011話『魔具術士のエチュード』(2)
グレキ村を発ち、街道を北上すること一刻半。そろそろ真上に太陽が至る頃合いにて、四方に路が別れて伸びる分岐点へと辿り着いた。
それぞれの行き先を示すための看板が建てられており、旧イングレス語で書かれた文字の下には、新たにラナリア皇国の公用語で行先名が追記されている。
グレミィル半島で日常的に使われているのは旧イングレス語だが、『森の民』の一部の者は古代語を用いることもある。
近年はラナリア皇国の本土や各属領からの訪問者や移住者が増えているので、こうした看板に公用語が追記されることが多くなっているのだ。
「このまま直進して北東の方角へ進めば『負界』が噴き出たというザンディナム銀鉱山へ。
向かって右へ伸びる路、南東の方角へ進めばグラニアム地方とエルディア地方の両方と隣接するグライェル地方へ。
そして向かって左、北西の方角へ進めば城塞都市ヴィートボルグへ……と路が続いていくのですね」
馬上より看板の文字を読み取ったラキリエルが確認の意味も兼ねてサダューインに訊ねてみた。
「その通りだ、合っているよ。逃亡中に北イングレスに立ち寄ったと言っていたが、言葉と文字はその時に覚えたのかな?」
「はい! 基本的な読み書きや日常会話くらいとなりますが、旧イングレス語はだいたい分かります」
そもそも、こうしてサダューインとの会話が成立しているのも故郷とは異なる言葉や文化をラキリエルが賢明に学んだからなのだ。
「追手から逃れながら習得するとは大したものだよ。地頭がとても良いのだろう。
君さえ良ければ、ヴィートボルグに着いたら公用語も教えようか。これからの時代を生きるなら、覚えておいて損はないからね」
「ラナリア皇国の……複雑ではありますが、サダューイン様に教えていただけるのなら是非、お願いいたします」
皇国海洋軍はラキリエルの故郷を襲撃した者達であり、公用語はいわば仇敵の言葉なのだ。
故に一瞬だけ戸惑いはしたものの言葉自体に罪はないことと、サダューインが教鞭を取ってくれるということから習得への意欲を示した。
「そうだったな、君にとってラナリアの言葉は素直には受け入れ難いものだろう……だからこそ視野を広げる意味でも学ぶ価値はあると思う。
勿論、心が拒むのであれば無理をする必要はない。グレミィル半島で生活していくだけなら旧イングレス語が話せれば事足りるからね」
「大丈夫です。それに公用語を学ぶ過程でラナリアの歴史を、曳いてはなぜ わたくしたちの故郷が襲われることになったのかを深い部分で知ることができるのかもしれません」
襲撃された直接の理由としては海底都市ハルモレシアの秘宝が目当であったと従者ツェルナーが言っていた。
では、なぜ秘宝を欲するのか? わざわざ自国の領海外まで軍隊と軍艦を動員する以上は、海賊等の略奪行為とはわけが違う。必ず深淵に潜む理由や因果が存在する筈だ。
起こってしまった事実を無にすることはできない。死した者を蘇らせることは、限りなく不可能に近い。
ならば、せめて真実を突き止めよう。そのためには仇敵への理解が要諦であり、言葉を覚えることはその第一歩と成り得るのだ。
全てを忘れて、この美丈夫の庇護の下で暮らすという選択肢もある。しかし一人だけ生き残ってしまったことに強い責任感と罪悪感を抱えるラキリエルの精神は、それを許さなかった。
「……君は、強いな。俺も出来る限り君が新たな人生を歩んでいけるよう介添えする心算だから、一緒に頑張ろう」
「サダューイン様となら、きっと乗り越えていけそうな気がします。
それでは公用語を教えていただく代わりに、わたくしもハルモレシアのことをお教えしますね!」
「ふふっ、それは楽しみだ。自分が知らなかったことを学べるというのは心が弾むからね」
そうして幾らか談笑を交えながら看板の案内に従って北西へ伸びる路を進むことで、ヴィートボルグを目指して行く。
ちなみに、グレキ村を含む農村群に至る前にも分岐路が存在している。
片方は海岸沿いの街道、もう片方はグレキ村に繋がる内陸部の街道へと続いており、どちらからでもヴィートボルグに辿り着けるのだが用心深いサダューインは後者を選択していた。
即ち、追手である悪漢達が自在に運用できる船を所有していた場合、海を経由して先回りされるという危険性が考えられた。
ラキリエルの身の安全を最優先とした結果、多少の遠回りとなってしまうことは承知の上で現在の路を進んでいる。
そんな二人の旅路が更に半刻ほど続いた後に、前方の路を遮るようにして固まる集団が視界に映った――
・第11話の2節目を読んでくださり、ありがとうございました。
実は当初の予定より少々、文章量が増していたので今回は切りの良さそうなところで区切らせていただきました。
・次回はサダューインが直接戦闘を行う回となります。