011話『魔具術士のエチュード』(2)
※(2026.9.5) 本文の改稿を行いました。
[ グラニアム地方 ~ ノールエペ街道 ]
グレキ村より出発して街道を北上すること一刻半。
そろそろ太陽が真上に昇る時分にて、四方に別れる分岐路へと差し掛かった。
分岐路には、行き先を示すための看板が建てられている。
「ラキリエル、あの看板の文字は読み取れるか?」
「はい、上の段に書かれている方なら……」
「旧イングレス語だな。試しに読んでみてくれないか?」
「分かりました」
看板には二種類の言語で地名が記されていた。
サダューインが言っていた通り、上段には旧イングレス語。
新たに追記された下段には、ラナリア皇国の公用語の文字が並んでいる。
「……えっと、このまま直進して北東の方角へ進めばザンディナム銀鉱山。
向かって右に伸びる路を進めば、南東のグライェル地方へ。
そして左に伸びる路だと、北西に位置する城塞都市ヴィートボルグへ着きます」
ザンディナム銀鉱山は『負界』が噴出したという場所。
グライェル地方は『人の民』が暮らす領域の一つで、グラニアム地方とエルディア地方の二ヵ所と隣接していた。
そして城塞都市ヴィートボルグは、サダューイン達が目指す目的地である。
「うん、完璧だ。今もこうして旧イングレス語で話せているし、発音も問題無い。
これなら、このグレミィル半島で生活していく分には不自由しないだろう」
「ありがとうございます。そのように評価していただけるなら嬉しいです」
「君達は、ここに辿り着く前は北イングレスに立ち寄っていたと言っていたな。
そこで言語を学んだのかな?」
ラキリエル達が暮らしていたのは、アルドナ内海の海底都市ハルモレシア。
サダューイン達とは過ごしてきた環境や文化、言語に至るまで異なるのだ。
「はい! 筆記はまだ出来ませんが、日常会話と文字を読むだけなら……」
「半年ほどの逃亡生活の中で、ここまで話せるようになったのなら大したものだ」
掛け値なしに称賛する。
サダューイン自身も率先して様々な言語を学習してきたからこそ、新たな言葉を覚えることの困難さを理解していた。
「では少し補足しよう。今現在、このグレミィル半島で使われている主な言語は
旧イングレス語と、公用語の二つだ。まあ他にも古グラナ語などもあるがな」
看板に記された下段の文字を指差しながら語り出す。
サダューインの癖が始まったなと悟りつつも、ラキリエルは大人しく微笑みながら聞いておくことにした。
「四半世紀ほど前に、ラナリア皇国の属領として併呑されて以来、
皇国の言語を話す者達が往来するようになり、こうして浸透し始めている。
きっと、これからは公用語が主流になっていくのだろうね……」
「あの、公用語というのは具体的にどういったものなのでしょうか?」
「元々はラナリア皇国本土で使われていた固有の言語だよ。
しかし他国を侵略して取り込む間に、占領地でその言語を広めていった。
現代では、大陸内の実に三分の一以上の国で使われるようになっている」
「侵略……」
ラキリエルの表情から笑みが消えた。
彼女の故郷もまたラナリア皇国の軍人達に滅ぼされたのだから仕方ない。
「海底都市ハルモレシアがどのような末路を辿ったのかは、
君の従者から送られた手紙で、ある程度のことは知らされている」
「ツェルナーが?」
「ああ、亡命を願い出る旨が記された嘆願書に経緯が添えてあった。
だから……君は無理をして公用語を覚える必要はないよ」
仇敵の言葉を覚えるというのは酷なことである。
特に、故郷を喪った直後のラキリエルにとっては……そう判断したのだ。
しかし彼女の意志は違った。
「……いいえ、サダューイン様。これからの主流になると仰るのなら
グレミィル半島で生きていく者として、頑張って勉強します!」
両拳をぐっと握り締めて、奮起したように宣言する。
「本音を言えば複雑ではありますけど……。
ですが日々の生活の中で、なるべく他の人達の手を煩わせたくありませんから」
「立派な心掛けだ」
「それに、公用語を通じてラナリア皇国のことも学んでいきたいです。
そうすれば……何故、わたくしの故郷が滅ぼされることになったのか
理由が分かるかもしれません」
その瞳は、気丈さを宿していた。同時に、儚さも。
同胞達を喪ったことへの悲しみ、一人だけ生き延びてしまったことへの罪悪感。
それでも尚、彼女は前に進もうとしている。
前に進まなければ、己の存在意義を見失ってしまうのかもしれない。
サダューインは漠然とそのような所感を抱いた。
「そうか、なら空いた時間で基礎だけでも俺が教えよう。
君はきっと地頭が良い。あっという間に理解できるようになれる筈さ」
非常に高度な古代魔法を自在に扱っている点といい、半年で旧イングレス語を理解した点といい、ラキリエルの聡明さは瞠目に値する。
少なくともサダューインは、彼女と話していて不快さを覚えることはなかった。
「はい! 是非、お願いいたします。
でもサダューイン様、一気に知識を捲し立てるのは控えてくださいね」
「……ははっ、なるべく善処しよう」
あまり自信のなさそうな笑みを浮かべながら答えた。
そうして二人は分岐路を左に曲がり、ヴィートボルグへ続く路を進んで行く。
言語や細かい文化の説明など、目的地に辿り着くまでの間に話すことには事欠かなさそうだった。
「(やはり、こちらの路を選んで正解だったな)」
暫くして、ふとサダューインは胸中でそのように吐露していた。
実はグレキ村に立ち寄る前にも分岐路が存在しており、その時は向かって右の路を選んでいたのである。
もし左へ曲がっていればグラニアム地方の西側、ナーペリア海に面した海岸沿いの街道を進んでいたことになる。
そちらの方がヴィートボルグまでの距離が僅かに短く、早く辿り着けたのだが、海に近いということは船を保有する『ベルガンクス』に発見されやすくなる。
「(だからこそ、遠回りをしてでも安全な路を選んだわけだが)
(ラキリエルのことを知り、彼女もまた半島のことを学ぶ良い機会を得られた)」
最短の路を、最速で突き進むことだけが最良とは限らない。
そう信じていることこそが、彼とノイシュリーベとの大きな違いの一つである。
「(それに……)」
馬上より右斜め後方を振り向き、南東に聳えるナグス小山脈を窺った。
正確には、その先に存在するザンディナム銀鉱山と宿場街の方角である。
『負界』が噴出したという場所。
ウォーラフ商会長が冒険者を連れて向かったという街。
どうにも、このまま過ぎ去るには後ろ髪を引かれる境地であった。
【Result】
・第11話の2節目を読んでくださり、ありがとうございました。
・次回はサダューインが直接戦闘を行う回となります。




