010話『紫紺の表面張力』(2)
※(2026.9.5) 本文の改稿を行いました。
「ラキリエル、その左腕は?」
「な、なんと……亜人種ですと!」
「……すみません、今はどうか見て見ぬふりをしてください」
ラキリエルは思わずサダューインと院長から視線を逸らしてしまった。
彼女は震えていた。恐れていた。己の真の姿を見られることに対して。
「(青褪めたような皮膚、それも小さな鱗でびっしりと覆われている)
(鋭く伸びた爪に加えて、指と指の間には水掻きのような構造も見受けられる)
(まるで水妖種や魚人種……或いは、伝承にある人魚のような腕だ)」
冷静に分析を行うサダューイン。
しかし震える彼女を前にしては、流石に言葉を発することは憚れた。
亜人種に対して抵抗感を抱く院長もまた、この場での追及は控えてくれている。
そんな彼等の配慮に心の奥で感謝しながら、ラキリエルは次の行動に移った。
「これ、使わせて……いただきます」
受け取った短剣の先端を、変貌した自らの左腕に沿わせる。
そして鱗と鱗の継ぎ目に突き立てると、チクリとした痛みと共に黄金色の液体が溢れ出し、数滴ほどは小皿の上に滴り落ちた。
「(微かに鉄分の臭いが漂っている、あの黄金が彼女の血……なのか)」
採血した後、ラキリエルは再び左腕に布を被せて同じ詠唱句を唄い挙げた。
眩き蒼光が収まる頃には、鱗や長爪のない純人種の腕へと戻っている。短剣を突き立てた筈の傷痕は、どこにも見当たらなかった。
「それでは、今度こそ必ずお救いいたします!」
小皿に溜めた黄金の液体を、救護院に備えてある治療用の清潔な布に滲ませた。
塗布薬の要領で患者の紫紺色の皮膚表面に軽く塗り込み、治癒魔法を行使する。
ラキリエルの懸命な表情と気迫を前にして、患者達には拒む余地はない。
「……楚々たる大海の赤誠。空漠の招請賜りし蒼角の龍に希う。
過日の業にして哀惜の賛歌。御身が齎す慈悲を擁きて、曙光の如く躙り給え。
『――叡理の蒼角よ、詩顎を開け』!」
蒼光に加えて黄金色の光の環が患者を包み、真昼の日光の如く照らされる。
数瞬の後に光の環が先に収まり、続けて蒼光の輝きも収束。
患部の肌が元通りに癒されたところまでは同じであったが、今度は『負界』の影響が再発することはなかった。
「(美しい……)」
全ての穢れを灼き潰して浄化し、あるべき姿へと再構成させる。
サダューインは、その輝きに思わず魅入ってしまっていた。
「なんとか……成功いたしました」
汗を拭い、疲弊した様子を見せながらも満足そうに笑顔を浮かべるラキリエル。
先程から行使していた古代魔法に加えて己の血を採取し、触媒として扱う行為は相応の負担となったのだろう。
「ああ……今度は痛みも疼きも戻ってこない……。
ありがとう、本当にありがとう、治癒術師様!」
「どういたしまして。さあ、他の方々も! 順番に診させていただきます」
感極まった患者から感謝の気持ちを伝えられて奮起したのか、ラキリエルは次々に『負界』の影響を受けた者達に同様の治療を施していった。
そんな彼女の様子を、院長とサダューインは感嘆した面持ちで見守っている。
「ふぅむ、治癒術師として長年現場に立ってきましたが
彼女ほど強力な治癒魔法の使い手を目にしたのは初めてです」
亜人種に対する忌避感よりもヒトを救う立場にある者としての敬意が上回ったのか、この時の院長は純粋なる称賛と関心を見せ始めていた。
「いったい彼女は何者なのですか? それに、あの腕と黄金色の液体は……」
「……申し訳ないが、私の連れに関して詮索は控えてほしい。
そしてどうか他言無用でお願いしたい、『負界』の件も含めてね」
「おっと、これは出過ぎたことを申してしまいました」
「いや、貴方が抱いた疑問は当然だと思う。
だが一連のことは、グレミィル侯爵に報告した上で判断を仰ぎたい」
「そうですな、私のような一介の治癒術師が足を踏み入れるには
聊か事態が大き過ぎます。
大領主様からの公式の見解が示されるまで、口を閉じておきましょう」
『負界』という対処が困難な有害物質の件。例外的にその治療に成功したラキリエルという存在。
悪戯に情報を拡散させてしまった場合、更なる混乱を招きかねないからだ。
「礼を言う。今回の災難に真摯に向き合っていた貴院のことは
必ずグレミィル侯爵に伝えておこう。他に『負界』に汚染された者は?」
「いえ、直接的に紫紺色の瘴気……『負界』を浴びた者の大半は、
残念ながらその場で命を落としたと報せを受けました」
「そうか……それは残念だ」
「宿場街の救護院では、落盤被害や混乱した魔物に襲われた者達で溢れています。
『負界』を浴びて、辛うじて息がある者は皆、この村に運ばれてきました」
患者達を隔離するという意味も兼ねてのことだろう。
突然、対応を求められたグレキ村の救護院としては堪ったものではない。
「(『負界』に侵された患者達の数が、ここに居る全てなのだとしたら)
(後は銀鉱山を一時閉鎖すれば、当面の二次被害は防げそうだな)
(……重要な財源が途絶えるのは管轄家にとって手痛いことだろうが)」
他に懸念されるのは、『負界』の影響で棲み処を失った魔物の行方である。
ザンディナム銀鉱山とその一帯では、多数の魔物が群れを築いて棲息している。
災害で一部の群れが別の場所へ移り住み、一帯の均衡が崩れると、最悪の場合は人里にまで魔物が押し寄せて来る可能性があるのだ。
「そのことに関しましては朗報がございます」
「ほう?」
「一昨日の昼過ぎに、この村へ立ち寄られたウォーラフ商会の会長を名乗る男が
お連れの冒険者と思しき方と共に、錯綜した魔物の討伐へと赴かれました」
「ウォーラフ商会長だと!? 名を騙る狼藉者ではないのなら、無二の幸運だ。
彼が雇うほどの冒険者であれば、その腕前はまず間違いなく一流だろう」
「サダューイン様、ウォーラフ商会というのは……?」
全ての患者達の治療を終えたラキリエルが、ふらふらと覚束ない足取りでサダューインの傍へと戻ってくる。
高位の古代魔法の連続行使によって、かなりの魔力を消耗してしまっていた。
「ご苦労様。かなり無理をしたようだね……椅子に座って少し休憩するといい」
手近な椅子を掴んでラキリエルの前に置いてやり、次いで鞄より飲料水の入った水筒を取り出した。
「あ、ありがとうございます……」
「ウォーラフ商会は大陸中央部より東側の国々、『デルク同盟』加入国を基軸に
急速に販路を広げている、商人達による組織だ。
個人的に懇意にしていてね、よく魔具の素材なんかを買わせてもらっている」
「すごい御方……なのですね」
「ああ、元々は大陸北部のキーリメルベス連邦側の出身だそうだが、
各国を渡り歩いて人脈を広げ、一代にして自分の商会を立ち上げた。
やり手の技術者にして大商人だよ」
初めて耳にする組織名や国名の数々に、思わずラキリエルは頭が混乱しそうになってしまった。
一先ず、そういうものがこの大陸に存在している……と思っておくことにした。
「他にも色々と偉業を成し遂げた人物だ。
半端な者が名を騙ろうものなら瞬時に偽りだと露呈してしまう。
だから、この村を訪れたのは本人の可能性が高いと思うな」
「(サダューイン様がここまで太鼓判を押していらっしゃるなんて)
(いったい、どれほどの御方なのでしょう)」
「彼が動いてくれているのなら、大きな被害は防げるだろう。
精々、群れから逸れた小粒の魔物が徘徊する可能性があるくらいか。
各村には、より硬く門を閉じるよう通達すれば大きな騒ぎには至らない筈だ」
「僥倖ですな。明日の朝にでも、私の方から村長へ伝えておきましょう」
「是非、そうしてほしい。
領民達を悪戯に不安がらせるのは、此方としても望ましくない」
そうして話は纏まり、役目を終えた二人は救護院を去ることにした。
「お使者様、そしてお連れの治癒術師殿も。
不甲斐ない我々に代わって患者達を救ってくださり、心より感謝いたします」
入口の扉の前で二人を見送る際に、院長が深々と頭を下げた。
「いや、貴方の適切な処置あってこそ彼女が力を発揮できた。
繰り言になるが、貴院の真摯な働きぶりは必ず侯爵閣下にお伝えしよう」
「勿体ないお言葉ですな。
しかし、お連れの治癒術師殿は相当の無理をなされたご様子。
どうか本日は、ゆっくりと身体を休めてご自愛ください」
「はい!」
「院長殿の言う通りだ。
他の問題は一段落しそうだし今日は宿に戻って休もう……それでは、失礼する」
夜更けの村内の道を二人は静かに並んで歩き、宿屋へと戻ることにした。
梟の鳴き声のみが谺する中、ふとサダューインが言葉を掛ける。
「ラキリエル、改めて彼等を救ってくれてありがとう。
君の成し遂げたことは、他の者では真似できない偉業に値する」
「そ、そんな……こんなわたくしでも僅かながら誰かのお役に立てたのなら、
これ以上に光栄なことはありません!」
「どうか誇ってほしい。だが、一つだけ教えてくれ」
「なんでしょうか」
「どうして、あそこまで懸命に患者達のために尽くそうとしたんだ?
君にとって、この村はたまたま立ち寄った場所に過ぎないだろう。
それなのに自身の秘密を晒し、血を流してまで治療を行った……」
「それは……」
カタカタと肩を震わせながら言い淀む。
答えたくないというよりは、言葉にすること自体を躊躇っているような反応だ。
故に、サダューインは自ら一歩、踏み込むことにする。
「もしや同胞達が死した中で、自分だけが生き延びたことに対する負い目か?
身を削ってでも、誰かを救うことで贖罪を成し遂げたいという心理かな?」
「……ッ!!」
瞳孔を開き驚愕するラキリエル。身体の震えが激しさを増し、大いに動揺した。
呼吸が乱れ、目尻には薄っすらと涙が浮かんでいる……図星だったのだ。
「済まない、失礼した……決して君を責めたかった訳ではないんだ」
更に一歩、距離を詰めて両腕でラキリエルの身体を抱き締めた。
力強く、それでいて彼女が潰れてしまわないように。芯より熱が籠った抱擁だ。
「サダューイン様……わ、わたくしは……」
「喪った者達に詫びたい、贖いたいという想いはよく分かるよ。
俺も多くの仲間達や家族を喪った。君に比べれば、ささやかな人数だがね」
「(そういえば、サダューイン様のご両親はもう……)」
「ラキリエル。君が今日、成し遂げた偉業は誰にでも出来ることではない。
誰かを救うことで君が新たな人生を歩んでいけるのなら、俺は心から応援する」
「…………」
「俺も、そしてきっと姉上も君の味方になってくれる筈だ。
だから、もし心が潰れてしまいそうになった時は遠慮なく頼ってほしい」
「はい……!」
途方もないサダューインの熱に包まれて、ラキリエルの心と身体の震えはぴたりと止まっていた。心臓だけが鼓動を増していた。
それだけではない、奥底から新たな活力が湧いて来るような境地に至る。
「(ああ、温かい……)」
無意識のうちにラキリエルは、彼の身体をぎゅっと抱き締め返していた。
今はただ、この熱に浸っていたい……そんな想いと共に。
一方、サダューインは抱擁と優しい言葉を掛けながらも脳内では冷静な分析を進めていた。
「(治療中に彼女が晒した青い肌の左腕と、黄金の血こそが本来の姿なのだろう)
(海底都市で暮らしていた海神龍の眷属……貴いものだな)」
その御業、その無垢にして献身的な心の在り方。同胞達の死を悼む儚さ。
やはり己とは住むべき世界が違い過ぎる……とサダューインは思い知らされた。
【Result】
・第10話の2節目を読んでくださり、ありがとうございました。
・ラキリエルが見せた青肌の腕というのは、彼女が海底で暮らしていた時の姿を部分的に呼び戻したような状態で、竜人種として、より強い力を引き出すことができます。
・また一般的な治癒術とラキリエルが扱う古代魔法の差は、前者が肉体の自然治癒力を高めて体組織を順当に修復していくのに対して、後者は一度体組織を分解してから再構成することで傷を負う前の状態に疑似的に巻き戻す……といった違いがあります。力業にもほどがありますね。
・SFものでたまに見かける量子ワープのような原理で、量子単位で肉体を分解してから別の場所で再構成させるような感じだと思っていただければ幸いです。




