011話『魔具術士のエチュード』(1)
一夜が明けた早朝、食堂で朝食を採っていたサダューインとラキリエルの前に、一人の年老いた男性と、その付き人と思しきエルフの少女が近付いてきた。
男性の方はそれなりに身形が良く、杖を突いて歩いているとはいえ眼光鋭く抜け目のなさそうな印象を人に与える井出立ち。
少女の方は首元に何らかの金属製の装具を付けており、身形は他の村人と比べて一段下回る麻布の服を着用していた。
「貴方が、グレミィル侯爵様の使者殿でお間違いないですかな?」
「ああ、昨晩から滞在させて貰っている。……察するに救護院での件かな?」
一応、紋章入りの短剣の鞘を見せて身分を明かした後に先じて心当たりを口に出した。
「然様でございます。私はこの農村一帯を治めている者。
昨晩のお使者様達の献身を聞き、是非とも御礼を申し上げに参上した次第です。
おかげ様で患者を受け容れたことを快く思わなかった農民達も安堵しております」
自分の孫ほどの年齢であろうサダューイン達に対して恭しく首を垂れて謝意を露わにしてみせた。真の意味で助かったことによる感謝もあるだろうが、それ以上に村に立ち寄った為政者の遣いを遇する思惑が含まれている。
「礼なら彼女に言ってくれ。かなり無理を徹して患者と向き合ってくれたからね」
「いえ、そんな。わたくしは当然のことをしたまでです」
「いやいや救護院の長ですら手に負えなかった患者を対処して下さったのです。
村民一同、貴方様には感謝しても、し足りませぬ。……これはささやかな気持ちでございます」
改めてラキリエルに礼を述べた後に、村長に付き従う少女が拳ほどの大きさの麻袋を差し出し、食堂のテーブルの上にそっと置いた。
袋の膨らみ具合から見て、それなりの枚数の硬貨が詰め込まれているのだろう。
「えっと、その……こんなにいただくわけには……」
「有難く貰っておく。侯爵様にも確りと伝えておくよ」
困惑するラキリエルを遮って、サダューインが腕を伸ばして麻袋を掴み、さっと革鞄の中に仕舞い込む。
「ほっほっほ、それでは私どもはこれで失礼いたします。
使者殿達の道中に"主"様の御加護があらんことを……おい、行くぞ」
再び頭を下げて感謝とともに旅の安寧を祈ってくれた村長は、従者を促し食堂の扉を開けさせ、この場を後にした。
「……治療に対する謝礼、患者を受け容れたことを他の農村の者には話すなという忠告、そして大領主への賄賂といったところだろうね。
中身は検めなかったが袋を持った時の重さからして、おそらくはグレナ金貨だ」
渡された麻袋に籠められたの意味を列挙してラキリエルに説明する。
最も大きな意味合いは最後の大領主への賄賂。この農村が更なる変事を抱えた際には、他の村よりも贔屓して援助してほしいという願いが込められていたのだ。
「そのような複雑な意味があったのですね……」
「あの村長はかなりのやり手のようだ。尤も『森の民』を従属させていたことに関しては個人的に相容れないところだがね」
村長を評価する一方で、僅かに眉を顰めるサダューイン。
「従属……後ろにいたエルフの女の子のことでしょうか?」
「ああ、彼女の首には従属魔術が刻印された魔具を付けさせられていた。
あれは奴隷や、荘園で奉公させている農奴に装着させるものなんだ」
「奴隷や農奴!? あんな年端も行かない子が……」
「このグレミィル半島は過去に『人の民』と『森の民』が激しく争ってきた。
父上が大領主に就任してからは各段に減ったとはいえ捕虜となった者や、その子供。他には戦災孤児などが奴隷商に売られることもあったんだ。
特に昔の『人の民』は、『森の民』を奴隷として使役することになんの抵抗もなかったそうだ」
「そ、そんな……」
「先刻の彼女は、おそらく戦時中に捕らわれて農奴と化した『森の民』の兵士の娘かなにかだろうね。
現在のグレミィル半島の法では、そう無茶な労働を強いることは出来ないようにしてはいるが……」
ラナリア皇国の各属領を治める大領主には、ある程度はその領内独自の法令を定める権限が与えられており、ノイシュリーベの代になってからは特に奴隷の扱いに関しての取り締まりを強化していた。
エーデルダリアを始めとして大領主自らが領地を巡視して回る理由の一つでもある。しかし、それでも絶対的に守られるわけではないのだ。
「彼女のような身分に陥ったヒトを解放してあげることは出来ないのですか……?」
「残念ながら現状では難しい。奴隷や農奴となった者達が自ら独立できるだけの力を身に付けるか、身元を保証してくれる者がいなければ真っ当な生活に戻ることは困難だ。
ならば先刻の彼女のように荘園で使役されているほうが、少なくとも魔物の餌になることだけはない」
村の外には魔物が徘徊しており、十分な鍛錬を積んだ兵士や冒険者でもなければ解放されても安全に生活することは出来ないのだ。
加えて奴隷は個人の資産であり、確実な労働力でもある。仮に大領主の権限で強引に撤廃でもしようものならば土地の権力者達との軋轢を産むことになり、結果として半島の統治に悪影響を及ぼす要因にも成り得るのだ。
「こればかりは地道に取り組んでいくしかないだろうね。
一手で全てを解決するような方法なんてものはないんだ」
「…………」
「幸い、この農村一帯を治める村長とやらは利得を弁えているようだから、そこまで酷い扱いをすることはないだろう。
とはいえ、やはりあの年代は『森の民』に対する忌避感が強いだろうから油断はできないが」
「ご年配の方々は、どうしてそこまで『森の民』を恐れているのでしょうか?
長い間いがみ合ってきたのは分かりましたけど、魔具まで付けて従わせるというのは流石に度が過ぎているかと……」
これが屈強な体格をした亜人の男性であったならば、まだ理解できた。
然れど、先ほどの少女はどう見ても戦う力など持ち合わせてはいないだろう。
「ふむ……本能にまで染み付いた恐怖がそうさせるのだろう。
ラキリエル、君にはまだ『森の民』の治める地方と、各氏族については説明していなかったな」
「はい、逃亡中に立ち寄った北イングレスであれば移動の最中に幾つかの街や地方について知り得る機会を得られたのですが、グレミィル半島についてはまったく知識がなくて……申し訳ございません」
「これから、ゆっくりと知ってくれれば良いさ
よし、じゃあ良い機会だから軽く話しておくとしよう」
グレミィル半島が詳細に描かれた地図を取り出し、テーブルの上に広げていく。
「この南部の五地方……ブレキア、エルディア、グラィエル、ウープ、そして俺達が今いるグラニアムが『人の民』の領域だ」
「草原、湖、海沿いの漁村、港湾都市……様々な特色を持った街がありますね」
「ああ、それに対して北部一帯に広がるグラナーシュ大森林、通称『大森界』を五つの地方で区切ったのが『森の民』の領域で、各氏族がそれぞれの方法で統治を行っている」
「ふむふむ」
「一番近いのはヴェルムス。ここは"獣人の氏族"の領域で猫人や犬人、狼人など様々な獣人種が纏まって暮らしている。
その隣がメルテリア。エルフ種を始めとする"妖精の氏族"が治めていて我が母もこの地方の出身者だ。
この二つの氏族と地方は比較的『人の民』との接点が多かったので、現在では南部の各街を訪れる者も増えてきている」
それぞれの地方が描かれた場所を順番に指差した後に、次いで少し北側へと指を動かしていく。
「ヴェルムスの北側にあるのがレアンドランジル。ここは"魔女の氏族"と呼ばれる者達の領域で妖魔や水妖、妖人、幽鬼が棲んでいる。
そして『大森界』の北東端には"大樹の氏族"が根を張るベルシンガがあり、この二つの氏族は率先して自分達に危害を加える者が顕れない限りは向こうから関わってくることもない」
「中立色が強い氏族と地方……なのですね」
「その通り、太古の時代から数多くの叡智を秘蔵しているので決して侮れないが味方に付けることが適えば心強い存在となる。
だが問題は最後に残った北西端の地方……イェルズールなんだ」
その地方の名を口にするサダューインの声色と表情が、一段と硬くなる瞬間をラキリエルは見逃さなかった。
「イェルズールに君臨するのは"黄昏の氏族"……巨人種や鬼人種、人並みの知能を備えた特殊な魔獣、そして竜人などの領域。
トロールやサイクロプスといった大型の魔物も数多く棲息している非常に危険な土地なんだ」
「……ッ! 地上にも竜の民が暮らしているのですね!」
「元々はキーリメルベス大山脈の奥地で暮らしていたそうだが、一部の者は大山脈を降ってグレミィル半島に流れ着いたそうだ。
とはいえ出会う機会は先ずないといって良いだろうけどね」
「そうなのですね……どのような生活をされているのか、気になります」
「……ふむ」
純粋な興味本位を懐いたラキリエルに対し、サダューインは一旦 口を閉じて黙考し、幾らか言葉を選ぶ素振りを見せた。
「"黄昏の氏族"は五氏族の中でも屈指の精強さを誇っていて『人の民』との争いでも凄まじい恐怖を敵味方問わず振り撒いていた。
幸か不幸か、彼等の領域は『大森界』の最奥であり半島の端でもあったから滅多に戦場に現れることはなかったけどね」
「たしかに……他の氏族の土地を跨いでいかなければなりませんものね」
「だが、一度戦場に出れば彼等を停められるものは居なかった……我が父ベルナルドと母ダュアンジーヌを除いてね。
父上と母上が結託するまでは"黄昏の氏族"の独壇場であり、彼等は勝利する度に『人の民』を大量に自領へと連れ帰った」
「それは……やはり奴隷としてですか?」
「いいや、食料としてだ。
彼等は純人種の血肉を美味として欲する文化を形成している。
勿論、中には奴隷として労働に従事させられた者や、他にも様々な用途で使われた者も存在するだろう」
「……!!」
「それだけでなく、連れ帰った純人種を飼育して、食用肉として繁殖させる……要は牧場を営んでいるわけだ。
"黄昏の氏族"に捕まった『人の民』は無惨の一言では言い表せない最期を迎えることになった」
「そのようなことが……許されるのですか?!」
「……残念ながら"黄昏の氏族"を正面から停められる者はもう存在しない。
せめてもの救いは、我が両親と氏族長との間で交わした盟約により新たに『人の民』を攫う行為だけは封じることが適った」
「…………」
「だが牧場の運営は継続されている……というより黙認と引き換えに『人の民』を襲う行為を禁じたんだ。
牧場という安定生産される食料源が存在するからこそ、イェルズールの強大な亜人種達が曲りなりにも結束できているという側面もあるからね」
淡々と事実を説明するサダューインの言葉を聞き、ラキリエルは思わず両掌で口元を抑えたまま何も言えなくなってしまった。
「父上が大領主となってから『森の民』と『人の民』の諍いは静まった。
"黄昏の氏族"の風聞もすっかり届かなくなったので、若い世代は『森の民』への抵抗感も少なくなっているが、村長や昨晩の救護院の院長のような世代にとっては"黄昏の氏族"の悪印象が『森の民』全体への嫌悪感や警戒心に繋がっている」
尤も、"黄昏の氏族"を抜きにしても長年に渡って相争ってきた民同士だからこその、心の境界線が引かれてしまっている。
農奴として従えられたエルフ種の少女に対して、わざわざ従属魔具を装着させるのは、そういった背景が由来となっていることをラキリエルは理解した。
「将来的には、この牧場の問題を根本的に解決したいと考えているし、エデルギウス家の至上課題の一つであると認識している。
現在の大領主である姉上にとっても、頭の痛い話だろうね……」
「……信じ難い、というより信じたくないお話です。
ですがサダューイン様がおっしゃるからには、真実なのですね……」
犠牲になってきたであろう者達の惨状や、一部の者達の間に根深く残る遺恨の程を想像して、思わず目を瞑りながら肩を震わせるラキリエル。
そんな彼女が落ち着くのを待ってから、再びサダューインは言葉を掛けた。
「説明のためとはいえ、領地の昏い事情を語ってしまった。
気分を害してしまったことについて、深くお詫びしたい」
「これからこの土地でお世話になる身ですので、知らぬ存ぜぬでは済まされないことでした。
むしろ丁重にお話いただいたことに感謝します……わたくしでも、なにかお力になれることがあれば、なんなりと!」
「いつか、その時が来たらお願いするよ。
君の扱う魔法や、海底都市で暮らしていた経験は我々には無いものだからね」
「はい、喜んで!」
外部から流入する新たな技術や知見は、時として諸問題を解決に導く切欠に成り得ることもある。
そのことをよく知るサダューインは昨晩のラキリエルの活躍ぶりを含めて偽りなき本心からそう返答した。
「さて、と……思わず話し込んでしまったが朝食も済ませたことだし、そろそろ村を発とうか。ヴィートボルグまでは、まだ二~三日は掛かるだろうしね」
空になった食器を厨房まで運び、給仕達に礼を述べてから食堂を出る。
そうして馬舎に立ち寄り、充分に休息を採ったであろう黒馬に二人して騎乗してから村の出入り口へと向かうのであった。