010話『紫紺の表面張力』(1)
※(2026.9.5) 本文の改稿を行いました。
[ グラニアム地方 ~ グレキ村 救護院 ]
宵も更けて久しい時刻。サダューインとラキリエルは、村の中央にあるという救護院へ揃って足を運んだ。
カンカンカン……と扉に設えた金属製の輪っかを打ち鳴らすと、少しの間を置いてから初老の男性が顔を出した。
「申し訳ございません。当院は既に手一杯で……」
「夜分遅くに失礼、私はエデルギウス家の遣いの者である。
貴院がザンディナムからの患者を受け入れたと聞き、様子を拝見しに参上した」
「……!」
相手に扉を閉められる前に、紋章入りの短剣を示しながら用件を述べた。
「なんと……お使者様とは露知らず、大変失礼いたしました。
私は、この救護院の院長を務めさせていただいている者でございます」
「構わない。非常時だと理解している。
場合によってはグレミィル侯爵にお伝えしなくてはならないので
済まないが、院内に入らせてもらえないか?」
「そ、それは……いや、しかし」
「勿論、こちらの自己責任だ。何かあっても貴院に迷惑はかけないと約束する」
「お願いします! 患者さんを、わたくしに診せてください」
「……承知いたしました。案内させていただきます」
堂々と告げるサダューインの圧力と、必死に訴えかけるラキリエルの懇願に根負けしたのか、院長は仕方ないとばかりに二人を院内に迎え入れた。
二人が施設内を見渡した限りでは、設置されている寝台の八割近くが患者達によって占有されていた。皆、それぞれ身体に包帯が巻かれている。
それとは別に目を惹いたのは、奥の部屋に押しやられている集団であった。
心なしか、その部屋からは淀んだ空気が滲み出ているような感覚に見舞われた。
「ふむ、手前の部屋の負傷者達には、既に適切な処置が施されているようだ」
「そうですね、皆様……痛々しいお怪我を負われていらっしゃいます」
「院長殿、奥の部屋の患者はもしや?」
「……ええ、鉱山で噴出した瘴気の影響を強く受けた者達です。
お恥ずかしい話ですが、当院では有効な施術の手段が見出せないばかりか
その症状すら未知のものでして、ああやって半隔離状態にしております」
「成程、少し近付いてみよう。……ラキリエル、大丈夫か?」
「勿論です!」
そうして通された治療部屋の奥では、番兵が話していたように皮膚の一部が紫色に変色した患者達が苦しそうに呻き声を漏らしていた。
よくよく観察してみれば、変色した皮膚は焦がれて糜爛し始めている。
そして悍ましくも溶け崩れているようですらあった。
「これは……予想以上に酷いな」
「彼等の傍に落ちている布のようなもの、あれは包帯でしょうか?」
ラキリエルが指摘した通り、寝台の近くにはボロボロに腐れ爛れた包帯の残骸のようなものが散乱していた。
「然様、あれは包帯型の治療用の魔具でございます。
変色した皮膚の症状が包帯にまで伝播したので慌てて取り剥がしました」
「他にはどんな処置を?」
「化膿止めを始めとした様々な水薬を塗布したり、呪詛払いの魔具を用いて
応急処置を試みました……しかし、いずれも大した成果は得られていません」
忸怩たる思いで院長が告白する。これまで積み上げてきた治癒術師としての矜持が、完全に打ち砕かれてしまったのだろう。
「成程な。凡そのことは理解した、この症状は確か……」
何か思い当たる節でもあったのか、サダューインは深刻な表情を浮かべたまま、腰に下げた大きな革鞄の中から使い古された羊皮紙の束を取り出した。
そして、ぱらぱらと頁を繰って必要な情報を探し出す。
「(この羊皮紙の束、もしかして全てサダューイン様が書かれたのでしょうか?)」
そこには、ラキリエルにとって見たこともないような文字がびっしりと羅列してあった。筆跡自体は非常に美しいが、何が書いてあるのか皆目見当もつかない。
「……あった。これだ!
『森の民』の備忘録から書き写した症例が、この患者の容体と合致する」
「ほう、『森の民』の……」
純人種であり『人の民』の一員である院長が眉を顰めた。
この年代の者は、やはり『森の民』に対して強い忌避感があるのだろう。
とはいえエデルギウス家の使者を名乗る者が居る手前、私情をぐっと堪えた。
「恐らく、この者達が浴びたのは『負界』という紫紺色の瘴気だ。
……つまるところ、地底に眠る有害物質のようなものだな」
「初めて耳にしますな。過去に被害に遭った者が居るのですか?」
「いや、ここラナリキリュート大陸では滅多に自然発生しないそうだ。
しかし隣の大陸などでは、頻繁に目撃される脅威だった筈……」
羊皮紙に記した情報と、自身が持つ知識を照らし合わせながら慎重に言葉を紡ぐサダューイン。その表情は、一層の深刻さを増していた。
「サダューイン様、その瘴気に触れると、どういった症状が出るのですか?」
「時間の経過と共に周囲の生物や物質、精霊を問わずに症状が伝播する。
そして最後には、全てが紫紺色に染まるという」
「そんな……」
「この『負界』には、通常の治癒術では症状の改善が見込めないそうだ。
考え得る限り、最悪の呪毒だな」
「そのようなものがザンディナムから噴き出したということですか?!
現代の呪詛払いの魔具すら浸食させるほどとは、伝承級の災厄ですぞ!」
「一応の対処策としては、焼却……が有効だそうだ」
「(サダューイン様?)」
一瞬だけ、ほんの一瞬だけサダューインが苦々しい表情を浮かべたことを、ラキリエルは見逃さなかった。
「幸い、この『負界』に侵された者を焼くのに必要な火力は常識の範疇だ。
……少なくとも『ラナリアの聖火』を持ち出すほどではない。
記録によれば、第二級火葬術式で事足りるそうだ」
「第二級とて、この村の規模で実施するには骨が折れますが……。
この近辺で暮らしている魔術師達と焔水晶を搔き集める必要がありますな」
「サダューイン様、焼却というのは患部だけを除くということですか?」
「いいや、患者自体を……だよ。
残念ながら一度『負界』に塗れた者をどうにかすることは出来ない。
灼き払い、感染を食い止めるための処置なんだ」
「……ッ! それはあまりにも無体なことです!
どうか、どうかわたくしに治癒魔法を試す機会をお与えください。
できる限りのことをさせてください!」
患者を介錯することしか対処法がないと知り、必死な形相で訴える。
ラキリエルの只ならぬ様子に、サダューインは一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「(ヒトを焼き殺すしか手立てがないと言われれば、忌避するのは無理はないか)
(さて、どうしたものかな……)」
僅かな逡巡の後、サダューインはラキリエルを正面から見据えた。
「そうだな、出来得る限り様々な手を試してみるべきだろう。
君が修めたという癒し手の術で、どうか力を貸してほしい」
言いながら院長の方を一瞥すると、黙って首を縦に振ってくれた。
現場の責任者として患者を救うことが出来るのなら、外部の者の手を借りることも厭わないといったところか。
「……だが無理だけはしてくれるな、ラキリエル。
君まで『負界』の影響を受けてしまっては元も子もない」
「おまかせください! ……それでは早速」
水のような不思議な布を両腕で操り、先程の会話を聞いて絶望的な表情を浮かべる患者の一人の傍へと近寄った。
ふわりと空中を揺蕩うように布を靡かせる。
そして紫紺色に染まった患部を含む患者の総体に被せると、膨大なる量の魔力を滾らせた蒼光を放ち始めたのである。
「……なんという凄まじい光だ!」
「(凄いな。躍動する魔力量は姉上と比べても、ほとんど見劣りしない)」
思わず瞠目する院長とサダューイン。
術式の構築に集中するラキリエルの耳には、既に彼等の反応は届いていない。
「……楚々たる大海の赤誠。空漠の招請賜りし蒼角の龍に希う。
過日の業にして哀惜の賛歌、御身が齎す慈悲を擁きて、曙光の如く躙り給え」
「(魔法の詠唱句だな、しかしこれは……随分と古い発音だ)」
「『――叡理の蒼角よ、詩顎を開け』!」
静かに、厳かに、凛とした声色で朗々と唄い挙げる。
そして術式起動のための鍵語を以て、詠唱句を締め括る。
ラキリエルが行使したのは水の精霊を介する魔法。
しかし精霊に祈祷を捧げることで様々な現象を引き起こしてもらう現代魔法の様式とは、随分と異なっているようにサダューインは感じていた。
「(これも、旧アルダイン式の流れを汲む古代魔法ということか?)」
魔力によって発せられた蒼光の輝きが臨界点を迎え、深夜だというのに一瞬だけ明け方のように周囲が明るく照らされる。
同時に、患者が負った怪我と紫紺色の皮膚が、瞬く間に癒されていく――
「(これは……膨大なる魔力の流れで患部を一度、消滅させてから)
(即時、再生させたかのような荒業だ)」
果たしてサダューインの見立て通り、蒼光に包まれた患部は見事に元の皮膚の状態へと戻される。
痛みなど最初からなかったかのように消失したためか、治療を受けた患者は安堵の表情を浮かべ始めた……が、数秒の後に再び苦悶し始める。
「うぅ……痛い、熱い…まただ……また疼いてきやがった……」
先程まで『負界』の影響を受けていた箇所の皮膚が、再び紫紺色に染まり出す。
どうやらラキリエルの行使した治癒魔法により一度は元の状態に戻ったものの、肉体に深く固着した『負界』を拭い去ることは適わず、同じ症状が再発したのだ。
「そんな……この術でも効果が得られないなんて!
すみません、すみません! わたくしが無力なばかりに……」
「いや、紫紺色の皮膚以外の箇所は完全に癒えている。大したものだ」
患者に対して、何度も頭を下げて謝罪するラキリエルの肩へそっと掌を添えた。
そして院長の方へ視線を移す。
「院長、早急に火葬術式の準備をしよう」
「致し方ありませんな。
先程の凄まじい術でも効果がないのでは、我々にはどうすることも出来ません」
「……ッ!! 生きたまま炎で焼き払うなどあってはならないことです!
もう一度だけ、わたくしに機会をお与えください」
眦を吊り上げて、ラキリエルはより強い救済への意思を固めた。
「(まだ諦めないのか、彼女はどこまで……)」
「サダューイン様、短剣と小皿をお貸しいただけませんか?」
「それはかまわないが」
彼女が為そうとしていることの意図は分からなかったが、輝きを増した瞳の強さに圧されて、サダューインは大いに興味を懐いた。
エデルギウス家の紋章が刻まれた短剣を渡し、続いて革鞄の中から調合用に用いる陶器製の小皿を取り出した。
「これで良いかな?」
「ありがとうございます。
少し考えがありまして、謹んで使わせていただきますね!」
右掌で短剣を受け取ったラキリエルは、左掌で不思議な布を巧みに操って今度は自身の左腕に覆い被せた。
「……楚々たる大海の赤誠。空漠の招請賜りし蒼角の龍に希う。
幻日の鏡、来たれ幽世の駕篭 在りて――」
再び古代魔法の詠唱句を唄い始める。ただし今回は、鍵語までは発しなかった。
「(術式の構築途中で止めることにより、部分的に効力を発揮させる)
(高度な魔法使いのみに許された、高等唱法の一つだな)」
やがて何らかの術式の一部が作用し始める。
ラキリエルが自ら被せた布を剥ぐ頃には、純人種であった筈の彼女の左腕に異変が生じていた。
・第10話の1節目を読んでくださり、ありがとうございました!
・魔法にしろ魔術にしろ生体を治療する技術は通常の術式と比べて習得難易度が高く、高位の術者か治療専門に学んできた者でなければ扱えなかったりします。
・ノイシュリーベの部下である『翠聖騎士団』の魔法騎士くらいになると、全員何かしらの治癒魔法は行使できます。




