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010話『紫紺の表面張力』(2)


「ラキリエル、その左腕の姿は……?」



「……すみません、今はどうか見て見ぬふりをしてください」


 変貌した左腕に対し思わず疑問を口にしてしまったサダューインから視線を逸らし、少しだけ声を震わせながら掠れるようにラキリエルが答える。

 亜人種に対して抵抗感を持つ世代である院長は、特に言葉は発しなかった。



 受け取った短剣の先端を、変貌した自らの左腕に沿わせて鱗と鱗の継ぎ目へと僅かに突き立てると黄金色の液体が数滴ほど滴り落ち、小皿がそれを受け止めた。

 鉄分の匂いが微かに漂っていることから、それが彼女の血液なのであることが伺える。


 黄金の液体を採血した後に再び左腕に布を被せて同一の詠唱を唄うと、鱗や長爪のない純人種の腕へと戻っていた。

 短剣を突き立てた筈の傷痕は、どこにも見当たらない。



「それでは、今度こそ必ずお救いいたします!」


 小皿に溜めた黄金の液体を救護院に備えてある治療用の清潔な布に滲ませ、塗布薬の要領で患者の紫紺色の皮膚表面に軽く塗り込むと再び治癒魔法を行使する。

 ラキリエルの懸命な表情と気迫を前にしては、患者は異を唱える余地はない。



「……楚々たる大海の赤誠。空漠の招請賜りし蒼角の龍に希う。

 過日の業にして哀惜の賛歌。御身が齎す慈悲を擁きて、曙光の如く躙り給え。


 『――叡理の蒼角よ(ラクリ)詩顎を開け(モーサ)』!」


 蒼光に加えて黄金色の光の環が患者を包み、真昼の日光の如き輝きを放つ。

 数瞬の後に光の環が先に収まり、続けて蒼光の輝きも収束。患部の肌が元通りに癒されたところまでは同じであったが、今度は『負界』の影響が再発することはなかった。



「なんとか……成功いたしました」


 汗を拭い、疲弊した様子を見せながらも満足そうに笑顔を浮かべるラキリエル。

 先程から行使していた古代魔法に加えて己の血を摘出し、触媒として扱う行為は相応の負担となったのだろう。

 それでも躊躇いなくやってみせたのはサダューインの見立て通り、一人だけ生き残ってしまったことへの後ろめたさに起因するものか……。



「ああ……今度は痛みも疼きも戻ってこない……ありがとう、本当にありがとう、治療師様!」


 感極まった患者が盛大にラキリエルへ感謝の気持ちと言葉を伝えると、更に奮起した彼女は『負界』の影響を受けて隔離されていた他の患者達へも同様の施術を行っていった。

 そんな様子を、院長とサダューインは感嘆とした面持ちで見守っている。




「ふぅむ、私も長い間 治療師として現場に立ってきましたが彼女ほど強力な治癒魔法の使い手を目にしたのは初めてです。

 いったい何者でしょうか。それに、あの腕と黄金色の液体は……」



「……申し訳ないが、私の連れに関して詮索は控えてほしい。そしてどうか他言無用でお願いしたい、『負界』の件も含めてね。

 一連のことはグレミィル侯爵に報告した上で判断を仰ごうと思う」



「そうですな……分かりました。一介の治療師が足を踏み入れるには聊か事態が大きすぎる気がしてきました。

 大領主様からの公式の見解が示されるまで口を閉じておきましょう」



「礼を言う。突然の事態への対応に加えて、夜間の急患への対応にも関わらず真摯に向き合っていた貴院のことも必ずグレミィル侯爵に伝えておこう。

 他に『負界』に汚染された者は?」



「いえ、直接的に紫紺色の瘴気……『負界』を浴びた者の大半は、残念ながらその場で命を落としたと報せを受けました。

 他にも落盤による被害や、混乱した魔物に襲われた者達でザンディナムの救護院が溢れかえってしまったので

 一部の患者の隔離の意味も兼ねて当村の救護院へ搬送されてきたとのこと。痛ましい限りです」



「そうか、ならば後は銀鉱山を一時閉鎖すれば当面の二次被害は防げそうだ……財源が途絶えるのは管轄家にとって手痛いことだろうな。

 他に懸念されるのは、『負界』の影響で棲み処を失った魔物の行方か」


 ザンディナム銀鉱山とその一帯では、多数の魔物が棲息圏を築いており、一群が欠けるなり棲み処を移さざるを得なくなれば、必ず別の一群へと影響が生じる。

 最悪の事態を想定するのならば、新たな棲み処を求めた魔物の群れが近隣の村々を襲って回る可能性だろう。



「そのことに関しましては実は一昨日の昼過ぎに、この村へ立ち寄られたウォーラフ商会の会長を名乗る男が

 お連れの冒険者と思しき方と共に錯綜した魔物の討伐へと赴かれました。

 その時はまだ『負界』に汚染された患者達が運び込まれる前だったのですが……」



「ウォーラフ商会長だと!? 名を騙る狼藉者ではないのなら、無二の幸運だ。

 彼が雇うほどの冒険者であれば、その腕前はまず間違いなく一流だろう」



「サダューイン様、ウォーラフ商会というのは……?」


 全ての患者の治療を終えたラキリエルが、ふらふらと覚束ない足取りでサダューインの傍へと戻ってくる。

 高位の古代魔法の連続行使によって、かなりの魔力と精神力を消耗してしまったのだろう。



「ご苦労様。大分 無理をしたようだね……一先ず椅子に座って少し休憩するといい」


 労いの言葉とともに手近な椅子を掴んでラキリエルの前に置き、次いで鞄より飲料水の入った水筒を取り出して手渡す。



「ウォーラフ商会というのは、大陸中央部より東側の国々……デルク同盟加入国を基軸に販路を広げている商人達による組織。

 そこの商会長とは個人的に懇意にしていて、俺が扱う魔具の素材などを中心に都合してもらっている」



「ありがとうございます。すごい御方……なのですね」



「ああ、元々は大陸北部のキーリメルベス連邦側の出身だそうだが、

 各国を渡り歩いて人脈を広げて一代にして自分の商会を立ち上げた、やり手の技術者にして大商人だよ。


 他にも色々と偉業を成し遂げた人物であり、半端な者が名を騙ろうものならば瞬時に偽りだと露呈してしまうことだろう。

 だからまあ、この村を訪れたのは本人の可能性が高いと思う」


 サダューインにしては珍しく、心の底から称えるような素振りで話す。



「彼が動いてくれているとなると大きな被害は防げるだろう……精々、群れから逸れた小粒の魔物が徘徊する可能性があるくらいか。

 各村には、より硬く門を閉じるよう通達すれば大きな騒ぎには至らない筈だ」



「僥倖ですな、明日の朝にでも私のほうから村長へ伝えておきましょう」


 訪れたウォーラフ商会長が本物であれ偽物であれ、地方を巡回する警邏隊が到着するまで防備を固めておくことは賢明な方策である。



「お使者様のお連れの治療師殿も、この度は不甲斐ない我々に代わり患者達を救ってくださり、心より感謝いたします。

 しかし、お使者様が仰った通り相当の無理をなされた様子……どうか本日はゆっくりと身体を休めて、ご自愛ください」


 院長が深く頭を下げて感謝の言葉を述べた後、他の患者の様子を見て回るために席を外した。



「彼の言う通りだ。他の問題は一段落しそうだし、今日は宿に戻って休もうか。

 ラキリエル、改めて彼等を……グレミィル半島で暮らす民達を救ってくれてありがとう。君の成し遂げたことは他の者では真似できない偉業に値する、どうか誇ってくれ」



「もったいないお言葉です……こんなわたくしでも僅かでも誰かのお役に立てたのなら、なによりです」


 その後、『負界』による汚染から解放された患者達の様子を見て回った。

 いずれも痛みが引いて安堵した表情のまま快く眠りに着いたことを確認すると、二人は揃って救護院を後にする。


 すっかり夜は更けており、梟の鳴き声のみが夜の帳の下に響き渡っていた。



「(おそらく彼女が見せた青い肌の左腕と黄金の血は、古代魔法による偽装を解いた状態だったのだろう)

 (海底都市に棲まう海神龍の眷属……貴いものだな)」


 文字通りに血を流し、疲労の極に達するまで治癒魔法を唱え続けたラキリエルを支えて宿泊所まで歩いていく最中、サダューインは彼女に対して掛け値なしの貴さと同時に、どこか危うさを感じていた。


・第10話の2節目を読んでくださり、ありがとうございました。

・ラキリエルが見せた青肌の腕というのは、彼女が海底で暮らしていた時の姿を部分的に呼び戻したような状態で、竜人としてより強い力を引き出すことができます。


・また一般的な治癒術とラキリエルが扱う治療魔法の差は、前者が肉体の自然治癒力を高めて体組織を順当に修復していくのに対して、後者は一度 体組織を分解してから再構成することで傷を負う前の状態に疑似的に巻き戻す・・・といった違いがあります。力業にもほどがありますね。

・SFものでたまに見かける量子転移のような原理で、量子単位で肉体を分解してから別の場所で再構成させるような感じだと思ってください。

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