただきます!」
「とんでもない、君も採取から調理まで協力してくれたんだ。
一切の遠慮はいらないよ」
そうして二人は自らが手掛けた料理に手を付け始めた。
充分に火を通したナグルラゴプスの肉は野味に溢れ、単体では独特の癖を感じてしまうもののペースト状にしたイェルフィンバの一部をソース代わりとすることで、その酸味によって程よい具合に整えられた味わいに仕上がっている。
ソテーにしたグラネスラの茎も良いアクセントとなってくれた。
一方で、イェルフィンバのスープはペースト状のものよりも酸味が抑えられており、鳥の油とグラネスラの葉から溶け出した成分によって温かさと清涼さを感じさせてくれた。
使用できる食材や調味料が限られているので、いずれの料理も味自体はやや淡泊気味になりがちであったが、そこは野外の景色と旅の道中というシチュエーションがスパイスの代わりとなってくれることだろう。
「はじめて口にする種類の味です。
食べ応えのある割に……するすると喉を通っていって、おいしいです!」
一口大に切り分けた鳥肉をフォークで口に運び、ゆっくりと租借した後に胃に入れたラキリエルが、目を見開きつつ笑顔で感想を零した。表情の明るさからして嘘偽りのない言葉であることが伺える。
続けてライ麦パンに鳥肉と茎のソテーを乗せて同時に味わってみたり、それらの残滓が口内に残っているうちにスプーンで掬ったスープを口に運ぶことで組み合わせを模索しながら堪能していく。
「それはよかった。ペッパーやマサラがないので味付けが薄くなってしまったが山道を進むことを考えれば、これくらいが丁度良いのかもしれない」
対してサダューインは淡々と料理を口にする。調理する前からおおよその出来栄えについて察していたのだろう。
食事そのものを楽しむというよりは、ラキリエルの反応を楽しんでいるかのようであった。
「油の主張が強すぎたら胃もたれしてしまうかもしれませんしね。ですが香辛料をふんだんに使ったものもいつか食べてみたいです!
ところで二人で一羽の鳥肉を食べるとなると少し量が多いかもしれません、余った分は保存されるのですか?」
「ヴィートボルグの市街地なら、そういった料理を提供する店もあるさ。
……そうかな? これくらいの量ならむしろ少ないほうだと思う」
小振りのナグルラゴプスの可食部はおおよそ六百グントー。二人で別けるなら三百グントーずつか、もしくは二百と四百でそれぞれ別けることになるだろう。
年頃の女性にとって一食分としてはやや多めに感じる量である。
「なんなら五羽くらいは余裕で胃に入るよ。まあ旅の途中ではなるべく空腹に慣らしておいたほうが都合が良いので、腹四分目以下に抑えるようにしているけどね」
「これを五羽分も……!
失礼ですがサダューイン様は意外と大食漢だったのですね。
たしかに細身に見えて、しっかりと鍛えていらっしゃるようですし、いっぱい食べる必要があるのも納得です」
「恥ずかしながら、昔から燃費が悪くて苦労している。
……こういう部分に限って父上の血を強く継いでしまったようだ」
やや面貌に暗雲が立ち込める。どうやら望んで得た肉体というわけではないらしいことは、朧気ながらラキリエルも察することができた。
魔術師としては不適格な、魔力を殆ど蓄えることのできない肉体。然れど騎士として肉体を磨くならば人類史上最高峰。
故に魔術のみでは領民を護るどころか己の身を守ることすら難しく、結局は恵まれた肉体と膂力を鍛えるしかなかったのだ。
どこまでも理想と現実が乖離したサダューインという男の本質を、本当の意味でラキリエルが知ることになるのは暫し先のこととなる。
「……いや、この話は今は関係ないな。どうか忘れてほしい。
さあ、料理が冷めないうちに食べきってしまおうか。もし多いと感じたのなら残りは全て俺が引き受けるよ」
「……こちらこそ変なことを言ってしまって、申し訳ありませんでした。
そうですね、せっかくの温かくておいしい食事ですから!
しっかりと食べきります!」
場の雰囲気が陰り出し始めたところで二人は一旦会話を切り上げて、眼前に並ぶ料理を楽しむことに専念する。
その後は他愛もない会話を交え、時折 海峡が奏でる漣の音と潮の香りが合間に差し込まれる心地良い一時が、蒼穹の空の下にて静かに過ぎていった――
・第12話の5節目を読んでくださり、ありがとうございました。
箸休めはこれにて一旦終了し、次話では少々ハードな展開になっていくと思います。