012話『蒼穹の真下にて』(1)
※(2026.9.5) 本文の改稿を行いました。
[ グラニアム地方 ~ ザントル山道 ]
「ここから見える範囲では、『負界』の影響は見当たらないな」
「はい、こうして見ている分には静かな山です」
ノールエペ街道を逆走し、その途中から道を大きく外れて東の方角へ進む。
足元の地面は、ナグス小山脈へ繋がる岩肌が目立ち始めていた。
その先には、緩やかな傾斜がついた坂道が視界に映り始めている。
「では登っていこう、この山道を進めば銀鉱山に辿り着ける」
「すっかり景色も変わってきましたね」
「ああ、ここからは地質も植生も、エニズマ平野とは全くの別物だ。
あまり見るべきものは無いかもしれない」
サダューインの言う通り、明らかに樹木や草花を目にする頻度が激減した。
その代わりというべきか、坂道の其処彼処で苔類が繁茂している。
「いえ、でも……落ち着きます」
「(海底都市で暮らしていたラキリエルにとって)
(こういった場所の方が過ごしやすいのかもしれないな)」
坂道を登るにつれて仄かに感じられる潮の香と、波の音。
山道の更に東側はナグファルルス海峡に面している。
無機質な岩山と、海峡が隣り合った独特の土地だからこそ感じる風情である。
「ラキリエル、ここから宿場街までは暫く時間が掛かる。
この辺りで食事を採っておこうか」
坂道を少し登り、小山脈の麓に差し掛かると、旅の休憩所が設けられていた。
腰掛けることが出来そうな岩が幾つか並べられており、近くには小石を積み上げた簡単な造りの竈が組まれている。
サダューインは休憩所の前で馬の足を停めた。
「これまでに往来してきた旅人や商人、冒険者達が築いてきた野営地だ。
同じような休憩所がザントル山道には幾つかあったと思う」
付近には海峡へ延びる小川が流れており、水の確保も容易なため、一休みするにはもってこいの場所だといえた。
「そうですね。お日様も高くなってまいりましたし、お腹も空いてきました」
「ははっ、じゃあ半刻ほど休憩するとしようか」
先に黒馬から降りたサダューインの手を借りて、ラキリエルはゆっくりと岩地に降ろしてもらった。
「眩しい……」
額に右掌を添えて目元に影を作りつつ、頭上の陽光を見上げる。
何気ない仕草であったが、海底で過ごしてきた彼女にとっては降り注ぐ太陽の光というもの自体が未だに新鮮に感じるだろう。
「(逃亡生活中は、地上の風景を楽しむ余裕など無かっただろうしな)
(今は宿場街の様子を確かめるために立ち寄っているとはいえ)
(少しでもラキリエルの気が晴れてくれているのなら何よりだ)」
ここでの用件を済ませて、再び城塞都市ヴィートボルグへ向かうまでの間にも、地上に在るあらゆる自然物を堪能させてあげたいとサダューインは密かに願った。
「よし、グレキ村を発つ時に幾らか保存食を都合してもらったが
念のため、今回それは温存しておく」
『負界』が噴出した銀鉱山近くの宿場街では流通が滞っている可能性がある。
数日の間、滞在することを考えるのであれば、手持ちの食料の消費は最小限に留めておきたかった。
「君はなにか、苦手な食材などはあるか?
旅籠屋や村の食堂では普通に食事をしていたから、大丈夫だとは思うが」
「いいえ、特にこれといって食べられないものはございません。
ハルモレシアでは栽培した海藻類や、海に棲む大型の魔物などを捕らえて
それを調理することが一般的でした」
「なるほどな、我々とはかなり食文化が異なるようだ」
「はい、ですが地上の食べ物を口にしても平気でした。
木の実や、山羊乳、鳥や鹿といった生き物のお肉……どれも初めてでしたけど、
意外と抵抗なく味わうことができたのです」
「そうか、それは良かった」
海神龍ハルモアラァトを信奉するラキリエル達は、竜の眷属でもあるのだろう。
即ち、地上の竜人種の遠い親戚なのかもしれない。
ヒトと竜の双方の特性や器官を合わせ持ち、古代魔法によって姿を切り替える。
だからこそ肉食を身体が拒むということはないのかもしれない。
……とサダューインは静かに推察していた。
「ただ……お魚さんだけは、やはり抵抗を感じてしまいます。
わたくし達にとって日常を共にする、常に傍らを泳いでいる輩でしたので」
「我々で例えるところの飼い犬や猫に近しい存在といったところか。
分かった、では魚は避けて野兎でも探して……うん?」
二人の頭上に影が差した。その方角を見上げてみると、数羽の野鳥が回遊するかのように飛び回る姿が視界に映る。
「あれは……ナグルラゴプスだな、この時期に見掛けるとはね」
「珍しい鳥なのですか?」
飛んでいる鳥を見る機会が乏しかったラキリエルは、当然ながら鳥種を判別する知識を持ち合わせていない。
「いや、冬が近付けばグレミィル半島ではそれなりに目にする野生の鳥だ。
本来はもっと北側の国々で広く生息している鳥種なのだがね」
「寒い時期に備えて、温かい場所まで移り住むのですね」
「うーん、まあその認識で問題ないと思うよ。
グレミィル半島よりもずっと北にはキーリメルベス大山脈が聳えていてね。
その頂から降る下降気流……いわゆる大山脈颪に乗じて迷い込むのさ」
「ふむふむ?」
雪山の頂というもの自体を知らないラキリエルには、想像することは難しい。
「ともあれ、サマヨイドリと揶揄されることもある。
ただ、この時期は鉱山や一部の山頂で巣作りに専念することが多いので、
麓まで飛んで来るのは珍しいと思ってね」
夏から秋に跨る時期に半島へと迷い込み、冬に備えて新天地で巣を作る。
そして冬が来れば餌を探して飛び回り、春前には北の方へと飛んで戻る。
故に冬の空の風物詩として知られており、然るべき手順を踏まえれば食用にも適するため、狩人達の獲物とされることも多い……と少し長めの説明を加えた。
「さ、さすがです! 本当になんでも知っておられるのですね」
「そう言ってもらえるなら嬉しいが、知識を残した偉大な先人達の手柄さ。
……ふむ、麓の空を飛んでいることが気掛かりだが丁度いい。あれを捕ろう」
肩を竦めて謙遜を示すと、ベルトのホルダーに差していた杖を引き抜いた。
黒光りする金属製の柄を片手で握り締め、杖の先端を足元から頭上へと勢いよく振り上げる。
するとグレイウルフ戦で見せた時のように、先端部の金属塊が触手の如く伸長して空へと延びていき、頭上を飛ぶナグルラゴプスのうちの一羽を捕らえていた。
「(まるで……クラーケンが足を使って獲物を捕食する時のような光景です)」
思わずラキリエルが深海に棲息する生き物を想起するほどに、サダューインの持つ杖の造形と機能は異質であった。
「キケェェ!!」
突如、得体の知れないモノに絡め捕られた挙句、抵抗できないほどの力で地上に引き摺り込まれた野鳥の悲痛な鳴き声が響き渡った。
周囲を飛んでいた同種の鳥達は、明らかな危険を察して一目散に逃げていく。
「こんなところか。小振りだが、一飯分にはなるだろう」
捕縛した状態で、調理台の代わりとして見繕った平べったい岩の上に載せる。
そして調理方法と献立を考えていると、ラキリエルが近付いてきて触手に絡まれた野鳥をまじまじと見詰めていた。
「改めて見ると、すごい杖です」
「扱い方にかなり癖があるが、魔力を節約したい時にはなにかと便利だな。
実は、これはウォーラフ商会の会長殿から譲り受けた代物の一つなんだ」
「そうだったのですね!
このような代物まで取り扱っておられるなんて……」
「元々は彼の仲間が使っていた魔具だそうだ。
その人が冒険者を引退し、巡り巡って俺の元へと渡ってきたと。
だから店売りはしていない、一点ものといったところだな」
「道理で……! 納得しました。
この先端部分の不思議な金属、単に魔術を刻印しただけじゃないですよね?」
「……傍目で視ていただけで、そこまで看破できるのか。
凄いのは君の方だな」
「なんとなく、ですけどね。
魔具の提燈などとは、明らかに違う感じがしていました」
魔力の扱いに長けたラキリエルだからこそ解る。
この杖を構成する素材は、尋常ではない方法で術式が編み込まれているのだと。
「察しの通り、特に先端部の材質は特別製だ。
北方の軍事大国マッキリーで造られた、複層魔鋼材という」
「マッキリー……複層魔鋼材……」
「ふっ、此処で暮らして行く分には無理して覚えておく必要はないよ。
そういう国や、そういう素材が存在することだけ頭に留めておくといい。
……そろそろ情報量で頭が破裂しそうだろう?」
「うぅっ、すみません」
「いや、こちらこそ。
必要以上のことを語ってしまう癖は、直して行かないとな……」
などと人並みに反省する素振りを見せてから、野鳥の首を絞め落とした。
これから糧となる生命を悪戯に苦しめるような真似はしない。
咄嗟にラキリエルは両目を瞑り、胸の高さで合掌しながら己が奉じる海神龍へ生命の循環を希うための祈りを捧げた。
「下処理は俺の方でやっておこう。
君は……そうだな、付近の散策も兼ねて木の実や野草を採ってきてくれ」
「いいえ、サダューイン様。
わたくしにも、その下処理というのを手伝わせてください!」
「ふむ?」
ラキリエルは今まで実物の鳥を、ほぼ目にすることのない生活を送ってきた身。
解体を含めた下処理の経験などある筈もない。
だからこその気遣いだったのだが、どうやらサダューインの想像以上に勉強意欲が旺盛らしい。
尤も、それを言ってしまうのなら貴族家の出身のサダューインが、調理の術を会得しているというのも稀有な話ではあるのだが。
「無学な上に勝手もわからぬ未熟者であることは承知していますが、
どうか学びの機会をお与えください」
「…………」
少しだけ悩み、やがて彼女の真っ直ぐな視線に根負けした。
「分かった、それでは一緒にやっていこうか。
鳥を捌き終えたら、採取できる木の実や野草のことも教えるよ」
「ありがとうございます!」
「(首を絞め落しただけで目を瞑っていたのだから)
(臓物を取り出す光景は、さぞ辛いものになるだろうな……)」
もし彼女が耐えられそうになければ、その時は別のことをやってもらおう。
そのように考えを纏めてから、サダューイン達は作業に取り掛かった。
【Result】
・第12話の1節目を読んでくださり、ありがとうございました!
第12話ではスローペース気味に山道での一時を描いていきます。
嵐の前のなんとやら……というやつですね。
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