011話『魔具術士のエチュード』(1)
※(2026.9.5) 本文の改稿を行いました
[ グラニアム地方 ~ グレキ村『ミルカの匙亭』 ]
一夜が明けた早朝。食堂で朝食を採っていたサダューインとラキリエルの前に、年老いた男性と、その付き人と思しきエルフの少女が近付いてきた。
男性は足が不自由なのか、杖を突いて歩いているが身形はそれなりに良い。
その一方で、少女の方は首元に何らかの金属製の装具を付けており、粗末な麻布の服を着用していた。
「貴方が、グレミィル侯爵様の使者殿でお間違いないですかな?」
「ああ、昨晩から滞在させてもらっている。察するに、救護院での件かな?」
一応、紋章入りの短剣を見せて身分を示してから応対した。
「然様でございます。私はこの農村一帯を治めている者。
昨晩のお使者様達の献身を聞き、是非とも御礼を申し上げに参上した次第です」
「(このご老人、なんとも眼光の鋭いことだ……)
(抜け目のない経営者といった手合いかな)」
「いやはや、おかげ様で村で暮らす農民達も安堵しております。
多くの者は、患者を受け容れたことを快く思っていませんでしたから」
自分の孫くらいの年齢であろうサダューイン達に対して、恭しく首を垂れる。
純粋な感謝の意志も多少は含まれているかもしれないが、村に立ち寄った為政者の遣いに媚びを売りたいという態度が透けて見えていた。
「礼なら彼女に言ってくれ。
かなりの無理を押して患者と向き合ってくれたからね」
「いえ、そんな。わたくしは当然のことをしたまでです」
「いやいや救護院の長ですら手に負えなかった患者を治療して下さったのです。
村民一同、貴方様には感謝してもし足りませぬ。
……これはささやかな気持ちでございます」
村長が軽く手を挙げると、彼に付き従う少女が拳ほどの大きさの麻袋を取り出して、食堂のテーブルの上にそっと置いた。
袋の膨らみ具合から見て、それなりの枚数の硬貨が詰め込まれているのだろう。
「えっと、その……こ、これは……」
「有難く受け取っておく。侯爵様にも貴方の誠意は伝えておくよ」
困惑するラキリエルを遮って、さっと腕を伸ばして麻袋を掴むサダューイン。
そのまま素早く革鞄の中に仕舞い込んでしまった。
「ほっほっほ、それでは私どもはこれで失礼いたします。
使者殿達の道中に"主"様の御加護があらんことを……おい、行くぞ」
「かしこまりました」
従者を促して食堂の扉を開けさせた村長は、サダューイン達の旅の安寧を祈ってからこの場より去っていった。
「サダューイン様、今の袋は受け取ってしまって良かったのですか?」
「ああ、あれは治療に対する謝礼だよ。
他には、患者を受け容れたことを他の農村の者には話すなという忠告。
そして大領主へのご機嫌取りも兼ねていると思うけどね」
未知の症状を患った者を村内に入れたという情報が広まってしまうと、今後の農村同士の交流や互助に影響が出るかもしれない。
だからこその口止め料。そして万が一の時は、大領主の口添えで村同士の諍いを止めてもらいたいという思惑が含まれている……とサダューインは分析していた。
「(まあ、つまるところ賄賂なんだが)
(ラキリエルにそのことを教えるのは少し酷な話だな)」
サダューインも今は身分を偽って村に滞在している状態だ。
村長達と無意味な対立をしないためにも、先方の流儀に乗っておくことにした。
「そのような複雑な意味が込められていたのですね……」
「袋の重さからして、恐らくは中身はグレナ金貨だ。
大きな農村とはいえ軽く出せる金額じゃない筈だな」
「まあ……!」
「それだけ事態を重く見ていたのだろうね。
また有事が起きた際には、優先して助けてほしいというメッセージだ。
さておき、半分は患者の治療を成し遂げたラキリエルの分としておくよ」
「いえ、流石にそんな大金は受け取れません!」
「遠慮しなくても良い。君はそれだけの働きをしてくれた。
それにヴィートボルグで新たな生活が始まれば、何かと入用だろうしね」
「……」
「どうか受け取ってほしい」
「……わかりました」
爽やかな笑顔でラキリエルの取り分を主張するサダューインは、一歩も引く気を見せない。
数秒の沈黙を経て、結局ラキリエルは根負けしてしまう。
そうして会話が一段落したところで、二人は食事を再開するのであった。
「それにしても、あの村長はかなりのやり手のようだ。
朝食で出されたライ麦パンも、山羊乳の乾酪も、中々の品質だった」
「はい。付け合わせの干した果物も、おいしかったです!」
「外から来た者にも、食堂で安定して提供できるのは村が栄えている証拠だな。
まあ『森の民』を従属させていたことに関しては、相容れないところだがね」
食事を平らげた後、馬舎に預けていた黒馬を引き取るために村内を歩いている最中に、ふとサダューインが眉を顰め始めた。
「従属……後ろにいらした女の子のことでしょうか?」
「ああ、彼女は魔具の首輪を付けられて従わされていた。
あれは奴隷や、荘園で奉公させている農奴に装着させるものなんだ」
「奴隷や農奴!? あんな年端も行かない子が……」
「このグレミィル半島は過去に『人の民』と『森の民』が激しく争ってきた。
父上が大領主に就任してからは格段に減ったとはいえ、
捕虜の子供や、戦災孤児などが奴隷商に売られることもあったんだ」
「……酷い」
「特に古い時代の『人の民』は、『森の民』を奴隷として使役することに
なんの抵抗もなかったそうだよ」
「そ、そんな……」
「あの少女は、戦時中に捕らえられた『森の民』の娘かなにかだろう。
現在のグレミィル半島の法では、そう無茶な労働を強いることは出来ないよう
何度か改正し続けてはいるが……」
ラナリア皇国の各属領を治める大領主には、ある程度は領内独自の法令を定める権限が与えられている。
したがってノイシュリーベの代になってからは、特に奴隷や戦災孤児の扱いに関する取り締まりを厳しくしていた。
各都市と街道を巡回する警邏隊を増強し、時には大領主自らが騎兵を連れて各地方を巡視しているが、それでも絶対的に守られているわけではなかった。
「彼女を解放してあげることは出来ないのですか……?」
「残念ながら現状では難しいな。
奴隷や農奴となった者達が、自ら独立できるだけの力を身に付けるか、
身元を保証してくれる者が居なければ、真っ当な生活に戻ることは困難だ」
権力者が無理やり解放して自由を与えたとしても、力なき者は何も出来ずに野垂れ死ぬか、さもなくば魔物の餌になるのが関の山である。
「先刻の少女のように荘園で使役されている方が、
少なくとも最低限の生活を送ることは出来るだろうね」
冷静に、割り切ったように語るサダューインであったが、その右掌は固く握り締められていた。今にも血が出そうなほどに。
「(サダューイン様、怒りで震えていらっしゃる……?)」
「こればかりは地道に取り組んでいくしかない問題さ。
だが姉上なら、きっといつか二つの民を本当の意味で救ってくれる筈だ」
「信じておられるのですね、大領主様のことを」
「……ああ、そうだな」
途端に言い淀む。
姉であるノイシュリーベを尊敬し、期待もしているようだが、それとは別に彼等の間には何か大きな軋轢のようなものがあると、ラキリエルは漠然と察した。
「そ、そういえば……。
ご年配の方々は、どうしてそこまで『森の民』を恐れているのでしょうか?
魔具まで付けて従わせるというのは流石に度が過ぎているかと……」
サダューインが口を閉ざし掛けたので、慌てて話題を変えるべく疑問に感じていたことを問うてみた。
「ふむ……本能にまで染み付いた恐怖がそうさせるのだろう。
ラキリエル、君にはまだ『森の民』の治める地方と、
各氏族については説明していなかったな」
「はい、逃亡中に立ち寄った北イングレスの地であれば
幾つかの街や、地方について知り得る機会を得られたのですが、
グレミィル半島についてはまったく知識がなくて……申し訳ございません」
「これから、ゆっくりと知ってくれれば良いさ
よし、じゃあ良い機会だから軽く話しておくとしよう」
グレミィル半島が詳細に描かれた地図を取り出し、両掌で広げてみせた。
「この南部の五地方……ブレキア、エルディア、グライェル、ウープ。
そして俺達が今いるグラニアム地方が『人の民』の領域だ」
「草原、湖、海沿いの漁村、港湾都市……様々な特色を持った街がありますね」
「ああ、それに対して北部一帯に広がるのはグラナーシュ大森林。
通称『大森界』を五つの地方で区切ったのが『森の民』の領域だ。
各氏族が、それぞれの方法で統治を行っている」
「ふむふむ」
【『森の民』の領域】
「一番近いのはヴェルムス地方。ここは"獣人の氏族"の領域で
猫人や犬人、狼人など様々な獣人種が纏まって暮らしている。その隣は……」
ヴェルムスの次にメルテリア、レアンドランジル、ベルシンガと説明を続けていき、そして最後の地方であるイェルズール地方を指差した。
どうやら彼は知識を修めるのも、述懐するのも大好きなようだ。
洪水のように浴びせられるグレミィル半島の地理情報の数々に、ラキリエルは思わず目が回りそうになってしまった。
「(と、とにかく……グレミィル半島の北半分には大きな森があって)
(それを五つの地方に分けて『森の民』の皆さんが暮らしていらっしゃる)
(地方ごとに別々の氏族が治めている……ということだけ覚えておきましょう)」
サダューインから言われたことを反復しながら、必死に理解しようと努めた。
他に覚えておくべきことは、エルディア地方を治める"妖精の氏族"。
サダューインと、その姉の母親であるハイエルフの女性の出身地だという。
今後、彼等と深く関わっていく上で、忘れてはならない知識だとラキリエルは強く記憶に刻み込むことにした。
「で、問題はこの半島の北西端の地方……イェルズールだ。
『人の民』の古い世代が亜人種を恐れるのも、八割方はこの地方が原因だよ。
声色と表情が、一段と硬くなる瞬間をラキリエルは見逃さなかった。
「イェルズールを支配しているのは"黄昏の氏族"……巨人種や鬼人種、
人並みの知能を備えた特殊な魔獣、そして竜人種などの領域。
大型の魔物も数多く棲息している非常に危険な土地でね」
「……ッ! 地上にも竜の民が暮らしているのですね!」
「元々はキーリメルベス大山脈の奥地で暮らしていたそうだが、
一部の者は大山脈を降って、グレミィル半島に流れ着いたと聞いている。
とはいえ彼等は極めて少数だ。出会う機会は、ほぼ無いだろう」
「そうなのですか……あ、いえ失礼しました。続けてください」
「(ふむ、竜人種に反応したのか)
(彼女からすれば、遠い同胞のように感じたのかもしれないな)」
ラキリエルの見せた無垢な関心に心が痛んだ。
或いは、黒い手袋で覆い隠した己の左掌が……。
結局、サダューインはそのことを告げることが出来ず、話を続けることにした。
「……"黄昏の氏族"は五氏族の中でも屈指の精強さを誇っていて
『人の民』と争っていた時代には凄まじい恐怖を敵味方問わず振り撒いていた」
「(なんて苦々しい表情をされるのでしょう)
(サダューイン様にとって、彼等の存在はそれだけ忌むべきもの……)」
農奴となったエルフの少女に心を痛める彼は、『森の民』に対する思い入れが相当強いようであった。しかし"黄昏の氏族"は例外なのだろうか?
「幸か不幸か、彼等の領域は『大森界』の最奥であり半島の端でもあったから
滅多に戦場に現れることはなかったけどね」
「たしかに、他の氏族の土地を跨いでいかなければなりません」
「だが、一度戦場に出れば彼等を止められるものは居なかった
……我が父・ベルナルドと、母・ダュアンジーヌを除いてね。
父上と母上が結託するまでは"黄昏の氏族"の独壇場であり、
彼等は勝利する度に『人の民』を大量に自領へと連れ帰った」
「それは……やはり奴隷としてですか?」
「いいや、食料としてだ。
彼等は純人種の血肉を美味として欲する文化を形成している」
「……!!」
「勿論、中には奴隷として労働に従事させられた者や、
他にも"様々な用途"で使われた者も存在するだろう」
サダューインの表情が更に険しさを増す。
この先の事実をラキリエルに話しても良いものかと悩んでいるのかもしれない。
懸命に言葉を選びながら、ゆっくりとした口調で言葉を紡ぎ続けた。
「連れ帰った純人種を飼育して、食用肉として繁殖させていた。
……要は純人種版の牧場を営んでいるわけだ。
"黄昏の氏族"に捕まった者は、無惨の一言では済まない最期を迎えていった」
「そのようなことが許されるのですか?!」
「……残念ながら"黄昏の氏族"を正面から止められる者はもう存在しない。
せめてもの救いは、我が両親と氏族長との間で交わした盟約により
新たに『人の民』を攫う行為だけは封じることが出来ている」
「…………」
「だが牧場の運営は継続されている……というより黙認と引き換えに
『人の民』を襲う行為を禁じたんだ。
牧場という安定生産される食料源が存在するからこそ、
イェルズールの強大な亜人種達が、曲りなりにも結束できている」
淡々と告げられる事実に、ラキリエルは思わず両掌で口元を抑えたまま何も言えなくなってしまった。
或いは、軽い嘔吐感が押し寄せたのかもしれない。
「済まない。少々、刺激が強過ぎたようだね。
馬舎が見えてきたから、リジルと合流しよう」
言葉を失ったラキリエルを気遣い、一旦説明を切り上げる。
そうして二人は黒馬の傍へと近付いていった。
[ グラニアム地方 ~ グレキ村 旅人用の馬舎 ]
「先程は失礼いたしました」
「いいや、こちらこそ要らぬことまで話してしまって申し訳ない。
……俺の悪い癖だな。今後は反省する」
深々と頭を下げて謝罪を行う。
そして黒馬に荷物を積んでいき、着々と出発の準備を整えて行った。
「あの、サダューイン様。わたくしでしたら平気ですので
よければ先程のお話の続きを教えていただけませんか?」
「……それは構わないが」
「(サダューイン様達にとっても深刻な問題なのでしょう)
(これから、このグレミィル半島で生きていく者として知っておかないと!)」
胸に秘めた強い決意は、サダューインを見詰める双眸に現れていた。
「分かった。じゃあ、リジルに乗りながら続きを話そう」
農村に来た時と同じように馬上の鞍にサダューインが跨ると、その前方に設けられた補助用の鞍にラキリエルを乗せた。
そうして二人と一頭は、村の入口へと向かっていく。
「父上が大領主となってから『森の民』と『人の民』の諍いは静まった。
"黄昏の氏族"の風聞もすっかり届かなくなったので、
若い世代の者達の間では、『森の民』への抵抗感も少なくなってきている」
「なるほど、それで……」
「だが村長や、昨晩の救護院の院長のような世代にとっては
"黄昏の氏族"の悪印象が、『森の民』全体への嫌悪感や警戒心に繋がっている」
「村長さんが連れていたエルフの子は……"妖精の氏族"の末裔なのですよね?」
「その通り。彼等の世代にとっては亜人種そのものが恐怖と嫌悪の対象なのだ。
それだけ長い間、『人の民』と『森の民』が争ってきた。
暴虐の歴史が、心の境界線を引いてしまっているのさ」
年端も行かない少女に対して、わざわざ魔具を装着させて従属させるほどに。
「将来的には"黄昏の氏族"の牧場の問題を、絶対に解決したいと考えている。
それがエデルギウス家の至上課題の一つ。
現在の大領主である姉上にとっても、頭の痛い話だろうからね」
「……信じ難い、というより信じたくないお話でした」
「我等の領土、グレミィル半島を頼って亡命を志した君にとって
さぞ期待外れだったろうな」
古代魔法によって純人種に姿を変えているが、ラキリエルの本来の姿は海底で暮らしていた亜人種なのだ。
陸と海で、二つの姿を使い分けて生きる彼女にとって、或いはグレミィル半島は理想郷として映っていたのかもしれない……とサダューインは考えていた。
「いいえ、そういう意味ではありません!
ただただ、初めて知る真実に驚いてしまって……」
「無理もないことだ。だが、これだけは約束しよう。
俺と姉上の代で、必ず現状の二つの民の問題を払拭してみせる。
君や、あの農奴の少女のような者が、不自由なく暮らせる領土にしていきたい」
これまでの歴史の中で犠牲になってきたであろう者達の惨状や、一部の者達の間に根深く残る遺恨に挑むべく、大領主の弟は強く言い放つ。
そんな彼の決意と覚悟は、背を密着させて共に黒馬に乗るラキリエルに余さず伝わっていた。
「(これが……サダューイン様の偽らざる御意思なのですね)」
「説明のためとはいえ、領地の昏い事情ばかり語ってしまった。
気分を害してしまったことについて、改めて深くお詫びしたい」
「そんなことはないです。これから、お世話になる身ですので
知らぬ存ぜぬでは済まされないことでした!
むしろ真摯にお話いただいたことに感謝します……ありがとうございました」
後ろを振り向いて、彼の瞳を見詰めて、能う限りの気持ちを伝え合う。
「わたくしでも、なにかお力になれることがあれば……。
その時はいつでも仰ってください」
「こちらこそ、ありがとう。いつか時が来たらお願いするよ。
君の扱う魔法や、海底都市で暮らしていた経験は我々には無いものだからね」
「はい、喜んで!」
「さて、と……そろそろ村の入口が見えてきた。このまま予定通り出発しよう。
ヴィートボルグまでは二、三日ほど掛かるだろうしね」
「ここから先には、どのような景色が広がっているのか楽しみです」
早朝の心地良い風と、陽射しに照らされながら二人と一頭の旅路は続いていく。




