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010話『紫紺の表面張力』(1)


 [ グラニアム地方 ~ グレキ村 ]


 宵も更けて久しい時刻、サダューインとラキリエルは村の中央にある救護院へと足を運んだ。

 そこでは施設内に設置されている寝台の八割近くが身体のどこかしらを包帯で巻かれた患者達によって占有されていた。


 既に適切な治療が施された後ではあったものの、部屋の奥に押しやられて半ば隔離されたような状態の一団に関しては治療師達も手を拱いている様子であった。



「夜分遅くに失礼、私はエデルギウス家の遣いの者である。

 貴院がザンディナムからの患者の受け入れたと聞き、様子を拝見しに参上した。

 もしグレミィル侯爵に対してなにか助力の申し出が必要であれば戻り次第、侯爵閣下へお伝えいたそう」



「おお! それはなんと有難い申し出か! "(トーラー)"様と大領主様の思し召しに感謝いたしますぞ」


 村の入り口でのやり取りと同じく、使者だと偽りながら紋章入りの短剣を見せつけると責任者と思しき初老の治療師が手厚く歓迎してくれた。


「私はこの救護院の院長を務めさせていただいている者。

 正直に申し上げまして奥の寝台に寝かせている者達には有効な施術の手段が見当たらず、その症状すら見知らぬものでして、困惑していたところなのです」



 そうして通された治療部屋の奥部では、番兵が話していたように皮膚の一部が紫色に変色した患者達が苦しそうに呻き声を挙げていた。

 よくよく観察してみれば変色した皮膚は焦がれて糜爛しており、悍ましさを感じるほど溶け欠けているようですらであった。

 更に当人達の近くには、患部に巻いた後に取り剝がしたものと思われる、ボロボロに腐れ爛れた包帯の残骸が散乱していたのだ。



「……化膿止めを始めとした様々な水薬を塗布したり、呪詛払いの魔具を用いて応急処置を試みたのですが、いずれも大した効果には至らなかったばかりか、皮膚の症状が包帯や魔具にまで伝播して慌てて取り剥がしたのです」


 忸怩たる思いで院長が告白する。これまで積み上げてきた治療師としての矜持が完全に打ち砕かれてしまったのだろう。



「成程、凡そのことは理解した、この症状は確か……」


 患者の容体と、院長の話を聞き、サダューインもまた深刻な表情を浮かべると、腰に下げた大きな革鞄の中から一冊の使い古された羊皮紙の束を取り出し、ぱらぱらと(ページ)を捲って目当ての情報を探す。

 数秒ほど要した後にその記述を見つけると、彼の面貌は更に緊迫した様相を見せた。



「……あった。これだ! この『森の民』の備忘録から書き写した事例が患者の容体と合致する」



「ほう、『森の民』の……」


 純人種であり『人の民』である院長が眉を顰める。この年代の者はやはり『森の民』に対して抵抗があるようだ。

 とはいえエデルギウス家の使者を名乗る者の手前であることや、今は藁にも縋りたい思いから己の価値観は封殺して耳を傾けようとしてくれた。



「おそらく、この者達は『負界』という紫紺色の瘴気……つまり有害物質の噴出に遭遇したのだろう。

 ここラナリキリュート大陸では滅多に発生しないそうだが、別の大陸……特に隣の"燦熔の庭園"などでは頻繁に晒されている脅威なのだそうだ」


 羊皮紙に記されている文章量はあまり多くはない。元々の備忘録にも核心的なことは載っていなかったのだ。

 故に詳しい情報や有効な対処療法などは判らなかったが、ともあれ症状の正体だけは辛うじて把握することが適った。



「この『負界』は考え得る限り最悪の呪毒でもあり、一度 塗れれば如何なる治癒術も受け付けないばかりか、

 時間の経過と共に周囲の生物、物質、精霊を問わずに伝播し、全てが紫紺色に染まるという」



「なんと……そのようなものがザンディナムから噴き出したということですか?!

 現代の呪詛払いの魔具すら浸食させるほどとは伝承級の災厄ですぞ!」



「一応の対処策としては、発見と同時に焼却を以て処置すべし……とのことだ。

 幸い、この『負界』に侵された者を焼くのに必要な火力は第二級火葬術式で事足りる。……少なくとも『ラナリアの聖火』を持ち出すほどではなさそうだな」


 過去に、異なる呪詛に依って死することとなった両親を焼却した際の記憶が蘇り、サダューインの面貌が険しさを増した。

 あの時は第一級火葬術式ですらどうすることもできず、ラナリア皇王の慈悲と寛容さに縋るより他なかったのだ。



「第二級とて、この村の規模で実施するには骨が折れますが……致し方ありますまい。この近辺で暮らしている魔術師達と焔水晶を搔き集めてみましょう」



「サダューイン様! それはあまりにも無体なことです!

 どうか、どうかわたくしに治癒魔法を試す機会をお与えください。できる限りのことをさせてください!」


 患者を介錯することしか対処法がないと知り、ラキリエルが必死に申し出る。

 彼女の現状を鑑みれば、たまたま立ち寄った村でこのように村人に親身になって関わる余裕などないはずなのだが、それでも治療の機会を申し出るのは彼女が真に慈愛に満ち溢れた人物であるのか、それともヒトが炎で焼かれるということに対する強い忌避感からくるものか……。



「そうだな、君さえかまわないというのなら出来る限りの手は打っておきたいとは思う」


 言いながら院長のほうを一瞥する。彼としても同じ考えのようであり、現場の責任者として患者を救うことができるのなら外部の者の手を借りることも厭わないといったところか。



「……だが無理だけはしてくれるな、ラキリエル。君まで『負界』の影響を受けてしまっては元も子もない」



「おまかせください!……それでは早速」


 水のような不思議な布を両腕で操り、先程の会話を聞いて絶望的な表情を浮かべる患者の一人の傍へと近寄った。

 ふわりと空中を揺蕩うように布を靡かせながら、紫紺色に染まった患部を含む患者の総体に被せると膨大なる量の魔力を滾らせた蒼光を放つ。



「(……なんという凄まじい光だ!)

 (魔力量は姉上と比べても、ほとんど見劣りしないな)」


 瞠目するサダューインを余所に術式の構築に集中するラキリエルは、大きく深呼吸をしてから言の葉を紡ぎ出す。



「……楚々たる大海の赤誠。空漠の招請賜りし蒼角の龍に希う。

 過日の業にして哀惜の賛歌、御身が齎す慈悲を擁きて、曙光の如く躙り給え。


 『――叡理の蒼角よ(ラクリ)詩顎を開け(モーサ)』!」


 静かに、厳かに、凛とした声色で朗々と唄い、術式起動のための鍵語を以て詠唱句を締め括る。

 ラキリエルが行使したのは水の精霊を介した魔法(スペリオル)に分類される術式のようではあったものの、その詠唱句の在り方は精霊に祈祷を捧げることで対象を常世で起こる現象の一部として嵌め込む現代魔法の様式とは、若干ながら質が異なっていた。



「(これも、旧アルダイン式の流れを組む古代魔法ということか)


 魔力によって発せられた蒼光の輝きが臨界点を迎え、深夜だというのに一瞬だけ まるで明け方のように周囲が明るく照らされる。

 その直後だった、患者が負った怪我と紫紺色の皮膚が瞬く間に癒されていく。しかしその治り方に対して、サダューインは微かな違和感を覚えた。



「(患部の状態に合わせて魔力を注ぎ込み、肉体を賦活させて自然治癒力の活性化を促す現代の治癒術とはまるで異なるのだな)

 (膨大なる魔力の流れで患部を一度 消滅させてから即時再生させたかのような荒業だ)」


 果たしてサダューインの見立て通り、蒼光に包まれた患部は見事に元の皮膚の状態へと巻き戻される。

 痛みが引き、むしろ痛みなど最初からなかったかのように消失したためか施術された患者の表情は安堵に包まれていた……が、数秒の後に再び苦悶し始める。



「うぅ……痛い、熱い…まただ……また疼いてきやがった……」


 先程まで『負界』の影響を受けていた箇所の皮膚が、再び紫紺色に染まり出す。

 どうやらラキリエルの行使した治癒魔法により一度は元の状態に戻ったものの、肉体に深く固着した『負界』を拭い去ることは適わず、同じ症状が再発したのだ。



「そんな……この術でも効果が得られないなんて!

 すみません、すみません! わたくしが無力なばかりに……」



「いや、紫紺色の皮膚以外の箇所は完全に癒えている、大したものだ。

 治療師の基準からすれば充分すぎる成果だろう、どうか気に病まないでくれ」


 己の無力さを実感し、患者に対して頭を下げて何度も謝罪するラキリエルの肩へそっと掌を添えて慰めの言葉を掛け、次いで彼女の耳元へと口を近付けてそっと呟いた。



「……患者に対しては気の毒に思うが、早急に火葬術式の準備をしよう」



「……ッ!! 生きたまま炎で焼き払うなどあってはならないことです! もう一度だけ、わたくしに機会をお与えください」


 (まなじり)を決し、より強い救済への意思を固めたラキリエルが更に強固に願い出る。



「(そうか、彼女は故郷である海底都市をラナリア皇国海洋軍によって蹂躙され、最終的には一人だけ生き延びてしまったと言っていたな)

 (生来の優しさもあるのだろうが、ここまで見ず知らずの者に献身的になれるのは、その贖罪の意思によるものもあるのだろう)」



「サダューイン様、短剣と小皿をお貸しいただけませんか?」



「それはかまわないが、どうするつもりだ?」


 彼女が成そうとしていることの意図は解らなかったが、輝きを増した瞳の強さから只ならぬ決意のようなものを感じ取った。


 故にラキリエルの申し出に応じるべく、先程から身分を示すために何度か取り出していたエデルギウス家の紋章が刻まれた鞘より短剣部分を抜き放ち、柄を向けて手渡した。

 手持ちの短剣の中で彼女の掌でも扱えそう代物がこれしかなかったからである。続けて革鞄の中から調合用に用いる陶器製の小皿も取り出し、机の上にそっと置いた。



「ありがとうございます。少し考えがありまして、謹んで使わせていただきますね」


 お礼の言葉を述べて右掌で短剣を受け取ったラキリエルは、逆の掌で不思議な布を巧みに操り今度は自身の左腕に覆い被せた。



「……楚々たる大海の赤誠。空漠の招請賜りし蒼角の龍に希う。

 幻日の鏡、来たれ幽世の駕篭 在りて――」


 再び古代魔法の詠唱句を唄い始める。ただし今回は鍵語までは発さない。

 術式の構築途中で停めることにより、部分的に効力を発揮させるのが目的なのだろう。高度な遣い手にのみ許された応用巧唱である。


 やがて何らかの術式の一部が作用したのか、被せた布を剥ぐころには純人種であった筈のラキリエルの左腕は、青色の皮膚……即ち亜人種の外観へと変貌。

 そればかりか皮膚の表面は小さな鱗で覆われ、爪は鋭く長く伸びており、外観的な特徴としては水妖種や魚人種を彷彿とさせた。


・第10話の1節目を読んでくださり、ありがとうございました!

・本文中に何度か出てきている治癒術という表記についての補足となりますが、

 これは治癒魔法や治癒魔術といった何らかの術を用いて治療を行為の総称のようなものだと思ってください。……ややこしいですね。

 そしてそういった治療を行う者のことを治療師と呼んでいます。


・尚、魔法にしろ魔術にしろ生体を治療する技術は通常のものと比べて習得難易度が高く、高位の術者か治療専門に学んできた者でなければ行使できなかったりします。

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