012話『蒼穹の真下にて』(3)
採取を始めて四半刻ほどが経つころ、それなりの量を搔き集めることができた。
最初は慣れない作業の一つ一つに慎重さを滲ませながら取り組んでいたラキリエルであったが、徐々に動き方に淀みが消えていく。
実践してから要領を掴むまでがとても早く、それでいて丁重さも損なわれていない。改めてサダューインは彼女の学習意欲の高さと素養に瞠目した。
地上に棲息する動物や、繁る植物などへの興味関心に依るところや、故郷を失った事実から目を背けたい一心も働いてはいるのだろう。
「これは凄いな。
悪戯に幹を傷付けずイェルフィンバの実をこうも綺麗に摘み取るとは……。
それにグラネスラの可食部の見極めも申し分ない。慣れている者でも棘を恐れて茎を残したまま葉を落としてしまうというのに」
折り畳み式の小型の木籠いっぱいに詰め込まれた赤橙の小さな実と、葉と茎部を切り分けられた野草、そして僅かに採取できた扇状の野草の束を目にして純粋なる称賛の言葉を送った。
三種ともに既に小川の清流で水洗いを済ませており、極僅かな毒素や棘を洗い流していた。
「ありがとうございます!
サダューイン様に丁寧にご指導していただいたからですよ」
「いや謙遜することはない。これほど器用に熟せるのなら、城に戻ったら俺の工房で魔具造りの手伝いをしてほしいくらいだよ」
優しい声色ながら、割と本心からそう呟く。
おそらくラキリエルは巫女としての使命を帯びた日々の中では決められたことを、決められた分だけ熟す生活を強いられてきたのだろう。
彼女の持つ可能性ないしは才能は未知数だ。純粋にどこまでやれる存在であるのかを知りたい、期待したいという欲求が湧いたのだ。
「サダューイン様の工房ですか。是非とも拝見したいです」
「ならヴィートボルグの城館区内に着いたら最初に案内しよう。
……さて、そろそろ調理を始めていこうかな」
「よろしくお願いします!」
短剣でグラネスラの茎を一口大の大きさに切って一旦隅に置いておき、周辺で拾い集めておいた枯れ枝を簡易竈の中で組んで燧石で着火。何度か息を吹きかけて火種が安定してきたのを確認した後に、水を容れた鉄製の鍋を竈の上に置いた。ついでにディレクトオーバの葉を火で炙っておく。
魔術師であれば低級の魔術を、魔法使いであれば火の精霊に希えば調理に使う焚火など簡単に用意できるのだが魔力の消耗を嫌うサダューインは道具に頼った。
「魔法の心得のある君ならば、火精に申し出れば幾らでも着火できるのだろう。時間を掛けてしまって済まないね」
「いいえ! むしろ大いに勉強になります。海底都市では火を使って料理を行うことはありませんでしたので……」
「そう言ってくれると助かるが、火を使わないのなら君の故郷ではどのような調理をしていたんだ?」
海藻類と魔物の肉が主食であるという話であったが、生食では味気ない食文化になりそうである。
しかし旅籠屋やグレキ村で食事を共にした限りでは、ラキリエルは過熱した料理に対して特に驚くことなく普通に口に入れていたのだ。
「火ではないのですが、魔法を用いて食材を加熱しておりました。
海底に棲む同胞達……地上の皆さんがおっしゃるところの深海龍が扱う吐息と同じ術理でして、ハルモアラァト様が仰るには海中のみずぶんし? というものを激しく揺さ振ることで熱を発生させるのだとか」
「……成程、深海に棲む龍達の音子振動哮か! それを極小規模に落とし込めば、たしかに生活の中で肉を焼くこともできそうだ」
「た、たぶん……そのような感じだと思います!」
持前の豊富な知識で彼女が言わんとしていたことを瞬時に察した。
竜種の中には顎門より強力な純魔力哮を放出する種族が存在するのだが、棲息する地域によってその性質が異なる。
中でも深海の奥深くに棲息する『龍』と呼ばれる者達は一際 特殊であり、純粋な熱エネルギーではなく、音子もしくは音響量子に影響を及ぼすことで強力な殲滅効果を発揮し得る。
「では君も、その手の魔法を習得しているということかな?」
「はい、滅多に唱えることはありませんが護身用としても活用できるそうなので先代の巫女より教わっております。
ただ……先日のように大勢で取り囲まれた状況や、素早く動き回る魔物が相手では詠唱している暇はありませんでした」
「……そうか、あの悪漢達はいずれも手練れの上に行動が迅速だった。真っ先に従者殿が襲われて君一人となってしまったからには無理のない話だ」
エペ街道に陣取っていた悪漢達……『ベルガンクス』の面々は、サダューインの実力を以てしても単身では迂闊に手が出せない強者揃いであり、『翠聖騎士団』が奇襲を仕掛けて乱戦状況を形成するまで救出しに行けなかったほどだ。ラキリエルが魔法で反撃を試みることができなかったのも仕方のないことである。
「グレイウルフの時も下手に刺激して君が標的となってしまっては本末転倒だったし、善い判断だよ。
ともあれ辛いことを思い出させてしまって済まなかったね……調理の続きをしていこうか」
丁度、話している間に鍋の中の水が沸騰し始めていたので会話を一旦切り上げ、沸かした湯を水筒に移した。そして摘み取ったイェルフィンバの実の七割近くを小鉢で摺り潰してペースト状にしていく。
続けて鳥肉を食べやすい大きさに切り分け別けた後に、鞄から拳ほどの大きさで半透明な橙色の石を取り出した。
「あっ、それはたしか……先ほどイェルフィンバを採っていた時に岩の塊から削り出していたものですよね?」
「よく見ているじゃないか。この辺りでたまに採れる岩塩だよ。手持ちの塩の小瓶はあるが、街に着くまでは温存しておきたいからね」
ナグファルルス海峡と隣接するザントル山道ならでは、長い年月のかけて流れ込んだ海水によって形成された岩塩が随所で眠っている。
その特徴としては、通常のものより橙の色味が入っており、ザント岩塩と呼ばれることもあるが、安定した採取は難しいので流通はしていない。
現地を訪れる旅人や冒険者達が、サダューインのように手持ちの塩を温存するために採取することがあるくらいだ。
「勉強になります。そういえば、この辺りは海の香りが漂っていますよね」
「ああ、ここより少し東に歩いた先に海峡が拡がっているからその影響だろう。天気の良い日なら対岸の南イングレスの陸地が視えることもある。
食事を終えたら小休止も兼ねて立ち寄ってみようか」
「それは楽しみですね! やっぱり海を感じられる場所は落ち着きます」
談笑を交えながら岩塩を少しずつ削り、鳥肉に振りかけてていく。本当はスパイスもほしいところだが生憎と手持ちがなかった。
下処理を済ませたところで、鍋に切り分けた鳥肉を並べ、携行食として持参していた硬く焼かれたライ麦パンを一欠片だけ手で千切って荒く砕き、鳥肉に塗した後にラプス油を少量垂らしてから火を通す。
肉が焼ける香ばしい匂いと煙が辺りに漂い、油が弾ける音が細やかに鳴り響いた。そうしたサダューインの淀みない手の動きからは、普段から実践している者 特有の手際の良さを感じさせた。
・第12話の3節目を読んでくださり、ありがとうございます!
本文中にありましたドラゴンブレスに関しましては、深海龍以外にも飛空竜や火竜などといった種別の違いでブレスの性質が大きく異なってきます。
おそらく第2章以降で詳しく綴らせていただく機会が出てきます!